百足の脅威に抗う悪魔
ムカデは一瞬表情を歪めたが、先ほどよりも敵意を滲ませて俺を睨みつけた。
『生まれたての小童が、言うではないか。ならば、御子としての力、証明してみよ!』
ディピードの上体が再び持ち上がった。動作が大きい為間合いからは簡単に抜け出せるが、避けた先で衝撃に襲われて隙ができてしまう。巨体に見合わないスピードで何度も攻撃されたら、踏みつぶされるのも時間の問題だ。
ならば、相手が攻撃してくる前にこっちから攻める!
俺は手をドリルに変えて回転させる。回転速度が上がるにつれて甲高い音が洞窟内に響いた。
第二下層の豚野郎に使った時は聴力を戻していなかったから知らなかったが、かなり大きな音を響かせていたようだ。
自分で出しておいてなんだが、五月蠅い。ただでさえストレス溜まっているのに、ドリルのせいでストレスが増えた。どうしてくれるんだ、クソババア。
抱え込んだストレスをドリルに乗せて、俺は勢いをつけて腕を伸ばした。ディピードの関節の隙間目がけてドリルを叩き付ける。
ガキン!!
鉱物を打ち付け合う音が響いたが、ディピードの体には傷一つ付いていない。ドリルの回転を緩めずに強く押し付けていたが、硬い外殻に完全に防がれている。
『耳障りな音を響かせよって。何がしたいんじゃ? とっとと攻撃してこんかい』
ムカデがこちらを見下ろして嘲る。その表情に、さらに憎悪が膨れ上がった。
『くそがぁ!』
腕に意識を集中させて、回転を速め、より強く押し付けた。だが、外殻を傷つけるどころか、ドリルの方が欠けてしまった。
攻撃が通らないことが腹立たしい。ディピードの外殻を貫く為には、硬度も回転も威力も足りない。
『ほれ、次は儂の番じゃ』
ディピードが上体を地面に叩き付けた。ドリルを押し付けていた腕が重みに耐えかねて折れ曲がった。
体は間合いを抜け出せたが、伸ばしていた腕が下敷きとなって踏みつぶされてしまった。そして衝撃をもろに受け、吹き飛ばされた勢いで下敷きになっていた腕が千切れた。
『ぐぅっ!』
衝撃が体を貫くが、飛ばされた方向に壁がなかったおかげで背中を打ち付けることなく、俺は翼を広げて勢いを殺して足から着地することに成功した。
隙を作ることなく距離を置くことができているうちに、千切れた腕を復元し、足元から魔力を流して暗くなりつつあった洞窟を明るく照らす。
『休む暇なぞやらん』
ムカデがそう呟くと、ディピードの上体が持ち上がる。俺は再び腕をドリルに変化させた。通用しないのは先ほどの攻撃でわかっているが、これよりも威力の高い攻撃が思いつかない。
ディピードが接近してきたら同じところにもう一度攻撃してやる。そう思って身構えていたが、ディピードの攻撃は予想していたものではなかった。
持ち上げられたディピードの口元から消化液が勢いよく噴射されたのだ。
『な!?』
紫色の液体が視界を塞いだ。どこにも、逃げ場がない!?
俺は後ろに飛びながら翼を巨大化させて体を覆った。消化液に触れた瞬間、翼はすぐに溶け始める。
俺は急いで両腕を巨大化させて頭を抱え込んだ。消化液は翼を一瞬のうちに溶かし切り、両腕に降りかかった。
噴射された消化液からなんとか頭は守り切ったが、翼も両腕も消化液で溶かされてしまった。なおも溶け続ける翼と両腕を切り離し、復元を始める。
『言ったであろう? 休む暇なぞ、やらんと』
声に反応して視線を上げると、すぐそこまでディピードが猛スピードで接近していた。
逃げようと動き出したが、躓いて膝をついてしまった。足元を見ると、爪先が溶けてなくなっている。頭を守ることに気を取られすぎたせいで、足に消化液が当たったことに全く気付かなかった。
ディピードは間合いに入っても速度を落とさない。どうやら、俺を轢き殺そうとしているようだ。
俺は片足で横に飛んだ。そして爪先のない足から針を伸ばして地面を突き押し、自ら壁に向かって飛んでいく。
だが、壁に向かうよりもディピードの方が早かった。ディピードの足が俺の胴体に突き刺さり、そのまま切断した。皮膚を楔帷子に変えていようが全く役に立たず、一瞬の抵抗もできなかった。腕も足も翼もない状態で、俺は頭から壁に衝突した。
壁に打ち付けられて跳ねた体が地面に落ちる。また文字通り手足の出せない状態になってしまった。
俺は急いで手足の復元に取り掛かる。
『……これが御子の実力か? 嘆かわしい。この程度の実力で、儂らの上に立つじゃと?』
視線を上げれば、ムカデと目があった。その目からは苛立ちと軽蔑が感じられる。
『お主程度の弱者に王は務まらぬ。ここで、潰えよ』
俺を圧し潰そうと、ディピードは上体を持ち上げる。
死の恐怖を感じた。
悪魔になって死ぬことを選択しようと思ったこともあるが、いざその時になると恐怖で身が竦む。
俺は、死にたくない。……生きたい。
たとえ誰かを傷つけても、誰かを殺しても、俺は、生きたい!
俺は横に倒れたまま、復元途中の腕を前に突き出した。
闇でできた真っ黒な腕。念じれば思い通りの形になってくれる。
サトリは闇に命令しているって言っていたが、未だに意味は分からない。だが、命令すれば動いてくれるのなら、いくらでも命令してやる。
『闇! 俺の命令に従っているっていうなら、俺の力になりやがれ!』
俺の放った念話は洞窟全体に響き渡った。
そして、目の前が漆黒に染まった。
体を構成するときに出てくる黒い靄。それをより圧縮したような濃い靄が空間を埋め尽くした。まだ洞窟を照らす光は消えていないはずだが、俺のところまで光が射し込んでこない。
この靄が、闇?
俺が呆然としていると、靄が俺の腕に吸収されているのを感じる。腕に、力が漲ってくる。
腕から流れ込んだ力が全身を巡る。手足も翼も復元され、より強力になったのが分かる。
……これが、闇に命令した結果、なのかな?
不思議な感覚に戸惑っているうちに、靄が晴れて視界が戻った。目の前にはムカデが愕然とした面持ちでこちらを見つめている。
『……今のは、なんじゃ? お主、一体何をした!?』
大声に反応して、一瞬忘れていた憎悪が戻ってきた。
だが、先ほどまでの死への恐怖心は霧散している。今あるのは、目の前の敵に対する憎悪と殺意だけ。
『なんだっていいだろ?』
俺は不敵な笑みを浮かべて、殺意と憎悪を乗せて針を射出した。
伸びた針は先ほどと同じく外殻の隙間を突いた。針はぶつかった衝撃で折れることなく、僅かながら針の先がディピードに刺さった。サトリも針が刺さったことが分かったのだろう。驚愕に目を見開いている。
『これから死ぬババアに説明したって、時間の無駄だ』
 




