認める
十八年間、私は男性に見染められた事がなかったけど、本日、二人目疑惑の男性がお見舞いにくる。
イオは天然記念物の私でも構わないと口にしたし、姉という例があるので、悩みに悩んでお洒落はせずにいつもの地味姿を選択。
これは正式なお見合いではなくて単にお見舞いを受け入れただけなので、大部屋で人目があるから家族が付き添うことはしない。
トオラがお見舞いに来るのは彼の仕事終わりになるので、来訪時間は夕食の時間帯だと聞いているのでソワソワ、ソワソワしながら過ごしていたら、昼前にイオと一緒にトランプをしたインゲが私を訪ねてきた。
「これ、火消しの兄ちゃんから」
「……ありがとうございます」
藤の枝を差し出されたので受け取って眺める。
今日も手紙は特にないみたい。
昨日は別の子からたんぽぽで、その前の日は別の子から水仙だった。
「ねぇ、姉ちゃんはあの兄ちゃんが嫌いなの? 大嫌いって言われたみたいに聞いた時から気になってた。仲良しそうだったから大嫌いって喧嘩だろう? トランプじゃ仲直り出来なかったの?」
インゲは畳に上がって、私の近くにあぐらをかいた。
「いえ、あの。喧嘩はしていません」
「そうなの? この花。会えないから渡してくれって頼まれた。会えないって何? イオさんとは何回かしか会っていないけど、いつも元気いっぱいで楽しい人なのに、全然元気なかった」
「そうですか……」
「僕にはまた会いに来るって。禁断ってやつなら手紙を渡したり出来るよ。あっ。でもその手は手紙を書ける? なんで怪我したの? 痛くない? 僕の手はこんなに元気だから代わりに書いてもええよ」
見た目は普通に見える彼こそ、何の病気で入院しているのだろう。
「ありがとうございます。彼と親が話し合った後にまた会います。だから手紙は書きません。怪我は火傷でイオさんが火の中から助けてくれました。なので治ったらこんなに元気になりましたってお礼の手紙を書きます」
「凄え。あの人、本当に火消しなんだ! 身分証明書に災害なんちゃらって書いてあったし、触ったら筋肉モリモリだけど、ちょっと疑ってた。いつも昼間に来るから職なしなのかなって」
「それは彼も話した通り、今は夜勤勤務続きだからですよ」
「火消しが夜も働いているなんて知らなかった。でも確かに火事は夜にも起こるよな。火消しは火事以外でもうんと働くし」
「ええ。お医者さんのように尊いお仕事ですね」
「ねぇ、動き回らない格好ええ仕事って知ってる? お医者さんや火消しみたいな。火消しの補佐官っていうのにはなれるかな。詳しく聞きたいけど別の話をしちゃった」
「どうでしょう。調べておきますね。私は色々本や書類を書き写す仕事をしています。医学書や薬についてなど、格好良いお医者さんや火消しさん達を助けるような書き物の仕事もあるはずです。手は元気でしたら、その手で格好良くなりましょう」
「それって格好ええ?」
インゲは不満そうに首を斜めに傾けた。
「物書きという道もあります。今、こちらの本は私を慰めてくれています。そのように文字や言葉で誰かを助けることも出来るのですよ。目立たなくても、ひっそりでも、それはとても格好良いことです。ああ、トランプもですね」
「トランプ? トランプの何が格好ええの?」
「イオさん達と作って寄付したら沢山の方が楽しめます。私はそれはとても格好良いことだと思います」
「そうかなぁ。でもそうだな。俺は街で大活躍っていう兄ちゃんは知らないけど、あのイオ兄ちゃんは格好ええよ。見た目じゃなくてさ」
「だからインゲ君も、もう格好良くなれますよ。だって一緒にトランプを作ってそれをするんですもの。遊び方の説明書も一緒に作りましょう。格好良くなれるのではなくて、もう格好良いの方でした。良い言葉を覚えたので教えますね」
「もうそうなの? 何で? 何もしてない奴は格好良くないよ」
「最近聞いた言葉で、忘れたくないので代わりに書いてくれますか?」
「うん、ええよ」
今いる自分の領域の畳の端に置いてある、紙と矢立てが入っている箱を持ってきて蓋を開いた。
「痛くない?」
「インゲ君はとても優しいですね。痛み止めで弱くなっているので大丈夫です」
「弱くなっているなら痛いんだ」
これには虚を突かれた。
「でも怪我は日に日に治ります」
「うん。俺は多分きっとこのまま軟弱。でも格好良くなれるってびっくり。なんでもうなの? トランプが完成したらじゃなくて?」
「教えるので書いてくれますか?」
「うん」
まずは強いという漢字。
インゲは知らなかったので、海辺物語をペラペラめくって探してこれだと教える。
続けて、め、て。
行という漢字も知らないようなのでまた本を使用して、それを続けて完成。
代わりに書いてあげると優しいことを言ってくれたから任せたけど、一生懸命書いた字はかなり下手。
でも読めるし、私はこの優しさが詰まった努力した字が好き。
「強めて行なう者は志有りと読みます」
「意味分かんない」
「最初は努力を続ける人、という意味です。その次、志は分かりますか?」
「確か……目標のこと。兄ちゃんがお父さんに男なら志を持てーって言われていたことがある」
「努力を続けている人は目標を有しているというような意味です。成せばなると言うので目的を成している、とも言えるのです」
「成せばなる?」
「やればできる。やる気があれば必ずやりとげられるから、頑張ってみましょうという意味です。挫折しても良いのですよ。何もしないと何にもなりません」
「挫折って何?」
「途中で投げ出すことです」
「へぇ。姉ちゃんって賢いんだな」
「インゲ君よりもお姉さんですから。優しい目標を持ったインゲ君はもう格好良いですよ。決意した内容も良いですが、目標を掲げるという難しい第一歩を踏み出したことがとても格好良いです。何もしてないと言いましたが、インゲ君はもう何かをしています」
「ふーん。あっ。医者が見回りに来るから帰ろう。ガミガミうるさいけど、また退院したいからちゃんと聞かないと。苦しいのは嫌だし」
じゃあな、と手を振られたので手を振り返す。
(また、ということは前も入院したんだ……)
七才と言っていたのに彼の人生は過酷みたい。
しばらく藤を眺めていたら介助師がやってきて午後の包帯変えの時間。
順調に治っていると言われていたけど、腕の熱感は気になっているから要注意らしくてお医者さんを呼ばれた。
熱いし、ここだけ他のところよりも痛むなと思っていたけど、そんなものかと気にしていなかったと話したら、お医者さんに首を横に振られた。
「変化があったら再入院や病院や薬師処通いでも対応出来ますけど、本人に自覚がないとどうしょうもないです。だからこうして入院の方が良いけど、こちらも中々安く出来ないので難しいところです」
「働いて下さる方々の生活がありますから当然です」
「このまま油断せずにいきましょう。今日は院外には出ないように。やはり火傷は深くなくて順調ですからあまり跡にはならなそうです。ところどころはあるかもしれないけど」
「焼け死ぬところだったので跡くらい気にしません。いえ、気にはしますが悩んでも仕方ないです」
「女性は気にすることが多いのに、ミユさんはサッパリしていますね」
お医者さんが去って衝立に囲まれて介助師と二人きりになって包帯変えの続き。
「火消しのイオさん、今日は藤を持ってきてくれたんですか?」
「えっ? ええ」
姉より少し年上の彼女にイオ話を振られるのは初めて。
彼のことも私をお見舞いしていることも知っているんだ。
「色男ですよねぇ。優しいし面白いからうっかり惚れちゃいそうって昔から思っています。ほら、火消しさん達って自分達が運んだ人達のお見舞いに来たり、子ども達を励ましに来てくれたりするから。兵官さん達とそこが違います」
うっとり顔に見えて少々不快かもしれない。
しかも昔から知っています、と言われたことにもモヤモヤする。
「そうなんですね。ありがたいことに家族は大きな怪我や病気とは縁がなかったので知りませんでした」
「今日、しょんぼりしていたから何かと思ったらミユさんに袖にされそう、崖っぷちって。このくらいは良いだろうって自分に甘くして女遊びをしていた事がミユさんには許容出来ない範囲みたいって。そうなんですか?」
これが噂の恋話!
スズとチエと少ししたけど、まさか介助師さんと始まるとは。
「許す許さないの前に想像したくないから考えていません」
「あら。そうですよねぇ。助けられてお見舞いされて口説かれたら絆されそうだもの。夫みたいな普通の男性達の男の美学みたいなのって私は苦手。気持ちは言われれば言われる程嬉しいです。私も家宝って言われたい。口先だけみたいなダメ男もいますけど」
「私は、ほ、ほだ、絆されていますか⁈」
イオはこの介助師に「ミユちゃんは自分の家宝になる」みたいな話をしたの⁈
「ええ。だって、かわゆい顔でぼーっと藤を眺めていましたよ。結納や新婚時代を思い出してこちらまでドキドキしました」
「ダメ男に惚れたらダメ女ですよね⁈」
「彼をダメ男は高望みし過ぎというか……。でもこれは許せないってものが人によって違うので難しいです」
「完全ダメ男とは思っていません。なにせ命の恩人で、子ども達へ優しいのも見ています」
「真面目な堅物で女性と縁が無かった方だとギクシャクして何も始まらないとか、つまらなかったりすることもあります。でも女癖が悪いのはそりゃぁ、嫌ですよね。程度や今後バシッとやめてくれるか、自分が彼の手綱を握れるかで悩みそうです」
やめるかどうかは一緒にいないと分からなくて、手綱が握れるかも試してみたいと分からない。
門前払いしたくない私が次にすることはそれだ。 介助師に藤を掌で示された。
「私は花よりもお酒が嬉しい。イオさんはミユちゃんを贔屓するように美味い酒ですって私に袖の下を持ってきました。どこからその情報を仕入れたんだか」
「そうなんですか」
「そういうことで、特定の患者さんだけを贔屓はしないけど、彼の味方はしてあげたくなりました。女性関係のことは知らないけど、以前から少しはどんな人か知っていて、概ね性格良しなので。だからこちらをどうぞ」
渡されたのはイオからの手紙疑惑の文。
なにせ、またしても宛名は「星花燎原の君へ」だ。
「接近禁止令が出ているからお願いしますって言われて、接近禁止令が出るような男性からの手紙を渡すのは非常識ですけど、脅迫文ではないのは明らかですし、火消しと写師奉公人は禁断っぽくないので」
「親に物を受け取るなとは言われていませんので預かります。伝書鳩にするのもご迷惑でしょうから」
「ミユさんはインゲ君と何を話したんですか?」
話題が急に変わった。
「世間話です」
「長生き出来ないのなら何をしても格好悪いし、自分はどうせずっと軟弱って言っていたのに、勉強なんて嫌いって出来ることもしなかったら手紙を書く手伝いも出来ない格好悪い奴になっていたから勉強するって方向転換しました」
「彼は長生き……出来ないのですか?」
「いえ。同じような病でも成人する者もいますから龍神王様のみぞ知る、です。でも何回も入院になると後ろ向きになるものです」
「そうなのですか……。幼いのに……。彼はそのような試練を背負って生まれたのですね」
「とても嬉しそうでしたよ。もう格好良いって言われた、手紙を代わりに書けたりトランプを作れたらもっと格好良くなれるんだーって」
「そうなのですか」
私の前ではすました様子だったのに喜んでいるんだ。
「私はイオさんとミユさんはお似合いだと思います。浅いところしか知らないですが、同じように人の心を軽く出来る者同士です」
今日はなるべく体を休めて熱に負けないようにしましょうと言われて、包帯も巻き終わったからと彼女は衝立を直して去っていった。
後で手や足を動かす体操の手伝いをしにきますと告げて。
他人にこのように褒められる事は滅多にないのでとても嬉しい。
(お似合いって、お似合い……。容姿格差やあの性格で誰にでも気さくな彼と、隣で大人しくしている私だから二人で並んで歩いたら違和感だし、気が引けそうなのにお似合い。お似合い……)
藤を花カゴに生けて、火傷をしていない側を下にして横になって「んー」と最近何度も心の中でしている悶絶。
しのんでいなくて自覚が乏しいの方だけど、私はしのぶれどの下の区みたいな状態になっている。
(わが恋はものや思ふと人の問ふまでってこのことだー。人には思ったことがあるけど、まさか自分が。うわぁ)
「想いごとをしているのですか?」と人に尋ねられるほど。
いや、ほどってことではない。私のこの気持ちはさわりのはずだ。
私よりも強かだった母が今はこれ以上惹かれないようと線引きしたので、イオからの手紙は読まない、考えない! と思って海辺物語を開いて読書の続き。
【変わらぬ誓いを込めて末の松山へ、と書くか悩みました。君は松よりも花で、なぜ君なのか伝えたいので星花燎原です。まだ怖いだろうから漢字は変えましたが意味は同じです。早くうなされない夜がきますように】
挟んであったイオからの手紙が落ちたので、手に取って読んでしまった。
(なぜ君なのか……。星火燎原だから……。私が彼を燃やした……)
人は口や言葉では何とでも言えるというけど、彼は私に好かれたいからか着物を変え、髪型を変え、足袋を履き、このように勉強をしたか誰かに頼んで文字を書き、毎日お見舞いに来てくれている。
ネビーが口にした勉強会も、もしかしたら私関係かもしれないと自惚れてしまいそう。
夜勤が終わってすぐ、という時間ばかりで出勤前に仮眠するだろうに、結構長い時間いる。
(読むくらい……ダメ!)
敷布団の下に手紙を入れて、読書に集中することにした。
読んでいるうちに末の松山話の男女が私とイオみたいな気がしてきて、彼の姿形や声で登場人物が頭の中で動くからまたしても悶絶。
なんでこうなるの!
(逆だ。逆を考えよう。一途にお慕いしていますという男性に重ねるんじゃなくて、言われた女遊びについて想像だ。きっと嫌いになる!)
嫌いになったら彼とは破談で、それは辛くないので終わりになる。
お酒に酔った時にあっ、て理性が飛ぶ時があるらしいので、それを妄想してみることにする。
(追っかけは抱かない……。どこまでするの? キスはする? キス?)
街で見かける美少女達とキスを想像したら、怒りではなくて悲しみに襲われて「やめて!」と心の中で絶叫。
私はイオに惹かれていて、それは泣くくらいだと判明。
静かに暮らしたいのに、穏やかな気持ちで文学作品にのめり込むのが私の贅沢なのに、これだとそんなことは出来ない。
体を起こして、人に見られたくないと衝立を動かして隠れて、こんな胸が痛いのは嫌だとメソメソ泣き。
(忘れじの行く末ゑまでは難ければ……。きっと、こういうことだ)
今日を限りの命ともがなとまでは思わないけれど、勉強知識としてではなくて、今なら感情で理解出来る。
いつまでも忘れないという言葉が遠い将来まで変わらないというのは難しい。
感情は水もので、この世に永遠なんてないけど、末の松山と呼ばれることには憧れる。
私の今の気持ちは「今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに」とまでは思えないものだけど、傷つくのは怖いから引き返して無かったことにしたい。
死にたくなる程の、入水までしてしまうことさえあるという色恋世界はとても恐ろしい。
退院して彼と二人で街を歩いて、気さくな彼が女性と楽しそうに会話するのをイライラしたりこのように泣いたりしそうで嫌。
呆れて、こんな女だとは思わなかったと別の女性へ移動したら、どのくらい胸が痛むのだろう。
私はどうやらかなりの小心者で、地味にして隠れるとか、美人ではないという事を言い訳にして、安全地帯で自己保身していたいようだ。
だから少し気になる人がいても文通お申し込みすらしなかったということで、今も口から天邪鬼な言葉を吐いている。
(イオさんは怖くないのかな……。最初は大嫌いとか、喋らなかったのに……。なんで……。ああ、成せばなる……)
放棄したらそこで終わり。
傷つく覚悟がなければその先にある幸せも手に入らないという単純な構造。
私はイオからの手紙を布団の下から出して中身を確認した。
(白紙? 封筒もある)
それで封筒には着払いという文字に住所も書いてある。
重なっていた、後ろにある手紙を読み進める。
【一番星の君へ。口説くのを禁止されたので、手が治った後に返事が欲しいです。仕事で感謝は求めないけど、今回は求めます。感謝の手紙くらいは貰えないかと期待しています】
以前の手紙と同じ力強い文字だけど、前よりも丁寧で美しく見える。
【もしも二度と会えないとしても君の文字を見てみたくて、体が元気になったと知りたいです。単に惚れた女からの手紙が欲しいのもあります】
……。
【花に罪はないので趣味の生花で和んで癒されたら良いです。自分からではなくて子ども達からだと思うと良いと思いました。なので文を結んだら台無しです。この手紙は付きまといからってことで捨てられるかもしれませんけどそれは覚悟の上です】
……。
【予想は可能だけど家族以外は知らない、教えない真名を改めて教えます。家族以外で知っているのは君だけになります。威生】
思わず笑ってしまった。
しつこくて嫌いという女性もいるだろうけど私は嬉しい。
嬉しいという感情がこれから何をしていけば良いのか教えてくれた気がした。
私は彼と一緒の時間を過ごしてみるしかないし、そうしたい。
(一番星って一番がいるなら二番がいるのかって言おう)
さっきまで泣いていたのに今は唇がゆるゆるで仕方がない。
私の魔除け漢字は深いに結ぶで、家族友人知人恋人夫婦など、深い良縁を結ぶ相手が出来ますようにという意味。
それはまだまだ、まだまだ教えてあげない。




