冷蔵庫
「お前、こんなところで何してる?」
ジョギングから帰ってきて水を飲もうと冷蔵庫の扉をあけると、冷蔵庫の中には知らない男が入っていた。
体をおりたたみ中の棚や食品を縫うようにしてその男はうまく冷蔵庫におさまっていた。
「誰なんだ」と私が問うと男はバツの悪そうに「へへへ」と片方の口のはしを痙攣させた。
「泥棒か?」
「泥棒ではないな」
「じゃあ冷蔵庫泥棒だろ?」
「冷蔵庫泥棒でもない」
「まさか、変態なのか?」
「まあ、近いといえば近いかな」
私は目をみはった。男の腕をつかんで乱暴に冷蔵庫から引きずりだしてやろうとした。
「ま、まってくれ」
「でてけ、変態め!」
「まてって。私は科学者なんだ」
私は動きをやめた。科学者? 腕を離してやって男の顔に説明をもとめた。
コホンとせきばらいをし襟をなおすなどたたずまいを整えてから男は言った。「これは研究および実験の一環だ」
「人の家の冷蔵庫の中に勝手に入りこむのがか?」
「話は最後までちゃんと聞け」
にぎりこぶしを口に添えて男はもう一度コホンとした。
「そうだな、きみは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なるアメリカ映画をご存知かね?」
私は話がうさんくさくなる懸念をいだきながらも一応うなづいた。「青年と科学者が車のタイムマシンでどうこうするアレだろ?」
「そう!」と男はなぜかうれしそうにニコニコした。それから無造作に手近にあった板チョコレートを手にとり銀色のつつみをビリビリ破ってパキリとかじった。「マーティ・マクフライとその友人のドクことエメット・ブラウン博士がデロリアンにのってタイムトラベルするアレだ」
「私の板チョコレートを勝手に食べないでくれよ」
「これは映画製作の初期段階の話で、ファンの間では結構知れわたっているんだが……」
その映画とアンタがウチの冷蔵庫に入っていたことには何か関係があるのか。私がそう指摘しようとしたところで、男が声をいっそうはり上げた。
「実は、初期の案では主人公たちがのりこむタイムマシンは車ではなくて、冷蔵庫だったんだ」
「はい?」
「だから、はじめは『冷蔵庫型タイムマシン』という設定だったわけなんだ」
「冷蔵庫ねえ。ふうん」
その映画にはそんな裏話もあったのか。私は拍子ぬけに似た関心というようなふしぎな感覚になった。それから男を見やると、彼は得意げな表情をしていた。
冷蔵庫……。思わず私は声にもらしていた。「まさか……?」
「フフフ」男は顔をふせぎみにし笑い、その場が王様の椅子であるかのように卵のパックに手をのせた。「私は映画の裏話を研究の着想にした。そして……」だしぬけに男はバッと身をおこし私に人差し指をつきたてた。「この冷蔵庫、つまりタイムマシンを発明したわけなのだよ!」
私は男から、いや冷蔵庫から身をひいて言葉を失った。
この冷蔵庫がタイムマシンだと? ふざけちゃいかん。私は男をにらんだ。
「発明も何も、この冷蔵庫は五年も昔から私の所有物だ。変態発言も大概にしろ」
「まったく、私の高尚な発明にまでも変態よばわりか」
「それなら証拠を見せてみろ」
「いいだろう」と男は冷蔵庫の扉をバタンとしめた。
その直後のことだった。
突然床がガタガタと揺れはじめ、扉の隙間からまばゆい光が細い線のようになってもれてきた。
何事だと困惑していると、冷蔵庫内部から雷でも直撃したかのような轟音。衝撃で部屋全体が大きくきしみ、私はしりもちをついてしまった。
音と光がおさまると耳から手をどけ顔を上げて冷蔵庫へ目をやった。
冷蔵庫は床と冷蔵庫の底の部分との間からドライアイスのような白い煙を立ちこめさせていた。
おずおずと近づいて私は冷蔵庫の扉に手をかけた。ひくと中にも充満していたらしく、あの白い煙がぶわっと溢れだしてきた。
煙を手でかき消して中をさがしたがさっきの男の姿はどこにもなく消えていた。
食べかけの板チョコレートが中には落ちていた。
(2009.2.15)