16.ヨナ先輩は、初恋を叶えたい
理性を削られつつもハレさんとの仲を深めたデートの後、彼女を自宅に送り届ける途中で俺たちに声をかけてきたのは、見慣れない女性だった。
「稲瀬は俺ですけど……。どちらさまですか?」
とりあえずハレさんには後ろに下がってもらい、その女性に声をかける。
女性にしては結構長身で、男子高校生の平均より少し身長が高いくらいの俺と比べて、多少は向こうの方が小さいというくらいだろう。
顔立ちは美人な方だが、かなり気が強そうなので、俺はハレさんの方が好みだ。
赤みがかった髪をポニーテールに纏めていて、その長身や顔立ちから、全体的に苛烈な印象を受ける。
制服はハレさんと同じだが、胸元のリボンの色が違う。
この色は、俺たちの一つ上の三年生だ。
「私は米峰 霜子っていうの。よろしくね」
「はあ、どうも」
米峰さんというらしい女性が、挨拶を返してくる。
思ったよりは普通の反応だが、何せ双葉と先輩について話をしたいと言ってくるような人なので、どうも好意的に接していいものやら、判断に迷う。
俺が対応を考えていると、米峰さんはハレさんの方に目を向けた。
「そっちの子は、アンタの彼女?」
「あ、はい。晴日ほのかです……」
米峰さんの言葉を受けて、俺ではなくハレさんが答えた。
「そう。よろしくね」
「はい、えっと、よろしくお願いします」
ハレさん相手にも、しっかり応対してくる米峰さん。
最初に声をかけてきた時は妙な圧があるように思ったが、やはり俺たちに対して直接敵意を持っているとか、そういうわけでもないらしい。
「ふーん。何か、それっぽい感じになってるとは思ってたんだけど、ほんとに彼女できてたんだ」
「ん? どういう意味ですか? 米峰さん」
米峰さんは何やら納得したように言うが、いまひとつ意図が分からない。
「いえ、別に。アンタに彼女もできて、それでどうしてあの子がああなのかって、思っただけ」
俺の質問に、素っ気なく答える米峰さん。
どうにも中途半端な表現が多くて分かりづらいが、彼女の雰囲気からこれは俺に分からせようとして言っているのではないと読み取れる。
とはいえ、言葉の端々にある情報から、何となくは予想ができてきた。
「もしかして、先輩の友人とかですか?」
「……私も先輩なんだけど」
米峰さんに質問をするが、何故か目を細めた不機嫌そうな表情で返される。
いやいや、米峰さんは自分が三年生だって名乗ってないだろうが。
なかなか身勝手なことを言う人である。
「失礼しました。えーっと、イケメ、ん? あれ、違うな」
やば、双葉の彼氏の名前、全然覚えてなかった。
時間をかければ思い出せそうな気がするのだが、こういう咄嗟の話だと……。
「京太郎くん。渡来先輩だよ」
「それだ。ありがとう、ハレさん。――渡来先輩の友人ですか?」
「ええ……?」
ハレさんのお陰で名前が分かったので話を続けようとしたが、無理だった。
まあ、結構小声で教えてくれたけど、目の前にいる米峰さんには聞こえるか。
「それで、渡来くんと荒屋敷さんのことなんだけど」
米峰さんから「立ち話もアレだから」と言われ、近くのファミレスに移動した。
話に付き合う代わりにドリンクバーくらいなら奢ってくれるということなので、ありがたくご馳走になっておく。
三人とも飲み物を用意したところで、米峰さんが本題に入った。
ここに移動するまでにも話はしていたのだが、要するに米峰さんはイケ……渡来先輩の友人で、先輩が部長を務めるバスケ部のマネージャーもやっているらしい。
その話を聞いた辺りで気になったので確認したのだが、双葉が先輩とデートしている最中に会った美人の友人というのが、まさしく米峰さんだったようだ。
「晴日さんの前で、こんなこと聞くのもどうかと思うんだけど……。アンタと幼馴染って、お互いに浮気してたりするの?」
「いや、違いますよ。何言ってるんですか……」
ハレさんに配慮するような素振りを見せながら、結局は一切の遠慮なくとんでもないことを言ってくる米峰さんに、つい呆れたような口調で返してしまった。
俺としては心外甚だしいのだが、さっきまでのデートでの一件もあって、ハレさんが今の米峰さんの発言で気分を損ねていないかと隣を見ると、何故だか苦笑顔になっている。
「やっぱり、普通はそうやって見えますよねー」
「え? ちょ、ハレさん?」
いやいや、さっき俺と抱き合って、凄くいい感じだったじゃないですか。
表情もアレだが、ハレさんが米峰さんの言葉を肯定しているのが非常にまずい。
俺は焦って否定しようとするが、ハレさんは頭を振って言葉を続けた。
「私はちゃんと分かってるんだけどね? 周りからはそう見えるってこと」
「まあ、それは、そうかもしれないけど」
今まで、知り合いに双葉と付き合っていると誤解されることは珍しくなかった。
別にその都度ちゃんと否定すれば問題なかったので、深く考えていなかったが。
双葉が先輩と付き合い始めた時も、そういう勘違いから修羅場になることを警戒していた時期もあったけど、その後すぐにハレさんとのことがあったし、そのハレさんが理解を示してくれているので、すっかり問題視しないようになっていた。
「その口振りだと、ほんとにただの幼馴染なんだ?」
「そうなんですよ。困ったことに、ただの幼馴染なんです。ね? 京太郎くん」
「……はい、そうです」
おそらく米峰さんは俺に尋ねたのだろうが、何故かハレさんが答える。
しかも「困ったことに」って何? ちょっとハレさんが怖いんだけど。
「えっと、要するに、米峰さんは双葉が渡来先輩と付き合ってるのに、俺と同時進行で浮気してるんじゃないかと疑っていると?」
「まあ、そうだね。そう思ってた」
米峰さんが俺の言葉を肯定するが、こちらとしては大変心外である。
「そんな、お互いに恋人がいるのに、堂々と幼馴染とも付き合うなんて。そんなの、ただのどうしようもない奴じゃないですか」
「京太郎くん」
「……はい、すいません」
俺はそんなどうしようもない人間ではないと主張したかったのだが、そんな人間だと思われかねない行動を取っていたのはお前だと言わんばかりの声が横からかかったので、つい謝罪の言葉を口にしてしまった。
キスの件もあって、こういう話になると、どうしてもハレさんには敵わない。
「それにしても、米峰さんはその真相を確かめるために、わざわざ俺に声をかけてきたんですね」
微妙に話を逸らす意図も含みつつ、米峰さんに話題を振る。
現状、彼氏である渡来先輩が何も言ってきていないのに、友人である米峰さんが下級生とはいえ、よく知らない男に声をかけようとするものだろうか。
……なんて、そんなことは聞かなくても想像できているのだが。
「ま、まあ渡来くんとは、一年の頃からの付き合いだから。顔はいいのに気が弱いとこもあるし、変なのに捕まってたら可哀想だなって……」
あくまで友人として心配していると主張する米峰さんだが、しどろもどろになっているので本心がまったく隠せていない。
でも、すいません。今まさに、渡来先輩は変なのに捕まって、可哀想なことになってるんですよ。
俺が幼馴染の粗相を心中で詫びていると、横で紅茶を飲んでいたハレさんが、隣の俺に聞こえるか分からないくらいの声で「なるほど」と呟き、ティーカップを置いた。
「米峰先輩は、渡来先輩のことが好きなんですね」
「……え?」
あまりにも真正面から突き付けられた言葉に、米峰さんは呆けた顔になる。
かくいう俺も、その可能性が高いことは分かっていたが敢えて言及する必要はないと思っていたので、ハレさんがはっきり口にしたのが意外だった。
「ち、ちが……。別に私は、渡来くんのことなんて……」
さっき以上に動揺して、言い訳を探しながら視線を彷徨わせる米峰さん。
顔はすでに紅潮していて、赤っぽい髪と似たような色合いになっている。
真っ赤っか少女である。
外見から気の強そうな人だと思っていたが、意外に表情豊かで可愛げがあるな。
「それで、ヨナ先輩は――」
「ヨナ先輩って何なの!?」
可愛らしい先輩に親しみを覚えたので、もうちょっと砕けた呼び方にしてみようと思ったのだが、あまりお気に召さなかったらしい。
「京太郎くん、そういう愛称好きだねー」
一方でハレさんは、そんな俺を見て仕方がないとばかりに苦笑していた。
米峰さんことヨナ先輩から事情を聞き出すと、やはり彼女は渡来先輩のことが好きで、彼のために真相を確かめようと思ったらしい。
ちなみに「ヨナ先輩」という愛称は、今では本人の了承済みだ。
渡来先輩への気持ちが俺たちにバレてしまったのが恥ずかしくて、あたふたとしているうちに何度か呼んでいたら、割とどうでもよくなったらしい。
俺が言うのも何だが、年上でこの苛烈そうな見た目なのに、どうにもチョロくて心配になる。
「別に、渡来くんが幸せなら、それでいいと思ってたんだけど……」
ヨナ先輩によると、彼女が渡来先輩に好意を持ったのは一年生の頃で、普段の大人しい姿と部活中の真剣な姿のギャップに惹かれて、初めての恋をしたらしい。
バスケ部のマネージャーになったのは惚れる前で偶然だったものの、好きになってからは渡来先輩の姿を目で追い続け、それなりに親しくなっていった。
それでも思いを告げる勇気が持てずにいたところ、三年生になった渡来先輩が双葉に一目惚れして、さらに初手告白からの交際で、一気に失恋してしまった。
失恋を嘆くヨナ先輩だが、他ならぬ渡来先輩の方から双葉を好きになって告白したのでは、最早どうしようもない。
三年目の付き合いになるヨナ先輩よりも、一瞬見かけただけの双葉に心を奪われてしまったのだから、それほど印象的だったのだろう。
そう思って、片思いの相手を祝福するつもりだったが……。
「たまたま、アンタとあの子が一緒に登校してるのを見たんだよね」
いい加減に落ち着いたのか、静かにホットココアを飲みながら、彼女は言う。
俺と双葉は校内で目立つというほどでもないが、男女で俺たちくらいの距離感で仲がいいのは珍しいので、少なくともクラス内ではそこそこ目立つ。
だから俺と双葉の関係はクラスメイトに誤解されがちだし、それをただの幼馴染だと毎回否定しているので、結果的に同学年では俺たちの関係を知っている人間は結構多い。
ヨナ先輩も部活の後輩に確認して、双葉の幼馴染である俺の情報はすぐに手に入ったらしい。
「みんな、アンタたちは仲いいだけで、ただの幼馴染だって言ってたんだけどね。彼氏がいるのにあんなベタベタするのもよく分かんないし、アンタの方にも彼女ができたみたいだったから、いよいよ確かめないといけないと思って」
「よく分かんないって。京太郎くん」
「ほんと勘弁して下さい。ハレさん」
ヨナ先輩の語りに便乗して、ハレさんがここぞとばかりに俺を責めてくる。
多分、本気で怒っているわけではないが、いろいろと溜まっていたのだろう。
「結局、アンタたちの関係は、幼馴染で間違いないみたいだけど」
「そうですね」
「でも、あの子の行動はあんまり良くないんじゃないの?」
「あー……」
双葉と俺の浮気疑惑は晴れたが、そもそも彼氏がいるのに異性の幼馴染と変わらず友達付き合いをしようとする、双葉の行動に問題がある。
だから、それをどうにかするべきなのではないかと、ヨナ先輩は言っていた。
「いや、でも双葉は俺が言っても聞きませんよ。言っても寄って来るんですよ」
「だから、それをどうにか距離取るべきでしょ? アンタの方から」
「う……」
正論を突き付けられて、つい黙り込んでしまう。
双葉が先輩に対して配慮が足りないのは分かっているし、告白したわけではないとはいえ身を引こうとしたヨナ先輩が、それに対して不満を持つのは理解できる。
それでも俺は、ヨナ先輩の言葉にはっきり頷くことができなかった。
「無理ですよ」
「え?」
俺がヨナ先輩の追及に狼狽えていると、ハレさんから声がかかる。
らしくない重さと真剣みを帯びた声色に、思わず疑問の声を上げてしまった。
「京太郎くんに、それは無理です」
「……どうして?」
俺には無理、という言葉を繰り返すハレさんに、ヨナ先輩が訝しげに問う。
おそらく、この状況でも彼氏をかばうつもりなのか、と思っているのだろう。
「ヨナせ……失礼しました」
「……いや、いいよ、ヨナ先輩で」
わざと言い間違えたわけではないだろうが、しれっと愛称の許可を貰う。
ハレさんがどうとか言うより、ヨナ先輩に隙が多過ぎるな。
「すみません。えっと、ヨナ先輩は京太郎くんに、双葉ちゃんと強引に距離を取ってでも、行動を正させたいんだと思いますけど、京太郎くんにそれはできません。できないからこそ、今こうなってるんです」
「できないからこそ?」
ヨナ先輩がハレさんに聞き返すが、俺も口にしないだけで同じ心境だった。
ハレさんは、何かは分からないが確かな予想をもとに話している。
俺をヨナ先輩の追及から庇いたいのではなく、むしろハレさん自身が俺を責めるために、俺にはできないと言っているのだ。
「ヨナ先輩が本当に望んでるのは、京太郎くんに双葉ちゃんをどうにかしてもらうことじゃないはずです」
「え? まあ、それはそうだけど」
「それなら、もっといい方法があります」
ハレさんは目を閉じ、ひとつ息を吐いた後、再びヨナ先輩の顔を見つめた。
その表情は真剣そのものだが、どこか懐かしいものを見ているような優しい表情が、騙し絵のように重なっている。そんな風に俺の目には映った。
「ヨナ先輩が、渡来先輩に告白して下さい」
ラスト一話以外は追加なしの予定でしたが、
ビビっときたので最終話の前に本編もう一話
追加します。
番外編も一話追加する予定です。




