地に伏す悪魔
蛇眼で俺を射抜きながらビーウェが口を開いた。
「それで、フェリュス卿。新しい素体は?」
「お前が足蹴にした奴だ」
「あ、やっぱり? あの状態で暴れていたから、もしかしたらって思ったんだよね」
「後先を考えずに暴れるな」
そんなふざけた遣り取りを耳にしつつ、体の損傷を確認する。あの野郎、躊躇いもなく踏み抜きやがって。
悪魔だから問題ないと言えるけど、人間だったら下半身麻痺、いや、大抵は死んでいると思う。
背骨が折れているけど骨折ならすぐに治せる。内臓があったら破裂は免れなかっただろうけど、生命活動を必要としていない悪魔に内臓なんてないからね。
けど、時間が経つにつれて焦りが芽生えた。骨折が一向に治らない。
封縛の効果で体が自由に動かせないといっても、力技で無理やり動かすことはできていた。けど、今はいくら力を入れようとしても体を動かせられない。魔力の制御は元より、体の内側にある闇も操作できないでいる。
「ついでに魔毒を浴びせたけど、問題ないよね?」
「問題しかないが、まぁいい」
良くねぇよ! 問題しかないなら叱りつけろよ!
罵倒しようとするも、口がうまく動かないせいで声に出すことができなかった。
不調の原因は魔毒のせいか。魔法を阻害する効果を持つ毒だが、闇の動きも阻害するのか?
悪魔は精神生命体だから、人間には必須の臓器も悪魔にとっては必要ない。五感は魔法により再現しているから物理的な情報を感受する器官を態々作る必要がない。その代わり、魔法を阻害されると悪魔は行動不能に陥る。魔力操作を阻害されるだけで身動きできない状態になるだろうね。
俺が魔力操作を阻害されても行動できるのは深淵魔法を継承したお陰だ。深淵魔法も魔力操作ができない状態では発動できないけど、魂の干渉は魔力を使わなくても可能だからね。
悪魔は魂の集合体であり、その中で最も意思の強い悪魔の粒子が主人格となる。他の闇は体を維持するために使われるため、精神生命体の体も同じ魂で構築されている。
俺は体の内側にある闇に干渉して臓器や骨格に似た構造を作り出している。作り出すといっても、模るだけで精巧に作ることはできないけど。肺と声帯を作って声を再現するのが精一杯。それも、肺は空気を出し入れするだけの袋って感じだし。
骨格は闇で体を作り出した時からあった。骨があるのは当たり前だという意識があったから、その意識に従って作られたのだろう。精神生命体に骨格は必要ないけど、骨格を作ることで人間らしい動きを再現できているから、あった方がいいのは確かだね。
闇の操作は魔力を使わなくてもできる。だから魔力が使えない状態であろうと一瞬で接合することができる。だが今は闇が操作できないせいで骨を繋げられない。そして、闇が動かせないと体も動かせられない。悪魔の身動きを封じるという点に関しては、封縛よりも魔毒の方がより有効だった。
「ビーウェ、こいつをドルフの所に連れて行って怪我の治療をさせろ。魔毒による中毒症状はそのままでいい。治療できる程度なら壊しても構わんが、使い物にならなくなるから加減しろよ」
「あれ? 奴隷紋はいいの?」
「ああ、こいつは恐怖を余り感じないようだったからな。普通の奴隷紋では従わないだろう。聖痕を使うから用意に少し時間が掛かる」
聖痕? 人間だった時に何かの漫画で見たような気がするけど、どういうものなのかはよく覚えていない。闇から取り出した知識の中にも聖痕に関する情報はないし、特別製の奴隷紋なのだろうか。
「了解~。報酬は無いの?」
「奴隷を1体やろう。そいつが使い物になりそうなら2体追加してやる」
「本当? じゃあこれ以上壊すのは止めとくね」
ビーウェが嬉しそうに口角を上げた後、徐に歩き出して倒れている神官の元へと向かった。それは俺が最初に無力化した神官で、顔面を陥没させているがまだ息は残っているようだった。
その腹部をつま先で貫いた。神官は反応を示すことなく、そのまま息絶えた。
「うーん、やっぱり反応無いとつまらないね」
「下らないことをやっていないで、とっととそいつを連れて行け」
「はーい。ここにある死体も貰っていいんだよね?」
「後で奴隷に運ばせてやる。分かったらさっさと行け」
フェリュスに促されて、ビーウェが俺の元に来て足を掴む。
封縛は既に解除されている。それでも魔毒によって体は動かず、抵抗することすらできずに引き摺られていく。
次第に視覚と聴覚も鈍くなってきた。全身に毒が回ってしまったのだろうか。
魔力が使えず、闇も操作することができない状態では、外部からの情報を取り込む術は残されていない。
暗闇が訪れる。
最後に見えたのは魔法陣の光。
静寂が訪れる。
最後に聞こえたのは奴隷の叫び声。
心の中に殺意が汚泥のようにこびり付く。それを拭う機会を得られないまま、外部への干渉が断たれて暗闇に包まれた。
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魔毒のせいで体は動かせず、五感も失われている。だが、意識だけははっきりとしている。
闇に干渉はできないけど意識はある。それはつまり、魔毒に侵されているのは外側の闇だけということだ。内側の魂には問題なく干渉できる。
思考は殺意に染まっている。どうやって敵を殺そうか、それだけだった。
『現世に降り立って早々に気が荒れておるのう』
だからだろうか。急に飛び込んできた言葉に、冷水を掛けられた気分となったのは。
驚きのあまり思考が停止しかけたが、声の主が誰か分かって荒ぶっていた気持ちを落ち着かせることができた。
『その声は、爺か?』
『そうじゃ』
頭の中で悪魔の王、いや元王である爺の姿を思い浮かべた。
『お主が現世に向かってから、魂を経由して何度か意思を投げかけたんじゃがな。今になって漸く繋がったわい。それで、状況はどうなっておる?』
爺の質問に、俺は現世に降り立ってからの全てを話した。
今はゆっくり話している場合じゃないのではとも思ったが、焦ったところでどうしようもない。それなら、現状を伝えて解決策を爺から聞いた方がいいと判断した。
一通り話し終えた後、爺が食いついたのは二つ目の太陽だった。
『ふむ、二つ目の太陽、か。その光を浴びると体の自由が失われ、魔力の制御も阻害される。それに踏まえ、儂が魂を経由して現世に干渉できないという事実を合わせると……。もしや、破邪天明かのう?』
『破邪天明……』
初めて聞いた魔法名のはずなのに、何か引っかかっている感じがする。闇から取り込んだ情報に含まれていたのだろうか?
だが、それを探るよりも知っている者に聞いた方が早い。俺は爺さんにその詳細を求めた。
『それってどんな魔法なの?』
『破邪天明は聖霊魔法の一つじゃよ。現世に縛られずに留まっている魂、つまりは肉体を持たぬ精神生命体を滅ぼすための魔法じゃ。上空に大規模な魔法陣を展開して発動しておるんじゃろうが、さすがに距離があるせいで一瞬で消滅させられることは無いようじゃな。じゃが、その光を浴び続ければ肉体を持たぬお主は消滅してしまうじゃろう』
『……聖霊魔法ってことは、聖女が発動させているの?』
自分が使っていた魔法だから身近なものに感じるけど、聖霊魔法は光属性の最上位に位置する魔法。
聖女以外でこの魔法を使えた者はいなかったはずだから、その聖女が発動させているのだろうか。それとも新たに聖霊魔法を習得した者が現れたのだろうか。
『現世のことなぞ、儂が知るわけがなかろう』
……引きこもりの爺に聞いたのが間違いだったね。
年の功で何でも知っていると思っていたけど、さすがに見聞きできる状態になければ知りようがないか。
魔法の使用者を特定するのは諦めて、対抗策について質問を投げかけた。
『この魔法を防ぐ術は無いの?』
『その光は物質世界に関与されない。じゃから建物に隠れようともその建物を通過して精神生命体にのみ影響を与える。物質世界と繋がりを持たない悪魔では防ぐことはできん。じゃが、物質世界と繋がりを持ってしまえば、破邪の光はただの日光に変わる』
『……つまり、肉体を持てばいいってことか』
『そうじゃ。受肉して肉体を獲得すれば日の下でも問題なく活動できるわい』
『受肉って、人間の体を奪うの?』
『そうなるのう。生物であれば人間以外でも可能じゃが、あえて動きにくい器を選ぶこともないからのう』
そうなると、人間を殺さずに捉えて魂を剝ぎ取ってから憑りつけばいいのかな? 深淵魔法が使えれば魂を隔離することは容易だけど、魔法は使えないから不可能か。
……いや、別に生かしておく必要はないか。殺した後、魂が抜けたら死体を修復し、中身が空になった体に入ればいい。
魂を取り除かなくても体を奪うことは可能だろうけど、肉体と魂の結びつきはかなり強い。無理に憑りつこうとすると相手の意思に反発されてしまうから、殺してから奪うのが無難か。
『しかし、悪魔という強大な魂を人間の身に宿すには、器となる人間も強靭でなければならぬ。器より魂の容量が大きければ、収まりきらずに崩壊してしまうからのう』
『強靭な器って、肉体が強靭ってこと?』
頭の中で仁王像を想像した。逞しい体も悪くはないけど、あそこまでゴリゴリの肉体は遠慮したい。
仁王像の後ろから二体の変態が現れた。筋骨隆々な肉体が盛り上がり、体にぴっちりとフィットしたレオタードが張り裂けそうになっている。
変態が笑みを浮かべて手招きしているのを幻視し、慌てて仁王像ごと吹き飛ばして現実に思考を戻した。
『精神と肉体の強度は比例するから否定はせんが、重要なのは精神じゃ。強靭な精神を持つ人間は魂の容量も大きいからのう』
『そんな人間、そう簡単に見つかるかな?』
それに、人殺しに対する忌避感は既に無くしているけど、それでも善人に手を上げることはしたくない。
強靭な精神を持っている悪人となると、弱体化している今の状態では勝てる自信はないし。
『別に一人の人間を器とする必要はない。悪魔は通常、複数の死体を取り込んで自らの器を形成する。じゃから、脆弱な精神の持ち主であろうと、数を揃えれば器に成り得るということじゃな』
『へぇ。それなら何とかなりそうかな』
いるかも分からない人間を探すよりは、弱い人間を数揃える方が楽だからね。今の弱体化した状態でどこまでできるかが問題だけど。
『本来の予定ではアトネフォシナーの入り口をどこかに固定させたかったのじゃがのう。破邪天明の影響下では不可能じゃな。当分はお主の魂に繋げたままとするから、決して死ぬでないぞ』
『……善処します』
現状、敵に捕らえられて非常に厳しい状況だけどね。話の内容的にこのまま殺されることはないってことだけが救いだね。
『あ、そういえばヨミは? ミツメは? 元気にしてる?』
『息災じゃから安心せい』
『ちょっと代わってよ』
『…おや…、通信が…、途切れ……』
白々しいセリフの後に通信を切られた。
魂の繋がりは爺の魂を経由することで成り立っている。俺は爺から魂の一部を受け取っているが、それで空間魔法が使えるようになった訳ではない。単に目印としての役割にしかならない。
そのため、空間魔法によって魂を繋げて通信することができるのは爺だけだ。こちらからいくら問いかけようと意味はない。それでも、罵声を浴びせずにはいられなかった。
『嘘つけクソ爺! 俺の癒しを返せっ!!』
罵声が爺に届くことは勿論無く、心の中だけに虚しく響いた。




