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老人の指摘は正鵠を得ていた。見た者を石に変えるとされるメデューサの頭髪は、無数の毒蛇によって編まれているのが通説だ。ヨーロッパに伝わるバジリスクは『蛇の王』とされ、目を合わせた者を呪い殺す邪視を持つとされている。
蛇睨み、という言葉があるように、蛇と邪眼は古くから密接な関係を持つ。くねくねもまた邪視を持つと言うのなら、両者を結びつける老人の民俗考察は、あながち的外れではないのかもしれない。
なぜ老人がいきなり案山子の起源からくねくねの考察へと話題を移行させたのか、私には一つ思い当たる節があった。
江戸時代前期に編纂された「新蝦夷風土記」によれば、東北のある地域では冷害などで稲が不作に陥った時、村の若い娘を太い松の木で作った十字架に括りつけ、七日七晩、飲まず食わずのまま、水田に放置したという。早い話が生贄であり、豊作祈願のための人身御供である。娘らは喉の渇きに喘ぎながら、生きたまま鳥獣に肉をついばまれる激痛に歯を食い縛って耐え、身を烈しくよじらせ、十字架に手足を絡ませながら、最期まで豊作を祈願する祝詞を唱えるのに腐心したとされている。
仕方がないこととはいえ、生贄に捧げた罪悪感からだろう。村人たちは次の年から娘たちの顔を象った木造りの人形をつくり、田畑の守り神として弔ったとされる。これを扱って、東北地方の『案山子起源説』を主張する民族学者もいるというのを、つい先日、知り合いの編集者から聞いたばかりだった。
もしかすると老人は、この新蝦夷風土記の内容を知っていて、私に振ってきたのではないのか。なぜなら、その編集者曰く、くねくねは非業の死を遂げた娘たちの怨霊なのではないかという説もあるらしいのだ。
さらにくねくねと言えば、邪眼の他に、奇妙な踊りにも似た動きを見せることが知られている。水田に踊り、とくれば、東北地方の各地で正月に行われる『田植踊り』を想起せずにはいられない。案山子に関する仮説を考慮すれば、くねくねの目撃情報が秋田県を始めとする東北の各県に集中しているのは、ただの偶然ではないのかもしれない。
案山子、蛇、くねくね――三つの要素が複雑怪奇に絡まり合い、私は自身の好奇心が、ここにきて燃え上がっているのを自覚せずにはいられなかった。
こんな、不条理な世界そのものも同然な、得体の知れないバスへ愚かにも乗車したにもかかわらず、自信の身に迫る危険についてあれこれ考えを巡らすよりも、いま、目の前の状況を矛盾なく説明できるだけの知識が欲しくてたまらなかった。
また、バスが停車した。
乗降口のドアが、そっけなく開いた。
「お忘れ物はございませんかぁ?」
なぜだか、自分に向けられた言葉のように聞こえた。
考える。私の忘れ物とはなんだろうか。
私の一番大事にしているものとは、なんだろうか。
だが答えは導き出せず、代わりに、とでも言うように、私の前に座っている若い女が席を立った。
スマホに視線を落としたまま乗降口へ進むその女の股の間から、血まみれの何かが、どさりと音を立てて、床に転げ落ちた。