悪魔の慈悲
祭壇から光が零れ、青い炎が暗闇を照らす。
奴隷の悲鳴が木霊する中、淡々と作業していたフェリュスの手が止まった。
「これは……」
「どうしたの、フェリュス卿?」
思わず零れた言葉にビーウェが反応した。
ビーウェはメアを運び終えた後、フェリュスから奴隷を貰う為にこの場に戻っていた。だが、フェリュスがまだ奴隷紋を刻んでいる最中だったため、終わるまで控えていたのだ。
奴隷は未だに跪いたままだったが、そのうちの数人は横たわったまま動かない。それは奴隷紋を刻む時の激痛に耐え切れなかった奴隷達の亡骸だった。
その中には子供の姿もある。果たして、奴隷となって酷使される前に死ねたことは、幸福だったのか不幸だったのか。
フェリュスはその亡骸を気にする様子もなく、祭壇から降りてビーウェの元に向かった。
「どうやら、ユーグルが死んだようだ」
「ふぅん、あのワンちゃん死んじゃったんだ。誰に殺されたの?」
「分からん。だが、これは……」
フェリュスは懐からロケットペンダントを取り出した。それは魔道具であり、表面には魔法陣が刻まれている。
それを開くと中には小さな球状の魔鉱石が4つ埋め込まれていた。それらは淡く光っているが、内一つは光が消えていた。
「どういうことだ? ユーグルの魂が消滅している?」
「へぇ」
フェリュスの呟きに、ビーウェが初めて興味を示した。
「面白そう。様子見てきてもいい?」
「駄目だ」
ビーウェが興味本位で口にした提案をフェリュスが即座に切り捨てた。
だが、そう言われることを予想していたのか、ビーウェが不満を示すことはなかった。
「ちぇ~、やっぱ駄目か」
「ユーグルが死んだことで黒狼の統率が取れなくなった。お前には黒狼を始末してもらう」
「は~い。なら、ユーグルを殺した奴はどうするの?」
「そちらは、奴隷共に対処させる」
そういうと、フェリュスは手にしていたペンダントに魔力を流し込んで下僕に命令を下した。
ビーウェは薄っすらと笑みを浮かべたまま、黒狼を始末する為に洞窟の奥へと消えていった。
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俺は黒狼達が餌に群がっているうちにその場を離れた。
後退る俺を数匹の黒狼が遠巻きに睨んでいたけど、襲い掛かってくることは無かった。
本能で危険を察知した、って訳ではないよね。魔獣は誰彼構わず襲い掛かるから、目の前の餌に夢中になっているだけだろう。
どちらにしろ、これ以上襲い掛かってこないなら手間が省けていいね。
俺は来た時とは別の道を進んでいる。今までと違って整地されており、幅と高さも倍以上あるから歩きやすいね。
緩やかな下り坂になっているが、この先は洞窟の中央であり最深部。そこに何かがあるようなので、それを確かめに行くところだ。
ユーグルから情報体を取り出して知識を得た。それによって洞窟内の地形は把握できたけど、重要な場所の情報は持っていなかった。
そもそも、断片的で曖昧な情報が多いんだよね。
これは情報体を取り出すのを失敗したのではなく、ユーグルがちゃんと記憶していなかったことが原因だった。
見た目は狼人間で、知能は狼よりも低い馬鹿だったみたいだね。
ユーグルもフェリュスが隷属している悪魔の内の一体で、この洞窟内で監視と防衛を担っていたようだ。
だが、フェリュスは最初からユーグルの御頭を信用していなかったみたいで、命令はユーグルではなく黒狼に向けて下していたようだ。魔獣は人間のいうことなんて聞かないから、ユーグルを仲介役にしたんだろう。
ただの通訳としか役立っていないのに、調子に乗ってボス面していた訳か。
知能も力もないのに地位だけ与えられた馬鹿は、どんな敵よりも邪魔な存在だっただろうね。
いくら馬鹿でもさすがに洞窟内の地図は把握していたから助かった。今更だけど、黒狼から情報を取り出した方が有益だったね。
情報体から読み取った洞窟の規模はかなり大きい。洞窟というよりは地下街といった方がしっくりくるかな。
地下街は中心に開けた空間があるようだけど、そこはユーグルも立ち入りが禁止されている場所のようで、そこに何があるのかは分からない。
その中心から螺旋状に通路が伸び、地上に向けて斜めに上がっていく。横から見れば蟻地獄のような漏斗状の構造になっているだろうね。
奴隷達が命令されて行っているのは通路の拡張みたいだね。外側から採掘を始めて元の通路まで貫通させる予定のようだ。
フェリュスや神官、奴隷の監視者は地下街に住んでいる訳ではないようで居住区は無い。だが、監視者は当番制なのか、外周部に寝泊まりする場所が設けられているみたいだ。何人が従事しているのかは分からないけどね。
俺が最初にいたところにあった祭壇だが、この地下街にはそれが4つある。祭壇は地下街の外周に等間隔で配置されている。
元々はユーグルがいた場所に祭壇が設けられていたようだが、地下街の拡張に合わせて祭壇も移設したみたいだね。
立ち入り禁止区域である地下街の中心地に向かう通路は一本ではない。そのほとんどが整地されていない粗削りの通路だったが、その内の一本だけ綺麗に整地されている。
壁には魔鉱石が多く埋め込まれており、足元も明るく照らしている。奴隷以外の者が使う通路だからだろう。
横道は一つもなく、ひたすら下へと降りていく。
道の半分を過ぎたところで、俺はふと足を止めた。
目の前には通路の終わりが小さく見えている。
そこに人影が見えた。それも一つではなく複数。目を凝らして見れば、それは襤褸切れを身に纏った奴隷達だと分かった。
後ろを振り向くと、そちらにも奴隷達がいるのが見える。奴隷達は立ち止まることなく、俺に向かってきていた。
真っすぐの道に隠れる場所もないし、既に奴隷達にも視認されているだろう。
俺がユーグルを殺したことはすぐにバレると思っていたけど、場所まで特定されるとは思っていなかったな。
……いや、場所が特定できていなくても、各通路にいた奴隷に探させればすぐに見つけられるか。向こうは人海戦術で全ての通路を確認できるからね。
出来れば奴隷達に危害は加えたくないけど、向こうも命令で動いているから脅した所で意味はないよね。
後頭部に手刀を叩きつけて行動不能にするとかやってみたいけど、実際に気絶させるほど強く叩いたら後遺症が残るだろうし。
後遺症が残った場合、俺が殺さなくても不良品として処分されてしまうのは目に見えているよね。
まぁ、逃げるだけならどうとでもなるかな。
奴隷達の動きは鈍いから、奴隷達を飛び越えた後で通路を崩落させれば問題なさそうだ。
俺は足を止めたまま奴隷達が通路を上がってくるのを待った。
そして、奴隷との距離が10メートルを切った瞬間に駆け出して地面を蹴った。
空歩を使って天井付近を駆ける。奴隷が手を伸ばしても俺の足には触れられないだろう。余裕で奴隷達を飛び越えられると、そう思っていた。
目の前に、青い炎が立ち込めた。
「わっ!?」
咄嗟に前方の空間を蹴り飛ばして地面に着地した。
後退りながら、炎の発生源を視界に捉え、絶句した。
炎の発生源は目の前にいた奴隷だった。
その奴隷は腕に炎を纏わせて天井に掲げている。魔法を発動させているのは明らかだけど、それは己の意思によるものではない。
その証拠に、奴隷は魔法を制御し切れておらず、炎によって腕が炭化し始めていた。
奴隷の悲痛な叫び声が木霊する。だが、いくら叫んでも炎は弱まることなく燃え続けていた。
他の奴隷達も涙を流して悲痛な表情を浮かべている。嘔吐しないのは、人が焼かれる光景を目撃するのが初めてではないからだろう。
炭化した腕が崩れて形を失った。それでも、炎は消えない。
肩口から、胸、背中、腹部へと広がる。炎は止まらないが、一瞬で焼き尽くすこともしない。
この炎は、心刻烙印によって生み出されたものだ。
心刻烙印によって心臓に刻まれた魔法陣は炎を発生させる。
命令に背いた瞬間に魔法陣が発動して炎が生じる。だが、命令に従っていれば炎が発生しないという訳でもない。
心刻烙印に必要な魔力は、奴隷から供給される。つまり、魔力が流れていれば勝手に魔法が発動してしまう。
それを止められるのは主のみ。だから、命令に従おうが背こうが、主の意思一つで生殺与奪が決定する。
他の奴隷紋と異なり、心刻烙印は刻まれた瞬間、実質的な死を意味する。
この烙印は消えない。そして、魔法陣の発動は止められない。魔力の供給は死んでも止まらないのだから。
奴隷に魔法を発動させたのは、俺を始末することが目的ではないはずだ。
これは、ただの足止め。
奴隷がその身を挺して行く手を阻み、絶叫で位置を知らせる。
フェリュスであれば奴隷紋を通じて奴隷の居場所を特定できるだろうから、これは他の手下に位置を伝える為なのだろう。
そう考えて、直ぐに思考を放棄した。そんなこと、どうでもいい。
この場で奴隷を救う手立てはない。どれだけ知識を漁ろうと、そこに希望はない。
なら、俺にできることは一つしかない。
手元の黒衣を伸ばして薄い布をピンと張る。
一歩前に出て腕を振り上げた。
「ごめん。俺には、これしかできない」
そして、炎に蝕まれている奴隷の首を撥ねた。
その首を両手で受け止めて情報体を取り出してから、通路の横にそっと首を置いた。
痛みで歪んだ表情、充血した目と痙攣する瞼、口から漏れ出る血と涎。
赤い血が首の断面から零れて少しずつ肌から朱が失われる。
その光景を、俺は目を逸らさずに見送った。
俺は魔力が変質したせいで聖霊魔法が使えなくなっている。
だから輪廻に送り出す事もできない。
俺が今奴隷達にしてやれるのは、速やかな死を与えることと、悪感情を受け継ぐことだけだった。
 




