13.俺に彼女ができたので、幼馴染が素直に祝福する
ハレさんと胸が熱くなる昼休みを過ごした後、二人で並び歩いて自分たちのクラスへ向かった。
途中、ハレさんの視線が不自然な方向を向いているのに気付いて片手を差し出すと、花が咲くような笑顔を浮かべてその手を握ってくれた。
時間的には、普通に歩いていると昼休みが終わるまでに教室へ戻れるかどうか、ぎりぎりといったところだろう。
それでも俺たちは、足を速めようとはせず、焦らすような速さで進んで行った。
教室に戻ると、双葉がどこか剣呑な雰囲気を含んだ視線を向けてくる。
俺たちの手は到着前に離していたので、双葉以外のクラスメイトは時間ぎりぎりに戻った二人に視線を送ってくることはあっても、ほんの一瞬ですぐに興味を失ったようだが、双葉だけは事情を知っているのでそうもいかない。
既に次の時間の担当教師も教壇に控えていて、のんびりと会話をする空気ではなかったので、俺はとりあえずハレさんとの間に問題がなかったことを伝えるため、双葉の方を向いて腰の辺りで小さく親指を立てた。
それを見て大体を理解したらしく、双葉は一転して笑顔を浮かべたのだった。
「それで、どーなったの? キョータロー、ほのか」
午後の最初の授業が終わり休憩時間になると、すぐさま双葉が俺たちの席に近付いてきて、昼休みの詳細を聞き出そうとしてきた。
「まー、キョータローの様子だと、上手く行ったっぽいけど」
「……あれで分かるんだ。凄いね、双葉ちゃん」
予想はできるとばかりに言う双葉に、ハレさんが感心したような声を漏らす。
俺が指を立てたサインについて言っているのだろうが、そこは幼馴染の年季というものがあるので、ハレさんもこれから段々と慣れていってもらえばいいだろう。
とりあえず隠し立てする必要はないので、要点から伝えることにする。
「双葉。俺、ハレさんと付き合うことになった」
「え? あ、うん。そうなの、双葉ちゃん」
俺がいきなり切り出すとは思わなかったのか、動揺を見せるハレさんだったが、すぐに気を取り直して俺の言葉を肯定する。
俺たちの言葉を聞いた双葉は一瞬目を見開くが、すぐに稚気に富んだ笑みを浮かべて口を開いた。
「へー、やっぱそーなんだ。よかったじゃん、二人とも」
「おう、ありがとう」
俺たちのことを素直に祝福してくれる双葉に、俺は感謝の言葉を返した。
まるでいつかの再現のようだ。
まあ、あの時は俺に恋人はいなかったから心情もいろいろと違うし、今の俺たちのように双葉の横に彼氏がいるということもなかったのだが。
「……ありがとう」
一方、ハレさんは双葉の反応が予想外だったのか、一息遅れて礼を返す。
俺からすれば、双葉の態度は向こうに彼氏ができた時の俺の焼き直しみたいなものだが、そのシーンを具体的に見ていないハレさんにとっては、こうもすんなり祝福されるとは思っていなかったのだろう。
どうにも、いまだに俺と双葉の関係を恋人未満のように思っている節がある。
分からないではないとはいえ、それは本当に違うので変に気にし過ぎて俺との関係まで拗れないよう、注意しておく必要があるかもしれない。
あと双葉の彼氏である先輩の方も。あっちは俺はノータッチだが。
「そーいえば、キョータロー。今日の帰りはどうするの?」
いろいろ気を付けないと、などと考えていると、双葉から質問が飛んできた。
どうやら俺とハレさんが交際を始めたので、多少は気を遣っているようだ。
この気遣いが、どうして彼氏である先輩には向かないのか、不思議なものだ。
「今日は悪いけど、ハレさんとデートするから」
「えーっ? いきなり付き合いわるーい」
交際初日だし、当然二人で帰宅すると告げると、すぐさま文句が出た。
気を遣ってはいるが、それはそれとして付き合いが悪くなるのには物申す。
何とも我儘なものだと俺は思うが、双葉の中では矛盾していないのだろう。
それはそれ、これはこれ、というやつだ。
「ごめんね、双葉ちゃん。私も京太郎くんといろいろしたいから」
「ん? あー、いーよ別に。はくじょー者のキョータローに、文句言いたいだけ」
「そうなんだ……」
双葉を説得しようと思ったのか、ハレさんが謝意を口にすると、今度は一転して素直に受け入れられるので、ハレさんとしては少し面食らったようだった。
結局のところ、双葉は俺に文句を言って、絡んできたいだけなのだ。
「ははっ。もしかして双葉、幼馴染に彼女ができて、寂しくなってる?」
「んー、まーね、結構寂しー」
たまには俺から絡んでやろうと、わざと偉そうに言ってみると、どうやら俺の意図を察したらしい双葉が、ドヤ顔で返事を再現してくる。
「別に一緒に帰るのやめるってわけじゃないからさ。あんま寂しがるなよ」
「じゃー、今度コーヒーね。キョータローの奢り!」
「はいはい」
何が「じゃあ」なのかは理解し難いが、それで機嫌が良くなるなら安いものか。
適当に答えていると、ハレさんが俺の顔をじっと見ていることに気付いた。
「どうかした? ハレさん」
「ううん。ただ、そういうところが京太郎くんらしいなって」
ハレさんのその言葉の意味だけは、いまひとつよく分からなかった。
「ハレさん。本当に俺の家でいいの?」
放課後になって双葉とは別れ、俺はハレさんと二人で下校していた。
いわゆる下校デートいうやつだ。
双葉もたまには先輩の帰りを待って、下校デートでもして差し上げればいいのではと言ってみたが、やはり部活が終わるまで待つのは面倒なので、クラスの他の友人と遊びに行くらしい。
双葉が俺以外に付き合うのは珍しいので、友人勢はなかなか盛り上がっていた。
一番盛り上げた方がいい相手は、先輩だと思うんだが。
まあ、それはともかくハレさんとの下校デートとなったわけだが、本日のリクエストは俺の家に遊びに行きたいとのことだった。
ハレさんを自宅に招くというのは実に光栄だし大興奮だが、さして面白みのある自宅でも自室でもないので、デートの行き先として適切かどうかは判断しかねる。
「むしろ京太郎くんの家がいいんだけど。恋人の家って、興味湧かない?」
「分かる。いろいろ漁ってみたいかも」
「私の部屋ではやめてね?」
ハレさんの言葉で、たしかに恋人の家なら面白みがなくても心理的に楽しめそうだと納得したが、ハレさんの部屋の探検は却下されてしまった。
何かこう、秘密のポエム帳とかないかなと思ったんだが。実に残念だ。
ハレさんと二人で手を繋いで歩いていると、ほどなく俺の自宅前にたどり着く。
すると、玄関前に意外な人物の姿があった。
「あれ? 菜乃香、今日は早いんだな。部活じゃなかったのか?」
「あ。おかえり、兄ちゃん。今日は顧問の先生が急用で、中止になっちゃった」
自宅の玄関を開けて中に入ろうとしている菜乃香がいたので、声をかける。
菜乃香は中学で陸上部に所属しているので、帰宅部の兄とは違って帰りがもっと遅くなることが多いのだが、今日のように急遽中止になるケースもあるらしい。
「なるほど。それはいいけど、菜乃香。スカートはちゃんと履きなさい」
早く帰ってくるのは全く問題ないが、もっと重大な問題が発生していた。
「いや、丸出しみたいに言わないでよ、兄ちゃん。ちゃんとスパッツ履いてるし」
不当な指摘だと言わんばかりに口を尖らせる菜乃香だが、順当な指摘だと思う。
今の菜乃香は、上半身セーラー服に下半身スパッツという格好をしていた。
絶対なしとは言わないが、ご近所に無防備に晒していい恰好ではないだろう。
「ユニフォームに着替えてる途中で、中止って言われてさー。っていうか、誰か一緒にいるの? 姉ちゃん?」
玄関扉が開きかけだったのと、門扉が陰になって俺の背後にいるハレさんに気付かない菜乃香だったが、ようやく俺が一人ではないと気付いたらしい。
それはそうと、気持ちは分かるが双葉と間違えるとハレさんがあまり気分よくないだろうから、やめてあげてほしい。
まあ、俺が今まで双葉以外の女性を連れてこなかったのが原因なんだろうが。
「双葉じゃないよ。晴日ほのかさん、俺の彼女だ」
「へー、兄ちゃんの彼女……って、ええ!? 彼女!?」
「よ、よろしくお願いします。晴日ほのかです」
ようやく紹介を済ませることができた。
唐突に兄の恋人を紹介された菜乃香は、しばし呆然とした顔を晒していたが、やがて気を取り直したのか人懐っこい笑顔を浮かべた。
「お、おー、彼女さん!? 姉ちゃんに捨てられて自棄になるんじゃないかって心配してた兄ちゃんに、彼女さん! やったじゃん、兄ちゃん! あ、妹の菜乃香です。よろしくお願いしまーす! ほのかさんって言うんですね! あたしと名前似てますね!」
「は、はい……。よろしくね? 名前も、そうだね、似てるね」
「落ち着け、菜乃香。あと俺は捨てられてない」
兄の彼女という存在にテンションが上がって、物凄い勢いで喋り出した菜乃香。
別に人見知りでもないはずのハレさんだが、怒涛の勢いに押し流されてしまい、たどたどしい言葉遣いになっている。
あと、いまだに菜乃香の中で、俺が双葉に捨てられた扱いになっている。
「いつから付き合ってるんですか!?」
「今日からだね。デートとかは、前にもしたんだけど」
「今日! いきなりウチに連れ込んじゃうの!? 兄ちゃん!」
テンションが高過ぎる。
身近な人間の恋愛が興味深いのは分かるが、もう少しギアを落としてほしい。
俺が若干、辟易としているのを察したわけではないだろうが、菜乃香は機関銃のようだった会話の勢いを弱めると、玄関前に置きっぱなしだった自分の鞄を持ち上げて、扉に背を向けた。
「んー、しゃーない。今日は走り足りないし、どっかで走ってこよっかな」
「え? 別に、私たちに気を遣わなくても……」
年下からの明らかな気遣いに、ハレさんが申し訳なさそうな顔をする。
それに対して菜乃香は、ニンマリとした笑みをたたえつつ、俺たちを見てきた。
「いいですって。付き合ったばっかなんでしょ?」
「でも……」
「兄ちゃんだって、家に連れてくるくらい乗り気だし、キスくらい行けますよ!」
「んぶっ」
あくまで遠慮しようとするハレさんだったが、菜乃香から飛び出したキスという言葉に昼休みの一幕を思い出したらしく、変な声を出して狼狽える。
菜乃香の方はハレさんの異変には気付かなかったらしく、一見すると純情そうな兄の彼女の背中を押してあげたとでも思っているだろう、満足げな顔をしている。
実際はファーストキスどころか何度も済ませているし、今日はちょっと唇が荒れそうなので、これ以上はお預けという話になっているのだが。
よもやそんな話を妹に聞かせるわけにもいかないので、スルーを決め込む。
中学一年生の菜乃香は、R15指定に引っかかっているのだ。
「じゃ、頑張って下さいねー!」
恋愛初心者な俺たちが、恥ずかしがって反応できていないと思ったのか、ご機嫌な様子で家から離れて行く菜乃香。
結局、スカートは履いていかなかった。
「菜乃香ちゃん、凄く元気だったねー」
「ああ、今日は特にね」
菜乃香と別れ、しばし家デートというものを堪能した後、俺はハレさんを家まで送るため、日の落ちた道を一緒に歩いていた。
デートと付けば家でも許されるのか、などと思っていた俺だったが、実に素晴らしい時間を過ごさせてもらったし、ハレさんも稲瀬家を満喫してくれたようだ。
ちなみに結局、俺とハレさんはリップクリームを塗り直す羽目になった。
「ハレさんの家族にも、いずれ挨拶した方がいいかな」
「あ、そ、そうだね……」
何の気なしに「ご家族への挨拶」を提案されて、恥ずかしそうにするハレさん。
そう意識されてしまうと照れくさいが、それよりもハレさんの可愛さがヤバい。
まだ家にリップクリームあったかな……。
「あ、ここが私の家だから……。送ってくれて、ありがとう。京太郎くん」
不意にハレさんが立ち止まり、俺に向けて礼を言う。
どうやらもう彼女の家に着いてしまったようだ。楽しい時間は早く過ぎるというが、今日ほどその言葉の正しさを実感したことはない。
「京太郎くん。挨拶……してく?」
「い、いや。また改めて、失礼のない時間に来るよ」
恥ずかしげに提案してくるハレさんに、俺は慌てて首を振る。
ハレさんのご家族に挨拶するのは望むところではあるけど、流石に今日この場でというのは俺も覚悟とか服装とか、色々と足りないものが多すぎる。何なら手土産も用意した方がいいのではないだろうか。いや、高校生の彼氏の場合は畏まり過ぎるのもよくないのか……?
とにかく今日は準備不足なので、勢いに任せて挨拶するべきではないだろう。
「そっか……残念。まだ私のこと、貰ってくれないんだ?」
「ちょ、ハレさん……!?」
頬を赤く染めながらも、どこか艶のある笑顔でそんなことを言うハレさんに、俺は思わず狼狽えてしまった。
キスの時から思っていたけど、ハレさんは意外なところで色気があるので、健全な男子高校生である俺は時々正気を保つので精一杯になってしまう。
そんな俺をしばらく見つめていたハレさんは、表情を悪戯っぽい笑みに変えるとクスクスと笑い出した。
「あはは、ごめんね。京太郎くんが慌ててるの、凄く可愛くて」
「ハァ……勘弁してよ、ハレさん」
「む……私を貰うの、嫌なの? 京太郎くん」
俺が溜息を吐いたのを見たハレさんが、不満げな顔で聞いてくる。
いやいや、そこについては不満なんてあるわけがないだろうに。
「もちろん、いずれちゃんと挨拶するよ。『ほのかを俺に下さい』って」
「……っ」
俺の言葉を聞いた瞬間、ハレさんが胸に飛び込んできた。
唐突なので少し驚いたけど、どうにか受け止めてその華奢な身体を抱き締める。
ハレさんは俺の腕の中で顔を上げて、潤んだ瞳で見つめてきた。
「京太郎くん……」
「今日は、これが最後だからね」
「うん……今日は、ね」
これから俺とハレさんは、何度も何百回もキスをするのだろう。
今日はその記念すべき初日だ。
そろそろ慣れてきたハレさんの唇の感触を味わっていると、不意に俺の唇の上を湿ったものがなぞっていたのを感じて、驚きのあまり顔を離してしまった。
「あっ……まだしたかったのに……」
「ハ、ハレさん……今の……?」
俺が驚きに震える声で尋ねると、ハレさんは花の咲いたような笑顔を見せた。
「えへへ……舐めちゃった♪」
その愛らしくも妖しい笑顔を前にして、俺は立ち眩みのような感覚を覚える。
きっとこの花は、男を惑わす魔性の妖花に違いない。
俺の狼狽した姿を見て満足したのか、ハレさんは身を翻して自宅に向かう。
扉を開く直前で振り返り、俺に向けて別れの挨拶を投げかけてきた。
「それじゃあ、おやすみなさい、京太郎くん」
「あ、ああ、おやすみ、ハレさん」
「週末は、ちゃんとしたデートもしようね?」
そう言った後、ハレさんは俺の返事も聞かずに家に入ってしまった。
後に残されたのは、赤い顔になって路上で立ち尽くす、妖花に魂を吸われた憐れな被害者だけだ。
あのハレさんと、週末にデート?
果たして俺は無事に済むのだろうかと、今から不安で仕方がなかった。
本当はここからクライマックスなのですが、ハレさんとのデートを
挟むので後半の展開が変更になりました。
結果として、男を惑わす妖花・ハレさんが誕生しました。