ex03.私の恋は、彼女の涙の先にある
双葉ちゃんが渡来先輩を振った、悲惨な屋上での出来事から約半年後。
私は彼氏である京太郎くんと、その幼馴染である双葉ちゃんの二人を更生させるべく、頻繁に行動を共にしていた。
彼氏の京太郎くんとは、どちらにせよ一緒にいろいろしていただろうけど、双葉ちゃんも更生させるなら近くにいてもらって、京太郎くんに対する行動が常識的でないことを逐一指摘する必要がある。
放っておくと京太郎くんにアタックしたりするし、京太郎くんもなんだかんだで双葉ちゃんを本気で引き離せるようにはなっていないので、それなら私も含めて三人でいた方がいい。
結局のところ、私は双葉ちゃんのことが嫌いではないのだ。
いろいろ複雑な感情もあるけど、総じて「好き」と言ってもいいだろう。
京太郎くんを取られるのが嫌なら、無理にでも双葉ちゃんと距離を置いてもらえば済むのかもしれないけど、私だって双葉ちゃんとは仲のいい友達でいたい。
だから双葉ちゃんには、京太郎くんの幼馴染としての適切な距離感を身に着けてもらわなければいけない。
そうして双葉ちゃんが変われた先に、何を想うのか。
私はきっと、最初から知っていたのに。
「京太郎くん。今週末、またデートしよう?」
「はーい! 私も行きたいでーす!」
私が京太郎くんをデートに誘うと、予想通り双葉ちゃんが食い付いてきた。
空気を読んでほしいと思うと同時に、相変わらずだなあと微笑ましくも感じる。
こういうところは、やっぱり双葉ちゃんの天性の才能なんだろう。
我儘でイラっとすることもあるけど、根本的なところでは嫌いになれないのだ。
「デートだって言ってるだろ、双葉。ダメだって」
「えー! いーじゃん、私ともデートしよーよ、キョータロー!」
……嫌いにはなれないけど、やっぱりちょっと空気は読んでほしいよね。
そんな双葉ちゃんに、京太郎くんはきっちりダメだと言い聞かせている。
まあ、でもこの先の流れは大体分かっている。初めてじゃないし。
「ね? いーじゃん、しよ? キョータロー」
「む……いや、ダメ、無理だって……」
双葉ちゃんにぐいぐい攻められて、キョータローくんが押され気味になる。
京太郎くんも最初の頃よりは双葉ちゃんの甘えに抵抗できるようになったけど、それでも今回のようにガンガン来られると、そのまま押し切られることも多い。
というか、双葉ちゃん。それは本当にデートのお誘いなんだよね?
京太郎くんも表情が泳いでいるし、別の意味に聞こえると思っていそうだ。
百歩譲ってデートはともかく、そっちの方向で頷かれるのは嫌なんだけど。
キスの時みたいに、もう初めてじゃないからと軽く考えたりしないだろうか。
「いいよ。双葉ちゃんも一緒で」
「え、いいの? ありがと、ほのか!」
「あー、ごめんね? ハレさん」
これ以上、二人の間の雰囲気を桃色にされると困るので私が同行を許可すると、双葉ちゃんは満面の笑みで喜んだ。
京太郎くんの方は申しわけなさそうな顔で、私に謝っている。
そういう顔をするなら、次はもっと頑張ってほしいものだ。
だから私は甘やかさないように、京太郎くんに向けて笑いかけた。
「ちゃんとしたデートも、今度してもらうからね? 京太郎くん」
もちろん、そっちのデートは二人きりで。
「キョータロー! ほのかー! 早く行こーよ!」
「待てって、双葉。急がなくても大丈夫だから」
京太郎くんと双葉ちゃんと出掛ける約束をした週末、私たちは郊外にある、そこそこ大きな遊園地まで遊びに来ていた。
双葉ちゃんは案の定、入園直後から……というか朝からテンションが高い。
まるで引率の先生のように双葉ちゃんを追いかける京太郎くんを見ると、この二人はきっと昔からこういう感じだったのだろうと思わせる。
私のことを置いてきぼりにされると困るけど、この二人のこういうところが嫌いになれないのも、本当に困るなあ。
「京太郎くん」
「はい、ハレさん」
私が京太郎くんに声をかけると、こちらに向き直って手を差し出してくる。
相変わらず、こういう時の京太郎くんは察しが良くて困る。
いや、正確には困らないけど、ちょっと憎らしい面もあるというか……。
こうされると、少し腹を立てても最後には許してしまうから始末が悪い。
私はそんな京太郎くんに苦笑いを……向けたつもりだけど、そう思っているのは私だけで、傍から見たら緩んだ顔をしているかもしれない。
私が京太郎くんの手を取ると、先に行っていた双葉ちゃんも戻ってきた。
「もー、二人だけでズルい! キョータロー、私とも繋ご?」
「あ、おい、双葉」
「へへーん! 恋人繋ぎー!」
私と京太郎くんを羨ましがった双葉ちゃんが、自分も手を繋ごうと京太郎くんを誘う……というより、双葉ちゃんから強引に手を繋いだ。
しかも私たちの真似をしてか、わざわざ恋人繋ぎだ。
多分、これも初めてのことではないのだろう。
遊園地という非日常の空間ということもあってか、京太郎くんは大して抵抗せずに双葉ちゃんの手を受け入れた。
京太郎くんからすれば大したことじゃないのかもしれないけど、恋人繋ぎという行為、というか名称に少しは思うところがあってもよくないだろうか。
それなりに嫉妬したので、私と繋がれている方の京太郎くんの手を、恋人繋ぎのまま指ですりすりと擦ってみる。
京太郎くんは途端にビクッとして、焦ったような顔を私に向けてきた。
そして繋いだ手を強く握れば、今度は顔を赤くする。
ふふっ。京太郎くん、何を思い浮かべてるのかな?
そんな風に私と双葉ちゃんに挟まれている京太郎くんに、周囲の好奇の視線が集まっているんだけど、本人は気にしている余裕はなさそうだった。
三人でアトラクションを散々遊び倒した後、偶然イルミネーションが開催される日だったので、少し帰りが遅くなるけど見て行こうという話になった。
「人が多いな……。はぐれないようにしないと」
京太郎くんが言う通り、今日はイベントの日ということで人が多い。
特に綺麗な光景が見られるというモニュメントの近くに陣取ろうと思ったけど、同じことを考えている人が多いので、今いる辺りはどんどん人が増えている。
油断してはぐれたら、しばらくは合流できないだろう。
だから注意しなければいけないんだけど……。
「キョータロー! ほのかー! あっちの方が人少ないよー!」
「あ、おい、双葉! 言ってる傍から!」
こういう時に双葉ちゃんが落ち着いていられるわけもなく、人混みが増していくのも気に留めず、はしゃいでどんどん先に行ってしまう。
きっと、はぐれても京太郎くんが見つけてくれると思ってるんだろうなあ。
「まったく……。ハレさん、追いかけようか」
「まあ、双葉ちゃんなら、こうなるよ。行こ? 京太郎くん」
二人して苦笑し合った後、双葉ちゃんを追って歩き始めた。
「しまった。本気で見失った」
「そんなに遠くには行ってないと思うんだけど。人が多過ぎるね……」
案の定、私たちは双葉ちゃんを見失ってしまい、付近を捜し回っていた。
何となく、こういう時の京太郎くんはパッと双葉ちゃんを見付けられるイメージがあったんだけど、流石にそこまで万能ではないのだろう。
歩き回って気が付けば、イルミネーションが開始する時間になっていた。
「スマホにも連絡ないし。双葉のやつ、俺たちを探すのに夢中になってるな」
「うーん、どうしよっか? 京太郎くん」
「まあ、イベントが終わったら人が減るか、双葉も落ち着いて連絡してくるだろうし。焦らずイルミネーション見ながら、歩いて回ろうか」
「そうだね」
京太郎くんの提案に、私も同意する。
実際のところ、双葉ちゃんを探しつつ歩き回ることに変わりはないんだけど、捜索よりもイルミネーションがメインだと思うのは、デート感がまったく違う。
双葉ちゃんには悪いけど、はぐれてしまったのは自分の責任だし、せっかくなのでロマンチックな光景を二人で楽しませてもらおう。
さっきよりも少し浮かれた気分になりながら、京太郎くんの手を握り直した。
「綺麗だね、京太郎くん」
「ああ、そうだね……ほのか」
しばらく京太郎くんと歩き回るうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。
開始直後は薄暗い程度だったけど、今くらいの暗さだとイルミネーションの光がとても幻想的に見える。
重ねて双葉ちゃんには悪いけど、いつになくロマンチックでいい感じだ。
そうして歩いていると、周囲よりも少し控えめなイルミネーションに彩られた、ある建物の前に出た。
「わあー! 京太郎くん、教会だよ!」
「ほんとだ」
それは鮮やかな、けれどどこか神聖さのある光に彩られた、白亜の教会だった。
あまりに幻想的で寒々しさすら感じる光景に、二人で感嘆の声を上げる。
普通、こういうスポットは恋人同士や家族で賑わっていそうなものだけど、この教会は遊園地の片隅にあって、目玉スポットであるモニュメントからも遠いせいか、今は私たち以外に誰もいない状態だ。
光に彩られた教会の前で、大好きな相手と二人きり。
こんなシチュエーションで、いい雰囲気になるなと言う方が無茶だろう。
「ほのか」
京太郎くんに呼ばれて振り向くと、何も言わずに私の手を握り直して、体ごと引き寄せるように胸元へ引いてきた。
いつもいつも、こういう時の京太郎くんは察しがいい。
こんなことだから、双葉ちゃん相手に不甲斐ない態度を見せたとしても、私は京太郎くんのことを嫌いになんてなれないし、むしろもっと好きになっていく。
「京太郎くん」
私の左手と京太郎くんの右手を、向かい合わせで絡め合う。
京太郎くんの空いた左手は私の肩を抱き、お互いの距離がほとんどなくなる。
そのまま京太郎くんの顔が下りてきたので、私も背伸びをして応えた。
どこまでも白い光の中で、私たちの距離がゼロになる。
それはきっと、誰が見ても、幸せな光景だったに違いない。
「キョータロー! ほのか! やっと見つけたー」
教会前での睦み合いの後、ようやくスマホの存在を思い出したらしい双葉ちゃんから連絡が来て、無事に合流することができた。
笑顔でいながら、どこか不満げな様子の双葉ちゃんだけど、はぐれたのは自分のせいなのだから、無茶は言わないでほしい。
ともあれ、そろそろ帰らないと遅くなってしまうと思っていると、京太郎くんがお手洗いに行きたいと言うので、立ち寄ることになった。
「ハレさん、双葉。悪いけど、ちょっと待っててね」
「うん。いってらっしゃい、京太郎くん」
「早めにねー、キョータロー」
短く言い合いながら、京太郎くんが離れて行く。
すると、残された私と双葉ちゃんの間に、沈黙が下りた。
双葉ちゃんとの間の慣れない沈黙に、私は不思議な気分になった。
京太郎くんほどの付き合いの長さはないとはいえ、私も双葉ちゃんとは仲がいいと自負しているし、そんな相手と一緒で双葉ちゃんが黙り込むというのは珍しい。
「双葉ちゃん、どうかしたの?」
「……今日、楽しかったね。ほのか」
「え? うん、そうだね」
体調でも悪くなったのかと心配して声をかけたけど、返ってきたのは今日の感想で、しかも言葉とは裏腹に声色や表情はいまひとつ明るくない。
私も楽しかったのは事実なので、思わず肯定の返事をしたけど、双葉ちゃんはそういう話をしたいのではないだろうと、すぐに分かった。
「こんな楽しい日が、ずっと続いたらいーなって思った」
双葉ちゃんの、今まで見たことのない愁いを帯びた声に、私は息を呑んだ。
きっと双葉ちゃんは、変わり始めている。
今まで疑いもしなかったこの先に、疑いを持つようになったのだろう。
その切っ掛けは、きっと――。
「キョータローとほのか、キスしてたね」
「……やっぱり、見てたんだね。双葉ちゃん」
今まで双葉ちゃんの前で、京太郎くんとキスをしたことはなかった。
手を繋いだり、恋人らしい会話はしていたけど、男女の恋愛を象徴する行為を見たことで、はっきりと私と京太郎くんの関係を実感したのだろう。
きっと理解はしていたけど、それでも受け入れられない部分があったのだ。
「キョータロー、私とはキスしてくれないのに」
「普通、幼馴染とキスはしないよ」
「私とキョータローは、したの。してたんだよ……」
私の否定の言葉に、俯きながら双葉ちゃんが答える。
だけど、それは自分に言い聞かせているように、私には聞こえた。
まるで駄々をこねる子供のように、どうしようもない事実を否定し続けている。
「ずっと一緒にいたのに、キスだってしたのに。私は、昔からずっと」
「双葉ちゃん」
自分の正当性を示そうとするような双葉ちゃんの言葉を、私は短く制止した。
だって、それは少しも正当じゃない。
双葉ちゃんはあの時、はっきりと間違えたのだ。
自分の取るべき行動も、自分の気持ちも。
自分の言葉が止められた意味が分かったのだろう。
双葉ちゃんは泣きそうな顔で私の方を見た後、再び俯いて肩を震わせた。
「……分かってるよ。私とキョータローがしてたキスと、ほのかとキョータローがしてたキスは、全然違う。私としたのは、あんなに……綺麗なキスじゃなかったって」
京太郎くんにとって、私と双葉ちゃんが明確に違う価値を持った相手だという事実を、双葉ちゃんは理解し始めていた。
「双葉ちゃん。私は京太郎くんみたいな幼馴染がいた双葉ちゃんが、羨ましいよ」
「私もほのかが羨ましいよ。キョータローと、あんなキスがしたかったよ……!」
私たちは、お互いに相手を羨んでいた。
私は昔から京太郎くんと一緒にいられた双葉ちゃんが羨ましいし、双葉ちゃんは京太郎くんと恋人として付き合っている私が羨ましい。
だけどそれは、本当なら双葉ちゃんだって、手に入れられるものだったはずだ。
「双葉ちゃんは、欲張り過ぎたんだと思う」
すでに持っていた、素敵な宝物を失くすのが惜しくて。
それを失くさないまま、新しい宝物を手に入れようとして。
そうして双葉ちゃんは、本当に欲しかったものを手に入れられなかった。
それは、まるで子供に言い聞かせるための、童話のような話だった。
「それでも、私がいなかったら、双葉ちゃんは今でも京太郎くんと一緒にいられたと思うけどね」
自嘲するような言葉が零れるのを、私は止められなかった。
私は双葉ちゃんが本当に好きな相手が誰なのか、ずっと分かっていた。
分かっていたのに、私も同じ相手を求めてしまった。
そして双葉ちゃんが間違ったことに気付きながら、私は私を優先して動いた。
いまさら悪びれるつもりもないし、京太郎くんを諦めるつもりもない。
だけど、それでも小さな罪悪感を抱き続けることを、私は止められないのだ。
そんな私の言葉に、双葉ちゃんは俯いたまま頭を振る。
「ほのかがいないと、やだよ。ほのかだって、私の大事な友達だもん……」
「双葉ちゃん……」
か細く震える声で、それでもはっきりと双葉ちゃんは言った。
そして私は、改めて双葉ちゃんと友達になったばかりの頃を思い出した。
双葉ちゃんのこういうところが、私はずっと羨ましくて、大好きだった。
そんな双葉ちゃんがいつも傍にいるから、私は京太郎くんの特別な存在にはなれないのだと、ずっと諦めていた。
卑屈な感情を持ちながら、それでも双葉ちゃんは私の憧れだったのだ。
「私は双葉ちゃんに、京太郎くんから離れてなんて言わないよ。恋人は私だけど、幼馴染の双葉ちゃんなら一緒にいてもいいと思う」
それは嘘偽りのない、私の本音だった。
京太郎くんを渡したくない。
だけど双葉ちゃんとも友達でいたい。
だから私は、双葉ちゃんと京太郎くんが適切な距離感を持てるように、二人を変えようとしているのだ。
変わってしまった先に、何があるのかを知りながら。
たとえ私の求める幸せが、彼女の涙の先にあるのだとしても。
――私たちが高校を卒業してから、六年が経った。
私と京太郎くん、そして双葉ちゃんの三人は、同じ大学で楽しい時間を過ごして、そして大学卒業後はそれぞれの進路に別れた。
あの遊園地に行った日から、双葉ちゃんはどんどん変わっていって、今でも明るい性格は昔のままだけど、社会人として立派に働いている。
三人の初任給で飲みに行った時は、京太郎くんが「双葉がちゃんと働けるなんて」と感極まって泣き出してしまい、かなり大変だった。
そして、私と京太郎くんは――。
「おはよう、ほのか」
「おはよう、京太郎くん。もうすぐ、ご飯できるから」
いつも通りの時間に起きてきた旦那様と、朝の挨拶を交わす。
そう。半年ほど前に、私と京太郎くんは結婚したのだ。
結婚前には「もうすぐハレさんじゃなくなっちゃうな」なんて、しつこく京太郎くんが言っていたのを、何となく思い出す。
それと、素敵な笑顔で私たちを祝福してくれた、双葉ちゃんのことも。
その笑顔とメイクの下で、目元がひどく腫れていたのを、私は気付いていた。
ちなみに私たちよりも半年前に、ヨナ先輩と渡来先輩も結婚している。
どうやら渡来先輩は少し束縛が強いらしく、でもそこがいいのだとヨナ先輩は嬉しそうに笑っていた。
その嗜好はまったく理解できないけど、幸せそうなのは何よりだと思う。
「今日もいい天気だね」
「そうだねー。今日も晴れの日♪」
もう何度目か分からない「いつも通り」を、京太郎くんと交わし合う。
私の名字が変わっても、このやり取りは変わらずに続いていた。
これはきっと、私の恋の象徴なのだ。
あの日、双葉ちゃんに彼氏ができて、諦めかけていた私の恋が動き出した。
動き出した想いは止まらず、様々な痛みを乗り越えて、私たちは結ばれた。
たとえ大切なものを傷付けてでも、私は一番大切なものを手に入れた。
そうして掴んだ幸せが、今もずっと続いている。
私の痛みも、京太郎くんの優しさも。そして、双葉ちゃんの失くしたものも。
すべてがこの幸せに繋がっている。
「京太郎くん」
だから――。
「今日も、大好き」
私はこの恋を、ずっと忘れない。
リメイク前にも書きましたが、当初はこの回がラストの予定でした。
結局、次の回でリメイク前を締めることになったのですが。
この物語で一番強欲だったのは、実はハレさんなのかもしれません。




