今回は悪魔のせいかな?
土壁の外に出ると、兵士達が後処理に追われていた。
倒壊した建物は俺達がいた場所だけだったけど、壁が崩れていたり地面に罅が走っていたりと戦闘の痕跡が残っていた。
所々に血痕が付いているけど、負傷者の姿は見えない。既に治療院に運ばれていったのだろうか。
体感ではそれほど時間は経っていないと思っていたけど、外の様子を見ると想定よりも話し込んでいたみたいだね。
アージリナが兵士達に指示を出しつつ、こちらに近づいてくるのが見える。
衣服が紅く染まっているけど、全て返り血のようだね。
アージリナに怪我がないことを知り、ウェルが一息吐いた。
だが、距離が縮まるにつれて、生々しさが際立ってくる。
両手に嵌めた手甲から血が滴り落ち、鉄の臭いが強くなる。
アージリナは全く気にしていないようだけど、周りの兵士はドン引きしているよね。
アージリナの表情を見れば、そんなことを指摘できる状況では無いと理解させられる。
怒気を孕んだ無表情は、ウェルが声を掛けるのを躊躇するほどだ。
ウェルの戸惑いが消える前に、アージリナから声が掛けられた。
「ウェル、無事のようだな」
「……うん。アンジー、もう敵はいないか?」
「この近辺に潜伏していた敵は始末した。今は残党がいないか兵士達に調べてもらっている」
ニョチェラのように騎士団員がまだいる可能性も捨てきれないし、暗部や隷属された都民がまだいると考えているのだろう。
アージリナから隠しきれない怒気を感じるのは、都民を道具にされたからかな。
暗部は都民を隷属化して戦いを強要していた。
盾としては勿論のこと、火薬を持たせて突撃させるという特攻も行われた。
行動を抑制するために気絶させても、魔法によって爆弾扱いにされる。
そして、暗部である主人が死んだら隷属された者も死ぬ。暗部が証拠を残すことなんてないからね。
守るべき都民が、目の前で次々に死んでいく。アージリナは怒りに染まり、敵の捕縛は諦めて即座に始末していったそうだ。
「その場にいた暗部達は全て倒したが、その後で隷属化されていた都民は自害させられた。恐らく、暗部の生き残りが命令したのだろう」
「それは最初から命令されていたみたい。命令権を持つ者がいなくなった瞬間に、自害することを」
アージリナの推測を聞き、その間違いを指摘した。ニョチェラの魂から答えを得ているからね。
暗部に人の心を説いても意味は無い。彼ら自身が人の心を捨てているのだから。
「……そうか、分かった。兵士には早めに切り上げるように伝えておこう」
敵を殺すことで都民も犠牲をしていたことを知り、一瞬の間が生まれた。
けど、それで気を病む必要はない。どのみち隷属された者を救う方法は無い。契約を上書きするのには時間が掛かるし、その間に爆発したら二次被害に繋がるからね。
多を救う為に少を切り捨てる。ただそれだけだ。
まぁ結果としては敵の数はかなり減ったはず。襲撃時に姿を現さなかった暗部がいれば別だけど、再襲撃の可能性は今のところ低いだろう。
アージリナは俺の話をすんなりと受け入れ、兵士に伝えるべく踵を返した。
手甲から軋み音が聞こえた。行き場のない怒りに、心が悲鳴を上げているようだった。
静かに悲鳴を上げているのは、隣にいるウェルも同じだった。
「……何で、こんなにも非道なことが出来るのか。しかも、この原因は王族だ。民を守るべき者が、その責務を蔑ろにするどころか、守るべき者を傷つけているなんて」
ウェルの言葉に俺は口を挟まない。
その問いに答えることはできないし、俺には他人を守る気持ちすら分からない。
ただ、一般論からすれば、王族は民を守る為に存在するのではなく、王国を統治する為に存在する。
その中で必要とあれば、王族は民の一部を切り捨てることも選択しなくてはならない。
その選択肢を最初から放棄していることも、王族としては間違っているのだろう。
それでも俺は、夢見がちな少年の平和ボケした意見を、好ましく思った。
「王族の中の膿は、同じ王族が切り出さないといけない。これだけは、死んでも遂行する」
死の恐怖も痛みも知るウェルの決意表明に、俺の感情は小さく、だけど確かに揺らされた。
戦場を後にして、俺達はアージリナの館に戻ってきた。
ゲインに先導された部屋は地下牢。その牢の一つには、この場に似つかわしくない綺麗な布団が引かれている。
そこには片足を失ったクリュスが寝転がっていた。ゲインが先に運び込んでくれたそうだ。
マントが破れてしまい、背中の羽が露わになっている。それで諦めが付いたのか、爪も隠すことなく堂々としていた。
地下牢に閉じ込めている原因は、クリュスの正体が露わになってしまったからだよね。
「ゲイン……」
「ご安心ください、ウェルフェンス様。他の者達にクリュス殿の姿は見られておりません」
「ゲインは、クリュスが魔獣だと知っていたのか?」
「えぇ。何となくではございますが」
やっぱり隠し切るのは無理だったか。ということは、俺も怪しまれているよね。
どうせこの後の交渉で正体を明かす必要があるから、自分から告げた方が良いね。
「兄ちゃんお疲れさん。敵はもう始末したん?」
いつも通りの口調でクリュスが話しかけてきた。
表情もいつも通りで、痛みを我慢している様子もない。
「うん、始末したよ。足は治せる?」
「無理やわ。再生能力とかあらへんし」
後ろの質問はゲインに向けたんだけど、クリュスが答えた。
まぁ、再生能力を持つ魔獣もいるからね。その確認は先に必要だったか。
「足を再生する魔法はありますが、それが使えるのは治療師の中でもほんの一握りの者です。この都市にはおりません」
一般の治療師が使える魔法は治癒魔法までだ。その上位である修復魔法を習得できる者は少ない。
だからこそ、修復魔法を使えたドルフに対して、フェリュスも他の奴隷と違って特別扱いをしていたのだろう。
「治癒魔法が使える者を用意して」
「……失礼ですが、何を成さるおつもりでしょうか?」
「足を修復する」
「治せるのか!?」
思わずといった様子で声を張り上げたのはウェルだった。
クリュスの足が自分のせいで無くなったのだと責任を抱いているようだね。
「分からない。やってみる価値はある程度。でも、その前にアージリナと話をしておきたい」
「承知しました。準備致します」
まだ詳細は何も話していないけど、ゲインは疑問を飲み込んで動いてくれた。
ウェルの心労を感知して、早々に対処した方が良いと考えたのだろうか。
ただ、修復が出来るかどうかは俺にも分からない。一度も使った事が無い魔法だからね。
ドルフがウェルの腕を修復した際に、俺はその魔法陣を目にしている。
だから同じ魔法陣を描写することは出来るけど、魔法陣を起動させることができない。
俺の魔力では性質が合わないからね。
治癒魔法が使える者なら魔力の性質は近いだろうから、試してみる価値はある。
けれど、修復魔法の使用者が少ないということは、魔力の性質も違いがあるかも知れない。
これで治せない場合は、治療はしばらく諦めるしかないね。
アージリナが地下牢へとやってきた。その後ろからゲインとメイドが一人。この場に連れてきたということは、あのメイドは治癒魔法が使えるのだろうか?
ゲインと同様、アージリナもクリュスが魔獣だと気づいていたのか、それともゲインからの報告によるものか。
クリュスの姿を見ても驚く様子は無かった。後ろのメイドさんは驚愕で固まっていたけど。
アージリナは探るような視線を俺に向けている。露骨な態度から、俺にも本当の事を話せと言われている気がした。
「クリュスは魔獣。それと、俺は悪魔」
それも相まって、秘密を一つ打ち明けた。
「つまり、メアも魔獣ということだな?」
「ううん、魔獣じゃない」
予想していたからか、アージリナは俺の言葉に驚くことなく事実を確認する。
けど、俺の返事に疑問符を浮かべていた。
「悪魔とは、悪魔クラスの魔獣という意味では無いのか?」
「違うよ。悪魔は悪魔」
現世で悪魔と言うと、魔獣の等級を指す。でも、魔獣と悪魔は明確に違うからね。
現世で暮らす皆からすれば、俺の言っていることは理解できないだろう。
「魔獣は肉体を持ったまま魂を取り込み混ざり合った生物。悪魔は肉体を持たずに複数の魂が混ざり合った精神生命体」
「……では、メアには肉体が無いと?」
「うん」
言葉よりも見せた方が早いよね。
手を前に翳す。掌に切れ目が入り、ゆっくりと開く。
新たに繋げた神経により、掌に生やした目から周りが見える。
さすがに皆驚いているね。まぁ、人の手に目がついてたら誰だって驚くよね。
一度掌に生やした目を閉じ、そしてまた開く。
今度は一つではなく、掌全体に多数の目を生やした。
「作り物の体。だからこんなこともできるよ」
「兄ちゃん吃驚人間やな」
「悪魔だよ」
魔獣であるクリュスにはそれほど驚きは無かったようだね。
だけど、人間には刺激が強かったようだ。
アージリナの後ろに控えていたメイドが失神して倒れてしまった。
地面に衝突する前にゲインが支えたから怪我は無かったけど、ちょっと粗相してしまっている。
「「「……」」」
アージリナとウェル、そしてゲインでさえも俺に非難の目を向けてきた。
……これ、俺のせいですか?
翳していた掌を自分に向ける。掌にびっしりと生えた無数の目玉……気持ち悪!
そっと腕を下ろして掌を元に戻した。
「兄ちゃん、密室やで臭いが」
「言わないで」
シリアスモード突入のはずが、何故こうなった?