悪魔が助ける理由
『いやぁ、皆強いっすね。巻き込まれないかヒヤヒヤっすよ』
『その割には余裕そうだな』
肉塊の攻撃はここまで届いているのに、マコトは平然と佇んでいる。
その余裕を生み出しているのは、目の前に展開している黒い壁。半透明で薄く、壁というよりは膜といった方が正しいかな。
すぐに砕けそうな見た目に反し、この黒い膜はすべての攻撃を横に逸らしていった。ひらりと反すマントみたいだね。
『これは何?』
『影で作った防壁っす。攻撃を受け流す効果があるんすよ』
肉塊の攻撃が無数に飛来してくるが、そのすべてを影の防壁が受け流していく。防壁は薄く広く展開されていて、後ろにいるスライムを守れる程度には大きい。
けど、この防壁があっても安心はできないみたいだ。ミツメの黒い風が防壁に触れると、壁の一部が霧散して穴が開いてしまっている。すぐに補っているけど、黒い風が一気に押し寄せてきたら耐えきることはできないだろう。
ミツメはずっと黒い風を巻き起こしている。その勢いは弱まることなく、むしろ増している。
それに、風の総量も増えているように感じる。黒い風には触れたものを分解する効果があるみたいだけど、分解する時に黒い風自体は消費されないのか?
それとも、常に黒い風を放出しているとか?
『んー、マズイっすね。ミツメ君がそろそろ限界っす』
『え?』
隣から聞こえた言葉に思わず声が漏れた。
現在進行形で猛威を振るっている危険人物を案じる理由が分からない。
疑問に思い、ミツメに視線を向ける。そこにいるのは、全身が真っ黒に染まった鬼。もはやミツメだった頃の面影はない。
黒い風が暴れまわるのに対し、鬼は頭を抱えて静止している。腕の隙間から、歯を食いしばって必死に堪えている鬼の顔が見えた。
何に抗っているのか、ミツメの見た目の変化で予想はつく。
『……闇を取り込み過ぎたのか』
『そうっす、あの黒い風が闇を取り込んでいるんすよ』
『もうすでに限界そうだけど、ミツメは何で止めないの?』
『自分で発動した魔法を制御できていないんすよ。このまま闇を取り込み続けていれば、精神が持たずに消滅してしまうっすね』
―――消滅。
その言葉を聞いて、焦燥感に駆られた。
目の前で子供が苦しみ、死んでいく光景は、もう見たくない。
この激情は闇によるものだと思うけど、本心でもある。助けられるなら、助けたい。
でも、どうやって助ければいい?
黒い風が厄介すぎる。遠距離から攻撃しても防がれるし、接近戦は自殺行為だ。
『ミツメを助けるには、どうすればいい?』
『助けるんすか? 出会ってすぐに殺されそうになっていたじゃないっすか。助けてもまた攻撃されるっすよ?』
『……』
マコトの言う通り、助けてもまた攻撃されるだろうね。
出会ってすぐに首チョンパされたくらいだし。
口の悪い、殺意剥き出しで攻撃を仕掛けてくる悪ガキ。
見た目は子供だが、ミツメは悪魔だ。危険な存在で、ここで助けても敵のまま。俺が助ける意味はない。
俺は、一歩前に出た。
心は正直だ。危険をかなぐり捨てて、前を向いている。
俺の意思を感じ取ったのか、マコトの呆れた声が零れた。
『少しは考えた方がいいっすよ。今のミツメ君はかなり危険なんすから。いくら御子さんの体でも、黒い風に直撃したら消滅するっすよ』
『それは見れば分かる』
『分かっていて、それでも何の策も得もなく助けに行くなんて、御子さんはやっぱり変態っすね』
『……変態じゃない』
変わっている自覚はあるけど、変態は何か響きが嫌だ。せめて変人と言ってほしい。
『本気でミツメ君を助けたいんなら、まずはこれ以上闇が取り込まれないようにしないといけないっすね』
『そのためには、あの黒い風を止めないと』
『別に風を止める必要はないっすよ? 風に闇が触れないように、この空間に充満している闇を隔離すればいいんす』
『闇を隔離? そんなこと、どうやってするの?』
困難な問題に対する以外な解答に、俺は振り返ってマコトを見る。すると、マコトは俺を指差して続きを述べた。
『御子さんがここにある闇を全部取り込んじゃえばいいんすよ』
『……簡単に言うね』
その解答は、机上の空論なんじゃないか?
確かに闇を取り込むことはできるし、体が闇で構成されているくらいだから、他の悪魔よりも耐性はあると思う。それでも、取り込み過ぎると危険なのは俺も同じだ。
この広い空間にどれだけ闇があるのか分からないし、すべてを取り込むなんてできる気がしない。
もし取り込むことに成功したとしても、意識を保っていられるかは怪しい。少なくとも、戦える状態ではないはずだ。そうなれば、今はモブと化しているベラギルが猛威を振るう。
闇をすべて取り込み、その上で敵を一掃する。そんなこと、できるならやっている。
『できるかどうかじゃないっす。やるんす』
『今、精神論は聞きたくない。すごくイラっとする』
ミツメを助ける前にマコトを串刺しにしたい。
でも、それが不毛であることは身に染みているから手は後で出す。今はミツメを助けるために行動に移る。
『はぁ。まぁ、やらないという選択肢はないか。というか、マコトも手伝えよ』
『自分はスライムを守るので精一杯っす。ここを離れてもいいならお手伝いするっすよ?』
『じゃあ仕方がない。スライムを全力で守ってくれ』
『……過保護っすね』
今はマコトの魔法で守られているけど、マコトがこの場を離れればスライムを守る盾がなくなる。
ベラギルか肉塊の相手をしていてほしかったけど、可愛いスライムを守るためには仕方がないよね。
俺はミツメの元へと歩き出した。マコトが防壁を操作して開けた穴から飛び出し、再び攻撃が飛び交う戦場へと戻る。
ミツメの攻撃が届く手前で立ち止まり、覚悟を決めて俺は叫んだ。
『闇よ、俺の元に集え!』
闇が渦巻き、俺の元へと流れてくる。
体に流れてくる雑多な感情を抑え込みつつ、際限なく闇を取り込んでいく。
次第に体が膨れ上がり、巨大化していく。それでも闇の流れは止まらない。
『ぐぅ!』
苦痛に悶えながらも闇を取り込み続ける。
体を大きくすると同時に闇の密度を上げ、さらに体積を増やすために翼と爪を巨大化させる。
体が重すぎて支えきれなくなり、両膝をついて首を下げる。それでも、限界を超えても闇を取り込み続けた。
ズキっと鋭い痛みが頭に走る。視界が黒く染まり始める。体が震え、少しずつ感覚が薄れていく。
擦れていく意識の中、少しずつ闇の流入が収まっていくのが感覚で分かった。
もうひと踏ん張りと意気込んで頭を上げると、後頭部が天井にぶつかった。巨大化が進み、広大に感じていた洞窟が手狭になる。
そして、ついに闇を取り込みきることに成功した。
両膝をついた状態で、背中が天井に触れている。大きな翼は体にぴったりと体に張り付いているし、爪が重すぎて指一本動かすことができない。
戦場で身動きできないという醜態をさらしているけど、闇を取り込み切ったことに安堵する。
これで、ミツメの状態がこれ以上悪化することはないはず……
『がぁああああぁあ!!』
声に驚き、重たい頭を上げて見下ろすと、ミツメが天に向かって咆哮を上げていた。先ほどよりも苦しみが混じる声を聞いて、作戦が失敗したことを悟る。
……あぁ、俺の、せいだ。
俺が闇を巻き起こしたせいで、黒い風と闇との接触を促進させてしまった。
俺のせいで、ミツメが、消滅する。
恐怖が、後悔が、絶望が、消えかけた意識を塗りつぶしていく。
『……ぁ、あぁ、……あああぁあああ!!』
慟哭が木霊し、心が震える。
嫌だ、嫌だ!
失いたくない! 苦しませたくない! 死なせたくない! 生きてくれ!!
俺は、俺は、必ずミツメを、必ず仲間を、
『『助ける!!』』
二つの意思が重なり合い、巨大な闇の塊から、青白い閃光が迸った。




