02.家族から励まされたけど、俺は失恋していない
俺の幼馴染である双葉に彼氏が出来たその日、何故か俺は双葉と一緒に行きつけのコーヒーショップを訪れるという、あまりに普段通りの放課後を過ごした。
おかしい。普通、女友達に恋人が出来たなら、その相手を気遣って距離が開くものではないだろうか? そうは思うものの、肝心の双葉自身が気にしていないのだから、俺からとやかく言ったところで聞きやしないだろう。
コーヒーショップで新作コーヒーと交際開始記念のケーキ(本当に注文しやがった)を堪能した双葉は、ご機嫌な様子で俺と一緒に帰宅した。それはもう恐ろしいくらいにいつも通りの日常で、彼氏が出来たというのは嘘だったのではないかと思うくらいだ。
しかし最後に双葉の家の前で別れる時までネタ晴らしはなかったので、おそらく本当に双葉は彼氏がいるのだろう。にわかには信じがたいが。
ちなみに帰宅した後は、これまたいつも通りに双葉からのメッセージが頻繁に届いていた。頻度を考えると、彼氏に送っている暇があったとはとても思えないが、きっと「メッセージなんかより直接話す時間が大切」とか、そういうことなんだろう。そうだと思いたい。
双葉の交際が不安すぎて心配になっていたところを、クラスメイトから送られてきた何気ないメッセージで癒されていた俺だった。
そんな具合で、激動になりそうでならなかった一日が過ぎたわけだが――。
「あれ? 俺、朝は双葉を迎えに行った方がいいのか? いや、ダメか?」
寝起きの薄ぼんやりした頭の中で、彼氏が出来た幼馴染を家まで迎えに行くか真剣に悩むという、わけの分からない事態に陥っていた。
幼稚園時代に付き合いが始まってから、俺はずっと双葉と一緒に登校していた。
うちの地域は基本的に登校班なんかはなくて自由に登校しているので、家が近所で学校が同じ双葉と登校しない理由は特にない。
なので学校との位置関係や性別的に、俺が双葉を迎えに行って二人で登校するのが、高校二年生の現在まで続く恒例行事だったわけだが……。
しかし、今や双葉は彼氏持ちだ。
昨日の口振りからして、わざわざ彼氏と一緒に登校するとは微塵も思えないが、それでも異性の幼馴染である俺と登校するのは角が立つのではなかろうか。
そして、その先に待っているのは俺を巻き込んだ彼氏との修羅場である。
真っ当に考えるなら、双葉には一人で登校させるべきなんだろうが……。正直、俺が何を言ったところで、双葉が納得してくれるとは思えない。俺の一般論なんて一顧だにせず、「一緒でいーじゃん!」なんて言うのが目に見えている。
「……連絡してみるか?」
本来なら昨日の時点で双葉に確認しておくべきだったのだが、向こうがあまりに普通の態度だったので、途中から俺も彼氏の存在など頭から抜け落ちていた。
なら今からでも双葉に連絡して、朝はどうするか聞いてみるべきだろう。行かないと勝手に決めると双葉が心配するかもしれないし、何より間違いなく怒り出す。
しかし双葉は朝に強くないので、こんな時間からメッセージを送ったとしても、返事が来ない可能性も十分にある。……なんていうのは言い訳で、単に俺が双葉に確認を取るのが怖いだけだ。
もし今から連絡して「今日から来なくていーよ」なんて言われたら、俺は寂しさで学校を休んでしまうかもしれない。恋愛感情は抜きとして、双葉と一緒にいるという日常への未練が俺にはあるのだ。
こうしてベッドの上で考えていても、埒が明きそうにないな……。
そろそろ朝食の時間だろうし、俺は身支度をしてリビングに向かうことにした。
双葉の家には、とりあえず行ってみればいいだろう。
「はよー、兄ちゃん」
身支度を終えた俺がリビングに入ると、先に食卓に着いていた妹の菜乃香が声をかけてきた。可愛い妹の挨拶に、兄としてしっかり答えてやる。
「おはよう、菜乃香。スカート捲れてるから、ちゃんとしなさい。あ、母さんもおはよう」
椅子に座る菜乃香は、見事にスカートが捲れたままだったので、兄としてしっかり注意しておく。うちの妹は基本的にしっかりしているのだが、こういう部分では時に抜けていることも多いのだ。
妹は現在、中学一年生。そろそろ恥じらいというものを覚える年である。
黒い髪は小学校の頃まで男子に見えそうなくらいに短かったが、最近は色気づいたのか伸ばしていて、もう少ししたら肩に届きそうだ。
小学校の高学年から陸上を始めたせいか良く日に焼けていて、身内贔屓ながら健康的でなかなか可愛らしい妹なのではないだろうか。
そんな愛らしい妹だが、俺に注意されたのが不満なのか唇を尖らせている。
「兄ちゃん、細かーい。そんなんだから、姉ちゃん以外にモテないんだよ」
「失礼な。クラスの女子とは、そこそこ仲良くやってるぞ」
モテるかどうかは別として、双葉以外だって仲良く出来ているはずだ。
ちなみに菜乃香が言っている「姉ちゃん」とは、もちろん双葉のことである。俺と双葉は幼稚園からの付き合いなので、四つ年下の菜乃香も双葉とはそれなりに付き合いが長い。菜乃香は菜乃香で友達が多いので一緒に遊ぶ機会は少ないが、言葉通り双葉のことは姉のように慕っている。
「京太郎、妹のスカートのついでみたいに挨拶するのは、止めてね?」
「あ、はい」
双葉に言い返していたら、母さんにまで文句を言われてしまった。
まあ、さっきは付け加えるような言い方だったし、分からないでもない。
今日も我が家の女性陣は、非常に強かった。
ちなみに父さんは健在だけど、すでに出勤しているので今はいない。
昨日帰ってきたのは日付が変わる前で、俺や菜乃香とは顔を合わせていなかったんだけど、朝は朝で俺たちが起きる前に出て行ってしまったようだ。
父さんは最近出世して稼ぎが良くなったものの、労働時間もガッツリ伸びてしまったらしい。平日はこんな調子で顔を合わせないし、休日も死んだように寝ていることが多いので、やはり顔を合わせないまま終わることも少なくない。
俺や菜乃香を養ってくれていることに感謝を覚えつつ、日頃の父さんの姿を見て将来働くことに対する恐怖心も感じていたりする。
父さん不在という、いつも通りの食卓に俺も着き、朝食を開始した。
しばらくは適当な会話をしていたけど、ふと双葉とのことを同じ女性である二人に相談するのもありかと思い、口にしてみた。
「ちょっと相談なんだけど、彼氏が出来た女友達を朝から迎えに行くのって、やっぱり変っていうか体裁悪いかな? さっきから悩んでるんだけど決まらなくて」
「……は?」
俺がそう言うと、母さんは呆気にとられたような顔をしながら、持っていた箸をテーブルの上に落とした。コロコロと転がる箸が、なんとも言えずシュールだ。
双葉の方は状況が飲み込めないのか、最初は驚いた顔で俺の顔を見て、その後に箸を落とした母さんの方に目を向けた。そして母さんに遅れて、箸を落とす。
……いや、この状況は何なんだ? 母娘で二人揃って驚いた時のリアクションが同じという、意外な事実に気付いてしまった。
「え、京太郎。その女友達って、もしかして双葉ちゃんのこと?」
「まあ、そうだけど」
母さんが質問してきたので、俺は素直に答える。
俺の女友達といえば、まあ双葉だと思われるのは当然だろう。
「え、姉ちゃん? 兄ちゃん、姉ちゃんと付き合ったの?」
「いや、なんでだよ」
菜乃香の方は、まだ動揺しているようだ。
さっきの話の流れで、俺と双葉が付き合い始めたという解釈はできないだろう。
俺は改めて、二人に昨日のことを説明する。
「昨日、双葉が先輩から告白されてさ。そのまま付き合うことになったんだよ」
「双葉ちゃんが……? 嘘でしょ? 意味分かんない」
「兄ちゃん、そんな見え透いた嘘じゃ、私もお母さんも騙されないし!」
完全に虚言扱いされてしまった。
意外なのは俺も分かるが、想像以上に家族の反応が酷い。
「いや、これが本当なんだよ。相手はイケメンの先輩だったから、流石に双葉も気に入ったんじゃないか?」
「え、本当なの……?」
どうやら、ようやく母さんは俺の話を信じてくれたようだ。それにしても相手がイケメンだって言うと、信憑性が増すものなんだな。
「えっと……京太郎。アンタ、大丈夫なの? 双葉ちゃんに彼氏が出来て」
「大丈夫って……何が? ショックかどうかなら、別にそうでもないけど」
「んー、アンタがそう言うなら、私はまあいいんだけど……」
不承不承という感じで納得してくれた母さん。
そんな「複雑な心境」みたいな顔されても、俺の方が困るんだけど。
何故か母さんはそのまま菜乃香の方を見たので、釣られて俺もそちらに目を向ける。俺たち二人に見られていることに気付いた菜乃香は、やはり不安げに言った。
「に、兄ちゃん、本当に大丈夫……? あたし、朝練あるけど今日はサボって、途中まで一緒に行く?」
「いや、いいって。朝練はちゃんと出なさい」
「う……でも、兄ちゃんが……」
菜乃香の方は母さんと違って、なおも心配そうな目で俺を見てくる。
なんで俺より家族の方が、こんなに深刻そうな受け止め方してるんだよ。
そもそも俺は、双葉に彼氏が出来たこと自体は平気だっていうのに。
「大丈夫だって。さっきから言ってるけど、俺と双葉はずっと前からただの幼馴染だからな。そりゃあ何も思わないとは言わないけど、別につらいとかはないよ」
改めて俺は自分の気持ちを二人に明言した。
双葉に彼氏が出来ようが、旦那が出来ようが、それ自体は別にいい。俺にとって重要なのは、双葉との関係性が変わって繋がりが途切れることの方だ。そして実際に途切れそうにないことが、目下のところ俺の悩みとなっている。
双葉と一緒にいられるのは俺も嬉しいんだけど、それで彼氏と揉めるのは嫌だという感情と、それでも双葉が気にしないなら俺も気にする必要はないという感情。その相反した感情が、どうにも俺を悩ませているのだ。
「そう……。それなら、私は何も言わないけど」
「お母さんがそう言うなら、あたしもそうする」
俺の説明を聞いて、母さんと菜乃香も一応は納得してくれたらしい。
これでようやく本題に入れるというものだ。
「じゃあ、話は戻るけど……」
俺は前置きをしてから、二人に向けて言った。
「双葉を今から迎えに行くのって、どう思う?」
「……は?」
異口同音。完全に同じタイミングで、二人に返されてしまった。おまけに驚いた顔もそっくりで、菜乃香は母親似なのだと改めて実感する。
「そ、そういえば、最初はそんな話してたっけ……?」
「兄ちゃん、気にしてないって言ってたけど、やっぱしてるし! ストーキングはダメだし!」
「ちょっと待て。ストーキングって何だよ?」
驚いた様子の母さんはともかくとして、菜乃香からはストーカー扱いという、あらぬ疑惑をかけられてしまった。
「え? だって兄ちゃん、姉ちゃんに彼氏が出来たのに付きまとうつもりじゃ……?」
「違うよ、なんでそうなるんだ。普通に迎えに行くだけだって」
「え……え? 何が普通なの? 姉ちゃん、彼氏いるんだよね?」
菜乃香は「普通とは?」と困惑した様子を見せている。
あれ? そう言われると、彼氏が出来た幼馴染を迎えに行こうとするのって話だけ聞くと、片想いを諦めきれずに粘着しているストーカーみたいだな……。
菜乃香が動揺している理由を理解した俺は、慌てて昨日のことを説明する。
「そもそも双葉の方が、普通に接してくるんだよ。昨日も俺は一人で帰ろうとしたのに、『一緒に帰る』って聞かないから、結局一緒だったし。夜もいつも通り連絡が来ててさ。なんか俺の方から距離取っても、普通に寄ってきそうな気がするんだよな」
「ええ……? 姉ちゃん、何やってんの……?」
菜乃香は相変わらず困惑顔だが、さっきと違って呆れも見えている。
双葉の姉貴分としての威厳が、菜乃香の中で急下降している気がするが、まあ仕方ないだろう。だって俺も意味が分からないんだから。
「だから迎えに行くのは、どうなんだろうって思うんだよね。でも俺が行くの止めたら、双葉の方が怒りそうな気がしてさ」
「うん……。なんかあたしも、そうなりそうな気がしてきた」
菜乃香も俺の意見に同感のようだ。
それでは母さんはどうだろうと、俺は視線を向ける。
しばらく黙っていた母さんは、やがて呆れたような声で言った。
「もう、アンタたちの好きにしたら?」
完全にぶん投げられていた。
俺自身、変なことを聞いているという認識はあるんだけど、厳しくない?
隣を見れば、菜乃香もうんうんと首を縦に振っている。
本当にそっくりだな、この母娘。
結局、俺は予定通り双葉を迎えに行くことに決めたのだった。