冷酷な悪魔
体を失った首から視線を外す。
通路の先には未だに燃え続ける首の無い体が横たわっていた。
死しても炎は消えず、むしろ勢いを増して空間を熱気で包み込む。
その熱気に耐えながら他の奴隷達が俺を凝視している。複雑な表情をしているが、そこには俺に対する敵意は感じられなかった。
通路の上方、俺が通ってきた方から奴隷達が駆け寄ってくる。
下方には、覚悟を決めて身構えている奴隷達。
このままじっとしていれば、奴隷達に挟まれてしまう。
そうなると、犠牲者を増やすことになる。
俺は下に向かって駆けだした。
途端、下方にいた奴隷達が一斉に燃えた。
先ほどとは異なり、全身を一気に炎が包み込む。
体を焼く炎はその猛威を放ち、目の前の通路を炎で満たした。
奴隷達は全員が膝を折っている。肺を焼かれたせいで呼吸もままならず、苦しそうに悶えている。
「"断斬"!」
腕を振るう。黒衣を切り裂いて放たれた斬撃が、炎に包まれた命を刈り取った。
全ての奴隷が絶命するまで腕を振るい続ける。この状態では情報体を取り出すことはできない。だから頭を割ってでも速やかに死を与えることにした。
最後に上に向けて斬撃を放つ。斬撃が天井に大きな亀裂を刻み、その衝撃によって崩落が始まる。
落石を避けながら黒衣で全身を覆って地を蹴った。
宙に躍り出たまま、空歩を発動させて一気に炎の中を突っ切った。
再び地に足を着ける頃には、崩落によって上方への道は断たれていた。
俺はもう一度斬撃を放って天井を崩し、未だ燃え続ける死骸を埋葬した。
それを見届けてから、再び下方へと歩き出した。
淡々と通路を下りながら黒衣を元に戻す。炎によって黒衣が大きく損耗していたが、既に元通りとなっている。
黒衣には対消滅の効果があるから、炎を対消滅させて引火を防いでくれた。ただ、炎を受けていた時間は僅か数秒なのに、纏っていたマントは全損した。
衣服とは言え、魔法で作った物だから燃えやすいという訳でもない。単純に、炎が強すぎたせいだ。
命を代償にして生み出した炎だからだろうか。命の炎、そう考えると強すぎるとは言えないかな。
奴隷の情報体を取り出したが、それを詳しく確認している余裕はない。
胸の中に沸々と殺意が込み上げてくる。それが暴走しないように抑えるので精一杯だった。
あの奴隷達は、心臓に魔法陣を刻まれていた。
その魔法陣は奴隷自身の魔力を使って魔法を生み出す。
魔法陣は刻印されている為、消し去ることはできない。
俺なら魔力の流れを止めることはできるけど、フェリュスがその隙を与えてくれない。
奴隷に近づいた時点で炎が生み出される。その後でも魔力を止めることはできるけど、炎を消す方法は知らない。だから、燃えた時点で俺に助ける手立ては無くなる。
可能なら救いたいという気持ちはある。
敵対する者に容赦はしないし、殺意には殺意で答える。でも、俺が生に執着しているから、他の人にも無駄に命を散らせてほしくない。
生きていれば辛いことの方が多いかも知れないけど、それは生き切ってからじゃないと分からない。だから、どれだけ辛くても生きていてほしい。
けれど、死が確定したなら、それ以上苦しんでほしくないとも思う。
死ぬまで焼かれ続けるなんて悲惨過ぎる。それならいっそ、楽にさせてあげたい。そう思った頃には、既に首を切り落としていた。
俺は生きて欲しかった。安らかに死んで欲しかった。
対極に位置する自分の意思に、心が大きく揺さぶられる。
本当にあれでよかったのか。ただの自己満足だったのではないか。
けど、苦しみから解放してあげることはできた。死を望む者の願いを叶えて上げた。
生かすべきか殺すべきか。この問題を解くことは、今の俺にはできない。
果たして、どちらが正しかったのだろうか。俺の意思はどちらなのだろうか。
堂々巡りの思考の中で明確になっているのは、敵対者に対する殺意のみ。
だからだろう。胸に募る殺意が未だに止まらないのは。
通路を下っていくと、開けた場所に出た。
目の前には人間が二人。手には鞭、腰には剣を差している。奴隷の監視者だね。
二人とも俺の姿を見た瞬間に腰を抜かしていた。
それを無視して、視線を奥に向ける。
通路はまだ終わりではないけど、もう少しでこの地下街の最深部に到着かな。
「ひ、ひぃ!?」
「な、何でここに!? 奴隷共の炎で足止めしていたんじゃないのか!?」
二人ともこの場で初めて会うが、俺の中に渦巻いていた殺意は明確に二人に向けられた。
情報体と共に取り出した奴隷の黒い感情が、目の前の二人にされた卑劣な行いを俺に見せた。
労働の酷使、暴力や凌辱、家族仲間の殺処分等々。……慣れてきた自分に嫌気が差す。
いくら慣れようと、感情が揺さぶられることに代わりはないけどね。
身構えることなく、普通に歩いて近づいていく。
腰を抜かした監視者が後退りながら剣を抜いて俺に向ける。
その剣を掴み、手首を返して奪い取る。
持ち替えて切っ先を監視者の大腿部に向け、そのまま貫いた。
「があああああ!!」
剣を手放し、痛みで暴れ騒いでいる監視者を放置して、もう一人の元へと足を進める。
「く、来るなっ! 来るなぁ!!」
恐怖で怯える姿を見ても、心を揺さぶられることは無い。それどころか、心の内側に喜色が浮かぶ。
奴隷は復讐を願っていた。卑劣な敵に同じ思いを受けさせてやりたいという憎悪が、満たされることを渇望している。
それを俺は引き継いだ。だから、その意思に従って目の前の敵を屠る。
監視者の細い腕を取る。奴隷のように労働をせず、口を出して命令するだけ。
全く鍛えられていない腕は、簡単に折れてしまうほど脆そうだ。事実、脆かった。
ボキッ
「いあああああ!! ああ!!」
少し強く握っただけで腕が折れた。
だが掴んだ手は放さずに、監視者の指を摘まむ。一本ずつ、指を折っていった。
五本折った後、あらぬ方向に折れ曲がった人差し指を掴み、捩じっていく。
「いやあ! やめ、止めて! お願いします止めて下さい止めてぇええ!!」
ブチッ
捩じっていた指を引き千切った。監視者は白目を剥いて気を失ったようだね。
今のは、奴隷が受けた暴力の一つだ。
殴るや蹴るなどという、生易しいものはない。奴隷が泣き叫ぶ暴力、それを監視者達は教育とほざいていたようだ。
体を変形させるほどの教育を施し、それによって使い物にならなくなれば殺処分するという鬼畜の所業。
それを平然と行える人間には、悪魔という言葉が相応しい。
この程度では許されない。因果応報。監視者には報いを受ける義務がある。
そして、奴隷から悪感情を引き継いだ俺には、奴隷達の意思を汲んで報いを与える義務がある。
腹部を蹴り上げると、監視者は意識を取り戻して嘔吐した。
吐瀉物に血が紛れている。力を入れすぎたかな。生かさず殺さずというのは、案外難しいものなんだね。
咳き込む監視者の足を掴んで引き摺り、もう一人の監視者の元へ向かう。
目の前で仲間が分解される姿を見せつける。奴隷が受けた中で最も非道な行為。それ無くしては、復讐は成し遂げられない。
「おうおうおうおう! 派手に暴れているじゃねぇか!」
遠くから聞こえてきた声の方を向けば、そこにはゴリラがいた。
あれもフェリュスが使役する魔獣の一体なのだろう。全身毛むくじゃらで人間に近い見た目だが、両手両足が極端に太い。
奴隷から得た情報に記されていた。名をゴルゴラというそうだ。まぁ、名前なんてどうでもいいか。呼ぶこともないし。
最深部へと続く通路から来たということは、この先に何かあるのか知っているはずだ。
けど、ユーグルと同じくらい馬鹿そうだから情報体を取り出してもあまり意味はないかも。これから確かめに行くから、あいつの情報体は要らないかな。
「生け捕りにしろって言われたが、加減なんて出来ねぇからな! だからテメェで死なねぇように気を付けな!」
五月蠅く叫ぶと、ゴリラが四つ足で駆けてきた。重たい見た目に違わず動きが遅い。
人間にとっては恐怖の対象だろうが、俺にとっては鬱陶しい雑魚にしか思えない。
けど、ガス抜きには丁度いいかな。殺意が募り過ぎて加減ができてなかったんだよね。
ゴリラの方へ駆け出した。ゴリラの鈍い拳を躱し、隙だらけの脇に向けて手を翳す。
そして、魔法名を唱えた。たっぷりと殺意を込めて。
「"黒槍"!」
魔法名と共に、俺の腕が爆ぜた。
黒衣によって影響を抑えているといっても、破邪天明の影響は完全には遮断できない。力を込め過ぎたせいで制御しきれずに自滅してしまったようだ。今後は気を付けるようにしないとね。
自損しながら放った魔法は期待以上の威力を発揮した。むしろやり過ぎた。
黒槍は一瞬でゴリラを貫いた。危険を察知できずに避ける行動が全く取れていない。今までまともに戦闘したことがないのだろう。警戒なく突っ込んできたのがその証拠だ。地獄で戦ったゴリラの方が断然強かったね。
黒槍は威力を一切失わず岩盤へと衝突していった。その内に込めた破壊の力を存分に発揮する。
断斬で崩した時とは比べ物にならないほどの崩落を見て、やっちゃった感が物凄い。
俺は後ろにいた監視者二人の足に紐を括りつけて引き摺り、最深部に続く通路へと駆け出した。
ゴリラはまだ死んでいないようだけど、動く気配は無かった。
大きな岩が次々に落下してくる。大きな衝突音とゴリラの短い悲鳴が重なったが、それはどうでもいいことか。
通路に到着すると、崩落の影響は無くなった。
これより先は魔鉱石で通路が築かれているようだ。それがこの先の重要性を物語っているね。
「う、うぅ……」
「え、え? 俺たちを、助けて……?」
引き摺られて皮膚から血を滴らせている二人に視線を向ける。
混乱しているようだが、その表情には若干の安堵が見て取れる。
命を助けてもらった。自分には生かす価値があった。そんなことを考えているのかな。
どちらでもないんだけどね。
「さて、じゃあ続きをしようか」
二人の絶叫は、崩落の音によって完全にかき消されていた。




