05.隣の席のハレさんは、とても可愛い
双葉が偶然見かけた彼氏と会話を始めたので気を利かせた俺は、若いカップル二人を残して北森くんと二人で教室に向かって歩いていた。
いつもは当然ながら双葉と一緒に教室まで行くので、こうして他のクラスメイトと朝の廊下を歩いているのも珍しかったりするのだが、これからは今日みたいなことも増えて珍しくなくなるのかもしれないな。
図らずも、さっきまで懸念していた「双葉と一緒にいることについてのクラスメイトからの追及」という問題についても、どうにか回避できたということになる。
まあ、明日以降も同じように、双葉と別行動になるとは限らないが。
「いやー、さっきは稲瀬が荒屋敷の彼氏に喧嘩売りに行くんじゃないかと思って、マジで心配したぜ」
「なんでだよ。散々言ってるけど、俺は双葉とはただの幼馴染だからな」
北森くんが縁起でもないことを言うので、心外だと声高に主張しておく。
修羅場回避が目的だというのに、喧嘩を売ったりするわけがないだろう。
「あー、稲瀬。昨日から思ってたんだけど、お前マジで言ってたのか、それ?」
「『それ』って、双葉との関係のことだよな? それなら本当だけど」
「そうそれ。そっか、マジなのか……。なんか意外だなあ」
俺の返答に対して、北森くんは割と本気で驚いた様子を見せた。
どうやら本当に今の今まで、俺の言い分を信じていなかったらしい。
ということは、今まで本気で捨てられ男だと思われていたのか……。
「そんなに恋人っぽかったかな。俺と双葉って」
「うーん、まあ恋人って言われれば、納得できるくらいには仲良かっただろ。俺から見ても、稲瀬は荒屋敷のこと気遣ってたと思うし」
「まあ、それは否定しないけど」
俺が双葉のことを、今までずっと気にしてきたのは事実だ。うちの幼馴染はいつだって俺を放っておいてくれないし、俺もそんな双葉が何かをやらかすんじゃないかと常に気が気じゃない。
そんな関係が双葉と出会ってから十年近く、ずっと続いてきたんだ。
そうだな。だから俺は――寂しいのかもしれないな。
「でも、やっぱり俺と双葉は幼馴染だから、先輩に対して思うところはないよ」
そうじゃないと、不健全だろう。
「ふーん……そういうもんなのか」
そんな会話をしながら、俺と北森くんは教室の扉をくぐった。
そのまま北森くんに適当に別れを告げて、自分の席へと向かう。
「あ、京太郎くん。おはよう」
「おはよう、ハレさん」
現在は教室の窓際、その中央辺りに指定された自分の席まで歩いて行くと、隣の席の女子から声をかけられたので、挨拶を返しつつ着席した。
「今日もいい天気だね」
直後に何気ない感じで、彼女――ハレさんに声をかけた。
無難な天気の話題に聞こえるだろうが、実はそうでもないのだ。
俺の言葉を聞いたハレさんは、はにかんだような笑顔で答える。
「そうだねー。今日も晴れの日♪」
日溜りのような笑顔を俺に向けながら放たれる、お約束のセリフ。
首を傾げると同時に、ダークブラウンのショートヘアがさらりと流れる。
その仕草も笑顔も、何もかもが最高に可愛いかった。
この数秒だけで、今日も学校に来た価値があったと思わせてくれる。
「ハレさんのそれ聞かないと、学校に来た感じがしないわ」
「あははっ。私も最近はそんな感じかも?」
この何気ないやり取りこそ、俺とハレさんにとっての大切な朝の一幕なのだ。
この愛らしい隣人・ハレさんは本名を晴日ほのかといい、去年から二年連続で同じクラスになった女友達である。
最初は双葉と仲良くなったのだが、双葉とよく一緒にいる俺とも親しくなり、二年生になった今年はこうして席も隣同士になったので、去年以上に親交を深めているのだ。
向こうは俺のことを名前で呼んでいるし、俺も同じく親しみを覚えてはいるのだが、どうにも双葉以外の女子を名前で呼ぶのは照れくさいので、名字をいじって「ハレさん」と呼んでいる。
さっきのやり取りは、去年の何気ない会話中に「今日は天気いいよね」と言った俺に、ハレさんが返してきたのが切っ掛けである。
その時は「何か可愛いな」と思っただけで終わったのだが、しばらくするとあの可愛さをもう一度堪能したくなり、試しにまた天気の話を振ってみたら同じように返してくれたので、徐々にネタを振る頻度が上がって行ってしまった。
俺の方はすっかり気に入っていたものの、彼女の名字を揶揄しているようにも取られかねないし、向こうからしたら気まぐれにボケたのを、しつこく繰り返しやらされていると思われているかもしれないと思い、一時期は控えてみたりもした。
しかし、ちょっと寂しそうな顔で「今日はやらないの?」と聞かれた結果、あまりの可愛さに一日一回は見ないと気が済まなくなってしまい、朝の恒例となったのだ。
なお、「今日はやらないの?」という言葉で、別の意味でテンションが上がったのは秘密である。
ちなみにこのネタには、晴れ以外のバージョンもある。
『今日は天気悪いね』
『そうだねー。今日は晴れの日じゃないねー』
という感じで雨や曇りだと、ちょっとしょんぼりしながら返してくれる。
これはこれで可愛いので、悪天候の日でも楽しみにしながら登校している。
個人的におすすめなのは、雪の日バージョンだろうか。
『今日は雪だね』
『そうだねー。今日は雪の日ーっ♪』
この可愛さである。
どうもハレさんは雪だとテンションが上がるらしく、いつものぽわっとした雰囲気よりも少し浮かれ気味になるのだ。可愛いぞ。
去年は雪が少ない上にやり取りが定番化していなかったので、一回しか見ることができなかった希少なバージョンだ。
今年の冬は雪が降ったら何があっても休まず登校しようと、今から心に決めている。
「ねえねえ、晴日さん」
「うん? 何?」
ハレさんの可愛さを崇めていると、クラスメイトの少しチャラついた男子が、彼女に声を掛けてきた。
ニヤニヤとした、悪意はないが悪戯心は丸見えになっている表情からすると、言い出すことは大体想像が付く。
「今日もいい天気だね!」
「うん、そうだねー」
「…………?」
ハレさんが想定と違う反応をしたので、思わず沈黙するチャラ男氏。
どうやら彼はハレさんと俺のやり取りを真似ようとしたらしいが、ハレさんはあのやり取りを特別なものだと思ってくれているらしく、俺以外の男子に対しては同じような返しはしないのだ。
今までも何度か同じようなヤツはいたが、その度にさらっと普通のテンションで返されて、すごすごと退散することになる。
今回のチャラ男氏も、ハレさんに乗る気がないことを察したらしく、少ししょんぼりしながら自分の席に戻って行った。
もしかしたら、けしかけた友人にからかわれたりするのかもしれない。
哀愁漂う背中に少しだけ同情心を覚えるが、全体的には結構いい気分である。
ちなみにハレさんは俺以外の男子相手だとスルーしているが、女子が相手の場合は普通にネタで返すことが多い。
男子より女子の方が、不必要に素っ気なくすると後でややこしいことになりそうだしな。
女子でネタの頻度が多いのは当然双葉で、俺と一緒に登校して目の前で先にネタを取られた場合、続けて俺もやるのは負けた気がするので、その日は俺はお預けとなる。
仲のいい幼馴染とはいえ、年に何度か双葉に対して怒りを覚える時もあるが、最近は八~九割くらいがこのネタが取られた件についてである。
「そういえば京太郎くん。今日は双葉ちゃん、お休みなの?」
「ん? いや、来てるよ」
俺が幼馴染への強い怒りを思い返していると、その幼馴染に関する質問がハレさんから飛んできた。
このタイミングで双葉が教室にいないのは珍しいので、病欠かと思ったようだ。
「学校に来てるのに、京太郎くんと一緒じゃないの?」
「ああ、さっき外で彼氏に会ったから、今も話してるんじゃない?」
「へー、彼氏かー。……へえっ!?」
なんか今朝、自宅でもこんな反応を見た気がするな。
「あ、どっ、え、彼氏? 双葉ちゃんに?」
「そう、昨日の放課後に呼び出されてたやつ。結局、双葉はOKしたんだけど、ハレさんはまだ聞いてなかったか」
「き、聞いてない……」
ハレさんは昨日の放課後、用事があるとかですぐに帰ったからな。
双葉や他の女子から聞いていないなら、知らないのも無理はないか。
それにしても、こういうのは女子の方が伝達が早いと思ってたから、少し意外だな。
「え、嘘。双葉ちゃん、OKしちゃったの……? 何で?」
「さあ? 相手はイケメンだし、一目惚れとかじゃない?」
「一目惚れ? そんな……」
何やら呆然とした様子のハレさんだが、全て事実なので仕方がない。
「双葉ちゃんもそうだけど、他の子も教えてくれたっていいのに……」
そういえば今まで気にしていなかったが、双葉は両親には彼氏ができたことを伝えているのだろうか。
どこかで向こうの両親と会話する機会もあるだろうし、どんな話になっているか確認くらいしておいた方がいいかもしれない。
「あの、それで、京太郎くんは……」
ようやく落ち着いたらしいハレさんが、俺に心配そうな目を向けてくる。
「ああ、ハレさん。何となく言いたいことは分かるけど、別に落ち込んだりしてないから、気にしなくていいよ」
「……そうなの?」
「そうなの。っていうか母親と妹にも似たような反応されたんだけど、俺ってそんなに双葉に彼氏ができただけでヤバそうなのかな」
母さんと菜乃香は、まるで俺が自殺でもするかのような慌て振りだったし、ハレさんも結構心配しているように見える。
「大事に思ってるって、傍から見てもすぐ分かるからねー」
「まあ、大事なのは否定しないけどさ。別に絶対双葉と付き合いたいとか、そういう感じではなかったから、そんなでもないかな」
「……そうなんだ」
「うん、そうなんだ」
俺が本当に落ち込んでいないことが伝わったのか、ハレさんが安堵の溜息を吐く。
「それよりアレだな。双葉も彼氏作ったんだし、ここは俺も彼女を作って、青春を謳歌するのもいいかもしれないな」
「……彼女、作るの?」
「ん? まあ今すぐって話じゃないけど、そういうのもアリかなって」
言うのは簡単でも、なかなか実際に作るのは難しいと思うが。
俺がモテないとか、そういう話は抜きにしても、双葉との幼馴染関係を維持したままでも大丈夫な相手だと助かるんだが。難しいかな。
そういう意味では、イケメン先輩はどうなんだろうとも思うが、大丈夫じゃない場合は俺が非常に困る事態に陥る可能性が高いので、とりあえず考えないでおこう。
「へー、そーなんだ……」
俺の「彼女欲しい宣言(?)」に落ち着きのない反応を見せるハレさんに、ちらりと視線を向ける。
ハレさんは仮に俺と付き合ったとして、俺と双葉が仲良くても、大丈夫だったりするのだろうか。
双葉は別枠として、俺と一番仲の良い女子は多分、彼女なんだが。あと可愛い。
「なあ」
そんな風にハレさんの尊さを心の中で讃えていると、横から声が掛けられた。
もしやチャラ男氏がリベンジしてきたのかと思ったが、声のした方を見るとチャラそうではない顔付きの男子がそこにいた。非チャラ男氏か。
「稲瀬、ちょっといいか?」
どうやら非チャラ男氏のお目当ては、俺のようだ。
朝から妙に深刻そうな顔をしているけど、厄介な話じゃないといいなあ……。
今回登場したハレさんは、本作のヒロインです。
ちなみに双葉は、本作の悪魔です。