1速
俺は田舎で一人暮らしをしている若者だ。普段の"足"は、維持費0円のママチャリと、たまに短期間だけ働いた時に得た給料の多くを食い潰す軽自動車。今日はうちのエースのママチャリに乗って、隣町のホームセンターへ買い物へ行った。
「はひぃ、あんときケチってギア無し買わんけりゃよかった……」
ペダルがクルクル回る割にはあまり進まないママチャリくん。本日買ったのは、よりにもよって車のバッテリー。これ、ママチャリのカゴに入るくらいの大きさのくせにめちゃくちゃ重い。ていうかボロボロのカゴだから重みでもげそう。かわいそうに、後でセメダイン塗ってあげるからね。
「だーもう、赤てめえ!」
運の無いことに信号は赤に。ぶっぶーんと黄色信号で突撃してった原付が恨めしい。俺だってバッテリーがこんなに重いって知ってりゃ、うちの穀潰しの軽くん出すんだったんだがな。
汗だくでそんな事を考えているときだった。歩道で信号待ちしていた俺は、後ろから現れた自転車乗りを二度見した。
(え、なにあれ、どんだけゴツいヘルメット被ってんだよ! てかあれロードバイクってやつか? こんな田舎で乗ってるやついるんだな、初めて見た)
車道の脇で信号待ちしているロードバイク乗りを、失礼を承知で観察する。ここの信号は無駄に長いから絶好のチャンスだ。
ピンクの車体にはアイドル? と書かれている。ロードバイクはよく知らないが、かなりインパクトがあるデザインだ。たぶんめっちゃ速いんだろうな。
んでホイールもなんかカッコいい。真っ黒で車体の色合いとすごくマッチしててカッコいい。でも後ろの方のホイール、なんか棒がスカスカだけど大丈夫なのだろうか。
で、極めつけが小柄な体格をしているのに頭を全て覆うゴツいヘルメットと巨大なゴーグルをしている奇妙な姿。服装は女の子っぽいが、あのヘルメットとゴーグルの下はどんななんだろう……
(いかん、つい見とれてた……あ、信号変わった)
と、その瞬間。律儀に左右を見回してから発進したロードバイク乗りは、ガンガン加速していった。さっき黄色信号で突撃したものの次の信号で引っ掛かってた原付を追い越してっちまったぞ。まるで限界速度など無いかのようにいくらでも加速していって、もう見えなくなってしまった。
「……はっや!?」
奇妙な見た目の彼女に抱いた最初の感想は、ただその一言だけであった。
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家に帰ってサクッと車のバッテリーを交換した俺は、月3GBしか使えない契約のスマホで今月に入って初めてのネットをしていた。どうしてもあのロードバイクが気になってしまったのだ。
(ピンクのアイドル……あった、このロードバイクか。どれどれ?)
あのインパクトバツグンの車体はすぐに見つかった。どうやら海外の超有名で超歴史あるメーカーの製品らしい。フルカーボンフレームとかすごい速そうな売り文句が載っている。
このメーカーのロードバイクは基本的にフレームだけで買うものらしい。すぐに乗り出せる完成車もあるっぽいが、それでもペダルはついてないようだ。
……なぜ!? ペダルないと漕げねえじゃん!
(ところでフレームの値段は……30万エェェェェェン!?)
笑うしかねえ! だってエンジンすら載ってない乗り物が俺の軽自動車と同じくらいするんだぜ。バッカじゃねえの。30万もあったらうちの親戚全員にママチャリ買って配れるわボケ。
ところで完成車は45万円とか書いてるけど、パーツ代15万円でスクーター買えるじゃねえか。バッカじゃねえの、マジで。
「いやでも原付追い越してったよな……」
脳裏に浮かぶ、あの暴力的とすら感じた加速。普通に走ってた原付を追い越したってことは、少なくとも時速30kmは出ている。というか結構易々と追い越してったから時速40km以上は出てるんじゃね?
人力でそんなスピード出せるのか……しかも小柄な女の子がだ。じゃあもしも俺が乗ったらどうなるんだ?
気がつけば俺はロードバイクの可能性の餌食にかかってしまっていた。男はロマンにいつだって弱い。今月の通信量の半分を使いきる頃には、すっかり俺はロードバイクについて付け焼き刃の知識を獲得していた。
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