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「あの、すみません」


 撮った写真を確認していると、さきほどの老人が声をかけてきた。


「その写真、どうなさるんですか?」


 咎めるような口調ではなく、単純な質問のように聞こえたので、私はごく当然に応じた。


「雑誌に掲載するんですよ。私、ライターをやっていまして」


「雑誌? ライター?」


「実話奇文って名前の、オカルトや都市伝説を扱う週刊誌なんですけど。ご存じないですか?」


「はぁ、オカルトですか。いや、私はその手の雑誌はさっぱり読まないもので」


「ああ。なんか、すいません」


「いえ」


 会話が途切れかけそうになる。それが勿体なく感じて、私は続けた。


「あの」


「はい?」


「このバスって、『黄泉の道に通じてるバス』だって聞いたんですが、本当ですかね?」


「黄泉?」


「あの世に通じているバスがこの辺りを通るって情報が、雑誌の編集部に寄せられてきまして。それで噂の真偽を確かめにきたんです」


「……後で運転士さんにお尋ねしてみては?」


「え? あ、ああ、まぁ、はい。そうですよね……」


 曖昧に愛想笑いを浮かべながら、もっともな意見ともいえる老人のアドバイスを、しかし実戦する気は私にはなかった。全身に影を纏わりつかせたようなあの不愛想な運転士に取材してみても、適当にはぐらかされるだけではないのか。そう思えて仕方なかった。


 そうと決まっているわけではない。しかし、私はほとんどそう決めつけていた。臆病な心を正当化するために。それもこれも、勇気の欠如が原因だった。


 私には勇気がなかった。今も昔もそうだった。ここぞという時に、肝心な決断を先送りにしてきた。そのくせ、人一倍好奇心が強かった。怖いもの見たさだけが先行し、アンダーグラウンドな噂の一つ一つに心を揺さぶられる。そんな少年時代を過ごし、青年期になっても、胡散臭いオカルトな噂の数々に抱く好奇心は一向に減衰することなく、こうしてずるずると人生を歩んでいる。勇気がないくせに。


「……まぁ、でも」


 老人が、何かを思い出したかのように、唐突に口を開いた。


「黄泉の道に通じているかどうかは知りませんけど、普通のバスじゃないことは確かですよ」


「ですよね。時間通りに来ないし、広告もないし」


「それもありますけど」


「ありますけど?」


「もっとおかしなことがありますよ」


 老人が何かを言いかけた時、急にバスが停車した。誰も停車ボタンを押していないにも関わらず。いや、そもそも、次にどこのバスに停まるかのアナウンスすら流れていない。


 乗降口のドアが、そっけなく開いた。


「お忘れ物はございませんかぁ?」


 運転士の無機的なアナウンスが流れると、恰幅の良い青年が席を立った。その拍子に、青年のズボンのポケットから、見るからに高級そうな、分厚いサイフが零れ落ちた。だが青年は自身が落とし物をしたことに気づかず、さっさとバスを降りようとする。


「あっ! ちょっと! 財布落としましたよ!」


 財布が落ちたのを偶然目撃した私は、慌てて声をかけた。だが青年は――耳が聞こえないのだろうか――私の呼び声に全く反応することもなく、そのままバスを降りて行った。


 乗降口のドアが、そっけなく閉じた。


 私は慌てて窓の外を見やった。バス停らしきものなど、どこにもなかった。ますます、どうしてこのタイミングでバスが停車したのか分からなかった。


 ただ分かっているのは、バスを降りたばかりの青年が、まるで置き去りにでもされたかのように、ぽつねんと沿道に突っ立っていることだけだった。


 そのまま、バスは無情にも発車した。青年の姿がぐんぐんと遠ざかっていき、夜の闇と一体化していった。


「お分かりになりましたか?」


 声に振り返ると、老人が寂しさを含ませた眼差しで、こちらを見ていた。


「このバスに乗った者は、必ず忘れ物をして降りる事になるんです」


「……なんですって?」


 聞き間違いか、と思った。『黄泉へ通じるバス』という仰々しい文句と比較すると、ずいぶんとスケールが小さく思えたからだ。だが一方で、老人がひときわ力を込めて口にした『必ず』という部分が気になった。


「必ずというのは?」


「言葉の通りですよ。その人にとって一番大事なもの。または、その人にとって今一番気がかりなものを、忘れていってしまうのです」


「待ってください。それ、気になるな。どういう意味ですか」


 要領を得ない言い回しに若干の苛立ちを覚えながら、急ぎスマホの録音アプリを開く。


「例えば、さっき降りた、あの恰幅の良い青年ですけどね」


 だが老人は、こちらの準備が整い終わる前に、勝手に話の続きを始めてしまったので、私は大いに慌てたものだった。


「あ、ちょっと待ってください」


「……私は何度もこのバスに乗っているから、あの青年が誰なのか知っていますけどね」


「ちょっと、待って……よしオッケー。それで? あの青年の正体を知っていると? どうぞ、続けてください」


「この近くにある製鉄工場の社長の息子なんです。決して裕福な生活じゃないんですが、金遣いが荒くてね。取り巻きの子分たちを引き連れてキャバクラにしょっちゅう出入りして、一日に何十万と金を使う。それでも父親が甘やかすもんだから、金に困ることはない。しかし金がなければ何もできない。そのことを本人がよぉく実感しているんでしょうな」


「つまり、金のことばかり頭にあるから、あの青年は布を落としたと?」


「そうなりますね。そしてどんなことがあっても、落としたという事実に気づかない。あなたが声をかけても振り向かなかったのは、そういうことです。このバスに乗車した客は、すべからく、そうなる運命を背負っているのです。運命には、誰も逆らえません」


「ちょっと待ってくださいよ。あなたは何度もこのバスに乗っているんですよね? ということは、あなたも沢山の落とし物をしていると? それを分かっていて、どうしてこのバスに乗るんです?」


「だから、さっき私が言ったじゃないですか」


「何をです?」


「運命には逆らえないって」


 それだけ言うと、老人は目を逸らして、バスの外を見た。

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