ex01.ようこそハレさん、稲瀬家へ
「うう……き、緊張する……」
隣を歩くハレさんが何度目になるか分からない泣き言を口にしたので、俺は思わず苦笑してしまった。
「前から言ってるけど、そんなに緊張する必要はないって。別に格式が高いわけじゃない、普通の一般家庭だからさ。それに菜乃香とは、もう会ってるだろ?」
「そうだけど……やっぱり緊張するよ。菜乃香ちゃんだって一度しか会ってないから、まだお互い人となりも分かってないだろうし」
ハレさんは「分かってないな」という風に言ってくるが、まあ俺も彼女の背中を押したくて気軽に言っただけで、実際に同じ状況になったら物凄く緊張すると思う。
何だったら俺の方が緊張するだろう。何故なら今日はこれから、ハレさんが稲瀬家の一同と顔合わせするという、重大なイベントがあるのだから。
事の起こりは、俺がついにハレさんに対して責任を取らざるを得ない事態に――なったわけではなく、週末に彼女がうちに遊びにくる話を朝食の席でしていたら、菜乃香と母さんが「会いたい!」と熱望したのが原因だ。
おまけにその日の夜には父さんが早めに帰ってきて、「当日は有休を取った」と言い出した。どうやら母さんから、ハレさん訪問の情報が渡ったらしい。
忙しいはずの父さんが、よく数日前に有休なんて取れたものだ。
そんなわけで、図らずも稲瀬家が勢揃いでハレさんを迎えるという、一大イベントが開催される運びとなってしまったのだ。
ちなみに俺とハレさんが一緒に歩いているのは、一人で俺の家に来るのは緊張するだろうと思って、近所まで迎えに行ったためである。
「うう……なんで普通に遊びに行くって話が、ご家族への挨拶に……」
「いや、その点に関しては、マジでごめん。俺も前もって遊びに来るのが分かってるなら、一言いっておいた方がいいかなって思っただけだったんだけど……」
まさか揃いも揃って、予定を合わせてハレさんに会いたがるとは……。
俺とハレさんは真面目な交際をしているから、そのうち挨拶した方がいいだろうとは話していたが、仮に軽いノリの付き合いだったとしたら、これが原因で振られていてもおかしくないかもしれない。
そう思うと、ちゃんとハレさんに謝っておかないといけないと思う。
「どうしても無理なら、俺の方から伝えるけど……」
「そんなの無理に決まってるよう……。向こうが会いたがってくれてるのに、なんて言い訳するの?」
「だよね……」
まさか「ハレさんが彼氏の家族とは、まだ会いたくないって言ってた」なんて、バカ正直に伝えるわけにもいかないだろうし。
実際、そう言ったらうちの家族は残念がりつつ引いてくれそうな気もするけど、それはそれで断ったハレさんの心労が多大なものになるだろう。
「うん……大丈夫。別に緊張するってだけで、会いたくないわけじゃないんだし。優しい人たちなんでしょ? 京太郎くんを信じるよ」
「ああ、そこは保証するよ。いじめとか、そういうのは絶対しない両親だから」
正確には母さんは俺との関係を揶揄してきそうな気がするけど、そこはまあ悪意から来る行為ではないし、度が過ぎないように俺が見ていればいいだろう。
それにハレさんは「人となりが分かっていない」と言ったが、菜乃香は基本的に見たままな性格の妹だから、ハレさんとは上手くやっていけるはずだ。
「まあ難しいとは思うけど、本当に緊張しなくても大丈夫だから」
俺はそう言って、まるで長い旅路のような気分で辿り着いた自宅に、ハレさんを招き入れた。
きっとハレさんの目には、この何の変哲もない木製の玄関扉が、重厚な鉄扉にでも見えているんだろうな。
「ただいま。それと彼女を連れて――」
「ようこそ、稲瀬家へ!」
俺の声を遮って、おそらく菜乃香と母さんのものであろう声が響いた。いや、小さくだけど妙に色気のある低音ボイスも聞こえたから、おそらく父さんも母さんに言われて参加していたんだろう。
そして歓迎の三重奏と同時に、クラッカーが鳴らされた。
「ひゃいっ!?」
予想外の破裂音に、悲鳴らしき奇声を上げるハレさん。
最近、ハレさんは恋愛方面だと強キャラ感が半端ないから、こうやって驚いて変な声を上げているところを見ると、なんだか以前を思い出して安心するなあ。
「あら、驚かせ過ぎちゃったか。ごめんね?」
「大丈夫ですか? ほのかさん」
「あ……は、はい……」
家に入ったところで待ち構えていた母さんと菜乃香が、予想以上のオーバーリアクションを見せたハレさんを心配していた。よく見ると父さんも、その後ろから心配そうな顔でこちらを見ている。ソワソワし過ぎだよ、もうちょっと落ち着いて。
「あのっ、えっと……は、晴日ほのかです! 京太郎くんとは末永く……じゃなくて、恋人として付き合ってます! よ、よろしくお願いします!」
どうにか気を取り直したハレさんが、自己紹介と挨拶をする。
なんだかまた一つ外堀を埋めるような発言があった気がするけど、母さんたちは笑顔でハレさんに応えてくれた。
「あっはっは! いいのよ、末永く仲良くしてくれて。京太郎がいつも『ハレさん』って呼んでたから、私もハレちゃんって呼んでもいい?」
「あ、はい。大丈夫です」
「もちろん名字が変わったら下の名前で呼ぶから、安心してね?」
「ええ!? そ、それって稲瀬に……」
「あ、でも最近は夫婦別姓っていうのもあるんだっけ?」
「いえ、私は同姓の方が……」
待って、ハレさん。明らかに危険な方向に誘導されてるから。
でも俺も出来たら同姓がいいです。最悪、婿養子も辞さない方向で。
……そうしたら俺が「ハレくん」になるのだろうか?
「あたしは最初から、ほのかさんって呼んでますからね! 菜乃香とほのかで名前も似てますし!」
「ふふ、そうだね、菜乃香ちゃん」
「はい、ほのかさん! あ、でも先のこと考えると、今からでも『ほのか姉ちゃん』って呼んで慣れといた方がいいですかね」
「ええっ? そ、それは菜乃香ちゃんにおまかせで……」
多分、呼ばれたら嬉しいけど、自分から催促するのも恥ずかしいんだろう。
ハレさんは真っ赤な顔で、呼び方については菜乃香の判断に委ねていた。
そして最後に――。
「……いらっしゃい、晴日さん」
「あ、は、初めまして」
「今日は騒がしくて申し訳ない。ゆっくりしていくといい」
「はい、お、お邪魔します……」
まあ当たり前だけど、父さんが一番緊張するだろう。
実際に家族四人で過ごしていると、父さんが一番弱いんだけどね。
「そういえば父さん、いきなり有休なんてよく取れたね」
ふと思い付いて、ずっと気になっていたことを父さんに尋ねた。
父さんの勤めている会社は、有休をまったく取れないほどのブラックではないみたいだけど、それでもここまで直前に休んだのは初めてだった気がする。
普段、頑張っている分、意外と休みやすかったりするんだろうか。
「ああ、息子が彼女を連れて来るって言ったら、なんとかなったよ」
「へえ……ん? それって……」
「あなた、それ結婚の報告か何かだと思われてるんじゃないの?」
「ん? そうか……?」
いやいや、多分そうだよ。
父さんが会社で自分の息子のことをどのくらい話してるのか知らないけど、下手したら高校生で結婚する、やらかし長男だと思われてるんじゃないのか?
隣を見れば、ハレさんは顔を真っ赤にしていた。自分で外堀を埋めるのはいいけど、他人にされると恥ずかしいということだろうか。
「さて、立ち話もアレだし、リビングに移動しましょうか」
「あ、はい。分かりました」
こうして顔合わせの挨拶が終わり、リビングに移動したわけだが――。
「改めまして、京太郎の母です。よろしくね、ハレちゃん」
「父です」
「妹の菜乃香です!」
全員でリビングに行くと、あらかじめ母さんがお茶の用意をしてあったので、テーブルを囲んで話すことになった。
そこで改めて、稲瀬家の一同が挨拶をしたわけだが……。
「幼馴染の双葉でーす!」
なんか一人、稲瀬家じゃないのが混ざっていた。
当然ながらリビングに移動した時点で気付いていたんだけど、母さんたちが何も言わないので、俺もハレさんも呆然としてツッコむ暇がなかったのだ。
「いやいや、なんで双葉がいるんだよ。今日は呼んでないだろ」
「だって最近、なかなかキョータローとほのかと遊べないし。たまたま菜乃香と話したら、キョータローのうちで集まるっていうから、混ぜてもらっちゃった♪」
「なんで混ぜるの、母さん……」
多分、「混ぜるな危険!」って書いてあるでしょ。
「アンタも前に言ってたけど、ハレちゃん、双葉ちゃんのことは受け入れてるんでしょ?」
「は、はい、友達ですから」
「ならまあ……逆にいてくれた方が、ハレちゃんも緊張しないかなって」
「あー、まあ、それはあるかも」
双葉と先輩が別れて以来、俺と双葉はハレさんによって更生させられている最中のわけだが、そのあたりの顛末は母さんたちにも報告している。
ハレさんだけだと自宅での俺たちにまで目が届かないし、健全な幼馴染の関係になるためには家族にも指摘してもらったりする必要があると思ったのだ。
そして更生プログラムの一環として、俺と双葉は少し接触回数を減らしている。
まあハレさんとのデートを兼ねて、双葉とは一緒に帰らないとか休日も毎回一緒には過ごさないとか、そういう程度なんだけど。
急にバッサリ関係を切られるのは俺も双葉も嫌だし、ハレさんだって最終的には双葉を排除したいわけじゃないしな。
それにしても、こんな強硬策で来るとは……。
まあ確かに双葉がいれば、ハレさんもそこまで緊張しないだろうけど。
「本番の時まで呼んだりしないから、安心しなさい」
「いや本番って……」
俺が完全に外堀を埋められた時の話ですね。
「兄ちゃんってデートの時とか、どんな感じなんですか?」
「凄く優しいよ? 服とか髪型とか、ちゃんと見て褒めてくれるし」
「そーそー、キョータローって、そーいうのちゃんとやってくれるよね!」
「マジかー。あたしもそんな彼氏ほしいなあ」
ふと気付けば、女子三人で話が盛り上がっていた。
こういう様子を見ると、確かに双葉がいるのは効果あったなと思う。
そんな様子を眺めていたら、父さんが俺に向けてサムズアップしてきた。
「京太郎、しっかりやってるみたいだな」
「え? ああ、まあね。可愛いと思ったら、素直に言ってるだけだよ」
「うん、いいぞ。そういうことを当たり前に出来るのが大事なんだ」
そう言って父さんは、うんうんと頷く。
双葉との長年の付き合いの成果というのが少しアレだが、まあハレさんが喜んでくれているなら問題ないだろう。
一方、母さんは何故か難しい顔をしていた。
「うーん……また菜乃香に彼氏が出来る日が遠のいた気がする……」
「え、なんで?」
今の話の、どこにそんな要素があったんだろうか。
非常に気になったが、母さんは俺の疑問には答える気はないようだった。
俺の質問を完全にスルーして、ハレさんの方に話しかけている。
「ま、いいか。それよりハレちゃーん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「え? あ、はい、なんですか?」
「京太郎とハレちゃんって、どっちから告白したの?」
「あ、それ私も気になってた。キョータローは聞いても教えてくれないし。ほのか、どっちなの?」
「あたしも気になる! ほのかさん、教えて下さい!」
いやいや、ちょっと待ってくれ。
付き合った顛末だけは、マジで勘弁してほしい。
ていうか、双葉は何があったか大体知ってるはずだろ。
どっちが告白したかだけは、確かに言ってなかったかもしれないけど。
「京太郎、どうかしたのか?」
「い、いや……」
俺は父さんの声を聞き流しながら、ハレさんに視線を送る。
お願いだから、それだけは穏便に誤魔化してほしいという思いを込めて。
俺の視線に気付いたハレさんは、ニッコリと笑いながら深く頷いた。
どうやら俺の気持ちは伝わったらしい。流石はハレさんだ。
「えっと……京太郎くんからです」
「おー、兄ちゃんからなんだ」
ハレさんの説明は端的で、俺のやらかしたことには触れないでいてくれた。
お陰で菜乃香も、なんだか感心したような様子を見せている。
た、助かった……。
「やるじゃない、京太郎」
「ま、まあね。やっぱりこういうのは、男の方から言わないと」
なんて、気を抜いて調子に乗ったことを言ったのがマズかったのだろう。
俺のセリフを聞いたハレさんは、一瞬だけ不機嫌そうに眉をピクリと跳ね上げた後、輝くような笑顔で言い放った。
「実はその時、京太郎くんに泣かされちゃったんですけど、追いかけて来て告白してくれました♪」
「ちょ、ハレさん!?」
慌てて取り繕おうとしたが、もう遅かった。
さっきの感心した様子から一転、菜乃香は俺を冷たい目で見てくる。
母さんも呆れ顔だし、父さんはなんだか悲しそうだ。
……地味に父さんの表情が一番堪えるな。
ちなみに双葉は「あー、そーいえば」と口に出していた。忘れてたのかよ。
「兄ちゃん、最低」
「ま、待て、菜乃香! 一応、言い訳をさせてくれ……!」
「京太郎……男として、責任はしっかり取るんだぞ」
「父さんは絶対なんか勘違いしてる!」
必死に弁解しながらハレさんの方に目を向けると、俺をからかうようにウインクしながら小さく舌を出していた。いわゆるテヘペロという奴だ。ちくしょう、可愛いなあ……。
とりあえずハレさんの家族に会う時には、絶対にこの話はしないでもらおう。
俺は必死に言い訳をしながら、そう心に決めたのだった。
せっかく稲瀬家の出番が増えたので、ハレさんとの顔合わせも追加しました。
一応補足させて頂きますが、京太郎の母親が双葉を参加させたのは堅苦しい
顔合わせではないという、ハレさんへのアピールのためです。
決して双葉が家族同然だからという理由ではありません。