現世の悪魔
残りは二人。
そのうちの一人、奴隷商は壁際まで逃げていた。腰を抜かしたのか尻餅を付いていて体を震わせている。絶望に染まった表情で、顔にある全ての穴から液体を垂れ流していた。
醜態を晒す奴隷商に、落ちていた小石を蹴飛ばしてぶつけた。目に当たったようで両手で抑えながら五月蠅く喚き散らしている。俺は止めを刺さずにもう一人の生き残りである司祭の元へと向かった。
奴隷商はいつでも始末できる。それよりも、今もなお不穏な動きを見せている司祭を止める方が先だね。
祭壇の要と思われる石碑を壊したのに司祭は眉一つ動かさなかった。俺を見据え、まるで品定めをするかのように静観している。
司祭は何かを手にしていた。握り拳の端から銀色の物体が見える。円形で厚みがあるそれに魔力が流し込まれている。どうやら、魔法を放つ準備をしているようだね。
魔力は魂にある門を経て、魔界より取り出している。当然、人間も魔力を取り出して魔法を発動することは可能だ。けど、魔法式の構築は悪魔のようにはいかない。
精神生命体である悪魔は脳の代わりに魂を媒体にして知識を溜め込んでいる。そのため、脳から魔法式の情報を取り出す手間がなく、門から取り出した魔力をそのまま魂にある魔法式に流し込むことでタイムラグ無しに魔法を発動できる。
多くの魔力が必要だったり発動に位置情報が必要だったりする場合は魔法陣を空間に描写して魔力を充填する手順が必要だけど、その場合も魂に記された魔法式を空間に描写するだけで事足りる。
一度も使ったことがない魔法を使う場合はさすがに魔法式を一から組み立てて魔法陣を形成する必要があるけど、一度使ってしまえば以降は記憶した魔法陣を使って魔法を発動することができる。
それに対して、人間はまず魔法式や魔法陣の情報を理解して脳に蓄えなければいけない。それを戦闘中に瞬時にアウトプットして魔法式を構築し、魔力によって魔法式を起動させることで魔法を具現化させる。
初級魔法なら無詠唱でも発動できる人間は多い。現に、神官達は魔法名を唱えるだけで魔法の発動を可能にしていたからね。
ただ、それ以上の難易度の魔法となると頭の中だけで魔法式を構築するのは難しい。魔法式はそれぞれ単一のコマンドであり、それを組み合わせることで魔法というプログラムを完成させる。中には頭の中で瞬時に魔法式を組み合わせて魔法陣を形成し、上級魔法を発動させることができる人間もいるだろうけど、それこそ一部の者にしかできない芸当だね。
生身で戦えば魔法に長ける悪魔に人間が勝てるはずはない。だが、生身でなければ、人間も悪魔に近い速度で魔法を発動できる。
それを可能としているのが魔道具。魔道具は魔法を発動するための媒体で、魔法陣を予め物質に刻んでおくことで魔法構築の手間を省略している。
威力や持続時間など調整が効かない面もあるけど、魔力を流し込むだけで魔法を発動できるというのは便利だよね。
司祭が何の魔法を使おうとしているのかは分からないけど、魔道具にはまだ魔力が溜まり切っていない。
あの状態ならまだ魔法は出せないだろう。そう判断し、発動される前に足を動かした。
足元に転がっていたナイフを蹴り飛ばして司祭の方に飛ばした。
ナイフに注意が向いたうちに接近して無力化する。そう考えていたが、司祭は飛んでくるナイフを見てもピクリとも動かない。代わりに動いたのは、一人の奴隷だった。
「ぐぅ!」
ナイフが肩を切り裂き、短い悲鳴を上げた。偶然当たったわけじゃない。跪いていた奴隷が、司祭を守る位置に身を晒した。恐怖支配によって強制的に肉壁にされたのだろう。
必要であれば多少の被害はやむを得ないと思うけど、このまま投擲していても司祭の気を引くことはできずに悪戯に奴隷達を傷つけるだけかな。
地面を蹴って加速し、最短距離で司祭に向かう。跪いていた奴隷達が一斉に立ち上がり、その身を持って壁となる。だが、それは衰弱した人間の動き。身体能力を向上させた悪魔には触れることすらできない。
俺は人垣を飛び越えて司祭の前に躍り出た。そして、手枷を下から振り上げようとした、その時、司祭の口元から短く言葉が吐かれた。
「止まれ」
その言葉が聞こえたと同時に、腕が上がらないほど重くなった。手枷を見れば、内側の魔法陣が強く発光している。恐怖心は抱いていない。これは恐怖支配ではなく、他の魔法が使われているのか?
動きを止めたのも、その原因を推測したのも一瞬。俺は重くなった手枷を重力に従って思いきり地面に振り下ろした。衝撃で地面に罅が入るが、手枷はまだ壊れない。それを傍目に確認しつつ、しゃがみ込んだ状態から前蹴りを繰り出した。司祭は反応し切れていなかったが、見えない障壁に阻まれてしまい司祭に当てることができなかった。
魔法の発生源は司祭の手に持つ魔道具からだった。あれは防御用に結界を発生させる魔道具だったようだね。
手枷に働いている魔法はおそらく加重だろう。その名の通り物体の重さを増加させる魔法だね。
手枷は想定よりも頑丈な作りになっていた。乱暴に扱っていればいずれ壊れるかなって楽観視していたんだけどね。身体強化した状態で思いきり地面に叩きつけたら漸く大きな傷がついた。これを繰り返せば壊せるだろうけど、その暇はなさそうだ。
後ろから追いついた奴隷達が俺に手を伸ばした。力は大したことはないが数が多い。無理して剥がそうとすれば怪我を負わせてしまう。その躊躇いが、大きな隙となった。
「"封縛"!」
司祭が魔法名を口にした途端、地面から複数の鎖が伸びた。それが他の奴隷ごと俺を拘束する。
「くっ……!」
体から力が抜けて膝をついた。体の内側を巡らせていた魔力の流れを阻害され、身体強化が解除される。
他の奴隷達にも影響は出ている。ただでさえ衰弱していた状態だったためか、呼吸するのも厳しい状態だ。だが、司祭が気にするはずもなく、その目は俺にだけ向いていた。
「全く、手間を掛けさせよって。だが、良い素体が手に入った」
その言葉に感情は籠っていない。神官や監視者を殺されたにも関わらず、何も感じていないようだった。
俺を縛る鎖が地を這い、体を雁字搦めにしていく。拘束を強めて奴隷達にかかっていた鎖を解放した。
「とっとと奴隷紋を刻んでやりたいところだが、また暴れられたら敵わんからな。大人しく寝ていろ」
そういうと、司祭は背を向けて台座の元に歩み寄った。
「来い」
呟いた司祭の声に、一人の奴隷が前に出る。それは男の子の父親だった。
命令に従って台座の上に上がり、魔法陣の中心で跪いた。司祭が手を翳して魔力を放出すると魔法陣が白く輝いた。
「汝、我の命に従いて、その一生を捧ぐことを誓え」
司祭が言葉を言い放つ。奴隷紋は契約魔法の一種。契約というからには、相互の意思が一致しなければ成立しない。頷きさえしなければ、契約は成立しない。
だが、手枷から溢れ出る恐怖に抗えず、父親は首肯してしまった。
「契約は締結された。証をその身に刻め。"心刻烙印"」
司祭の言葉に呼応するように、魔法陣から青色の炎が仄かに立ち込めた。それは体を焼くことなく父親の正面に収束して渦を描く。
渦が少しずつ広がって円を描く。その中心には鏃のような物が浮かんでいた。
炎の円が回転しながら父親の胸に接触した。肉の焼ける音と苦悶の声が感情を逆撫でする。魔法に動きを阻害する効果もあるのだろうか、激痛に襲われているはずなのに身動き一つしない。
そして、炎の円が皮膚を焼いた後、炎の鏃がその円の中心、心臓に向けて発射された。
「あああああ!!」
父親は激痛に耐え切れずに叫んだ。当たり前だ、耐え切れるものではない。あの鏃が体を貫いて心臓を焼いているのだから。
一般的に奴隷紋を刻む際に使用する魔法は隷刻印だ。これは隷属化を目的としており、魔法陣を体表に刻み込む。
命令に背いた場合は幻痛という魔法が発動して体に痛みを与える。だが魔法名から分かるように、実際に傷を負わせる訳ではない。幻覚で痛みを感じているだけだ。奴隷は資源であり消耗品。怪我をさせて困るのはその飼い主だ。だから、奴隷紋に直接的な攻撃魔法は組み込まれていない。
それに対して、心刻烙印は命令に背けば現実の痛みが与えられる。それも、死に直結するほど強烈な痛みが。
炎の鏃は心臓を貫くことはせず、心臓に達する前に形を崩して心臓を包む。その際に熱によって心臓にマーカーを焼き入れる。魔法陣を刻むだけでも相当の痛みを伴い、そのショックで死亡する場合もあるようだ。
命令に背けば魔法陣が作動してマーカーを起点に炎を生み出す。炎はじりじりと心臓を焦がしていく。それを止められるのは命令を下した者だけ。もし魔法を止めなければ、炎は消えることなく心臓を炭にするまで燃え続ける。
心刻烙印を刻まれた者は生殺与奪を握られ、安らかに死ぬこともできない。
人の尊厳とか、人権とか、そういうのは奴隷の制度がある時点で破綻している。
けど、人の命を軽んじるこの魔法も、それを使う者も、許容できるものじゃない。
ギギギギ
腕に力を込めて手枷を軋ませる。封縛のせいで未だに魔力の制御はできない。ただし、それは体内に巡らせている魔力が対象だ。
門から直接魂に刻んだ魔法式に魔力を流し込めば、阻害されることなく魔法を発動できる。
発動した魔法は剛力。それにより全身に力を滾らせる。
封縛の効果によってすぐに力が抜けていくが、大量の魔力によるゴリ押しで拘束していた枷を破壊する力を生み出した。
バキンッ!
手枷から大きな音が響いた。それを見て司祭も驚愕していた。
後は鎖を引き千切って、目の前の腐った頭も引き千切ってやる。
殺意が思考を埋め尽くしていたせいで、気づくのが遅れた。いや、もし気付いていたとしても防ぎきれなかったけど。
突如、上から何かが落ちてきた。それは人間らしきもの。その両足が俺の背中を踏み潰した。
「なっ!?」
思わず声を漏らしたのは背骨を折られたからではない。俺の背中から飛び降りた人物を見て、驚きの余り思わず口から零れてしまった。
「はぁい。フェリュス卿。来たよ~」
「遅いぞ、ビーウェ」
その間の抜けた声とは裏腹に、隙の無い動きをしている。そして、司祭、フェリュスよりも遥かに強い力を感じる。
ビーウェと呼ばれた者の体は青白く、髪は白髪で腰に達するほどの長さ。乾燥しているのか、ぼさぼさに広がっている。着ている無地の緩やかなワンピースは土埃でかなり汚れており、所々破れている。そこから覗く肌には黒いタトゥーのようなものが見えた。
そして一番目を引くのは、衣服の下から覗く蜥蜴の尻尾だった。
ビーウェが振り向き、俺に目を向けた。鋭い深紅の瞳は縦長、俗に言う蛇眼だった。よく見れば、皮膚には鱗のようなものも見える。明らかに人間ではない。
蜥蜴人という言葉がぴったりな見た目だった。
この世界に人間以外の種族、蜥蜴人や獣人なんて空想上の種族はいない。
人間が魔に転じて異形の存在になることはあるようだが、他の生物の特徴を取り入れることはない。
だが、蜥蜴人が生まれないということではない。
魔獣であれば人間と他の動物の特徴を併せ持つこともあるからね。現に地獄に似たような存在はいた。地獄にいた魔獣は虫や動物の特徴の方が強調されていたけど。
ビーウェは人間ではない。だが、魔獣とは魔に転じた自我のない生物のことだ。自我のある魔獣を魔獣とは呼ばない。
目の前にいるのは、俺と同じ悪魔だ。




