18.恋人のいる幼馴染との、正しい付き合い方
ヨナ先輩の寝取り宣言のインパクトは凄まじく、屋上は沈黙に包まれた。
俺とハレさんのいる位置では元から三人の声は聞こえないが、今は聞こえないのではなく誰も一言も喋っていないのだということが、雰囲気から分かる。
渡来先輩や双葉と同じく呆然としていた俺とハレさんだが、当事者ではないこともあって一足早く気を取り直したので、塔屋の裏手を出て会話の聞こえる位置まで移動することにした。
今度は塔屋の横手なので渡来先輩たちに見つかる可能性もあるが、今はヨナ先輩の発言で周囲に気を配る余裕などないだろう。
ハレさんと頷き合い、素早く移動を終えるが、気付かれた様子はない。
場所を変えたお陰で、三人の様子もより分かるようになった。
渡来先輩と双葉は後ろ……正確には斜め後ろ姿だが、驚いて立ち尽くしている。
ヨナ先輩は怒りに身を震わせ、二人を睨み付け……じゃなくて、緊張して震えているだけだろう。
睨み付けているように見えるのは、やはり緊張で力が入り過ぎているのだ。
王者の風格を持った小鹿である。
しかし、ヨナ先輩の発言が衝撃的だったのは分かるが、誰も動き出さないと埒が明かないな。
俺が気楽な傍観者ならではの、身勝手な考えを浮かべていると、膠着していた三人のうち一人に動きが見えた。
こういう、誰もが動けない時。
重苦しい雰囲気で、押し潰されそうな時。
誰よりも早く動き出すのは当然、遠慮を知らない俺の幼馴染である。
「わあー。先輩、愛されてるー!」
それは、この場にまったく似つかわしくない、太陽のような笑顔だった。
そして発言の内容も、この状況にはまったく似つかわしくなかった。
正直、ヨナ先輩が煽られていると勘違いしてもおかしくないようなセリフだが、昨日のうちにハレさんから俺たち幼馴染に関する推測を聞いた今、俺は確信を持って言える。
今の双葉に一切の悪気はないと。
そして最初から、双葉は何も嘘を吐いていないし、何も隠してはいないと。
「うわー、ちょー凄い! こんなドラマみたいな告白、初めて見ました!」
渡来先輩も、そしてヨナ先輩も、双葉の発言に唖然としている。
ヨナ先輩は昨日、俺と一緒にハレさんからこの告白についての予想を聞いたはずなのだが、事前に聞いていても驚きを隠せないほどの発言ということだろう。
かくいう俺とハレさんも、不幸な予想が現実になってしまったことと、予想していてもなお残酷過ぎる双葉の言葉の威力に、戦慄を禁じ得ない。
すみません渡来先輩。その子、俺の幼馴染なんですよ。
あと多分、それ俺のせいなんですよ。
双葉は相も変わらず穢れのない笑顔で、自らの恋人に向けて口を開いた。
「先輩がこんなに愛されてるんじゃ、私の出る幕はないですね! 残念ですけど、潔く身を引きます! 二人ともお幸せに!」
――空気が凍り付いた。
さっきまでの重苦しさも相当だったが、今はもう桁が違う。
愛する恋人から告げられた言葉に、渡来先輩は目を見開き、そして顔を歪めた。
こんな状況で「イケメンは泣き顔もイケメンなんだな」と考えてしまった俺も、大概どうかしているのかもしれない。
――この後の光景を、俺はこの先ずっと忘れないだろう。
屋上に膝を突き、俯いて涙を流す渡来先輩。
最初は静かに泣いていたが、徐々に感情が溢れて慟哭に変わっていく。
人間はこんなに悲しい声が出せるのだと、俺は知った。
その渡来先輩に寄り添い、自分も涙目になりながら背に手を当てるヨナ先輩。
そんな二人を見ながら、おろおろと困ったような顔をする双葉。
いや、何で困ってるんだよ。完全に自分でとどめ刺してただろうが。
渡来先輩は泣き続けた。
一目惚れをして、一世一代の告白をして、それに応えて恋人になってくれたはずの少女が、自分のことを好きでも何でもないという、残酷な事実に気付いてしまったのだ。
この地獄のような光景を見て、俺はどんな顔をすればいいのか分からなかった。
隣を見ると、ハレさんも何を言えばいいのか分からず、表情を失っている。
――こうして、渡来先輩の恋は終わりを告げた。
「いや、本当に……ひどい光景だった」
「まあ、そうなんだけど。半分くらいは、京太郎くんのせいだからね?」
この世の悲しみと絶望を煮詰めたような先輩の姿を見て、しばらく身動きが取れなかった俺たちだが、やはり当事者たちよりは早く立ち直り、双葉だけを回収して屋上を去って行った。
渡来先輩は泣き続けていたので、俺たちの存在に気付いていなかっただろうが、ヨナ先輩は明らかにこちらを見ていたので、あとは二人でごゆっくりの意図を込めて頷いておいた。
ヨナ先輩も頷き返してきたので、おそらく伝わっているだろう。
今は双葉も含めた三人で、行きつけのコーヒーショップに来ている。
流石に大の男にあそこまで泣かれれば、自分の行動がまずかったことに気付いたらしく、双葉も大人しくなっていた。
「本当、すいませんでした」
「謝るのは、私にじゃないと思うなあ」
「いや、先輩に俺から謝るのも、ちょっとどうかと」
あれだけ悲しんだわけだし、蒸し返すのは酷ではないだろうか。
「まあ、ヨナ先輩がいるから、フォローは大丈夫だと思うよ?」
俺が及び腰な発言をすると、ハレさんは苦笑をしつつ答えた。
「双葉ちゃんが自分を好きじゃないって分かって、凄く悲しんでたけど。ちゃんと自分を好きな人も傍にいるって分かったら、きっと救われると思う」
「うー……」
微妙どころではない棘があるハレさんの言葉に、双葉が呻き声を上げた。
以前は双葉がハレさんを振り回すのが大半だった二人の関係だが、俺と付き合うことになったせいかハレさんから双葉への気後れのようなものがなくっている。
「分かってると思うけど、双葉ちゃんが一番悪いんだからね?」
「う、だってさー、先輩が私のこと好きなら、キョータローみたいにちょー大事にしてくれるかなって」
「それなら双葉ちゃんも、先輩のこと超大事にしないと」
「ううー……」
ハレさんからのド正論を受けて、双葉が再び呻き声を上げ始める。
このズレっぷりが俺のせいだと思うと、流石に罪悪感があるな……。
――ハレさん曰く。俺は溺愛気質で、双葉は甘え気質らしい。
俺の方は実感が薄いのだが、どうも入れ込んだ相手に対して、良くも悪くも甘く接してしまう性質だと言われた。
そう言われると、たしかに双葉に対してはいろいろと対応が甘かった気もする。
だから俺には双葉を突き放せないと、昨日のハレさんは俺を責めていたのだ。
そして双葉の甘え気質は、読んで字のごとくだ。
無自覚のうちに自分を甘やかしてくれる相手を嗅ぎ分け、とことん寄っていく。
素の態度も周囲に可愛がられやすい、一種の才能のようなものでもある。
俺たちの場合は、個々の性質よりも互いの相性が良過ぎた方が問題だったようだ。
俺にとって双葉は、遠慮なく甘えてくれて自分の保護欲を満たしてくれる存在であり、そして双葉にとっての俺は、幼馴染というだけの関係でとことん甘やかしてくれる存在である。
あまりにも条件が合致しているので、互いに離れ難かったということだ。
「ほんとはこれ言いたくないんだけど、双葉ちゃんは京太郎くんより好きな人なんていないでしょ?」
「だって、キョータローは恋人じゃなくても、ちょー優しいから。キョータローと彼氏がいたら、二人で同じくらい優しくしてくれるかなって」
そう、これが双葉が先輩と付き合い、今回の悲劇を生みだした動機である。
要するに、俺は恋人じゃなくても双葉を大事にするから、敢えて恋人として付き合う必要がない。
だから自分に告白してきた先輩と付き合って、自分を甘やかしてくれる二人目の人間になってもらおうと思ったのだ。
「先輩、理想の恋人だって人気だったから、年上だし大丈夫かなーって」
「年上って言ってもひとつだけだし、家族でもないのに何も頑張らなくても甘やかしてくれる変な人なんて、普通はいないんだからね?」
「……はい、すいません。反省してます」
双葉に言い聞かせている体の発言だったが、どう聞いても俺を責めていたので、潔く反省の意を示しておく。
実際、双葉がここまでやらかしたのは、俺の影響が大きいらしい。
長年の幼馴染関係の結果、双葉は俺に甘えるのに慣れきってしまっているので、同年代の男性に対してのデリカシーが著しく欠如している。
気を遣わなくても俺が受け入れるので、似た相手にも同様にしがちなのだ。
これまで特に問題がなかったのは、双葉が俺との関係だけで常に満足していて、他の同年代の男性との接触が少なかったためだと思われる。
しかし、先輩は自分から双葉を大事にすると言ってきたので、双葉の方も本人がそう言うなら大事にしてもらおうと思ってしまった、とのことだ。
「んー、やっぱキョータローじゃないとダメかー」
「ほんとはダメだったね。まあ、お陰で私が付き合えたんだけど」
結局、渡来先輩には多大な迷惑をかけてしまったが、俺がハレさんと付き合えたのは大きい。
厳密には俺と双葉は恋人関係を求めていなかったので、双葉と先輩の交際がなくてもハレさんと恋人になることは可能だったのだが、デートの一件を踏まえてもハレさんの方が双葉に気後れしていたのは明らかなので、成立するのは難しかっただろう。
双葉に彼氏がいるという大義名分があってこそ、ハレさんも堂々と動けたのだ。
「ヨナ先輩も、結果的には恋が叶いそうでよかった、かなあ」
ハレさんが苦笑しながら言う。
まあ、大失恋した渡来先輩と、それを健気に支えるヨナ先輩だからな。
これを機に結ばれて渡来先輩をフォローしてもらえると、俺も気が楽になる。
ハレさんがヨナ先輩に告白させたのは、双葉の本心を察していたので、渡来先輩を失恋させて解放してあげようとしたのが理由だが、自分も同じように双葉に気後れして、恋を諦めかけていたからでもある。
あの状況ならヨナ先輩にも勝ち筋があったので、背中を押したということだ。
今度はきっと上手く行くだろうと、ハレさんは言っていた。
「ってことは! キョータローと私が付き合えば、オッケー!?」
そして、俺たちの性格的なこと以外に、残った問題がひとつ。
「双葉ちゃーん?」
「……はーい」
自分の問題と、俺以外とでは恋人関係が上手く行かない可能性が高いことを自覚した双葉が、俺と付き合いたいと言い出すことだ。
今までは俺と幼馴染で、他に恋人を作るという選択肢が双葉にはあったが、今回の件でそれは難しいと理解してしまった。
「京太郎くんは、私のだから。幼馴染から先はダメだからね?」
「うえー……」
当然ながら俺との交際をばっさり却下されて、ぶーたれる双葉。
実に嫌そうだが、幼馴染を許容されただけでも十分だと、理解してほしい。
「とりあえず、これからは私が京太郎くんと双葉ちゃんを更生させます」
俺たち二人を見て、きっぱりと断言するハレさん。
恋人である俺だけでなく、双葉まで対象に入っているのは、友人としての双葉を大切に思っているので、遠ざけたくないからだろう。
本当なら、自分と付き合いたいなら双葉と距離を取れ、と言われても仕方がないのだが、敢えて受け入れて自分で更生させるという道を選んでくれた。
「ごめんね、ほのか。迷惑かけちゃって。本当にありがとう」
特別な謝罪と感謝という意味を込めて、ほのかに伝える。
今となっては双葉だけでなく、ほのかも愛すべき対象なのだ。
「また、そうやって名前で呼ぶ……。言っておくけど、私だって京太郎くんに優しくされるの好きなんだからね? 多分、もう離れられないから」
俺の言葉に、ほのかは頬を赤らめながら返す。
本当にこんな可愛い彼女がいてくれて、俺は幸せだ。
彼女のためなら、俺は……って、あれ? もしかして、この思考がまずいのか?
まあ、愛していることは間違いないので、とりあえずはいいだろう。
「えー? 恋人のキョータローってそんな感じなの? ちょー優しいじゃん!」
双葉が何だか悔しそうに言ってくる。
これ以上、話をややこしくするのは止めていただけないだろうか。
「ダメです、恋人は私です。キスするのも、それ以上もダメです」
「キスくらい、いーじゃん! 初めてじゃないんだし」
「いや、ダメだろ」
我儘を言う双葉を、ハレさんと一緒に宥める。
これからも俺は、こうして双葉を突き放せるようにならないといけないんだろう。
本当なら完全に距離を置くべきだったところを、ハレさんが幼馴染という関係なら許容してくれているんだから、まだマシな方だ。
俺だけだと、いずれまた双葉を甘やかしてしまうかもしれないが、ハレさんが隣にいてくれるのなら大丈夫だろう。
俺はハレさんと、これからも特別な関係を続けていきたい。
今はハレさんが優しいから双葉を受け入れてくれるけど、いずれは健全な幼馴染として、ハレさんの優しさを前提としない関係になる必要がある。
それに双葉にだって、いつか本当の意味で好きになれる彼氏が出来るかもしれない。
その時にまた間違えないよう、俺たちは学んでいかなければならない。
恋人のいる幼馴染との、正しい付き合い方というやつを。
これにて本編終了となります。
リメイク前からそうですが、本作のストーリーは
「健気な天使が、悪魔とその眷属を更生させようと決意する物語」
「邪悪な魔女に魅入られた王子または姫を、勇者が真実の愛で救い出す物語」
こんなテーマです。多分、一応。
この後は番外編も残っていますので、是非ともよろしくお願いします。
番外編も全3話→5話に増える予定です。




