01.幼馴染に彼氏ができたので、素直に祝福する
「ねえ、キョータロー! 私、バスケ部の渡来先輩に告られちゃった!」
教室に入ってくるなり、俺の幼馴染である荒屋敷 双葉は大声を上げた。
その話題性抜群の内容に、放課後で人がまばらだった教室は一気に騒然となる。
「え、嘘!? 双葉ちゃん、渡来先輩と付き合うの? 渡来先輩って、イケメンなのに誰とも付き合わないって有名だったのに!?」
「ねえねえ、告白ってどんな感じだった? 壁ドンとかされた?」
「あちゃー、稲瀬の奴、捨てられちゃったかあ……」
双葉は一直線に俺のところに来ようとしたみたいだけど、クラスメイトたちに囲まれて身動きが取れなくなっているようだ。視線の先にある人の輪の中から「ちょっと通してよー!」なんて声が聞こえてくる。
あと最後の奴。俺はそもそも双葉と付き合ってないから、捨てられたわけじゃない。だけどそう思っているのは一人だけではないらしく、何人かのクラスメイトは双葉の包囲網には加わらず、俺の方に話しかけてきた。
「ドンマイ、稲瀬」
「幼馴染だけが女じゃないぞ。ま、頑張んなよ」
「だから、まず俺が落ち込んでる前提で話すのは止めてくれ」
クラスメイトたちの温かい励ましの言葉に、俺は思わず唸った。
自分で言った通り、双葉がイケメンに告白されて付き合うからといって、俺が落ち込む理由なんてどこにもない。何故なら俺と双葉はあくまで幼馴染で、好き合っているわけじゃないからだ。
「お前、いつもそう言うよな。『ただの幼馴染』って」
「言ってやるなよ。じゃあ今度、フリーになった記念にカラオケでも行こうぜ」
「……ハイハイ」
適当に返す俺だったが、クラスメイトはそんな反応を強がりだと思っているのか、特に気を悪くした様子も見せず教室から出て行った。
同時に双葉を取り囲んでいた人垣も、波が引くように去って行く。
ずいぶんと手際がいいと疑問に思ったが、教室から出て行くクラスメイトが口にした「流石に公開処刑は可哀想」という言葉で、大体のことは理解した。
このあと俺は、彼氏が出来た双葉に振られると思われているらしい。
俺は溜息を息を吐いて、隣の席に目をやる。
いつもなら真っ先に俺を心配してくれそうな相手は、そこにはいなかった。
今日はどうしても外せない用事があるとかで、俺を見て心配そうにしながらも、放課後になったらすぐに帰ってしまったのだ。
せめて彼女がいれば、少しは今の鬱陶しい気分も紛れただろうに……。
「はー、やっと放してくれたー。お待たせ、キョータロー」
俺がそんなことを考えている間に、クラスメイトから解放された双葉が声をかけてきた。ずいぶんと質問攻めにされたようで、いつになくお疲れのようだ。
「よう、双葉。大変だったな。まあ、相手が有名人だから、仕方ないんじゃないか? 確か今まで恋人作ったことない人だったんだろ?」
「あー、なんかそうみたいだねー。で、そんな有名人に、双葉ちゃんは告られちゃったんだけど。どうどう? 凄い? キョータロー!」
「あー、ハイハイ。めっちゃ凄いよ、可愛いよ」
「えっへー、それほどでもー」
嬉しそうな顔で、照れ照れと双葉は笑う。
割と適当な対応だったけど双葉はチョロいので、こういう時は楽でいい。
「でもまあ実際、あの先輩に告られたのは素直に凄いよな」
「ねー? 私も結構イケてるってことなんじゃない?」
冗談めかして言うが、まあ双葉がイケてる容姿なのは事実だろう。
天然で明るい髪色のミディアムボブに、天真爛漫で人好きする笑顔。顔立ちや体型も総じて整っているし、学校一のイケメンと名高い先輩の相手に選ばれたとしても、まあ不思議ではないと思う。
俺からすると人一倍、世話の焼ける幼馴染って感じなんだけど。
「まあ、双葉の見た目がいいのは認める」
「お、キョータロー素直じゃん。いつもそうなら可愛いのに」
「双葉に可愛いと思われてもな……」
実は悪い気はしないというのは、本人には内緒だ。
双葉は機嫌がいいとたまにベタ褒めしてくるけど、気心知れた幼馴染とはいえ可愛い女の子に褒められるというのは、男子として嬉しくないはずがない。
「まあ、あれだ。おめでとう、双葉」
「ありがと、キョータロー♪」
何はともあれ、双葉に彼が出来たのはめでたいことだ。
俺は長年の付き合いである幼馴染として、素直に祝福の言葉を贈った。
それを聞いた双葉も、嬉しそうに笑ってくれる。
「それより、そろそろ帰って――」
――彼氏が出来たんだから、俺と一緒に帰るわけないよな。
双葉に帰宅を促そうとしたところで、俺はようやくその事実に気付いた。
そして、ここに来て俺は初めてショックを受けたのだった。
誤解のないように言うと、俺は双葉がイケメンの先輩と付き合うことについては、特に何とも思っていない。さっき双葉にも言った通り、普通に「おめでとうございます」って感じだ。
俺と双葉はあくまで幼馴染であり、恋人関係ではない。結婚の約束をした覚えもなければ、好きだの愛してるだの言った覚えもない。
だからといって双葉自身のことを何とも思ってないかと問われれば、そんなことはないと俺は答えるだろう。幼馴染として、家族同然の相手として、そして身近な異性として、双葉に対して好意的な感情を俺は持っている。
ただ、そのどれであってもいいので、恋人として付き合う必要性がないということだ。こういうの、異性の幼馴染がいる奴なら分かってくれるんだろうか。
そんな俺が今になって何にショックを受けたかといえば、要するに「これからは双葉と一緒に帰れない」という事実に対してだ。
俺と双葉は幼稚園の頃からの付き合いで、行きも帰りも一緒という生活を、今までずっと続けてきた。思春期だろうがお構いなしに、決して離れることなく。
ずっとそんな関係だったので、これからは一緒にいられる時間も減るのだろ思うと――まあ、少しばかり寂しいのは仕方ないだろう。
「キョータロー? どしたの?」
「いや……」
そんな態度の変化に気付いた双葉が、俺に不思議そうな目を向ける。
しかし双葉と彼氏の幸せを願うなら、ここで邪魔をするわけにもいかない。元より二人の交際自体を邪魔する意図は、俺にはないんだけど。
「今日は、もう帰るわ」
どうにか、その言葉だけは絞り出した。
双葉を置いて帰るのが、こんなに寂しいとは思っていなかった。
今日は双葉と、行きつけのコーヒーショップに行く約束をしていた日だ。
双葉が好きなタイプの新作が出るので、一緒に行くという話になっていた。
だけど、それもきっとキャンセルだろう。きっと彼氏と行くのかな。
そんなことを考えていると、いつの間にか双葉は不機嫌な顔になっていた。
いかにも「不満です!」という表情で、俺を睨みつけている。
「キョータロー、今日は新作飲みに行く約束だったじゃん。忘れちゃったの?」
「……は?」
双葉から告げられた言葉に、俺は呆気に取られてしまった。
聞き間違いでなければ、「俺と一緒にコーヒーショップに行く」ようなことを言っていた気がするんだけど……。いや、流石にそれはないよな?
「いや、覚えてるけど……。双葉は先輩と付き合うんだろ? それなら彼氏と一緒に行くんじゃないのか?」
「私が約束したのは、先輩じゃなくてキョータローだし」
「いや、そう言われると、まあ確かにそうなんだけど……」
双葉が「何言ってんの?」という顔で当然のように言ってくるので、俺の方がおかしいのかと不安になってしまう。間の悪いことに、ジャッジをしてくれるクラスメイトたちは揃って教室を出てしまい、今は俺と双葉の二人きりなので、「俺の方が普通だよな?」と思いつつも断言することが出来ない。
そもそも、こういう状況で俺が双葉の言い分を、毅然とした態度で切り捨てられた事などないのだが。
「そもそも俺のところに来てていいのか? 付き合ったばっかなのに、彼氏はどうしたんだよ?」
「先輩は部活だよ。私、別にバスケは興味ないし」
いや、双葉がバスケに興味ないのは、俺も知ってるけどさ。
「でも付き合った初日だし、いきなり放置っていうのも……」
「先輩の家、西区なんだって。あと電車で来てるって言ってたよ」
「ああ、西区。しかも電車か……」
その説明を聞いて、俺は双葉が先輩と一緒に帰る気がない理由を察した。
先輩の自宅がある西区というのは、俺と双葉の住んでいる東区とは高校を挟んで反対側にある。うちの地域は中央区に大きな学校や商業施設があり、そこから東西南北に住宅エリアが広がっているのだ。
俺たちは徒歩通学なので、双葉が先輩と一緒に帰るなら中央区の駅までという事になるだろう。そうすると双葉は先輩に付き合って駅まで行って、そこから一人で帰る羽目になる。先輩が自宅と真反対の東区まで双葉を送るという手もあるが……まあ、毎日やるには効率が悪すぎるな。
「なるほど。確かにちょっと厳しいな、それは」
部活が終わるまで待つくらいなら、恋人として普通に出来るかもしれないが、それですぐに駅で別れるというのは味気ないにもほどがある。
「そうそう。それに部活終わるまで待つとか、ちょーメンドイし」
ごめん。どうやら俺の幼馴染は、部活終わりまで待つのも無理らしい。
確かに今の時期、部活の終了時刻は……俺も帰宅部だからあまり自信はないけど、十九時くらいだったと記憶している。今からそれまで待つのが、面倒くさいという感情も理解は出来る。
それにしても、こう部活に精を出す彼氏を黄色い声で応援するとか、そういう甘酸っぱい青春のワンシーンがあってもいいんじゃないか?
……ないんだろうなあ。この流れから、双葉が考えを変えるとも思えないし。
「まあ、先輩と帰るのが難しいのは理解した。でも彼氏が出来たばっかなのに、他の男と一緒に帰るのは体裁悪くないか?」
いくら言っても双葉が先輩を待つことはないだろうから、それは別にいい。
しかしその事と、俺と双葉が一緒に帰るのは話が別だ。一人で帰るのが嫌なら、せめて同性の友達と帰れば済む話なんだから。
そういうつもりで言った俺の言葉だったが、双葉は明らかに気を悪くしている。
眉を顰めて、ジト目で俺を睨んできた。
「何、キョータロー。約束破るの? てゆーか、一緒に帰るの嫌なの?」
「いや、俺が嫌とかそういう話じゃなくてだな……」
「キョータローは幼馴染なんだから、別にいーじゃん。そんなこと言ってたら、一緒にいられなくなっちゃうし。それに先輩は年上だし、大人のよゆーで受け止めてくれるって、きっと!」
あっけらかんとした笑顔で言う双葉を見て、俺は閉口した。
明らかに双葉が、自分の都合がいいように解釈しているとしか思えない。
彼女なんだから、もう少し彼氏の心情を気遣っても……考えてはみたものの、彼氏を待つかどうかという話と同様に、いまさら双葉の気が変わることなどあり得るのだろうか?
「行こ? キョータロー」
あり得ない。双葉との長年の付き合いから、俺はそう確信した。
双葉はもう完全に、俺と一緒に帰るつもりでいる。なんなら二人でコーヒーショップに行って、新作を飲む事しか考えていない。
「ハァ……分かったよ。行くか、双葉」
「うんっ♪」
俺は頑張った。頑張ったと思うけど……もう面倒くさくなってきた。
双葉自身が、俺と一緒に帰りたがっているんだから、別にいいんじゃないか?
そもそも俺だって、双葉と一緒に帰れないのは寂しいと思っていたはずだろう。
ならこれは、お互いにとって都合のいい展開なんじゃないか?
先輩がどう思うかは知らないが、彼女である双葉が気にしていないのに、無関係な俺が気を回してばかりいるのもバカバカしい話だ。
なるようになるだろう。とりあえず文句を言われたら、その時に考えればいい。
俺は引っ付いてくる双葉を伴って、教室を出て行った。
「あ、今日は彼氏が出来た記念に、ケーキも頼んじゃおっかなー」
「記念なら、彼氏と一緒の時にしてやれよ……」
今日、俺――稲瀬 京太郎の幼馴染に彼氏が出来た。
それなのに俺と双葉の関係は、まだ何も変わっていない。
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