09.幼馴染の彼氏は、ハンバーグが好きらしい
双葉とハレさんと三人で、昼から放課後までの時間を過ごした後、自宅に帰った俺は今後の展開に危機感を覚えていた。
多分、西田くんは全然納得していないんだよな、俺と双葉の関係。
双葉が彼氏相手でも俺との約束を優先するのは、昨日の帰りで分かっていたつもりだった。
だが、それにしても双葉から先輩へのアプローチが少なすぎる。
まだ付き合い始めたばかりなのだから、交流が不足しているのは仕方ないにしても、それで幼馴染の俺とはベタベタしているとなると外聞が悪すぎる。
双葉が離れたら寂しいとか言ってたじゃねえか、なんて突っ込まれそうだが、だってあいつ全然離れないし……。
離れたいかと聞かれると離れたくはないが、ほどほどにして頂かないと俺も巻き込んだ修羅場がやってきてしまうのだ。
イケメン先輩、西田くんたちに相談とかしてるんだよな。
『付き合ったのに彼女と時間が取れない』
『あいつ、クラスで普通に幼馴染とイチャついてますよ』
なんて話になったら……その後の展開は考えたくもない。
先輩は穏やかな人みたいだけど、それでもバスケ部のエースだ。
典型的な帰宅部の俺では、太刀打ち出来るはずもないだろう。
なら自分から双葉と距離を取れ?
……いや、それはちょっと寂しいじゃないですか。
俺と双葉が完全に離れず、かつ先輩が双葉に不満を持たずに恋人関係を続ける。
そして双葉がいない間、俺はハレさんに癒される。これが理想的だな。
……ごめん、自分で言ってて「ふざけてんのか」と思った。
とはいえ、恐るべき修羅場を回避するためには、双葉が先輩をあまりに寂しがらせ過ぎるのもまずいわけでして。
自己保身のためにも、少しお節介を焼かせてもうことにしよう。
「なあ。明日は双葉の方から、先輩を昼に誘うってのはどうだ?」
『えー、何で? キョータロー、私と一緒だと嫌なの?』
自室のベッドに寝転がりながら、俺はスマホ越しに双葉と話していた。
会話の一環として、先輩と少しは恋人らしいことをしろと暗に語り掛けてみたわけだが、無残にもぶった切られてしまったわけだ。
この子、悪気はないんだろうけど、彼氏との食事を勧められて「何で?」はダメだろう。
先輩が今のセリフを聞いていたら、ショックで寝込むのではなかろうか。
しかし残念ながら――いや、俺にとっては別に残念でも何でもないが、本気で双葉の発言には悪気がなさそうなんだよな。俺が残念というより、双葉が残念なのでは?
多分、先輩とか恋人とか関係なしに、幼馴染の俺から「他の人と飯食ってこい」みたいなことを言われたのが、嫌なんだと思うが。
「何度も言ってるけど、俺は嫌じゃないって。でも今朝、先輩から誘ってきたってことは、先輩も双葉と一緒に昼飯を食べたいってことだろ?」
『あー、まー、そうなるんだよね』
いや、何で「言われてみれば、そうかも」って反応してるんだよ。
先輩は結構な純情マンらしいから、たかがランチといえど、多分そこそこ緊張しながら誘ってきたんだろうに。
何か、ちょっと先輩を応援したくなってきたわ。ほどほどにだけど。
「そうなるんだよ。だから今度は、双葉から誘えば喜ぶんじゃないか?」
『んー、そうだねー』
あまりに先輩が気の毒になってきたので、恋人をランチに誘導してやろうとするが、当の双葉はどうにも気乗りしていない様子だった。
セリフだけなら、俺の言葉に一応は返答しているように聞こえるが、その声音からは明らかに他のことに意識を向けているのが読み取れる。
「あんまり乗り気じゃないのか? 彼氏とランチなんて、恋人らしくていいと思うんだけど」
『やー、そーいうわけじゃないんだけどね……』
「ん? 何だよ。何か気になるなら、言ってみなって」
『えーっと、それじゃあ……』
どうにも煮え切らない様子の双葉だったが、俺が追及を諦める雰囲気ではないのを察したようで、覚悟を決めるかのようにひとつ息をついた後、それでも言い辛そうな空気を漏らしながら口を開いた。
『その……久々に、キョータローのハンバーグが食べたいなって……』
「あー、そうか、なるほど。……いや、待って。俺の弁当なんて、別の日に作ってきてやるから、そんなことで悩む必要ないだろ」
『だって、食べたいって思ったときに食べた方が、おいしーじゃん』
さっきまでのどこか申し訳なさそうな雰囲気から一転、まるで自分の正論が通らないのが不満という口振りの双葉だが、どう聞いても単なる我儘である。
双葉が気まぐれで我儘なのは今に始まったことではないが、ここからどうやって言い聞かせていくか、俺は非常に頭を悩ませた。
先輩との修羅場を回避するためには、双葉とのランチをセッティングして満足させて差し上げるのが、今のところ手っ取り早いだろう。
しかし当の双葉が、そんなことは知らんと言わんばかりに別のことハンバーグに現を抜かしている。
普通ならここで「明日は俺が弁当を作ってくるから、明後日は先輩とランチ」とでも言い聞かせればいいのだが、この気まぐれガールが明日も妙なことを言い出さないとも限らない。
仕方がないので、ここは餌で釣ることにする。
「はあ、仕様がないな。もう明日、俺がハンバーグ作ってくるから、それ持って先輩のところに行くのはどうだ?」
完全なる妥協案である。
男友達が作った弁当を携えて彼氏に会いに行く女子という、あまりに理解し難い生物が誕生してしまうことになるが、先輩に恋人気分を満喫していただくためには致し方ない。
恨むのなら、こんな珍妙な行動原理を持つ女の子に告白した自分を恨んでほしい。
『え、作ってきてくれるの? やった!』
そして案の定、双葉は俺のかなりアレな提案を、躊躇いなく受け入れた。
いや、受け入れたというか、明日はハンバーグを食べられるということしか理解していないような気がする。
「作ってくるけど、さっき言った通り先輩を誘って食べろよ。全然恋人っぽいことしてないんだから、愛想尽かされても知らないぞ」
別に俺は、双葉が先輩から愛想を尽かされても困らないが、先輩との不和を切っ掛けに幼馴染の俺が浮気相手の認定を受けたりしたら、かなり困る。
あと先輩に振られた双葉が悲しんだりしたら、非常に困る。正直、本当に悲しむのかどうかという方が不安な気もするが。
『オッケー! あとで先輩誘っとくね!』
一連の流れに一切の疑問がないかのように、ハキハキと了承する双葉。
『あ、先輩に連絡するの初めてじゃん! ヤバッ、きんちょーする』
続けて言われたセリフに、俺は不安を感じずにはいられないのであった。
「あれ? 兄ちゃん、何作ってんの?」
「ハンバーグ。あと菜乃香、肩紐ヤバいから、ちゃんとしなさい」
双葉にハンバーグを作ると約束したので、早速キッチンに行って料理に勤しんでいると、風呂上りの菜乃香から声を掛けられた。
今日もうちの妹は恥じらいを手に入れられなかったらしく、キャミソールの肩紐が今にもずり落ちそうになっていると指摘されたのにもかかわらず、さして気にしていない様子で近づいてくる。
いや、直さないのかよ。
「ドキッとする?」
「しません」
しなを作って言う菜乃香だが、年齢の平均的な体型に対してやや小柄なので、色気というものは特に感じられない。
そもそも妹の菜乃香を相手に、色気を感じることがあるのかという話だが。
「ちぇー、もうちょいリアクションの仕方あるでしょ。そんなんだから姉ちゃんに捨てられちゃうんだよ」
「捨てられてないから」
とてつもなく失礼なことを言う菜乃香に対して、食い気味に否定の言葉を返した。
まったく……彼氏が出来るくらいならともかく、双葉に捨てられたら俺が平気でいられるわけがないだろ。
「っていうか美味しそうなんだけど。兄ちゃん、あたしの分もある?」
「あるから、明日の朝にでも食べとけ」
「マジで!? ありがと、兄ちゃん! よっ、いい男!」
「調子いいなあ……」
菜乃香が欲しがることは予想できていたので、ハンバーグは余分に作ってある。
小柄だがパワフルなスポーツ少女である妹なら、朝からハンバーグでも問題ないだろう。実際、今もめちゃくちゃ喜んでるし。
「そういや兄ちゃん。料理してるってことは、姉ちゃんに頼まれたの?」
「おう、そうだよ」
男子高校生にしては料理が出来る方とはいえ、俺が自分の食欲だけで実際に料理をすることは滅多にない。
菜乃香もそれを知っているので、当然ながら双葉が言い出したのだと思い当たったようだ。
「姉ちゃん、まだ兄ちゃんと一緒にお昼食べてるんだね」
苦笑しながら言う菜乃香。
俺が双葉と、ではなく先に双葉の名前が出る辺り、恋人ができた双葉がいかに理解し難い行動原理であるか、しっかり認識しているらしい。
だが、現実はもっと理解不能である。
「一緒に昼飯は食べてるけど、明日は彼氏と食べる予定だ」
「……は?」
俺の衝撃発言に、さっきまで菜乃香が浮かべていた笑顔が一瞬で消え去った。
いまだかつて、ここまで真顔になった妹を見たことがあっただろうか。
「え? 兄ちゃん、姉ちゃんが彼氏と一緒に食べる弁当作ってるの?」
「そうなるな」
はっきり言葉にすると、我ながら本当に意味が分からない。
「……兄ちゃんって、幼馴染じゃなくて下僕にでもなったの?」
「失礼な。今も昔も幼馴染だ。双葉に彼氏が出来てもな」
「そうなんだ……。あたし、男子の幼馴染はいないから良く分かんないんだけど、そういうこともあるのかな……」
俺があまりに堂々と宣言したせいか、うっかり納得しそうになる妹だった。
多分、そういうことは普通はないと思うけど、俺も説明は出来ないので黙っておこう。
翌日の昼。俺が作った弁当を持って、双葉は喜び勇んで教室を飛び出して行った。
昨日のうちに先輩と約束を取り付けたようなので、どこかで一緒に食べるのだろう。
とりあえず、俺が双葉の弁当を作ったことは先輩に言わないよう、双葉には言い含めてある。
普通に考えたら、男友達に作ってもらった弁当を持参したなどとは彼氏に言わないだろうが、双葉の彼氏に対する行動を普通に考えてはいけないのは身に染みているのだ。
そして双葉がいないので、今まで通りならぼっち飯の危険性すらある俺だったが、昨日の宣言もあってハレさんがご一緒してくれるということで、浮かれ気分で学校の中庭にやってきたのだった。
「京太郎くんのハンバーグ、ほんとに美味しそうだねえ。双葉ちゃんが楽しみにしてたのも分かるよ」
「いやいや、ハレさんの弁当もうまそうじゃないか。盛り付けもセンスいいし」
珍しい二人きりの食事を楽しみながら、お互いの弁当を褒め合う。
ハレさんも自分で弁当を作っているらしく、その内容は少量だが綺麗に盛り付けられていて、俺の想像する「可愛い女子の弁当」というイメージそのままである。
ちなみにハレさんには、双葉が俺の作った弁当を持って先輩のところに行ったことを説明している。
最初は何やら気が遠くなったような表情をしていたが、すぐに「まあ、そんなこともあるかもね」と納得した様子を見せていた。
幼馴染とその親友の友情が砕けることがなくて、何よりである。
「こうやって双葉ちゃんがいないことも、これからは増えるのかもね」
「ん、そうかな……」
ぽつりと零したハレさんの言葉に、俺は中途半端に返した。
実際のところ、今日双葉が先輩と一緒に昼を過ごすと決めたのも俺の勧めがあってこそだし、これが常態化するかと問われると、微妙なところだと思う。
なので、いまひとつ同意しかねたのだが、ハレさんはそんな俺に対して普段より少し真剣な表情を向け、口を開いた。
「ねえ、京太郎くん。明日からも、私と二人で――」
「キョータロー!」
「うひゃ!?」
ハレさんのセリフを遮る形でその声が飛び込んでくると同時に、俺の肩に慣れ親しんだ体温がぶつかってきた。
驚きのあまりちょっと奇抜な声を上げたハレさんは、俺に飛び付いてきた双葉を見て目を丸くしている。
つい昨日も見た流れだな。あの時、話していたのは西田くんだったが。
というか俺、さっきハレさんといい雰囲気になってなかったか?
この状況から、いまさら気を取り直すのは無理だと思うけど。
「キョータロー、ハンバーグ美味しかったよ! ごちそーさまでした! あっ、でも今日はほのかと二人だったんだ? ずるいじゃーん、仲間はずれー」
直前までの雰囲気などまったく気付いていないであろう双葉が、憎らしいまでに輝いた笑顔で弁当の礼を言ってくる。
お礼とかいいから、さっきまでの空気を返してほしい。
そうは思うものの不可能なのは分かっているので、俺の青春の奪還は諦めて双葉に先輩との首尾を確認することにした。
「はいはい、お粗末様でした。それで、先輩とは楽しく過ごせたか?」
「うん。先輩、ハンバーグが好きらしくて、キョータローのハンバーグも美味しいって。また食べたいって言ってたから、いつでも持ってきますって言ったら、ちょー喜んでた」
「へー、そっかそっか。……は?」
空気が凍った。双葉以外の。
俺はなぜか冷や汗が流れ出てきたし、ハレさんは苦笑した顔が引きつっている。
「ちょっと待て。いつでも作るって、あれ作ったの俺だろ」
「えー、でもキョータロー、お願いしたら作ってくれるじゃん」
能天気に笑いながら言う双葉は、自分の言葉で先輩がとんでもなく可哀想なことになっているとは、まったく気付いていないようだ。
いや、俺が作ったのは黙っておくように言っただけで、母親が作ったとかそんな感じにするよう言い含めなかった俺も迂闊だったのか?
しかし、いまさら先輩の勘違いを訂正するわけにもいくまい。どう考えても先輩は双葉の手料理だと思っているだろうし、それが友達(男)の手料理だと知ったら……。
別に作ったのが俺だと分からなければ大丈夫かもしれないが、彼女の手料理だと思って舞い上がっているであろう先輩を地に落とすのも気が引ける。
「また食べたくなったら作ってね? キョータロー」
「はは……」
素敵な笑顔でお願いしてくる双葉に、俺は乾いた笑いしか返せないのであった。
ハレさんも隣で似たような表情になってるし。
「あ、そういえば今週末デートしよって言われた」
「……マジで?」
思い出したように告げられた週末の予定に、つい真顔で聞き返してしまった。
そうか、デートか。大丈夫かな。大丈夫じゃない気がするなあ。
先輩の心の平穏を、ただ祈るばかりである。
(キョータローの作った)ハンバーグが褒められたので、双葉はニコニコでした。