悪魔として生きる意味
『千、年……?』
え? 千? 聞き間違いか?
……そうか! 三年って言いたかったんだな。はは、あの爺さん耄碌しやがって。
三年かぁ、皆と歳離れちゃったね。
中学校はどうなったんだろうか。あれだけ凄惨な事件が起きたんだから、残った人達も大変だっただろうな。
純恋はどこかに身を隠したのかな? それとも、戻って高校に通っているのかな?
どちらにしても心細いだろうから、早く迎えに行ってあげないとね。
……なぁ、爺さん。早く言い間違いだったって謝れよ。
同情した目で、こっち見てんじゃねぇよ!
『がぁあ!!』
有りっ丈の魔力と殺意を腕に込めて殴り掛かった。
爺さんの魔力が壁となって攻撃を阻む。衝撃で手が飛ぶ。それでも止まらずに腕を押し付ける。
『認めたくはないんじゃろうが、事実じゃよ』
『嘘ついてんじゃねぇ! "破刻一線"!』
バシュン!
もう片方の腕で至近距離から魔法を放った。
黒い光線が爺さんの魔力壁を貫くが、捉えたのは残像だけ。また一瞬で背後を取られた。
『儂が幾度伝えようとも、お主は認めはせんじゃろう。じゃから、お主に現世を見せてやろう』
振り向くと、爺さんが黒い塊を手にしていた。
『お主がやっていた闇への干渉はまだ稚拙じゃからな。ほれ、これがお手本じゃ』
『ぐあ!?』
言い終えた時には既に黒い塊が目前に迫っていて、避けることもできずに顔面に強い衝撃を受けた。
強烈な痛みと共に、大量の情報が流れ込んだ。
俺が闇の意思を読み取るときは、死ぬ瞬間の光景が脳裏に浮かぶ。そこには強い感情も含まれていた。
だが、今見た情報の中には感情は一切含まれていなかった。その代わり、闇になった者達が見てきた人物や風景、町、建物、食べ物、本や雑貨など、雑多な情報が直接流し込まれた。
『……ぁあ』
多量の情報が一瞬で流れ込んだが、それらは欠けることなく頭に残っていた。
目が眩み、俺は滞空することができずに落下した。衝撃で体が跳ねるが、それを気にする余裕もない。
『魂の摩耗によって記憶は読み取れなくなる。じゃから、悪魔の粒子にそのまま干渉しても情報は一部しか読み取れん。じゃが、それは情報が読み取れない状態になっとるだけじゃ。情報そのものが消滅したわけではないから、その欠損部分を補完することで情報を読み取ることができるようになるんじゃ。あくまでも読み取れるようになるだけじゃから、魂そのものの修復は叶わんがな』
爺さんの声が遠くから聞こえたが、内容が頭に入ってこない。
回らない思考の中、脳裏に浮かんでいるのは先ほどの光景だった。
情報で見た人物は日本人ではないが、目や肌の色の違いしかない。
レンガ造りの建物は古めかしいが、テレビで見たことのあるヨーロッパの街並みと雰囲気は似ていた。
他の風景も、食べ物も、雑貨も、見たことはあるが馴染みはあまりない。
日本でないことは確か。
だから、外国人から取り出した知識なのだと思っていた。
懐かしい感じは一切ないが、そこは元居た世界だと認識していた。
地図を見るまでは。
『……ここは、地球じゃないのか?』
『お主が見た光景は、間違いなく地球じゃよ』
それは馴染みのない世界地図だった。
アジアが中央に配置されている地図ではなく、ヨーロッパとアフリカが中央に配置されている地図。
見慣れた地図ではないし、そもそも細部まで覚えていないけど、俺の知っているものとある程度は一致していた。
ただ、明らかに一か所、異なる部分がある。
今見た世界地図には、日本が載っていなかった。
『日本が、ない。……この地図は、偽物?』
『本物じゃよ。それに、他の情報も確認したであろう。いくら歴史を紐解こうとも、そこに日本の知識はない。日本は千年前に消され、歴史からも存在しないものとされておる』
『……違う! 違う! 違う!!』
頭を地面に叩きつけ、その考えを振り払おうとする。だがそれは、その情報が正しいと認識してしまっているから。
いくら考えないようにしようとも、今見た情報に日本は全くなかった。
爺さんの見せた幻かもしれない。だが、散々闇に干渉してきたせいで、この情報が第三者の知識から取り込んだものだと分かってしまう。
『お主が今見た記憶は、百年ほど前のものじゃ。お主が生きていた時よりも文明は衰退しておるがな』
『……ビルも、車も、コンビニもない。人は武装していて、町の外には魔物が蠢いている。多くの奴隷が見世物のように並べられ、消耗品のように使い捨てにされている! 公開処刑が当たり前のように行われ、それを見る群衆は酒を飲みながら笑って見物してやがる! こんなの、衰退ってレベルじゃない! ここは地球じゃない! 俺の知らない異世界じゃないのか!』
『そう見えるのも仕方ないのう。この変化は、千年前に発生した世界融合が原因じゃよ』
『そんな、適当なこと言ってんじゃねぇよ!』
『少し落ち着かぬか』
爺さんから放たれた魔力に当てられて、体がゆっくりと霧散していく。一瞬で消滅しないのは、爺さんが手加減しているから。
体に力が入らないが、内側から闇を放出すれば対抗することはできるだろう。それなのに、体が言うことを聞かない。
理解している。爺さんが嘘をついていないということを。
見せられた景色、知らされた情報が正しいということを。
だからこそ、体を修復できない。いや、する必要がない。
もう、生きる意味がなくなってしまったのだから。
『お主が生きていた時は遥か過去であり、住んでいた場所は消え去った。お主が会いたいと望んだ者も、もう現世にはおらんじゃろうて』
爺さんの言葉がストンと心に落ちる。
そうか、もうこの世に純恋はいないのか。
空気が抜けるかのように、体の内側から闇が漏れ始めた。そのまま、ゆっくりと体が崩れ始めて霧散していく。
死ぬのは怖い。でも、純恋はもういない。
今の世界は荒れ果てていて、しかも俺は悪魔だ。目的もなく生きていくには、この世界は非情過ぎる。
……来世があるのなら、その時には純恋と一緒になれるといいな。
『面妖じゃのう。何故お主は自ら死を選ぶのじゃ? 確かにお主の人間としての人生は終わっておるが、悪魔として生まれ変わったばかりじゃろう?』
消えようとする俺に対し、爺さんは不思議そうな面持ちで質問を投げかけてきた。
『……悪魔になってまで、生きたいなんて思わない』
『可笑しなことを抜かすのう。人間も悪魔も、元は同じ魂じゃろう』
何も考えずに零した言葉は、果たして俺の本心だったのだろうか。
少なくとも、爺さんの言った事は理解している。魂は同じ。人間も悪魔も、そして闇も。
何度も触れ、向き合ってきた。だからそれは感覚で理解していた。
悪魔は異常な精神や凶悪性を兼ね備えている。だが、これは悪魔だけが持っているものではなく、人間だって同じ。
散々闇に干渉して、人が殺されるところを見てきた。そこには残忍な人間が何人も登場していた。
悪魔は精神生命体だから見た目や体の構成は違うけど、本質は一緒だった。
『人間も悪魔も、同じ、か』
その答えにたどり着くと、俺が死のうとしている理由は、悪魔に転生したことが原因ではないことに気づいた。
何故、俺は死を選ぼうとするのか。
その答えも、案外あっさりと判明した。
生きる目的がないからだ。
人間の時から、ずっと。
ただ漠然と生きていた。
もし、隣に純恋がいなかったら、俺は自ら死を選んだかもしれない。
恋愛感情を抱くこともなかったのに、純恋は俺の中で掛けがえのない存在になっていた。
そして、その存在が消えた。
だからこそ、もう生きる意味が見いだせない。
『……俺はもう、人間だったとしても、生きたくない』
『ふむ……。お主が口にした純恋という者が、お主にとってどれだけ大切な存在なのかは知らぬ。じゃが、大切な人を失うなぞ、生きておれば誰でも経験することじゃ。その程度のことで自ら死を望むとは、お主の意思は人間の中でもかなり弱いのう。確かに、それほど弱い意思しか持たぬなら、生きていくのも辛かろう。望み通り、消え去るがよい』
そう言うと、爺さんは魔力の放出を強めた。
それにより、俺の体は瞬く間に霧散していく。
爺さんの言ったことは、理解はできる。でも、理解できるからと言って、乗り越えられるものではなかった。
『さらばじゃ、メアよ』
体が霧散し、ついに五感を失った。このまま、意識も闇の中に消えていくのだろう。
残り限られた時間の中、爺さんに呼ばれた名前が頭に響く。
……メア、か。
ヨミに名付けてもらった名前。俺が悪魔になって、初めて貰った物。
悪魔として生きて、何ができる?
爺さんの言う通り、人間も悪魔も同じだ。
じゃあ、もし人間だったら何がしたかった?
純恋に会いたかった。俺を殺した理由を聞きたかった。ずっと一緒に居たかった。
でも純恋はもういない。
なら、もう他にやりたいことはないのか?
進路なんて考えたことはなかった。やりたいことがなかったから。
まったりとした日常を過ごしたい。
仲間と一緒に遊んでいたい。
ただただ、生きていたい。
目標なんて何にもなく、ただ生きていたいだけ。
そこに、生きる意味があるのか?
……いや、違う。
俺は今、生きる意味を見つけようとしていた。けど、人間の時にそれを考えたことなんて一度もなかった。
悪魔として生きるのが不安で怖かった。幸せになれる未来が見えなかった。
でも、考えていなかっただけで、それは人間の時から変わっていない。
生きていくのが不安だなんて、誰だって同じ。
未来が怖くて脅えるのなんて、誰だって同じ。
生きる意味が分からないなんて、誰だって同じ。
悪魔として生きて、そこに意味はあるのか?
『そんなの、知らねぇよ!』
霧散した闇を取り込んで、元の体を形成する。
何で死を選ぼうとしていたのか、今となっては訳が分からない。
生きることに意味なんていらない。
生きたいから生きる!
たとえ悪魔だろうと、生きちゃいけない理由にはならない。
ただでさえ千年経過してクソッたれな世界になったんだ。悪魔がいようがいまいが変わらない。
俺がいくら罪を重ねようと、心を痛める人もいない。
なら、好き勝手に生きてやる。
悪魔だろうと、人間だろうと、変わらない。
『消えない、消えてたまるか。人生終わっていようが、悪魔になり下がろうが、俺は好き勝手に生きてやる。それを邪魔する奴は、全部潰してやる!』
 




