第一話
ある実験で、努力が出来るかどうかは遺伝子、つまり、生まれつき決まっている、と結果が出たらしい。生活環境には左右されないらしい。だったら、どうして、努力しなければいけないのだろう。最低限は分かる。けれど、最低限なんてのは、そもそも努力とは言わないし、楽しめる範疇なのだから、趣味の様なものだ。努力は努力が出来る才能を持った人がすればいい。努力が出来る遺伝子を持たなかった者には、そもそも努力をする権利を与えなければ、馬鹿以外は幸せだったのに。
通話画面の先の美由が、トイレに行っている間に、私はそんな事を机で殴り書き、母との喧嘩は忘れ、いつでも柔い声だけは出せる様に笑顔を崩さず、太宰の本から学んだ様に、拳は握らなかった。
「ごめんね、待ったよね。違った、いや、違ってないか。無愛想なお前に、待った、なんて質問は厳しいでしょ。王子様出来ないでしょ。なんて聞いて欲しい?」
「なんでも。そもそも、待たされたら別のことしてるし、それをそのまま言うけど」
「あぁ、それだと、モテねぇって。悲しくなるぐらいモテない」
「お前もな」
「「……」」
沈黙は面白かったので、継続して、明日の卓球の試合の準備をし始めた。妹のお古の男物の様な黒色の大きなリュックを開いた。
その後、私は、昔に彼女が複雑に編んでくれたミサンガを切り、捨てた。
私が唯一笑顔を見られても平気な彼女と、私の頭の中で、絶縁に近しい状態になった。
「なんだよ、強豪って聞いてたからビビったけど……雑魚じゃん」
対戦相手の言葉が頭で反復し、虐めっ子が人の頭に水を掛けた後の様な表情を思い出しては、泣きたくなり、しかし、仲間の前だから冷静を保って、母が作ってくれた弁当を食べる。
強者だの、強豪だの、所詮どこまで行こうが井の中の蛙でしかなくて、それが現実。見えない所には、自分より凄い人が沢山いて、それを見ようとしないから、馬鹿みたいに慢心する。その結果が、強豪校に入るなんて馬鹿な選択をさせた。目に見えない強者がいて、どこかで負けるのは必然だ。どうして、こんな簡単な事を考えなかったのだろう。今の試合もそうだ。みんなが勝ってくれたから、チームは勝てたけれど、自分は相手を何処か格下だと思っていたんじゃないか。そうじゃないなら、どうして、自分の試合の方が相手の試合より先に終わっていたのに、相手を見に行かなかった。今もそうだ。どうして、ゆっくり食べていられるんだろう。
好物の手作りミニハンバーグを噛み、味のしない弁当を食べる。冷静の面は少し剥がれていた様で、嘆息を溢していた。それを見兼ねたのか、キャプテンのサクちゃんが、濡れた蛇の様にヌルヌルと肩に腕を回し、頬を突いてきた。
「青葉〜、どぉしたんよ。溜息、何? 落ち込んでんの? テンション上げさせたろか? 胸揉んでええか? いや、拒否権はないね。揉むね」
「え……」
揉まれた。嫌がったけれど、揉みに揉まれながら、話を聞かされた。
「負けたの落ち込んでんでしょ。ええんよ、今のはアンタの相手が強かった。それだけ。それだけぐらいに試合中は思う。終わった事をクヨクヨ考えても、勝てん様なるよ。な。けど、考えん様になるんはあかんって思ってるんやろ。いらんいらん、イランってどんな国旗やっけ? あ、てか、考えるなら、ミスった所、どういう隙があったんか、それくらいは考える。でも、それ以上は考えん。分かったか? 分かったな? 分かってないなら、直に揉むよ?」
「わ、わかった……」
フンフンと、頷き、頷き、離れてもらって、箸を進めた。母が、今日観に行くね、と言っていた事を思い出し、逃げ出したくなった。
「てか、次強いとこなんだから、気合い入れる為に揉ませてくれてもいいんよ?」
「嫌だよ……」
五分後、ごめんなさい、ごめんなさい、と呟きながら、トイレを眺めていた。
試合は二台同時に行われた。
私の隣の台で、サクちゃんが試合を始め、しかし、私は対戦相手が満足するまで、黙々と、ラリーを続けていた。
試合カウントは七対四で、一セット目を順調に進めていた。
安堵の息を吐く。ミスをしてしまった、と後悔する。後悔を想い、サーブをして、今回は成功した、と安堵の息を吐いた。
隣では、サクちゃんが一足先に一セットを終えた。
あと二点。負けちゃダメだ。単純なミスはしたらダメ。サーブは、下回転が多いけど、上手く繋げられてないから、他も警戒しろ。
相手とは目を合わせず、ふぅ、と深く熱くなった息を吐いた。
「あっはぁ、っ気持ちええええええ!」
雨夜という対戦相手の歪なニヤケ面を私は見ていた。そして、彼女へ向けられた歓声を聞いていた。
観客の視線は私達に集まり、沢山の人達に観られながら、私は無様にセットを落とした。
お母さんに観られた、今の試合を。嫌だな。観てなかったらいいな。嫌だな。嫌だな。嫌だな。期待を裏切って、何をしてるんだろ。どうして私なんかが試合に出てるんだろ。一試合目や二試合目とかしか勝てない、サクちゃんみたいにチームの雰囲気も上げられない、そんな屑が、なんで試合してるんだろ。死にたい。元から居なかったことにならないかな。
メンバーに選ばれなかった子達への罪悪感、そして、彼女達と一緒に応援してくれている母に恥をかかせたという罪悪感が胸中で大きくなり始め、彼女達から目を逸らし、俯き、ベンチへ戻る。弁当の中身をトイレに流した罪悪感も、不意に思い出された。
「消えたい……」
私は、彼女に言われた言葉に絶望していたのかもしれない。今ここで転けて、舌を噛み切って、と自殺すら思い浮かべていた。
彼女に言われた言葉が、頭の中で反復し続け離れない。