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出会い

 私はこの世には二種類の人物がいると考えていて、それは静寂を好む者と喧騒を好む者だ。

 両者は水と油のように反発し合って決して混ざらないと思っている。

 例えば今日の私は家事係ではなくて両親が働く写本屋で母の代わりに仕事をする係で街を一人で黙々と歩いているわけだけど、これから向かう先ではどうやら火消し達が遊び喧嘩をしている。


 火消しは通名で正式名称は災害実働官といい、彼らの仕事は文字通り災害の際に働くことである。

 元々は街の火事から人々を守る私設団で法整備や話し合いにより公務員に変化して、その職務は火事の際に出動だけではなくてあらゆる災害時に活動して人命救助支援を行い、日頃からそれに備え、区民に災害に対する警告や防止を行うこと。


 急怪我人や急病人を病院や薬師のところへ運んでくれるのも彼らなので地元地域の人気者。

 表向きは公務員で推薦状を手に入れて試験に受かれば誰でもなれる、となっているけれど火消しは設立経緯が経緯なのでほぼ家系職。

 陽気で派手好きで共通の趣味は遊び喧嘩、酒、バカ騒ぎに女遊びという噂。

 文学で出て来る火消しや困った時の頼れる火消しは好きだけど、普通の生活の中では避けて通りたい人種だ。


 大通りの半分以上を通れなくなる程の人が集まっている理由は「いけ! ハ組の若いの!」という叫びですぐに分かる。

 災害実働官が常駐する小防所は正式名称が長いので「組」と呼ばれている。

 ハ組と言ったら私が暮らす地域の隣、今歩いている通勤経路を管轄する小防所。

「ハ組の若いの」ということは、ハ組に属する火消しということで、こんな風に人が集まるのは大体遊び喧嘩だ。


(税金で暮らしているんだから働きなさいよ)


 若干本気の組手のような喧嘩、何かしらの対決をして、それを老若男女が(はや)し立てたり応援したり賭け事にして楽しむのが「遊び喧嘩」と呼ばれるもの。

 火消しは区民の人気者で遊び喧嘩も庶民の楽しみの一つだけど、そこに参加したくない私のような者もいる。

 ちなみに、この遊び喧嘩は火消しの専売特許ではないので真似する者達もいるけど、人気のない者がしても単なる喧嘩で終わり。


 人の群れを無視して人混みを避けて歩いていたら、突然足元に人が飛んできて私の足にぶつかったのでよろめいた。

 体勢を崩して転ぶと思ったけど、両腕を誰かに持たれて支えられた。


「大丈夫ですか?」


「は、はい」


 反射的に振り向いたら、そこには穏やかで整った顔立ちの若い男性の顔があったので、全身が少々熱くなった。

 私を真っ直ぐ立たせると、彼の手は腕から離れていったのに、まだ熱が残っている。

 今は春でもう桜の咲く季節だけど、煌物語の梅便りの場面のようで素敵。

 私は真面目が取り柄で毎日慎ましく清く正しく生きているから、これは龍神王様か副神様のご褒美かもしれない。


「あの。ありがとうございます」


「いえ」


「痛ぇ。今のは規則違反だぜ。あっ、すみません」


 私にぶつかったのは若い男性で、制服で火消しだと分かる。

 立ち上がった彼は、私の着物の裾を手で払った。


「お嬢さん。かわゆい着物を汚してしまったので洗濯代を弁償します。ん? あはは、おさげなんて天然記念物」


 体を起こした火消しも私を助けてくれた青年と同じくらい端正な顔立ちをしているけど、人を食ったような笑顔でいきなり三つ編みの片方を軽く引っ張ってきたので嫌悪感。


「赤くなってかわゆい。それならお代はとりあえずこれで。洗っても汚れが落ちなかったらハ組のト班イオに請求書を送るか直接請求に来て下さい。この綺麗な手が氷のような水で赤切れしないように自分で洗わないでハ組に来て下さいね」


 衝撃的なことにイオと名乗った火消しは私の手を取ったし、おまけに頬に唇を押し付けた。

 彼は愉快そうに笑って私の頭を軽く撫でると側転、後転、跳躍をして「少しだけ本気の喧嘩をするので危ないから女と子どもは下がってくれ!」と叫んで右腕を上げた。


(さ、最低。最低! 男性に肌を触れさせたことは無いのに)


 照れたのは私を助けてくれた人に対してなのに、火消しはモテるからって自惚れて勝手に触ってくるなんて最低最悪。

 いや、これはもう極悪だ。

 懐から手拭き用の手拭いを出して頬を拭いていたら、少々泣きたくなってきた。

  

「あの、すみません。大丈夫ですか?」


 私を助けてくれた優しくて格好良い青年に心配顔で見つめられて、最悪な気分は彼の背後の澄んだ青空へ飛んでいった。


「はい。あの、なぜ悪くない貴方が謝るのですか?」


 涙を拭いながら問いかけたら彼は口を開きかけたけど、背後から肩に手を置かれたので途中で停止。


「おいジン。こんなところで女を泣かせているってお前は何をしているんだ」


 私を助けてくれたジンという男性の肩を押さえて話しかけたのは若い兵官だった。


「俺じゃない。イオだイオ。遊び喧嘩でこのお嬢さんに迷惑をかけた。あのバカ、この方にぶつかった。着物を汚してごめんって言うたのはええけど、茫然としていたのを自分に見惚れたと勘違いして調子に乗って頬にキスしたからこの通りだ」


「げっ。あのバカ。こんなキチッとしたお嬢さんはどう見ても淑女さんなのに分からないで遊びで触ってしかも泣かせるなんて許せん。人を集め過ぎて往来の邪魔だし説教してくる」


 兵官はピー! と笛を鳴らしてから「火消しだろう! 場所を考えなさい! 朝から通行人の邪魔です!」と叫んだ。


「おい兵官! ええところだから邪魔をするな!」


「道は半分空いてるからええだろう!」


 若い兵官一人ではこの娯楽を解散させられないだろう。

 現に彼は見物客達に取り囲まれて「兵官は見回りをしろ!」とか「邪魔をするな!」とやいやい言われている。


「お嬢さん、友人がすみませんでした」


 火消しのイオはジンの友人。

 穏やかそうな彼と火消しの雰囲気は噛み合わないので、友人と言われてもピンとこない。


「ハ組ト班イオとその相手! 直ぐに止めないと往来妨害罪で連行する! 二組のコンじゃねぇか! お前は遊び喧嘩をし過ぎだ! 働け!」


 どよめいたので何かと思ったら、先程の兵官が高く高く跳んでいて木刀を振り下ろしたところだった。

 着地したようだけど人混みで見えない。

 おおおおお、という感嘆の声がしてその後は拍手喝采。


「こいつが女を取ったって突っかかってきやがったんだ! 俺は人の女を取ったことなんてねぇ!」


 この声は先程のイオなので、彼は喧嘩を売られた側ということだろう。


「この詐欺師野郎が俺のカエをたぶらかしやがったんだ!」


「うるせぇ! そんなしょうもない理由なら組内でしなさい! その理由なら連行して説教をして組に報告します!」


「あのバカは往来妨害罪を増長するつもりか? いや、仕事ではバカは消えて真面目だからええか」


 ジンが呆れ声を出した後に「兵官も参加だ! 誰に賭ける!」という叫び声が集団の方からして、私はその台詞にこそ呆れた。


「お嬢さん、すみませんでした。あんなのに会いたくないと思いますので代わりに洗濯代を払います」


「い、いえ。このくらいでしたら洗えば落ちますので」


「本人から奪うので気にしないで下さい」


 ジンは懐から財布を出して一大銅貨を私に差し出した。

 洗濯代には多いけど、あの失礼極まりない火消しイオから回収するのなら問題ないかと思って受け取る。

 掌に向かって硬貨が差し出されて、ジンの指先が少しだけ手に触れたので、ドキッと心臓が跳ねた。


「仕事があるので失礼しま——……」


「おおおおお! 凄え!」


「格好ええ!」


 男の子が叫んだのが聞こえて、他からも凄いとかやるな兵官! という声がした。


「遊び喧嘩をするなら区民に迷惑をかけるな! かわゆいお嬢さんにぶつかって泣かせた時点で中止しなさい!」


 去ろうとしたジンが振り返って、兵官の声がした方へ顔を向けてから、私を見て困り笑いをして肩を揺らし、何も言わずに前を向いて歩き出した。

 かわゆいお嬢さん? 泣いた? みたいな声が聞こえてきて誰だ誰だと始まる。

 同い年くらいのかわゆい女性に注目が集まっていく。


(……。地味顔にそばかすが沢山の私だとは誰も思わない、と。天然記念物って何よ。お洒落禁止にしているんだから仕方ないじゃない)


 注目されたくない性格なのでこの勘違いはありがたい。今の隙だ、と私は職場へ向かって歩き出した。

 着物は紺色の色無地。黒い紐で左右それぞれを三つ編みに結んだだけという髪型で帯結びはお太鼓。 そんな風に私はまるで老婆みたいな格好をしている。

 私は印象の薄い平凡な顔立ちなのに、姉は美人で人目を集めがち。

 姉妹揃って目立たないようにして男性から身を守りなさいという過保護な父や兄のせいでこんなに地味。

 母も母で「変な男につきまとわれたら困るから縁談の時にお洒落したらええわよ」である。


 女学生時代は反抗心が湧いたけど、姉が「男の人って見た目で態度を変えるから性格良しか判断するのに不細工めでいる」と言って素直に地味姿でいたから私も続け、という感じ。

 その姉は地味姿で本来の美人が際立たないような状態でお見合いを繰り返して、気になった方と出掛ける時についにお洒落を開始。

 姉は優しい旦那さんに大切にされて幸せそうだから私も姉を見習っている。


(私もそろそろお見合いって言われたけど、今のジンさんとの出会いのような、文学作品みたいな恋にも憧れる。お洒落してみようかなぁ……)


 縁談に向けてこっそりお洒落の練習をしているから、その姿でジンに再会したら「印象がかなり違くて驚きました」と言って頬を染めたりしてくれないだろうか。


(まさかこれが噂の初恋というもの?)


 優しい笑顔や優しい手の感触が蘇って胸が高鳴ってきたので頬に手を添えて少々ぼんやり。


 出勤して、火曜日と同じように父と働いていていたら、空気が悪くなってきた気がした。


「ねえ、ミユさん。なんだか臭いませんか?」


「ええ」


 隣席のシズに問われてなんだろうと思っているうちに、階段の下の方から黒煙が上がってきたので「もしや火事」と思い至る。


「火事です!」


 誰かが叫んだ瞬間、室内は混乱状態になったけど年配者達が階段下に火の手があるかや露台から逃げられそうか確認。

 カンカンカンカン、カンカンカンカンという緊急を知らせる鐘が鳴り響く中、一階には降りられないというような話が出て、火の手が少ない方はこっちだと始まった。


「動きにくい方や女を優先にして順番に避難だ! 順番が来るまで書を可能な限り外へ投げろ!」とか「見回り火消しが誘導係に来た!」という叫びが飛び交う。


「あっ、スズさん……」


 幼馴染のスズが書庫に行っていたと思い出して、私は今いる広間から書庫へ移動した。

 書庫は階段が高くて煙がさらに酷いことになっているので、口元に当てていた手拭いをさらにしっかり口に押し付ける。


「誰もいませんか! スズさん!」


「ミユさん! ミユさんよね!」


 スズの声だと思って身をかがめて、煙は上にいくということを思い出したので床を這うようにして壁に手をつけて声を頼りに奥へ進む。


「スズさん! なるべく体を低くして壁伝いに私の声の方を目指して! 出入り口の方です!」


 煙を吸うのは良くないと分かっているけど、声を出さないとスズを助けられない。


「き、きゃああああ!」


 何かと思ったら床を這うようにして突進してきたスズとぶつかった。


「スズさん!」


「ひ、火です! 窓の外に火が見えました!」


 急いで逃げないと、と思ったけどしがみつかれて体を揺らされて窓を示された。

 窓の障子が燃えていて外の景色が若干見える。


(どこからどう火の手が上がっているの?)


 腰を抜かしたようなスズを引きずるように来た道を戻ろうとしていたら「人だ!」と聞こえた。

 半分程燃えている障子の向こうに人影が見えた気がして火消しだ、と若干安堵。


「何人いますか!」


「スズさん、スズさんだけ?」


「は、はい。はい!」


「ここにいるのは二人です!」


「この部屋に二人いる! キ班はそっち側をぶっ壊して構わん! 水はこっちに持ってこい!」


「はい!」


「中の人! まだ火が来てない壁を壊すからなるべく下がって! 煙を吸うから返事は要りません!」


 この季節にはもうそろそろ着なくなっていたけど、今日は冷えるから膝掛けに使っていた褞袍(どてら)を火除けにしていたけど、スズは自分の褞袍(どてら)がないようなので、彼女の体に乗せて壁からなるべく遠ざかった。


「スズさん火が。こちら側へ」


 泣いて震えて動けないスズを引きずって、出入り口方向から襲ってきた火から遠ざける。

 私達は火の中に閉じ込められたようだ。

 火消しが居なかったら絶望、という状況である。

 

「無茶するんじゃねぇイオ!」


 イオ?

 

「早くしないと死んじまう! こっちの方が早い! 下に区民はいないからヤァドいくぞ! ナック、頼んだぞ!」


「っしゃぁ! 任せろ!」


「おりゃああああ!」


 燃えている障子が引き剥がすように外れて、外側へ飛んでいってほぼ同時に水が撒かれて、煙が勢い良く外へ出て行く。

 曇り空の雲はまちまちで、雲間から注ぐ日の光に照らされて、火と桜の花びらの中央にいる彼が誰なのか、防火頭巾を被っているけど目元だけで分かった。


(朝の最悪最低火消し……)


 イオが飛び込んできた時に「その褞袍(どてら)を離せ!」という彼の怒声が轟いた。

 気がつかなかったけど褞袍(どてら)の裾が燃えていたので、慌ててスズから持ち上げて「スズさん! 火消しさんの方へ!」と叫んだ。

 それで褞袍(どてら)を投げようとしたけど、咳と目眩で手が滑った。

 おまけに燃え上がった褞袍(どてら)の炎が私を襲撃。

 あまりの熱さと痛みで私の意識は痛い、熱い、痛いばかり。


「——から!」


 視界が朦朧(もうろう)としているけど、火から助けられたようだ。

 この声は最悪最低火消しイオの声。


(命の恩人ってこと……)


 もう熱くはないけど右側があちこち痛くて体が浮いている。そこに水がばしゃりとかかった。


「もう大丈夫です! 近いから川で冷やしてくる!」


「ト班は離脱して二人の応急処置にまわります!」


「イオ! 担架(たんか)を持っていくから先に行け!」


「任せたナック。行くぞヤァド!」


 痛み以外は薄ぼんやりした意識の中、大丈夫ですからね、大丈夫ですという声だけははっきりと聞こえていて、いつまでも私の耳の奥で反響し続けた。


 ☆


 気がついたら私は病院に入院していて痛みで呻いたら介助師が来て「痛み止めです」と粉薬を飲ませてくれた。

 昼間、家族がお見舞いに来てかなり長い時間いたけど私は寝続けていたからまた明日来るという。

 部屋は大部屋のようで私は一番入り口に近いところにいるし、広い板間は屏風で仕切られているから反対側に畳と布団があって盛り上がっていることしか分からない。

 体の痛むところを確認したら右こめかみから頬にかけて当て布、首に包帯、それから右手と右足の下の方に包帯が巻かれていた。

 右腕の袖を捲ったら肩の少し下から手の甲までずっと包帯が巻かれている。


(私はこんなに火傷したの?)


 痛み止めが効くのか分からないけど、ずっと眠っていたのならこれまでは効いていたのかもしれない。

 痛みに耐えながらひたすら深呼吸をしていると、わずかに痛みが減ってきた。


 そういう時に私は彼、火消しのイオと再会した。 彼と会うのは街中、火事現場、それから病院で三回目。

 私にぶつかってきた男性なのは現れた時に分かって、お見舞いに来たと言われた時にこの声は助けてくれた火消しだと認識。

 

「俺は六防ハ組ト班イオ。家系火消しで父親も兄貴も弟も火消し。君は?」


 彼は私の横にあぐらになって、片腕に抱えていたエリカに見える花が沢山生けられた花カゴを枕元に置いた。


「助けていただいた上にお見舞いまでありがとうございます。私はあの写本屋で働く写師の娘ミユです」


 命の恩人だけど勝手に肌に触れてきて、おまけに頬にキスなんて破廉恥(はれんち)行為をした男性なので複雑な気分。


「まっ、ご両親に聞いたけどね。そこにも名前が貼ってある。ただ君の口から聞きたかっただけ。こういう声なのか。かわゆい声だな」


 彼は右膝近くに右肘を乗せると頬杖をついて歯を見せて笑った。

 男性にかわゆい声なんて言われたことがないので、どういう返事をしたら良いのか分からない。


「普通は元気になった頃にそっちからお礼に来たり手紙をくれたりするんだけど会いたいのは俺だから来ちゃった。ここに運んだ時も、夕方少し来れた時もずっとうなされていて可哀想だった」


「心配して下さりありがとうございます」


 優しい笑顔だし助けた人の怪我が心配だとお見舞いしてくれる人は性格良しだ。

 噂の通り遊び人っぽくて男性としては最低最悪だけど、火消しとしては素晴らしい。


「すずらんは幸せの花らしくて、この花はすずらんと似ているなって思ったから探して集めてうんと持ってきた。すずらんは西の方の国だと幸せになりますようにって贈る花らしい。花カゴごとどうぞ」


「ありがとうごさいます」


「花カゴは幼馴染の親父作で銘はライコウ。幸せが来る、って漢字で来幸(ライコウ)。お見舞い用って頼んだらそういう名前をつけてくれた。末広だからだって。末広って知ってる?」


 末広という通り竹細工の花カゴは上が末広がり。 ふちより少し下の位置の一部分だけ編み方が異なり花六目模様なのが私としては素敵だと感じる。


「ええ。知っています。早く怪我が治りますようにとはありがとうございます」


 助けた側なのに、こうしてお見舞いに来て励ましてくれるとは、若い女性がそれなりの火傷は気にするだろうという配慮だろうか。

 いきなり人の頬にキスした破廉恥(はれんち)な男性だけど、花と花カゴを持ってお見舞いをして、末広がりのように治りますとはとても親切で優しい。


「いや。怪我は早く治って欲しいけどこれは俺達に幸せが来るようにって意味」


 俺()に幸せって何?


「俺、君に本気の一目惚れをした。だから恋人になってよ」


「……」


 私は今、眠っているのだろうか。しかし火傷の痛みがこれは夢ではないと告げている。


「ミユかぁ。魔除け漢字は美しいに癒すっていう字? 癒すって漢字はパッと書けないけどゆって読むのは知ってる」


 違うけど、その通りだとして、魔除け漢字は家族しか知らないことで、真の名前を隠すことで鬼や妖や厄災除けをしているから赤の他人に教える訳がない。


「俺は威勢の威に生きるって漢字。威勢よく生きろってそのまんまの意味。火消しは火消しの娘と結婚しがちというか、その方がええんだけど俺は君と結婚する」


「……」


 なぜこの人は赤の他人の私に大切な真名を教えて、おまけに結婚するなんて言ったの⁈


「こういう地味な顔は好みじゃなかったけど好みになった。磨けば光りそうだから宝石になる前の原石って感じだよな。他の男に見つけられたくないからしばらく原石でいてくれ」


「……」


「あっ。見た目の話で中身はキラキラした宝石だと思う。勘だけど」


「……」


「おーい、ミユ。ミユさん? ミーユちゃん。しばらくはミユちゃんがええな。赤い顔で固まるのはかわゆいけど返事は?」


「……」


「コホン。これは人がいるところで言うのは恥ずかしいけど仕切られていて聞こえないだろうし、聞かれてもまあええし、信じていないようだから頑張って言う。好きになったから結婚したい。っていうか絶対にする。昨日から好きだ」


「……」


「聞いてる?」


 目の前で手を振られたけど、言っている意味が分からないので瞬きすら出来ない。


「おーい。ミユちゃん。すこぶる恥ずかしいのに好きだってきちんと言うたんだけど聞いてた? おお。真っ赤になった。あはは。かわゆい」


 怪我をしていない方の手を取られかけて状況を理解出来た。

 私が赤くなって面白いって笑ったってことは、揶揄(からか)って楽しいということ。

 これが噂の火消しの女遊び!


「こ、ここは病院で私は怪我人です。遊び場に相応しくないのでやめて下さい。不謹慎です」


「えっ?」


「命の恩人ですが、だからといって何をしても良い訳ではありません。女性を揶揄(からか)う遊びは街中でして下さい。それで火消しにきゃあきゃあ言う相手にです」


 介助師が来て「包帯を替える時間です」と告げたのでイオは部屋から出て行ったけど、終わったら戻ってきてまた同じ調子。

 

 このように派手な彼は、私の地味でわりと静かな世界に突然現れて、ズカズカと乗り込んできた。

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