06.イケメンの先輩は、意外に純情だった
ハレさんとの朝の一幕を楽しんでいる最中、何やら真面目な表情で俺に声を掛けてきたクラスメイトの男子。
非チャラ男氏――ではなく、確か西田くんだ。
あまり話したことはないが、どこかの運動部に所属していると聞いた覚えがある。
「ああ、西田くん、おはよう。どうかした?」
「お、おお、はよっす。いや、ちょっと話したいことがあってな……」
「話したいこと?」
俺と西田くんはこうやって一対一で向かい合って挨拶するような付き合いではなかったので、わざわざ声を掛けてくるということは何か事情があるんだろうが。
何か妙に緊張しているというか、バツが悪そうな顔をしているのが気になる。
俺に怒っている感じでもないしな……西田くんが何かやらかして、俺が気付いていないだけで不利益を被っていたりするのだろうか。
「ああ、ちょっとな。出来れば二人だけで頼む。ホームルームまでには終わると思うから」
そう言いながら西田くんは、まだ人が集まっていない教室の隅に視線を向けた。
そこで密談をしたいということだろう。ムダに本格的だ。
事情はよく分からないが、まあそれはこれから教えてくれるのだろう。断る理由もないし、ホームルームまでの退屈な時間を、普段は絡まないクラスメイトとの交流に費やすというのも、一興かもしれない。
まあ、ハレさんが隣にいる限り、俺に退屈な時間などないのだが。
「分かった、いいよ。ちょっと行ってくるね、ハレさん」
「はーい、行ってらっしゃい」
「悪いな。晴日も、ちょっと稲瀬借りるな」
「いいよいいよ。ちゃんと返してねー」
笑顔で俺を送り出してくれるハレさんが可愛らしくて、不覚にもときめきを覚えてしまった。いや、別に不覚じゃなかったわ。当然のときめきだな。
今日はちょっと、朝からハレさんの過剰摂取かもしれないな。
鼻血で出血多量になるかも。ティッシュあったかな……。
アホなことを考えつつ教室の隅に向かって歩いていると、西田くんが小声で囁きかけてきた。
「なあ稲瀬。今まで気付いてなかったけど、晴日って可愛いんだな」
「おいおい、ハレさんは渡さないぞ」
「お前は晴日の何なんだよ……」
何って、男友達だよ。それ以上の関係も、まあ望むところだけど。
教室の隅に着くと、ハレさんの可愛さで緩んでいた表情を引き締めて、西田くんが話し出した。
「えーっと、まず俺はバスケ部に入ってるんだけど」
「ああ、何か運動部だっていうのは覚えてたんだけど、バスケ部だったっけ」
「そう。それで、あーっと、渡来先輩って言えば、分かるか?」
渡来先輩? 誰だ……?
十秒ほど頭を捻ったところで俺が理解していないことに気付いたのか、西田くんが頬をひくつかせながら言ってきた。
「バスケ部の部長だよ。あとほら、荒屋敷の……」
ああ、なるほど。双葉の彼氏の、イケメン先輩か。
最初に双葉から交際報告を受けた時に名前を聞いたはずだけど、その後は先輩の個人情報に興味がなかったから、すっかり忘れていた。
「ああ、双葉の彼氏か。その先輩がどうかした?」
「お、おお。いや、実は先輩が荒屋敷に告った件に、俺らバスケ部の連中も一枚噛んでてさ」
「はあ、一枚噛んでる……?」
「ざっくり言うと、先輩が荒屋敷に一目惚れして、同じ学年の俺らが相談受けてアドバイスしたりって感じだな」
「あー、なるほど」
特に接点のない双葉に、何でイケメン先輩が交際を申し込んだのかよく分かっていなかったが、どこかで見かけて一目惚れしたのか。
双葉の外見はなかなかのものだし、基本的にニコニコしていて愛想がいいので、傍から見て魅力的に感じるというのは理解できる。
「まあ、荒屋敷はお前と一緒にいることが多いから、ちょっと難しいかと思ったんだけどな。でも先輩って結構人気あるし、チャレンジしたら案外いけるんじゃないかと応援してたら……」
「意外に上手く行ったってことか」
「ああ。それで先輩が上手く行ったのは、たしかにめでたいんだけど」
そこまで言って西田くんは、俺に向けていた視線を横に逸らして、バツの悪そうな表情を深めた。
「さっき、外で荒屋敷が先輩と話してるのを見掛けてさ。その後、教室に稲瀬だけいるのを見たら、やっぱちょっと悪いことしたかなって思って……」
「ああ、それでか」
さっきから西田くんが取っていた態度が、ようやく腑に落ちた。
多分、西田くんは先輩の告白が上手く行くとは、思っていなかったんだろう。
傍目には俺と双葉が恋人同士に見えてもおかしくないのは、さっき北森くんから言われた通りだ。
でも先輩も乗り気になっていたし、イケメンだからワンチャンあるかも、という感じで冗談半分に焚き付けたら、見事成功してしまった。
北森くんと同様、俺たちが恋人同然だと認識していた西田くんは、結果的に先輩が俺から双葉を寝取るのをサポートする形になってしまったと、罪悪感を覚えているようだ。
「稲瀬、悪かった」
いやはや真面目なんだな、西田くんは。
俺と双葉は幼馴染だと公言していたのだから、別に他の誰かに告白されようが付き合おうが、文句を言う筋合いはなかったんだが。
まあ、罪悪感を覚えるのは何となく分かるが、こうして頭を下げるほど思い詰めなくてもいいだろうに。
「いや、謝ったりしなくても大丈夫だよ、西田くん。普段、人から聞かれたら答えている通り、俺と双葉はただの幼馴染だからさ」
「……そうなのか? でも何も思わないってことはないだろ?」
「まあ、それはそうだね。それでも、別に俺は双葉と恋人になれなくてもいいよ」
「そうか……。まあ、でも、やっぱ悪かったよ」
俺の言葉が強がりではないと感じたらしく、少し表情を緩めた西田くんだったが、それでも罪悪感が完全には消えていないことが見て取れる。
真面目なのは結構なことだが、あまり深刻になられるとこちらが申し訳なくなるので、とりあえず場の空気を変えるために話題を切り替えることにしよう。
「それにしても、渡来先輩って大人しそうな人だと思ったんだけど。一目惚れした相手にいきなり告白する辺り、やっぱモテるイケメンって感じで攻めてく人なんだな」
「ん? ああ……それなあ」
割と雑に振った話題だったのだが、西田くんの琴線に触れるところがあったらしい。
さっきまでの真剣な顔が崩れて、何やら愉快なことを思い出したような表情を見せた。
「実は渡来先輩って、めちゃくちゃ純情っていうか、バスケはともかく恋愛方面は弱気なタイプでさ」
「え、マジで?」
おいおい、純情なイケメンって何だよ。世のお姉さん方が大喜びなのでは?
「マジマジ。あの顔で今まで誰とも付き合ったことないし、それどころか惚れた腫れたも特になかったってよ。それがGW明けに、いきなり『気になる人ができた』って同じ学年の先輩たちに相談し始めてさ」
GWといえば、今から一週間前に終わったばかりだ。
本当に一目惚れというか、短期間で告白に踏み切ったんだな。
「特徴聞いても先輩たちは心当たりないから、俺ら下の方にも聞いて回ったら、荒屋敷だったってわけだな」
「へー、GWからなんだ」
「そうなんだよ。何か公園のベンチでニコニコしながら座ってた荒屋敷が、すげえ綺麗な絵みたいだったって言ってた」
ん? 公園?
……ちょっと嫌な予感がしてきた。
「公園のベンチ」
「おお、たしか中央区にある……何だったかな。何かクレープとかのワゴン来てるとこらしい」
「……そうなんだ」
それは多分、俺と一緒に行った公園だな……。
双葉が一人でベンチにいたってことは、まさしく俺がクレープを買いに行っている時のことだろう。
あの時はクレープ屋がカップル割引きしているからと、双葉に無理矢理連れ出され、カップルの証明のために店員の前で腕を組まされたりと、なかなか小っ恥ずかしい気分を味わわされたものだ。
しかも双葉の奴、カップル証明が終わった途端に、クレープの完成を待つのは俺に任せて、さっさと離れて行くし。
どうも、そのタイミングで先輩に目撃されて、一目惚れに至ったらしい。
俺がいるのには気付いていなかったのだろうが、他の男と遊びに来ている女性に一目惚れしちゃったのか……。当事者の片割れながら、何とも言い難いな。
いやまあ、今では恋人関係になれたわけだから、別にいいのか。
「で、まあさっきも言ったけど、お前と荒屋敷のこと知ってるやつは、ちょっと望み薄かなと思ってたんだけどな。どっちにしろ学年も違って接点ないし、先輩なら人気あるからワンチャンあるかもしれないから、いっそ初手で告るのもいいんじゃね? って感じで推しまくったんだよ」
「へー。それで上手く行くのは、流石イケメンって感じだな」
たしか双葉も、人気者の先輩に告白されてその気になった、みたいなことを言っていた気がする。見目がいいというのは、何かと得なものだ。
「ま、稲瀬が落ち込んでないなら良かったわ。これでお前もフリーになったわけだし、一緒に何人か女子誘ってカラオケでも――」
「キョータロー!」
「おお?」
西田くんの言葉を遮ったのは、俺の名を呼びながら飛び付いてきた双葉だった。
いきなり後ろから両肩にしがみつくので、慣れている俺でなければ転んでもおかしくないだろう。聞かないとは思うが、後で注意しておこう。
「お待たせ、キョータロー。先に行かせちゃって、ごめんね?」
「いや、別にいいよ。クラスどころか学年も違うんだし、ああいう時は彼氏優先でも仕方ないだろ」
「まあねー。先輩の教室まで会いに行くとか、ちょっと恥ずかしーし」
さも自分が恥じらいある乙女であるかのように言う双葉だが、俺と別のクラスの時は休み時間の度に遊びに来ていたはずだ。
まあ、彼氏のクラスは三年だから、俺の時とは色々と違うんだろうが。
「お、あ、あれ……?」
途中でセリフをぶった切られていたままだった西田くんが、妙な声を上げたので目を向けると、何やら信じられないものを見たような表情で俺たちを見ていた。
「あ、西田くん。おはよー!」
「あ、はい。おはようございます」
双葉の挨拶に、何故か敬語で返す西田くん。
いや、「何やら」とか「何故か」とか、さっきからよく分からないふりをしているけど、実は普通に理由は分かっているのだ。
「あの、荒屋敷って、渡来先輩と付き合ってるんだよな……?」
「そうでーす! 昨日から、お付き合い始めちゃいました!」
あっけらかんとした笑顔で答える双葉。
困惑の表情を深める西田くん。
そして「自分は関係ない」と目を逸らす俺。
西田くんの方から、力強い視線を感じる……。
頼むから、その「説明求む」みたいな目を向けるのは勘弁してくれ。
なんなら俺も、微妙によく分かってなかったりするから。
多分、説明しても西田くんは納得してくれないだろうし。
とはいえ、彼から先輩に俺の間男疑惑が流れても困るな。
「俺らはアレだよ。幼馴染のスキンシップ的な、まあそんな感じ」
「ねー? 幼馴染だもんねー?」
俺の言葉に、双葉が嬉しそうな様子で追従する。
そういう反応すると疑惑が深まるから、止めてくれないかな。
「お、おう、そうか……? それじゃあ稲瀬、付き合わせて悪かったな」
「ああ、別にいいよ」
おそらく疑惑は晴れていない気がするが、西田くんはそれ以上の追求をしてくるつもりはないらしい。
どこか腑に落ちない表情で、自分の席へと戻って行った。
それを見送っていると、双葉が思い出したように言う。
「あ、そうだキョータロー。さっき先輩はいつも部室でお昼食べてるって言ったけど、今日は二人で食べようって誘われた」
「そうなのか? じゃあ、残念だけど」
さっきも言ったが、基本的に彼氏が優先になるのは仕方ない。
購買の新作パンだって、今日でなければ買えないわけではないのだ。
どうも先輩は純情な人みたいだし、きっと思い切って双葉を誘ったのだろう。それを邪魔するような真似をするほど、俺は野暮ではない。
「うん! 残念だけど友達と約束してるからって、断った!」
「もうちょっと彼氏優先してあげません?」
どうやら俺ではなく、先輩の恋人自身が野暮だったようだ。
先輩は「友達と約束なら仕方ない」と思いつつ、少し落ち込み気味です。