悪魔は馬が欲しい
出発して二日目の夜。
馬車から降りた俺とウェル、クリュスは倒木に腰かけていた。
なお、フェリュスは乱立する木と同様に立ち尽くしていたが、気にするだけ無駄だよね。
「馬が欲しい」
小さい呟きだったが二人の耳には届いたようだ。
二人とも、呆れた表情を俺に向けている。
「……兄ちゃん、それ今言うん?」
「最初はフェリュスで行けると思っていたから」
「行動が軽率過ぎる」
ウェルの苦言にぐうの音も出ないよ。
ウェルは最初の内は萎縮していたが、二日目ともなると緊張も取れてきている。
萎縮の原因は殺し合いを演じたことで、命令に逆らえない以上ウェルが気に病む必要も無いんだけどね。
奴隷であっても人に殺意を向けて攻撃したことが耐えられないのだろう。
それを言うと、俺も殺意を持って攻撃をしたし、実際に片腕を吹き飛ばしたし。
……むしろ俺が悪者になっちゃうから、もうお互い様だから気にしないでとお願いしておいた。
今は俺に対して恐怖を抱いている様子はないし、元から人見知りという訳でもない。
だから和やかな雰囲気で会話に参加している現状に違和感はない。
……少しずつ、突っ込みの言葉が強くなっている気がするけど、気を許してくれたのだと前向けに受け止めよう。
胡乱な二つの視線から背ける為に、曇天の空を見上げた。雨は止んだが、まだ空には雲が居座っている。
ぼんやりと眺めながら、頭の中で地図を表示する。
予定では早ければ二日、つまり今日中には危険地域を抜けられると考えていた。
けど、予定していた距離を進むことができず、まだ半分にも満たない。
この調子だと最低でも今から三日間は掛かるだろう。
遅れの原因は足場の悪さと魔獣の襲撃頻度。
雨を吸った地面が車輪を沈める。踏ん張りが効かず、馬車が思うように引けなくなった。
フェリュス一人では馬車を動かすことが出来なくなった為、ウェルにも手伝ってもらった。
勿論、馬車を引くという肉体労働はさせないけどね。ウェルには魔法で支援をしてもらった。
進行方向の地面を硬質化させる魔法により、車輪が埋まることなく回る。
悪路がより酷い状態になっているけど、移動速度が落ちるよりはマシだね。
そして、襲撃頻度があまりにも多い為、俺も魔獣の駆除を担当することになった。
と言っても黒衣の外で魔力を練ることはできないから、身体強化で対処するしかない。
黒衣を操作して針を動かすこともできないんだよね。
対消滅の効果を発揮させる為に、黒衣には多くの魔力を常時流し込んでいる。
その操作をミスすれば、対消滅の効果が消えて俺は行動不能に陥ってしまう。
だから日の出ている時は黒衣に魔法付加できない。
操作だけでなく硬化も付加できない。いくら弱い魔獣と言っても、黒衣を物理的に破るくらいはできるからね。
気を使いながら一体一体倒していく作業に辟易していた。
……はぁ、馬がいないならフェリュスに引かせればいいじゃない、とか短絡的に考えていた自分を殴りたい。
危険地域たる所以は、この魔獣の多さだ。
危険地域は中心に向かうほど強力な魔獣が生息している。
その為、端であるこの場所に強い魔獣は滅多に出現しないが、その代わり弱い魔獣が端に集まってくるってわけだね。
フェリュス達は、この危険地域を行き来するために馬を使用していた。勿論、ただの馬では無い。
馬車を引かせていたのは華流馬という魔獣だ。見た目は体格の良い巨馬って感じ。なんたって、馬車と同じくらいの大きさだ。
ばんえい競馬に出たらぶっちぎりで優勝するだろうね。
その巨体からは想像できないような流麗な身の熟しに素早い動き。そして火魔法まで使えるという魔獣の中でも上位の存在らしい。
しかも獰猛で食欲旺盛だから、他の魔獣からすれば恐怖を顕現したような存在ってわけだね。
魔獣の使役は奴隷紋を刻むことで認可される。勿論、華流馬にも奴隷紋を施している。
それにより人間へ危害を加えないことを厳命することが義務付けられている。
フェリュスが持っていた華流馬にも奴隷紋が刻まれていたが、所有権はフェリュスだけでは無い。
他の神官や一部の奴隷商にも命令権を与えている。
フェリュスの命令であっても、後から命令が追加されると前の命令が取り消される。
そうしないと、相反する命令を遂行できず奴隷が死ぬなんてことになりかねないからね。
そしてもう一つ、命令した者が死んだ場合、直前の命令も取り消される。逃げられた原因はこれにあるみたいだね。
逃亡を選んだのは、やはり魔獣だからだろう。知恵ある人間なら逃亡に意味がないことは知っているからね。
奴隷紋は遠く離れていても命令を下せる。また、魔力による繋がりにより居場所まで特定できる。本来なら。
言い訳にしか聞こえないだろうが、実は出発する段階から後でフェリュスに命令して華流馬を呼び寄せようと考えていた。
フェリュスを馬替わりにするというのは単なるネタで、それをずっと引っ張るつもりなんて無かったからね。
だが、フェリュスに命令して呼び寄せようとしても命令ができなくなっていた。
命令を聞かないではなく、できない。それどころか居場所すら把握できない有様だった。
その原因は魔力の変異だった。
奴隷の使役には魔力の繋がりが必要。契約時に奴隷紋に魔力の性質を登録することで、特定の主人に命令権が譲渡されるという仕組みになっている。
だが、フェリュスは悪魔になったことで魔力が変異してしまっている。
華流馬に登録した魔力と異なる性質になった為、命令ができなくなったという訳だ。
……つまり、俺のせいだとも言えるね。
元々の予定を口にすると、結果的に俺のせいになるから二人には言えない。
だから行動が軽率過ぎると言われても訂正することができないのが辛いよ。
とまぁ、落ち込んでいても始まらないからね。
出来れば華流馬を捕まえたいけど、逃がしたのは一頭だけだし、ここら辺に生息しているという情報もない。
なら、華流馬は諦めて代わりになる魔獣を捕らえるしかない。できれば華流馬のように強い魔獣が良いけどね。
「暗糸乱操」
地面に描いた魔法陣から大量の黒い糸が噴き出した。
柱のように聳え立つ糸が、闇夜に溶けるように解れていく。
これは索敵用の魔法であり、この糸に触れた物質の位置情報を把握することができる。
今までは拘束や目隠しとして使っていたから、本来の用途でこの魔法を使うのは初めてだね。
糸は広範囲に散乱して漂い、伝達された情報を元に空間を掌握していく。
物質の情報まで読み取ることはできないから触れるだけでは特定するに至らないが、全体に触れることでその物質の姿形を明確にできる。
頭の中で周辺の情報を元に三次元マップを作成する。
生物の情報も届いているが、馬車を引けるほど大型の魔物は見つからない。
更に糸を伸ばし、三次元マップの範囲が千メートルに達した。
情報過多で人間の脳では処理しきれないからね、三次元マップの作成は悪魔だからこそ成せる技だ。
けど、これ以上は難しい。三次元マップを広げるのが、ではなく、糸を伸ばすのが。
薄く伸ばした糸は簡単に千切れてしまうから、遠くに伸ばすほどに糸が切れ、詳細な情報を取り込めない。
それに密度も低くなるからね。必然的に、距離と情報量が反比例している。
遠くまで索敵するにはより多くの魔力を込めるしかないが、今回は必要ない。
ギリギリ範囲内、千メートル先に大型の生物がいる。
全体像は把握できなかったけど、馬車と同じくらいの大きさか。もしかして華流馬かな?
奇跡的に求めていた魔獣が近くにいたのかと、期待を込めて目を向ける。
「何か見つけたん?」
隣からクリュスに声を掛けられて首を縦に振った。
「馬を捕まえるから、手伝って」
立ち上がりながら二人に依頼する。
ウェルもクリュスも馬の必要性を理解しているからか、首肯して腰を上げた。
「手伝うのは構わないけど、何をしたら良い?」
「クリュスは足止め、ウェルは拘束」
「りょーかい。で、どこにおるん?」
「この、千メートルくらい先」
俺が指し示した方に二人とも目を向ける。
まぁ、ここから見えるのは木々だけだけど。
「クリュスは上から近づいて。逃げそうになったら風で防いで」
「ええけど、結界張るとかは無理やで、逃げられても文句言わんでな?」
「視認できれば僕が捕らえるから、それまで留めてくれればいい」
「簡単に言うてくれるわぁ」
クリュスは軽い口調のまま、体も軽やかに空へ舞い上がった。
瞬く間に小さくなり、クリュスの姿は視認できなくなっていた。
『クリュス、聞こえる?』
奴隷紋を経由して言葉を送る。すると、直ぐに反応が返ってきた。
『おぉ!? 兄ちゃんか、びっくりしたわ!』
『念話みたいなものだよ。これなら離れていても言葉が届くから』
念話には違い無いけど、これは奴隷紋を経由した会話だ。
念話は魔力に意思を乗せて相手に伝える為、魔力感知に引っかかるし傍受もされやすい。
それに比べて奴隷紋を使用すると、既に形成された魔力のパイプを経由して情報を伝達するから魔力感知に引っかかりにくく傍受されない。
まぁ、感知される危険性はゼロではないから、長々と話している訳にもいかないけどね。
『馬に動きがあったら教えてね』
『りょーかい』
短く会話を交わしてから俺もウェルを伴って馬の元に駆けていく。
なるべく気配を消そうとしてみたけど、そう簡単にできるものでもないよね。
気配が消せても魔力感知で引っかかるだろうし、開き直って早く進んだ方がいいか。
身体強化を使って一気に接近する。
もう糸は消えてしまったが、脳内に描いた三次元マップは残っている。三十秒ほどで視認できるだろう。
『……馬って、あれのことなん?』
走っている最中、クリュスから念話が送られてきた。けど、俺に伝えようとした感じではない。
普通の念話と違って常にパイプが繋がっている状態だから、思ったことが漏れただけだろう。
でも、どうやら華流馬では無いみたいだ。全体像は把握出来ていなかったから希望的観測をしていたけど、むしろ外れている確率の方が高かったからね。
問題は、馬車を引ける魔獣かどうか。亀並みの愚鈍な魔獣だったら嫌だな。
先に確認しておこうとも思ったけど、クリュスに聞くよりも視認する方が先だった。
華流馬と同じく馬車よりも大きな体躯だった。四本脚なのも同じ。
だが、共通点はそれだけだった。
体躯と比較すると小さめの翼と尻尾。発達した後ろ足に鋭く長い鉤爪。開いた口の中に並ぶ鋭い牙。そして、全身を覆う灰色の鱗。
明らかに馬ではなく、見た目は爬虫類に近い。というより……
『まるで竜みたいだ』
思ったことが言葉になり、それが念話となってクリュスに伝わる。
そして帰ってきたのは、またしても呆れた雰囲気を醸し出す言葉だった。
『まるでってか、竜やん。あれ、地竜やん』




