表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

掌編小説

赤い椅子

作者: タマネギ

「特に、問題はありませんね」

レントゲンのモニタ-を見ていた医者が、

あっさり振り返り言った。


「……そうですか」

ほっとしながらも、得心がいかない。


「胸の違和感はいつ頃からですか?」


「二ヶ月ぐらい前からです」


「先ほど、違和感というのは、

点のようだと言われてましたが」


「はい。鉛筆の先が当たっているような、

でもさほど痛みはなく、

強いて言うなら、点なんです。

点を感じます」


「点ですか……」

医者は再びモニタ-を

なめるように見て、腕組みをした。


ちょうど二ヶ月前、

友人の結婚式の二次会で昔の仲間に会い、

久しぶりにひどく酔っ払ったことがあった。

とても寒い夜だったが、

案の定、その時風邪をひき、

咳が止まらなくなったのだ。

胸の違和感はちょうどその頃から

始まったような気がしている。


結局、医者からは精神科への紹介状を

受け取っただけで、そのまま帰宅した。


一週間が過ぎ、胸の点は、豆になっていた。

いや、豆のように感じられた。

多少、痛みも出てきていたので、

また、医者を訪ねレントゲンを撮った。


一週間前と同様、

モニタ-をなめるように見ていた医者が、

今度は重い表情で振り返った。


「胸に影がでています。ちょうど大豆ぐらいの

大きさです」

医者の指がモニタ-を示している。


「やはり、肺ガンで……?」


「いや、ちがうんです。最近、なにか

飲み込まれたということはないですか?」


「ありませんけど……」


「そうですか。なにかが胸の中に引っかかっています。

でも飲み込まれてないとすると……これは……

おやっ、この影は椅子の形ですね」


「……椅子?」


「私もこんな症状を始めて見ましたが、

何か物体が存在しています。その形が椅子なんです」

医者はそう言いながら、

座っている椅子を軽くたたき、

また、興味深くモニタ-を見つめた。


「私の胸に大豆ぐらいの椅子が

存在しているということですか?」


「状況としてはそうです。正確には、椅子のような

形のものですが。でもどう見ても椅子ですね」


「……???」

しばし、口が開いたままになった。


「とにかく手術して取り除きましょう。

早いほうがいい。なに、簡単な手術で済みますから」


確かに、物体が中に引っかかっているだけなら、

手術もそう難しくはないのだろう。

しかし、椅子というのはどういうことなのか?

しかも、一週間で点から大豆の大きさになった椅子……

この調子だと、来週には体を突き破るんじゃ?

一瞬、背筋がぞっとした。


「わかりました。先生、お願いします」

なんだか、胸が重くなってきた。

豆が林檎になっている気がする。


さっそく手術室に運び込まれて、

麻酔処理が施された。

意識が薄れ、麻酔科医が数える数字が

遠ざかっていった。


……扉が見えてきた。

その扉を開けると、真っ白い部屋の真中に、

一却の赤い椅子があった。

まるで、白い布に血がついているようで

痛々しく、悲愴感に包まれた部屋。


部屋には、反対側にも扉があり、

その扉が中途半端に開いていた。

これは夢だとわかっているような、

いないような、妙な感覚のなかで、

扉の向こうから透き通るような

女の声が聞こえてくる。

か細い、華奢な姿を思わせる声だ。


「なぜ、わたしのことを忘れるの?

なぜ、わたしの椅子をとりあげるの?

君は、ずっと胸の中にいると

言っていたくせに……

うそつき……」


中途半端に開いていた扉から、

聞こえていた声が途切れたかと思うと、

扉が突然バタンと音を立て、完全に開いた。

しばらくして、

赤いパ-ティ-ドレスを来た女が、

部屋に入ってきた。

女は、ゆっくりと同じ色の椅子に座り、

こっちを見つめている。


美人ではないが、醜くもない。

よくある女の顔……誰?わからない……


女が悲しげにため息をついて、

長い髪を、取り出した紐で後ろに束ねた。

ウエ-ブのかかる髪がまとまって、

女の顔が幼くなった。


誰?誰?あっ、もしかしたら、

あなたは、K……

中学の時、同じクラスだった、Kか?

確か中学の時、生徒会で同じ係りになって、

家が同じ方向で、二人でよくいっしょに帰ったKか?

すっかり、大人の女になっていて、

気づかなかったが、確かにKがそこに座っていた。


「やっと思い出してくれたのね……

あの日、父の転勤で引っ越していく日に、

あなたは、わたしのことをずっと覚えているって

言ってくれたのよ……ずっと胸の中にいるって」


そうだった。

うっすらとしか覚えていないが、

Kは引っ越していった。

その頃……、

始めて、二人だけで話した女の人、K。

きっと思春期の淡い気持ちで、Kを見ていただろう。

今にして思えば、ドラマを演じるように、

帰り道、調子にのって、ずっと覚えている、

ずっと胸の中にいるって言ったのだ。

その意味さえわからずに。


「私は、ずっと覚えていたわ。あなたのこと。

私は、あなたが好きだったから。

大人になってからも、ずっと。

この前、結婚式のあとのパ-ティ-で、

私は新婦側だったけど、

あなたと同じテ-ブルにいたのよ。

私は、あなたに出会えてすごく嬉しかった。

声をかけようかと思ったけど、

きっとあなたがかけてくれるって待ってたのに。

あなたは、ほかの人と騒いで、酔っ払って……。

私のことなんか、気づくどころか、

横をすり抜けて店から出て行った。


部屋に帰って、一人でいたら、

これまでの自分が急に悲しくなってきてね。

ずっと中学の頃の言葉を真に受けて

生きていた自分がどうしようもなく惨めで。

もういいと思った。

このまま、眠ってしまおうって。

ただ、あなたの胸の中に、

椅子を一つ置かせてもらいたくて。

いつか、あなたが思い出してくれたら、

そこに座りにいけるように」


「ごめん……。そんなことも知らずに、酔っ払って」

Kにどう話せばいいかわからず、

とっさに、酔ったことを詫びていた。


Kは、黙ったまま、椅子から立ち上がり、

束ねた髪を解きながら部屋から出て行った。



……終わりましたよ。また女の人の声が聞こえた。

うっすらと目を開けると、看護士の姿が見えた。


「手術は無事に終わりましたよ」

今度は医者の顔が見えた。


「あの……、無事に終わったというのは?

その、胸の物は、どうなったんですか?」


「ここにありますよ。

それにしても、ほんとに不思議ですね。

人間というのは……。

ちょうど気管のあたりから出血していて、

それが、たまたま椅子の形に固まったようです。

普通ではありえないことです。

今度、学会で報告させてください」


医者は、

シャ-レ-に入った赤い椅子を

サイドテ-ブルに置いてくれた。


一瞬、林檎の大きさを思ったが、

それは、苺ぐらいだった。


手をのばし、赤い椅子にふれてみた。

……Kのことを思いながら。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ