『悪魔の記憶』日常の崩壊
第三者視点
『悪魔の記憶』はもう1話続きます。
残酷描写ありますので、苦手な方はお気をつけください。
……
日常の中で、何かが変化していくのを感じた。
それは、言われなければ気が付かない程希薄なもの。
しかし、それは確実に増加し、瞬く間に日常を塗り替える。
事前に予兆を察知した者はおらず、気が付いた時には既に手遅れとなっていた。
「来斗、どうしたの?」
「ん?」
隣を歩きながらぼーっとしていた來斗に対して、純恋はいつも通りの無表情で尋ねた。
純恋の長い黒髪がサラサラと風に揺れる。周りから美人と言われる純恋だが、本人はそのことを気に留めたことはない。
来斗も純恋のことを綺麗だとは思っても、異性として好きになることはなかった。物心ついた頃から一緒にいたため、お互いが家族と認識していた。
「なんでもないよ。ちょっと周りの雰囲気が変わったかな? って思っただけ」
「そう?」
純恋は周りに対して関心を持つことが少ない。だから周りの雰囲気が変わったどうかを確認する術はない。
ただ、何時も一緒にいるため、来斗の心境の変化には敏感になっていた。そのための質問であったが、返答を聞いて既に興味を失っていた。
来斗も純恋の性格は把握している。この話題には興味ないのを感じ取り、それ以上口にはしなかった。
ただ、やはり若干の違和感を感じる。どこが変わったのかと聞かれても、来斗には答えようがないのだが。
いつもと同じ通学路を二人で歩く。堤防を上って川沿いを歩き、橋を越えて坂を下る。そのまま真っ直ぐに降りていくと右手に中学校が見えてくる。
もう2年以上も通った道。何か変われば気付けるだろうという自信が来斗にはあった。だからこそ、違和感の原因が分からずにモヤモヤする。
気にはなるが、来斗はそれ以上考えるのを止めた。考え込んでいると、純恋に心配をかけてしまうと思ったから。
中学校の手前まで来た時、道の横に生えた草花の中、猫が横たわっているのが見えた。
純恋が近づいてしゃがみ込む。それに続いて来斗も純恋の横でしゃがみ込み、猫の様子を窺う。
生きてはいるようで、小刻みに震えている。ただ、大怪我を負っていた。
後ろ足が折れているせいで動けず、腹部からは血が流れ出ている。
車に撥ねられたのか、他の動物にやられたのか。
「もう、助けられそうにない」
純恋がそう呟いた。周りに無関心ではあっても、傷ついている動物を見捨てる程薄情というわけではない。
むしろ、困っている人や動物がいれば、率先して手を差し伸べる。
普段の姿からは考えられないが、そんな献身的な一面もある。そのせいで遅刻常習犯になっているが。
「……うん。楽に逝かせてあげよう」
来斗は純恋の言葉に同意し、病院に連れて行こうとした意思を捨てた。
どう見ても手遅れであり、助けようとすればその分だけ苦しませてしまう。それなら、ここで楽に逝かせた方がいいと判断した。
そして、二人は猫の最後を看取った。
来斗は猫の頭に添えた手を体の下に回し、その死骸を持ち上げた。
そのまま他の人にバレないよう注意しながら校舎裏に生えた草木の所まで向かい、そこに手で穴を掘って死骸を埋めた。
最後に両手を合わせて拝んでから、手についた土を払う。
それを見計らうかのように、甲高いチャイムが鼓膜を揺らした。
「純恋、ごめん。また遅刻になっちゃったね」
「ううん、問題ない」
「いや、ちょっとは気にした方がいいんじゃない? って、人のことは言えないか。じゃあ、手洗ってからこっそり教室入るかな」
「もう帰りたい」
「ダーメ。またおばさんに怒られるよ」
純恋に言い聞かせつつ、二人は学校へと足を踏み入れた。
来斗は遅刻だけでなく居眠りの常習犯でもある。
いつもならすでに居眠りしているはずだが、今日は一睡もできずに授業を聞いていた。
やっぱり、何かが変だ。
来斗は違和感を確かに感じているのに、その原因を判明できないでいる。
一番後ろの席から周りを見渡すが、クラスメイトや先生、机、椅子、黒板、時間割表など、多少の変化はあっても違和感の原因ではない。
来斗の隣、窓側の席では純恋が外を眺めていた。
朝は晴れていたのだが、太陽は雲に遮られてどんよりとした雰囲気を醸し出している。
天気のせいかな? と無理矢理理由を付けて、来斗はそれ以上考えるのを止めた。
そして、退屈な授業を聞き流し、バレないように俯きながら居眠りを始めた。
退屈な授業を終えて、給食の時間となった。
机を動かして向かい合わせにする。6人ごとに班決めされているが、来斗と純恋は隣同士の席で班も同じため、向かい合って給食を食べている。
栄養重視で味軽視。それが純恋が抱く給食の評価であり、来斗も同感ではあった。
ただ、育ち盛りの来斗にとってはお腹が膨れれば問題ないので、味が多少悪くともどんどん胃に流していく。
二人とも無口のまま食事を続けていたが、残りの班員が口を挟む。
「二人ともまた遅刻だったな。今度は何があったんだ?」
「あぁ、猫の死骸があってね」
「ごほっ! げほっ! ちょっと来斗! 食べてる時に止めてよ!」
「いや、聞かれたから答えただけだよ?」
「そういう時は言葉を濁してほしかったなぁ」
「明美のいう通りよ! 大樹の質問なんて答えなくていいから」
「おい春奈、それだと俺が来斗に無視されるだろうが」
「問題ないでしょ? 普段から独り言の方が多いんだし」
「ちょ!? おい圭人~! お前の幼馴染が虐めてくるよぉ!」
「それはしょうがないよ。春奈はアレだもの」
「圭人? それはどういう意味かしら?」
「ん、これ不味い」
「「「「……」」」」
話がヒートアップしてきたころに純恋の呟きが水を差す。それによって頭に上った熱を下げて食事を再開する。
個性的なメンバーが多いが、凸凹がハマって調度いい班にまとまっていた。
純恋は普段から無表情で自分から話しかけることもしない。
だからほとんど友達がいないのだが、そんな純恋に対してもこの班のメンバーは話しかけてくれた。
春奈は少し言葉が乱暴だが、周りを見て気遣いができる班長。班決めの時も率先して問題児(來斗、純恋、大樹の3人)を班員に引き入れた。
明美はふんわりとした雰囲気で積極性はないが、分け隔てなく他人と接することができる。
そんな二人だからこそ、男女分かれた時も来斗は安心して純恋を任せることができた。
大樹は活発で気後れせず、誰とでも気軽に接することができる。昔に友達を虐めていた上級生に手を上げて問題児扱いされているが、クラスメイトからは悪い感情を抱かれることはない。
圭人は人見知りで目立つことは苦手だが、思いやりがあり一度心を開けば話し合いも普通にできる。
大樹と啓介は仲が良く、そこに来斗も混ぜてもらっていた。
来斗にとって、この班は調和がとれていて良いと思っていた。
だが、もうすぐ夏休み。そして二学期には席替えがある。この班でいられるのもあと僅か。
寂しさと不安はあるが、まずは今を楽しむことが優先。そう思い、取り留めのない会話が再開された。
楽しい給食の時間が終わり、残りの授業を消化していく。
午前中に居眠りしたせいで、午後は居眠りできずに退屈な時間を過ごしていた。
そんな中、不意に純恋が立ち上がった。
不信に思った日本史の吉川が純恋に声を掛けた。
「中野? どうした? 具合でも悪いのか?」
声を掛けるが、純恋は返事をしない。それを見て、さすがに変だと感じた来斗が座ったまま声を掛ける。
「純恋?」
それでも純恋は反応しない。横顔を覗くと、純恋は虚ろな目をしていた。普段から無表情の為、それに気づくことができたのは来斗だけだった。
周りのクラスメイトが騒めき出し、吉川が不安そうな表情で歩み寄ってくる。
来斗は中腰になって純恋の腕を掴む。ぴくッと反応した純恋は、ゆったりとした動作で来斗の方を向いた。
「……来斗」
「大丈夫?」
「……うん」
純恋の表情を見て、来斗は立ち上がった。
「先生、保健室に連れて行ってもいいですか?」
「あ、あぁ、行ってきなさい。日向一人で大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。さ、行こう」
「……うん」
純恋の手を引き、教室の外に出た。
後ろから陰口が聞こえてくる。傍から見れば二人が恋人のように見えるのは仕方のないことだろう。
純恋は一切気にしていないが、来斗は若干気にはしていた。それは恋人として見られることが気恥ずかしいのではなく、純恋のファンクラブの会員たちに嫉妬の目で見られるのが嫌だったからだ。
二人が一年の時には既にファンクラブができていた。それも、会員の比率は女子が圧倒的に多い。
純恋本人にその気はないが、無表情な様がクールであり、ミステリアスに見える。そして、たまに起こす天然っぷりがファンクラブの会員にとっては堪らなく愛おしいものであった。
クラスメイトは今回の行動もその一つと捉えているようで、それほど大きな騒ぎにはならなかった。
いつものことであり、大した問題ではないと。そう思っていないのは、一人だけだ。
「純恋、大丈夫? 何があったの?」
「……ううん、何でもない」
「そんな訳ないでしょ。そんな苦しそうな顔して」
「……わかる?」
「当たり前でしょ。いつも一緒にいるんだから」
「そう、だね。いつも一緒だもんね」
そう呟いた純恋は珍しく口元が緩んでいた。来斗にとっても珍しい光景だが、今は不安を煽る要因にしかならない。
「辛いなら、早退する?」
「ううん、大丈夫。次の授業で最後だから、保健室で寝てる」
「……分かったよ」
いつもよりゆっくりとした足取りで保健室に到着する。
来斗がドアをノックするが、中から返事はなかった。鍵は掛かっていなかったため、二人はそのまま中に入り、純恋をベッドに寝かせた。
この状態の純恋を一人にしたくはないが、このまま教室に戻らないと余計な誤解を招く。そう考えて、来斗はベッドのカーテンを閉めてから外に出ようとした。
その時、外から二人の女子生徒が入ってきた。短髪で褐色の女の子と、長髪で大人しそうな女の子。
夏服に刺繍された校章は赤色。学年別に色分けされており、赤、緑、青の順に学年が上がっていく。女子生徒は二人とも一年生であった。
一年の女子が二人ともふら付いた足取りで保健室に入ってきたら、誰であっても心配はしただろう。
来斗も心配に思い、二人に声を掛けた。
「えっと、二人とも大丈夫? 体調悪いの?」
「「……」」
二人は来斗の言葉が耳に入っていないのか、そのままベッドに向かおうとしていた。
ベッドは二台しかないため、今空いているのは一台だけ。それなのに、二人ともカーテンの閉まっている方に向かっていた。
来斗は二人の前に立ち、その身で行く手を阻んだ。
「ごめん、今このベッド使っているんだよ。だから悪いんだけど、隣のベッドを二人で使ってくれないかな?」
漸く来斗の声が届いたのか、二人は頭を上げて視線を合わせた。
途端、来斗は恐怖心に駆られた。二人が真っ赤に充血した目で睨みつけてきたから。
「何で? 何で先輩なんですか?」
「……え?」
突然発せられた言葉に戸惑いを隠せないでいる。
恐怖で怯んでいたのもあるが、その言葉の意味を捕らえることができなかった。
「何で、先輩が、純恋先輩の横にいるんですか?」
「貴方がいるから、純恋先輩は私たちを見てくれない。こんなにも! こんなにも純恋先輩のことを思っているのに!」
「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて、ね?」
急に感情を爆発させた二人に来斗はどう対応していいか分からなくなる。
ここで騒がれて純恋が姿を見せてしまったら、余計に事態を悪化させてしまう。そう思った来斗は、二人に外へ出るよう促した。
「今、ベッドで寝てる人がいるから、話すなら外で話そう」
そう声を掛けても、全く動く気配がない。さすがにこの状況で純恋だけを置いて出ていく訳にはいかない。
来斗はこの場をどう乗り切ろうかと考えてみるが、それを待ってはくれず、事態は更に悪い方向へと進んでいく。
「先輩が、死ねばいいんだ」
「先輩が、消えればいいんだ」
「「そうだ。殺せばいいんだ」」
二人が何を言っているのか理解できなかった。
ただ呆然と眺めている中で、二人がそれぞれハサミを取り出し、こちらに向けた。
言葉通り、殺そうとしている。そう理解した。
「二人とも、ちょっと待って! ドッキリだとしても度が過ぎるよ!?」
「先輩、死んでください」
「先輩、消えてください」
来斗の言葉は耳に入らず、二人が同時に襲い掛かってきた。
それを見た来斗は、恐怖心を抱きつつも、二人を無力化するために行動に移った。
右から来た短髪女子のハサミを躱し、足を掛けて転倒させる。
もう一方から襲い掛かってきた長髪女子の手をとって思い切り振り回し、壁に激突させた。
「っごめん!」
来斗は謝罪しつつ、転んだ短髪女子が起き上がる前に鳩尾を蹴り上げた。
いくら年下の女の子が相手でも、ハサミを持った二人を同時に相手することはできない。
蹴られた短髪女子は体を痙攣させてその場に倒れた。今の内に拘束しようと動きつつ、長髪女子の様子を窺う。
壁にぶつけられた長髪女子は鼻から血を流していたが、お構いなしにハサミを来斗に向けて突っ込んできた。
来斗は拘束するのを諦めて横に跳んで回避し、足元に落ちていたハサミを投げつけた。その切っ先が女子の目に当たる。
来斗は怯ませるために投げたのだが、目に当ててしまったことで動きを止めてしまった。
「痛い痛い痛い! どうしてくれるんですか! 私の顔に傷が……! これじゃ、純恋先輩に顔を見せられないじゃない!!」
グチャ、グチャ、グチャ、グチャ
長髪女子は常軌を逸している。それは誰が見ても明らかだった。
目からは血が流れているのに、それを痛がりはしても気にしている様子はなかった。
自分の手に持つハサミで自らの太腿を刺し続けている。刺す度に鮮血が飛び散る。不快な音が耳を汚す。
「先輩のせいで、先輩の、お前、お前のせいで、せいで、せいで!」
狂ったように叫び出し、自らが痛めつけた足を引き摺って来斗の元に迫る。
「純恋先輩は、私の、私だけのものだ! お前なんかに盗られてたまるか! 私の、私だっ!?」
「アンタ、何とち狂ってんの? 純恋先輩は私の物。アンタの物になるわけないじゃない!」
鳩尾を蹴られて蹲っていたはずの短髪女子が、長髪女子の首元にハサミを突き付けた。
そしてそれを勢いよく引き抜く。血が止めどなく溢れ出て、その命を瞬く間に枯らしていく。
「ふざ、けんな!」
「ぐぇ!」
お返しとばかりに、長髪女子がハサミで短髪女子の喉元を突き刺し、そのまま倒れこむ。
短髪女子は痙攣して震えている。喉に刺さったハサミのせいで呼吸ができないが、長髪女子がハサミを持ったまま上に乗っかっているせいで抜くことができない。
長髪女子はそのまま息絶え、短髪女子は藻掻き苦しみながら後を追った。
その光景を看取り、来斗は呆然と佇んでいた。今見ている光景が、幻なのではと現実から逃げようとする。
それなのに、目の前に広がった血だまりと、臭い。それらが逃亡を許してくれない。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静寂が包み込む。自身の鼓動だけが響き渡る。
遠くから、微かに聞こえてくる騒音。それが来斗を正気に戻した。
まだ、異常事態は続いている。ここにいては危険だと、本能が警鐘を鳴らす。
「来斗」
ハッとしてベッドの方を向くと、純恋がカーテンを開けてこちらの様子を窺っていた。
その視線は来斗の足元にも向いていた。
「純恋、これは、その……」
「来斗、ここから出よう」
純恋は深く尋ねることもせず、外に出ることを提案する。それに来斗も同意して足元についた血を拭った。
「外も騒がしいから、もしかしたら他に暴れている人がいるかもしれない。一旦外に出て様子を見よう」
「うん」
保健室の窓から外を覗く。そこには校庭が広がっているが、授業では使用されていないようで誰もいなかった。
空は曇天に包まれ、日中とは思えないほど陽の光が遮られている。これなら、目立つことなく移動することができそうだ。
そう判断し、二人とも窓から外に抜け出した。




