14.恋人としての初デートは、きちんとした格好で
家デートという魔性の遊びを堪能した数日後、俺は自室で大いに苦悩していた。
何故かと言えば、明日のハレさんとのデートに来ていく服が決まらないのだ。
つい先日、家デートの記憶も新しい中で、ハレさんからデートの誘いがあった。
『週末は、ちゃんとしたデートもしようね?』
言われた時はハレさんの魔性ぶりに惑わされていたものの、翌日学校で会った時にはどうにか落ち着いて……ごめん、嘘です。めちゃくちゃ緊張してました。
まあ、とにかくハレさんとじっくり週末について話し合って、日曜に日取りを決めたまでは良かったんだが……。
直前の土曜になって、こうして服装で悩み始めてしまったというわけだ。
今まで散々、双葉と遊びに行っていたので、こういうのは慣れているつもりだった。それにハレさんと出かけるのだって初めてではないし、何なら変に意識しなくていいので付き合う前のデートより気楽かな、なんて思っていたくらいだ。
だがそんなものは驕りでしかなかったと、今更になって気付いてしまった。
カップルとは互いに好きになって、付き合って終わりではない。
付き合った後、その好意を維持・向上させていくことが大切なのだ。
俺もハレさんが初の彼女なので説得力はないかもしれないが、それでも彼女からもっと好かれたいと思うこの気持ちは、誰だって持っているのではないだろうか。
まあ、どこぞのカップルは、ちょっと怪しい気もするけど……。
「そんなわけで悩んでるんだけど、どう思う? 菜乃香」
「……それ中一の妹に聞いちゃうんだ」
色々と悩んだ挙句、俺は可愛い妹に意見を求めることにした。
候補として選んだ服を数点持ってリビングに顔を出すと、菜乃香がソファで寝そべっていたので、一通りの理由を説明して現在に至る。
ちなみに今日の菜乃香は、いつものようにだらしない格好をしていない。ちゃんとやれるのなら、いつもそうしてくれたら注意しなくても済むんだが。
「そういうのは、姉ちゃんに聞いた方がいいんじゃないの?」
「いや、そういうわけにもいかないだろ。何か微妙じゃないか、それ?」
「へえー、アンタにもそういう感覚あったんだ」
双葉に聞けという菜乃香の意見を否定すると、何故か母さんから揶揄するような口調で言われた。というか、気のせいでなければ俺はディスられていると思う。
「そりゃそうでしょ……。双葉に選んでもらった服なんて言ったら、ハレさんもいい顔しないだろうし。仮に選んでもらっても、言ったりはしないけどさ」
「ハレさん……っていうのが、アンタの彼女なの?」
「そうだよ。晴日ほのかさん。機会があったら、母さんにも紹介するよ」
俺がそう言うと、母さんは少し驚いた表情になった。え、何その顔?
「はあー。京太郎が本当に、双葉ちゃん以外の子と付き合うなんてねえ……」
「可愛い人だったよ、ほのかさん! 姉ちゃんとは結構違うタイプかも」
「菜乃香は会ったんだっけ? じゃあ京太郎の妄想でもないのか……」
「ちょっと待って。俺は妄想の彼女と付き合ってると思われてたの?」
散々な言われ様だった。
息子に可愛い彼女が出来たんだから、もう少し普通に喜んでもいいだろうに。
「疑ってたわけじゃないんだけど、やっぱり双葉ちゃんのイメージが強いし」
「その双葉には、ちゃんと彼氏がいるんだってば」
「そうなんだよねえ……。ほんと不思議」
どうも母さんは、いまだに双葉に彼氏が出来たことに納得していないようだ。
気持ちは分からないでもないけど、実際にいるんだから仕方がない。
「それより服だよ、服。ここまで絞ったんだけど、どれがいいかな……?」
気を取り直して、明日のための服を決めることにする。
俺は至って真面目に相談しているのだが、何故か菜乃香と母さんには呆れた顔をされた。
「アンタ、双葉ちゃんと出かける時には、そんなに悩んでなかったじゃないの。同じような格好で大丈夫でしょ」
「いや、双葉は幼馴染だから、恋人のハレさんとは違うだろ……」
「んー、でもほのかさんを悪く言うわけじゃないけど、どっちかって言うと姉ちゃんの方が世間一般的には美人じゃない? だから姉ちゃんと一緒にいて問題ない格好なら、大丈夫だと思うけど」
母さんだけでなく、菜乃香にまで「双葉の時と同じでいいだろ」という意見を出されてしまった。
菜乃香の批評については彼氏として直接口には出さないが、街頭アンケートでも取ったらおそらく七対三くらいで双葉が美人と言われると思う。俺にとっては当然ハレさんが十割だが。
そういう意味では、双葉と一緒にいて問題ない格好なら、ハレさん相手でも問題ないという菜乃香の意見はもっともだ。
しかし重要なのは双葉が幼馴染で、ハレさんが彼女という点である。
「『問題ない』じゃダメなんだよ。双葉が相手ならそれでもいいけど、俺はハレさんと『お似合い』だって周りに見られたいんだ」
それが幼馴染と恋人の違いだ。
双葉と一緒の時なら向こうが恥ずかしくない程度で十分だけど、ハレさんと一緒なら彼氏として相応しい男でいたい。
「へえー、いいこと言うじゃないの、アンタ」
「あたしもそんなこと言ってくれる彼氏ほしいなあ……」
俺の宣言を聞いて、母さんは感心したように頷いた。
菜乃香の方は何やら羨ましそうな顔で、聞き捨てならないことを呟いている。
「菜乃香には、まだ彼氏とか早いと思う」
「それに多分そういうこと言ってるうちは、彼氏は出来ないわね」
「何で!?」
母さんの言い分はよく分からないが、菜乃香に彼氏なんてまだ早いだろう。
しっかり者とはいえ、まだ中学一年生なんだから。
というか……。
「脱線し過ぎだってば。早く明日の服決めないと」
俺が催促すると、菜乃香は面倒そうな顔をしながらも、ちゃんと答えてくれる。
「ええー。もう普通に綺麗めの服でいいんじゃない? きっちりした格好してれば、兄ちゃんは普通にかっこい――ぃあーっ!? わ、悪くないし!」
「お、おう……」
明らかに途中まで違うことを言っていた菜乃香だが、慌てて言い換えていた。
何だか凄く褒められた気がして、めちゃくちゃ嬉しい。
顔を真っ赤にしている菜乃香は可愛いけど、突っつくと怒りそうなので止めておこう。母さんもほら、ニヤニヤしてないで。
「京太郎」
妹の可愛さを堪能していると、不意に渋い声が耳に入った。
振り向けばダイニングの椅子に、これまた渋い容姿のナイスミドルがグラス片手に腰かけていた。
「と、父さん、いたんだ……」
「ああ……たまには家族の顔が見たくて、早く帰ってきた」
そう、この妙にダンディな中年こそが、俺の父親である。
いつもは俺や菜乃香が寝てから帰ってきて、起きる前に家を出るという模範的な社畜生活なのだが、今日は珍しく早めに帰ってこれたらしい。
くたびれた姿には謎の色気があるが、仕事の疲れだと思うと凄く切なくなる。
父さんはグラスの中身を見つめたまま、低音ボイスで俺に言った。
「京太郎。女の子とのデートで気負うのは分かるが、無理をしてはダメだ。いつも無理が出来るわけ――」
「ねえ、お父さーん。見てないなら、チャンネル変えていいー?」
「……菜乃香。お父さん今、久々に話した息子に格好つけてるところだから」
……うん、大丈夫。途中までは格好よかったから。
父さんがOKを出すと、すぐに菜乃香がテレビのチャンネルを変え始めた。特に見たいものがあるわけではなく、今の番組がつまらなかっただけのようだ。
そんな娘の姿を切なそうな目でしばらく見つめていた父さんは、咳払いをひとつして再び俺に向けて口を開く。
ちなみに母さんは夫の姿がツボに入ったのか、どう見ても笑いを堪えていた。
「んんっ……。京太郎、女の子とのデートで気負うのは分かるが、無理をしてはダメだ」
あ、最初からやり直すんだ。
「いつも無理が出来るわけじゃないんだから、下手に無理をするとかえって後で幻滅されることになる。無理をせず自然体で、かつ少しだけ格好つけるんだ」
「自然体で、少しだけ……」
父さんの言葉を、口の中で繰り返す。
発言までの流れはアレだったが、確かに含蓄のある言葉だと思う。
長く付き合う相手であるほど、格好つけた姿ばかりみせるわけにもいかない。
俺だってハレさんとの付き合いを一時のもので終わらせたくないから、そういう長期的な視点は重要だろう。
「ありがとう、父さん。参考になったよ」
俺が素直にお礼を言うと、父さんはニヒルな笑顔で頷いた。
「ああ。だがまあ、双葉ちゃんならお前の素の部分を、全部受け入れてくれるだろうがな」
……ん? 双葉?
「あの、父さん。俺の彼女って、双葉じゃないんだけど……」
「……え?」
一瞬前までのいぶし銀な雰囲気は、どこに行ってしまったのか。
父さんは目を丸くして、バッと俺の方に顔を向けてきた。
そんな父さんに、母さんが呆れた風に声をかける。
「あなた、さっきから何聞いてたの。京太郎の彼女は、双葉ちゃんじゃないわよ」
「そ、そうなのかい?」
「双葉ちゃんは、他に彼氏がいるし」
「ええ!?」
いや、本当にさっきから何を聞いていたんだ、父さんは。
俺がそう思っていると、父さんはバツが悪そうな顔でポツポツと呟いた。
「いや……京太郎が悩んでるみたいだったから、上手くアドバイスしないとって思って、色々考えてて……」
「それで肝心の話を聞いてなかったら、意味ないでしょうに」
母さんにそう言われて、父さんはシュンとした様子で黙り込んでしまった。
ま、まあ最後はアレだったけど、アドバイス自体は有益だったよ、父さん!
俺は父さんの言葉を参考に服を決めるため、リビングを出て自室へ戻る。
と、その前に……。
「菜乃香」
「何? 兄ちゃん」
一言だけ言っておきたいことがあったので、テレビに夢中だった菜乃香に声をかけた。
「もし彼氏が出来たら、一回連れて来るんだぞ」
「そうだな、そうしてくれ。大丈夫、父さん、面接は得意だから」
俺に便乗して、父さんまでそんなことを言う。
それを聞いた菜乃香は、苦い顔をして叫んだ。
「絶対嫌だし!」
いよいよ堪え切れなくなった母さんが、ケラケラと声を上げて笑い出す。
稲瀬家の久々の家族団欒は、実に平和だった。
感想欄で「菜乃香の出番も増やしてほしい」というご意見があったので、
デート前に稲瀬家の家族団欒を追加しました。
ハレさんとのSHTを期待された方は、お持たせしてしまって
申し訳ありません。




