ex02.うちの兄ちゃんと、幼馴染の姉ちゃん
あたしには、四つ年の離れた兄がいる。
今はあたしが中学一年生で、兄ちゃんが高校二年生だ。
周りの友達が言うには、高校生の兄というのは偉そうだったり乱暴だったり、とにかく碌でもなくて口も利きたくないそうだけど、うちの兄ちゃんは結構優しい。
テレビのチャンネルもケーキの大きい方も譲ってくれるし、叩かれたことなんかもないし、たまに料理を作って振る舞ってくれたりもする。
兄ちゃんの料理はお母さんと比べて特別上手いわけじゃないけど、ちょっと違う味付けだから珍しくて楽しいし、あたしの好みを聞いてくれるのも嬉しい。
まあ、大抵は「姉ちゃん」に頼まれて作るから、あたしからお願いすることは少ないんだけど。
姉ちゃんというのは、兄ちゃんと同い年の幼馴染である、双葉姉ちゃんだ。
兄ちゃんとは幼稚園からの付き合いで、あたしとも結構仲がいい。
どういう切っ掛けで仲良くなったのか聞いたことがあるけど、二人揃って「何か気付いたら一緒にいた」と言っていた。
兄ちゃんの幼馴染ということは、あたしとも付き合いが長いということなんだけど、あたしの方も同い年の幼馴染みたいな子がいて、そっちと遊ぶことの方が多かったので、姉ちゃんはやっぱり「兄ちゃんの幼馴染」という印象が強い。
「キョータローのケーキ、一口ちょーだい!」
「双葉の一口ってデカいんだよな……。菜乃香も一口食べる?」
「うん! ありがと、兄ちゃん!」
兄ちゃんたちは、凄く仲がいい。
あたしもそうだったけど、小学生の後半くらいになると男女での意識や体の違いが出てくるので、どうしても異性同士での友達関係はぎこちなくなる。
だけどあの二人は、兄ちゃんの背が伸びて姉ちゃんと差がついても、姉ちゃんの胸が大きくなってきて綺麗になってきても、全然変わらずに一緒にいる。
基本的に姉ちゃんが我儘を言ったり、兄ちゃんを引っ張り回す姿を見ることが多いんだけど、兄ちゃんは文句は言っても最後は必ず付き合うし、姉ちゃんもそんな兄ちゃんのことをとても信頼しているように見える。
お母さんによると、あの二人はあれでバランスが取れている、らしい。
あたしはよく分からなかったけど、お互いの家族も兄ちゃんと姉ちゃんなら上手くやって行くだろうと、口を出す気はないみたいだ。
兄ちゃんたちと言えば、向こうが小四の時にキスしまくっていたという、こっちが恥ずかしくなるような思い出がある。
姉ちゃんの方が恋愛ドラマを観てキスがしてみたいと言い出したらしく、それに渋々兄ちゃんが付き合うという形だった。
「キョータロー! おはよーの、チュー!」
「ちょ、待て、双葉! 菜乃香が見てるって!」
「んんんー、ぷはっ。あ、菜乃香、おはよー!」
「おはよう、姉ちゃん! 今日も仲良しだね!」
別行動が多いとはいえ、たまにあたしも一緒にいることがあるんだけど、二人は学校はともかく家の前くらいなら気にせずキスしていたので、よく目撃させられた。
まあ、兄ちゃんはどこだろうと、気にしてないわけじゃなかったと思うけど。
当時まだ小学一年生だったあたしは、キスに対して性的な印象を持っていなかったので、兄ちゃんたちは仲がいいなー、なんて思っていた。
今にして思えば、当事者でもないのに恥ずかしいことこの上ない。
「あれ? 兄ちゃんと姉ちゃん、チューしないの? 喧嘩しちゃった?」
「おう、何か双葉が飽きたって」
夏休み中のお盆が終わると、二人はキスしなくなっていた。
朝会った時と別れ際、それと姉ちゃんがテンション上がった時は、大体決まってキスしていたのに……ちょっと多くない?
てっきり喧嘩でもしたのかと心配になったけど、どうやらお盆の間に一週間くらい親の実家に帰っているうちに、姉ちゃんのキスブームが終わったらしい。
習慣になっていたものをやらなくなると、執着がなくなるという、アレだ。
流石にブームだからといって、兄ちゃん以外とはキスしなかったのだろう。
まあ、姉ちゃんが兄ちゃんのこと大好きなのは、誰が見ても分かるし。
「はよー、兄ちゃん」
「おはよう、菜乃香。スカートめくれてるから、ちゃんとしなさい」
あたしが中学一年生、兄ちゃんが高校二年生になると、兄ちゃんはちょっと服装なんかで口うるさくなることが増えた。
いや、あたしがだらしない恰好をしているのが悪いのは、分かってるんだけど。
うちはお父さんが忙しくて、家には帰っていても顔を合わせないまま終わる日も多いから、兄の自分がしっかり注意しないといけないと思っているんだろう。
お父さん、あたしたちが朝ご飯を食べる時には、もういないし。
こういうの、何て言うんだっけ……社畜?
一応、あたしも中学生に上がる少し前から、少しお洒落にしているつもりだ。
小学校の途中から陸上を始めて、髪もずっと短くしていたけど、姉ちゃんがどんどん綺麗になってくのを見て羨ましくなったので、あたしも今は少しずつ伸ばしている。
それでも根がガサツなのか、ついだらしない恰好をしてしまうことも多い。
「あー、スカートめんどい。私服の中学だったらジャージで通えたのに」
「お前それ、いじめに発展しかねないからな」
「あと私たちの虐待も疑われそうなんだけど」
兄ちゃんとお母さんとの、いつも通りの会話。
お父さんはいつも通り食卓にいなかったけど……お仕事、頑張って下さい。
そんな和やかな朝、兄ちゃんがとんでないことを、さらっと言い出した。
「彼氏が出来た女友達を朝から迎えに行くのって、やっぱり変っていうか体裁悪いかな?」
最初、あたしは兄ちゃんが何を言っているのか、よく分からなかった。
お母さんはすぐに分かったらしく、驚いた顔をして箸を取り落としている。
今まで見たことがないくらいに驚いたお母さんの表情で、あたしも兄ちゃんが何を言ったのかようやく理解して、お母さんと同じように箸を落とした。
この癖、あたしは自覚あったんだけどお母さんも一緒なのかと、まったく関係ないことを考えてしまった。
「え、姉ちゃん? 兄ちゃん、姉ちゃんと付き合ったの?」
「いや、なんでだよ」
つい動揺して、違うと分かり切ったことを聞いてしまった。
でも姉ちゃんに彼氏って言ったら、普通は兄ちゃんになるのは仕方ないと思う。
そのくらい二人は仲が良かったし、お互いが好きなんだと思っていたから。
話を聞くと、どうやら本当に姉ちゃんに、兄ちゃん以外の彼氏ができたらしい。
わけが分からない。姉ちゃんは、兄ちゃんが好きなんじゃなかったの?
あたしもお母さんも、兄ちゃんが失恋でショックを受けているんじゃないかと、本気で心配した。
だけど兄ちゃんは、全然平気な顔をしている。
あれ? 兄ちゃんも姉ちゃんが大好きなんじゃなかったの?
しかも彼氏ができたのに、姉ちゃんと一緒に登校する?
それってストーカーじゃないのかと思ったけど、どうやら兄ちゃんは本当に姉ちゃんと登校するつもりらしい。
っていうか昨日も一緒に帰ってきたらしい。彼氏はどうしたんだろう……。
とりあえず、いつも通りに姉ちゃんの家に向かってみると言った兄ちゃんを、お母さんが「もう好きにしたら?」と切り捨てていた。あたしもそう思う。
「あの子たちが変なのは分かってたけど、こうなるとは思わなかった……」
朝食が終わって席を立った兄ちゃんを見送りながら、お母さんが呟いた。
「あれ? 兄ちゃん、何作ってんの?」
「ハンバーグ。あと菜乃香、肩紐ヤバいから、ちゃんとしなさい」
数日後、お風呂から上がってキッチンに行くと、兄ちゃんが料理をしていた。
いつも通り、あたしの恰好に注意をしてきたので、ちょっとからかってみる。
「ドキッとする?」
「しません」
あたしなりに色っぽい仕草をしてみたつもりだけど、兄ちゃんからは碌な反応もなく、ばっさり切られてしまった。
同年代の子より背は小さめとはいえ、あたしも昔に比べれば少しは胸とか大きくなったと思うんだけどなあ……。
いや、仮にドキッとするって肯定されても、反応に困るんだけど。
どうやら兄ちゃんは、相変わらず姉ちゃんにお弁当を献上しているらしい。
兄ちゃんは基本的に自分の気分で料理をすることはなく、誰かに頼まれたりした時だけ腕を揮っている。
ほとんどが姉ちゃんで、後はあたし。それと偶にお母さんが楽したい時かな。
だから今回も姉ちゃんに頼まれたんだと思ったし、実際にそうだったんだけど、さらに言えばこのお弁当は、姉ちゃんが彼氏と一緒に食べるらしい。
「……兄ちゃんって、幼馴染じゃなくて下僕にでもなったの?」
「失礼な。今も昔も幼馴染だ。双葉に彼氏ができてもな」
自信満々に言う兄ちゃんに一瞬、納得しそうになった。
「ん? 兄ちゃん、おかえ……あれ?」
さらに数日後、朝からめかし込んで出掛けていた兄ちゃんが帰ってきたと思ったら、すぐにまた出て行った。
兄ちゃんがお洒落して出掛けるというのは、実は大して珍しくない。
何せ、いつも一緒にいる姉ちゃんは、結構な美人でお洒落さんなのだ。
あまり野暮ったい恰好だと、隣に立っていて悪目立ちするので、二人で出掛ける時は兄ちゃんもそれなりの恰好をしている。
ということは、今日も姉ちゃんと出掛けているのだろうか……彼氏持ちなのに?
「んー? 兄ちゃん、なんか匂う」
「え? 嘘……菜乃香が反抗期?」
その後、改めて帰ってきた兄ちゃんから、香ばしい匂いがしたので言ってみたら、何故だか思春期の娘を持った父親のような反応をされた。
「違うって。何か食べてきたの?」
「あ、ああ、そういう。良かった……あ、食べたのはラーメンな」
割と本気でホッとした後、ラーメンを食べてきたと答える兄ちゃん。
一緒に出掛けてラーメンを食べるなら、やはり相手は姉ちゃんだろう。
姉ちゃん、お洒落の方はともかく、そういうのは全然気にしないし。
「今更だけど、彼氏持ちの姉ちゃんとデートって、ただの間男だよね」
「どこでそんな言葉覚えたんだよ。デートはデートだけど、双葉じゃないぞ」
「……え?」
確実に相手は姉ちゃんだろうと思って発言したけど、あっさり否定された。
っていうか凄いこと言ってなかった? 姉ちゃん以外とデートしたの?
いや、普通なら彼氏がいる姉ちゃんが、一番あり得ないんだけど。
「兄ちゃんが姉ちゃん以外の人とデートしたのもびっくりなんだけど、姉ちゃん以外とのデートでラーメン食べたの? 大丈夫なの、それ」
「いや、ラーメンは双葉とだな。昼間は他の人とデートしてた」
「……ごめん、兄ちゃん。意味分かんない」
兄ちゃんの言うことが異次元過ぎる。
そのまま兄ちゃんから説明を受けたところ、どうやら同じクラスの女の人とデートした後、姉ちゃんに呼び出されたらしい。
さっき一回帰ってきたのは、姉ちゃんに頼まれた傘を取りに来たそうだ。
ちなみに姉ちゃんは彼氏とのデート帰り。やっぱり意味が分からない。
っていうか、これって実質二人とデートしてるんじゃないの?
ダブルデートって、そういう意味だっけ? いや、違うよね。
「兄ちゃんはあれなの? スケコマシ?」
「マジで菜乃香、どこでそんな言葉覚えてるの?」
この数日後、あたしは「姉ちゃんじゃないデート相手」と出会うことになる。
――あれから、兄ちゃんは姉ちゃんじゃない人と付き合い始めた。
兄ちゃんの彼女――ほのかさんは凄く優しい人で、兄ちゃんを見て幸せそうな顔で笑っている姿を、うちに遊びに来た時に何度も目撃している。
我儘とかも言いそうになくて、姉ちゃんとはかなり違うタイプだと思う。
純情そうだし、キスどころか手も握ったことなかったりして。
「お母さーん、今日は兄ちゃんいないの?」
「今日はハレちゃんとデートだって。なんか双葉ちゃんも行きたがってたけど」
姉ちゃんは相変わらずだなあ……。
ちなみに姉ちゃんは、彼氏と別れたらしい。
詳しいことは知らないけど、彼氏が他の女の人から告白されて、何かそれで姉ちゃんの方から別れを切り出したとか言ってたような……。
話だけ聞くと悲しい失恋っぽいけど、今の姉ちゃんからはそんな気配はしない。
というか、兄ちゃんとほのかさんと一緒に、めちゃくちゃ楽しそうにしている。
兄ちゃんと姉ちゃんの関係は、本当によく分からない。
最近は、ほのかさんまで絡んでくるから、余計にわけが分からなくなってきた。
そんな風に考えていると、キッチンから出てきたお母さんが、声をかけてきた。
「というわけで。今日は京太郎いないから、そのブラ紐はしまっちゃいなさい」
「はーい、って、え? お母さん、何言ってるの?」
お母さんのいきなりの発言に、思わず面食らう。
たしかに今着てる服は肩口が広いから、ブラ紐が結構見えてるけど。
「だって、アンタがそういう恰好するのって、京太郎がいる時じゃない」
「はー!? そんなことないし!」
「いやいや、あるでしょ。たまに本当にだらしない時もあるけど。大体は京太郎がいる時だけだから、お兄ちゃんに注意されるのが楽しいのかと思ってた」
「ち、違うし!」
お母さんがとんでもないことを言い出すので、思わず大声で否定してしまう。
あたしが兄ちゃんに注意されるのを楽しんでいるなんて、絶対にあり得ない。
そんなの、兄ちゃんに構ってもらえて喜ぶ、ブラコンの妹みたいじゃないか。
だけどお母さんは、そんなあたしを見ながらケラケラと笑っていた。
「まあ、双葉ちゃんみたいな感じじゃなかったけど、アンタも妹だから京太郎に結構可愛がられてたからね。そりゃあ懐くか」
可愛がられて懐くって何だ。
それじゃあ、あたしが猫か何かみたいじゃないか。
可愛がられていたのは否定しないけど、そんなに懐いているわけじゃない。
兄ちゃんのことは嫌いじゃないけど、あたしは自立のできる妹なのだ。
「……そうなのか? 菜乃香はそんなにだらしない印象はないんだが……」
そこでずっと横で新聞を読んでいたお父さんが、顔を上げた。
今日は休みだから、珍しく朝からいるんだよね。
話に夢中で、すっかり忘れてたけど。
不思議そうな顔をしているお父さんに、お母さんは呆れた声で答えた。
「そりゃあ、あなたの前でそんな格好するわけないでしょ。年頃の娘なんだから」
「む……そ、そうか。京太郎はいいのに……」
お父さんは寂しそうな顔で、ボソッと呟いた。
多分、兄ちゃんには気を許してるのに自分には……みたいに思ってるんだろうけど、今の言い方だとあたしのだらしない姿を見たいように聞こえて、ちょっと引く。
いや、今はそんなことより、不名誉な言いがかりを撤回してもらわないと。
「だから違うって、もう! あたし、ブラコンじゃないし、彼氏も作るし!」
「へー、どんな?」
何とかブラコン疑惑を晴らすべく彼氏を作ると言い出してみたが、どんな男性が理想かと言われると、今まで考えたことがなかったので難しい。
とりあえず、最低条件として思い浮かぶのは……。
「兄ちゃんより、優しい人!」
うん。咄嗟に言ったけど、たしかにこのくらいは最低でも満たしてほしいな。
兄ちゃんより優しくないなら、別に兄ちゃんでいいわけだし。
あたしが上手く言い訳できたと満足していると、何故かお母さんが呆れた顔を向けていた。
「アンタには当分、彼氏は出来そうにないね……」
「何で!?」
お母さんが縁起でもないことを言うけど、そんなわけがない。
あたしだって、いつか素敵な彼氏を作ってやるのだ。
兄ちゃんなんて目じゃないくらい、優しい彼氏を!
京太郎が妹を可愛がらないわけがないですよね。
菜乃香はこの後、現実の同年代の男子と自分の理想の男性像の
ギャップに直面することになります。




