9速
「じゃ、親父にもありがとうって伝えといてくれ。じゃ行ってくる」
「いっだまし入れて、きばいやんせ!」
(※魂に気合い入れてがんばってね!)
母ちゃんに見送られながら、CAAD10を走らせる。ついぞ俺の両親はロードバイクのことを競輪だと勘違いしたままであった。ペダルはミカシマペダルだからここだけは競輪だけどさ……ま、そのうちロードバイクって教え込めばいいか。
実家から最寄りのスーパーでカツサンドとチョココロネ、缶コーヒーとスポーツドリンクを買った。そう、アパートに帰るためにはもう一度ヒルクライムをしないといけないのだ!
(昨日みたいにあのアイドル乗りがいたら、少しはヒルクライムも楽しくできるんだけどなー)
まあ偶然いたとしても、ペースが違いすぎるので置いていかれるのが関の山だろう。それに俺にはCAAD10がいるじゃないか。昨日の苦しい苦しいヒルクライムと、こわいこわいダウンヒルを共に分かち合った最高の相棒が。こいつがいれば十分楽しいじゃないか。ふぅ、危うくロードバイク乗りとして大事な気持ちを失うとこだったぜ!
(さあ待たせたなカーボンキラーちゃん、今チェーンロック外すからね……って、おいおいおいコレはまさか)
俺のCAAD10のお隣に、あのアイドルが駐輪されているではないか!!
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(ここでしばらく待ってれば、このアイドルに乗ってる女の子に会える……今まで見れなかった素顔も!?)
ゴクリと思わず息を飲む。そわそわするので、CAAD10の状態をチェックするフリしながらアイドルのコンポとか拝見させてもらおう。
どうやらコンポは基本アルテグラでまとめられているようだ。しかし今まで見たときは気づかなかったが、このシフトレバーはシマノのやつじゃないな。一回り小さいが……ブレーキレバーにレコードと書かれているから、恐らくカンパニョーロのモノだろう。
そしてタイヤはピレリのP ZERO VEROの23cのようだ。なんというか、チョイスがいちいちカッコいいな。イタリアのフレームにイタリアのホイール、そしてイタリアのタイヤって。サドルもセラ・イタリアのSLRチタニウムときた。
の割には、スタンドがついてるしペダルもロードバイクには定番のビンディング(専用のスパイクのついた靴を履いて使用するペダル。靴とペダルをガッチリ固定でき漕ぎやすくなる)じゃなくてフラットペダル。ここまで普段使いに便利なアイドルは他にないんじゃないか?
ちなみに俺もCAAD10にスタンドつけてるし、フラットペダルを装着している。ちょっと親近感が湧くぜ。
「あの……」
「あ、すみません!」
親近感の湧くごったましい構成のアイドルを見てるのに夢中で、後ろに人がいるのに気がつかなかった。とっさに振り向いて謝ると……
(間違いねえ! このゴツいヘルメットを腰にぶら下げたちっちゃい子こそが、アイドルの所有者だったのか!)
もはや何度も見ていて見慣れたヘルメットに、ベルト付きのスカートとブラウスという出で立ちをしている145cmほどの女の子だ。そして何よりも目を引くのは、アイドルという名のロードバイクの持ち主に相応しい、ドチャクソ美人であることだ!
すごいなぁ、まさか俺の想像してたかわいさを越えてくるとは。こんなかわいい女の子が俺よりバチクソ速いとか、悔しさすら感じない。
「私のチャリンコになにか……」
「あっいえ、俺もその、ロードバイクに乗ってて……」
「あ! あなたこのCAADの人ですか!? 昨日、ここから30分ほどのところにある峠にいませんでしたか!?」
「30分……1時間ではなくて?」
「え……っと、距離で言うと20kmくらいのとこです」
あの峠じゃん! この子、俺が1時間かけて到達する場所まで半分の時間で着くのかよ! 話が噛み合わねえわけだ、はははは……
「ええいましたとも。あなたの後ろでチンタラ走ってたんですが、お気づきでしたか」
「ああいえ、峠のてっぺんのベンチでこのCAAD見かけたので……」
「あっそうですか」
悲しいことに俺が個人的に仕掛けてたと思ってたバトルには全く気づいてなかったようだ。アウトオブ眼中って実際にされるとめっちゃ胸にくるね。
「っと、アイドルがこんな田舎にあるのが珍しくて勝手に見てすみません。それでは俺、また峠を通んないといけないんで……」
「……あの、よかったら、なんですけど」
「ん?」
まさか、まさかな、そんなことないよな?
そんな照れくさそうな顔しないでくれ、そんなかわいい顔されると俺勘違いしちゃうぜ。言うなら早く言ってくれよ、なんだかドキドキしてくるじゃねえかよ。
「……私といっしょに走りませんか?」
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