03.彼氏が居る幼馴染を、家まで迎えに行く
朝食後、俺は双葉の家に向かって朝の通学路を歩いていた。
今はゴールデンウィークが明けて一週間が経ったところなので、こうして日の下を歩いていても汗が出るほどではなく、過ごしやすい気候だ。
少しすれば梅雨が来て、その後はアスファルトの熱が厳しい季節がやってくるのだろうが、今からそんなことを気にしていても仕方がないので、快適な気候を素直に楽しむことにしよう。
このまま道を真っ直ぐ進んでいくと双葉の家があるので、そこで合流するのが俺たちのいつも通りだった。
昨日の朝も同じような始まりだったし、何だったら交際開始の報告を受けた後の帰りも、俺が双葉を家まで送り届けて、この道を一人で歩いていたのだ。
家族からは「もう好きにしたら?」という温かい言葉をいただいたことだし、予定通り深く考えずにとりあえず行ってみればいいだろう。
ダメならダメで、双葉から「ごめん、もう一緒に行くの止める」と言われた俺が泣き崩れるだけだ。いや、流石に泣き崩れはしないだろうけど。
妹の菜乃香はまだ少し心配だったのか、朝練に行くのを辞めて俺を待とうかと迷っていたが、話しているうちに俺が本当に落ち込んでいないと理解したらしく、一足先に家を出て行った。
姉と慕っていた双葉の、ちょっとアレなところも理解されてしまった気がするが、考えないようにする。
理解されて困るのは俺じゃないし、まあ本気で幻滅されているわけでもないだろう。得体の知れない生物のように思われている可能性は、否定できないが。
俺の家と双葉の家は、徒歩で五分くらいの距離がある。
うちから高校のある中央区に向かって歩くと、その途中に双葉の家がある形だ。
中央区には小学校から大学まで一通り揃っているので、順当に進学していれば同じような通学路を使っていくことになる。
なので俺たちも例に漏れず、俺が朝から双葉の家に行って合流するという通学風景を、小学生の頃からずっと続けているというわけだ。
しかし、小学生からか……。長続きしたものだ。
双葉と出会ったのは幼稚園時代だけど、その時はバス通園だった。なので二人の通学といえば、やはり小学校からというのが俺の認識である。
そこから現在までの間、喧嘩なんかもあったわけだけど、こうして離れることなく関係が続いているというのは、なかなか貴重なことなのかもしれない。
喧嘩した場合でも、最終的に俺が双葉のわがままを聞いてた気がするけど。
ちなみに妹の菜乃香も時折一緒に登校した時期はあるものの、どちらかと言えば俺たちとは別に登校していることの方が多い。
菜乃香はしっかり者の上にコミュニケーション能力が高いので、進級や進学の度に友達が増えていくような子なのだ。なので双葉とも仲はいいが、意外に俺たちと一緒に行動する機会は少ない。
あれで家では少しだらしないところが、兄としては心配だったり、世話の焼き甲斐があったりする。
そんなことを考えながら歩いていると、ほどなくして双葉の家が見えてきた。
徒歩五分の場所なので、俺の家と周囲の雰囲気は似たようなものだ。特に栄えても廃れてもいない、在り来たりな住宅地の中に双葉の家はある。
その家に近づくにつれて、俺は緊張が高まっていくのを自覚していた。
何せ双葉に彼氏が出来たなんて、十年来の付き合いの中でも初めてのことなのだ。俺の中では、相当な確率で双葉は俺のことを待っていると思っているのだが、世の中に絶対というものはない。万に一つとはいえ、双葉が俺の迎えを必要としなくなる可能性だってあるのから、不安になるのも仕方がないだろう。
胸の鼓動が早まっているのを感じながら、俺は意を決して双葉の家の前に立ち、リビングの窓を覗き込んだ。
「いるな……」
俺の視線の先には、リビングの窓際に立って外を見ている双葉の姿があった。
それはまさしく、これまで何度も繰り返し見てきた朝の光景だ。
今の俺は気持ち悪いくらい、にやけているに違いない。幼馴染の家を覗き込んで、にやにや笑いながら呟く男なんて完全に通報ものだ。
まあ、幸いこの辺りの住民は俺と双葉が――もちろん主に双葉がドタバタと騒ぐのに慣れているだろうから、俺が多少怪しい振る舞いをしていても通報したりはしないだろう。
俺が表情を戻すと、直後に双葉が俺に気付いて笑顔で手を振ってきた。
危なかった。あんなにやけ面を見られたら、双葉から何を言われるか分かったものじゃない。
俺の方も軽く手を振り返すと、双葉は一層笑顔を強めてから窓際を離れた。いつも通りの流れなら、家を出るために玄関へ向かったのだろう。
双葉がいなくなったリビングの窓の向こうに、両親の姿が見える。二人揃って俺に向けて手を振ってくれるので、俺は会釈で返した。
幼馴染の両親に対して、些か不躾な態度に見えるかもしれないが、これも長年の繰り返しの中で色々なやり取りが省略されてきた結果だ。
そんな朝の挨拶(?)をしている間に、玄関からガチャガチャと音が聞こえてきたので、そちらに移動する。
俺が玄関前に立つと同時に扉が開き、中から双葉が飛び出してきた。
「キョータロー! おはよー!」
「おはよう、双葉」
俺の顔を見るなり満面の笑顔で挨拶してくる双葉に、こちらも俺なりの親しみを込めた笑顔で返した。双葉との愛嬌の差は大きいが、長い付き合いなので十分に伝わっているはずだ。
双葉はいつも通りの、輝くような笑顔である。本当にいつも通りで、とても彼氏が出来たようには見えない。いや、彼氏が出来て機嫌がいいからこそ、これだけの笑顔になっているという可能性もあるが。
「昨日のケーキ美味しかったよねー。新作もちょー最高だったし! また行きたいけど、ちょっとお小遣いが厳しいかな」
「言っとくけど、ケーキ食べたの双葉だけだからな。『記念』とか言って」
「あれ、そうだっけ?」
挨拶を済ませると、取り留めもない話をしながら二人で歩き出す。
……ところで双葉が「そうだっけ?」と言ったのは、自分しかケーキを食べていないことについてだろうか? まさか先輩と付き合い始めた「記念」の日ということすら、忘れていやしないだろうか?
そこは少し不安だが、とりあえず双葉が「迎えに来るのは今日で最後でいーよ」などと言う気配はなさそうなので、俺としては一安心である。
「やっぱ、彼氏とは一緒に登校しないんだな」
「うん、全然方向違うし」
「ぶっちゃけ、双葉が『迎えに来なくていい』って言うかもしれないって思ってたんだけどな。昨日は約束してたけど、今日はそうでもないわけだし」
すでに解消されたということもあって、俺が朝から感じていた不安を暴露すると、双葉はあからさまに嫌そうな顔をする。
「そんなこと言うわけないじゃん。朝だって、ずっと約束してるよーなもんでしょ? 勝手に約束破ったりしないでよね、キョータロー」
「いや、まあ俺の方から、どうこうする気はないんだけどさ。一応、双葉の彼氏が気にするんじゃないかって、心配なんだよ」
「もう、またそれー? キョータローは気にし過ぎ!」
それを言うなら双葉は気にしなさ過ぎだろうが、言っても聞かないのは分かりきっているので、無駄な努力は止めておくことにした。
そういえば、今更だが双葉と先輩は昨日が初対面だったと聞いている。
そんな相手に交際を申し込む先輩とやらもなかなかのプレイボーイだが、付き合おうと思った双葉の方も俺からするとよく分からない。実は俺に隠れて以前から……なんて可能性は、俺と双葉が一緒にいる時間を考えるとあり得ないだろう。
まあ、気になるなら本人に聞いてみればいいか。今更そんなことで気を遣うような関係でもないしな。
「なあ、双葉って先輩とは初対面だったんだよな?」
「うん、なんか先輩の方は、どっかで私のこと見たって言ってたけど」
俺の質問に、双葉は何気ない態度で答える。
特に気を悪くしているようには見えないので、別に俺が聞いても問題ない話なんだろう。
「そんな関係なのに、どういう流れで付き合ったんだ?」
「うーん、ふつーだと思うけど。『付き合って!』って言われたから、『分かりました!』って感じで」
「軽っ! そんなもんだったのか……?」
予想外に軽い内容だった。
もしかしたら双葉の記憶がいい加減なだけかもしれないが。
「それでよく付き合おうと思ったな……」
「んー? まー、先輩ってイケメンだし。そういう人に告白されると、こっちもその気になるっていうか」
「そんなもんなのか」
双葉がそんなに面食いだとは、俺も知らなかった。
幼馴染とはいえ、やはり知らないこともあるのだろう。
もう少し突っ込んで聞きたいところだったが、双葉は唐突に目を輝かせて別の話題を始めた。
「そんなことより、今日から購買で新作のパンが出るって! 一緒に行こーよ、キョータロー」
「おお……まあ、俺は問題ないけど」
「じゃあ決まりね!」
そんなことよりって……。双葉の中では、彼氏との馴れ初めよりも今日の昼食の方が重要なのだろうか。
ニコニコと笑う双葉を見て、俺は昼の予定にも彼氏が存在していないことを知ってしまった。
「ちなみに双葉。先輩って、昼はどうしているんだ? 一緒に食べるとか、そういう話はないのか?」
「んー、確かバスケ部は部室で集まって食べるって言ってたかな。だから一緒に食べる話はしてないよ」
「そ、そうなのか……」
もはや、双葉のどの辺りが彼女なのか、よく分からないんだが……。
いや、きっと俺が知らないだけで、夜にやり取りしているに違いない。多分そうだろう。それに付き合い始めたのは昨日なんだから、まだ上手く噛み合っていないのかもしれない。
「だからキョータローは、お昼の約束も破っちゃダメなんだからね!」
そんな俺の心配など露知らず、彼氏持ちの幼馴染は楽しそうに笑うのだった。
次回、先輩が登場します。