聖都へ
「ご主人さま!」
結界内の様子にユーマの勝利を確信していた、信頼強き故の結界解除の遅れ……伸ばした手は届かず、ユーマは空間の割れ目に吸い込まれていった。
そのままもんどり打って転がったノルンが、急ぎ上体を起こそうとして凄まじい頭痛と目眩に膝を折り座り込む、息も荒く震える腕で体を支えるノルンの脳内で割れ鐘が鳴るような不快な音色が鳴り響いた。
「これ……は……ぐぅっ……! さけ……び……? ひ……めい……? 一体……」
「ノルン殿! 大丈夫か!? ウルグスは……? ユーマ殿はいずこに?」
城の様子がおかしい事に気付いたのだろう、息も絶え絶えなノルンを駆け付けたミーリアが抱き起こす。
「ミーリア……さん……つっ……! 申し訳……ありません……ご主……人さまが……」
「……正気を取り戻したはずの民衆が皆次々に倒れていっている、ユーマ殿に何があったのかと駆け付けたが……っ!?」
不意に城を揺らす程の巨大な吠え声が上空から響く、ビリビリと壁を震わせる衝撃に思わず身をすくませた二人の視界に北の空に飛び去るニールの姿が映った、同時に城下がやおら騒がしくなり、大量の何かが蠢く気配が王城から北に向かい移動を始める……。
「ニール! 一体どうなって……」
「恐らくご主人さまの支配が揺らいでいるのが原因です……きっとご主人さまの下に向かおうと……うぅっ……」
「大丈夫か!?」
「えぇ、私は元よりの精神耐性がありますから正気を失わずに済んでいますが……魔力の低い者や精神力の未熟な者は……」
テラスから見える城下では人々が通りを埋め移動を始めている、ふらふらと虚ろな瞳で蠢く民衆を見下ろしようやく立ち上がったノルンが北の空をじっと見つめる。
「北……ということは……」
「恐らくご主人さまは聖十字教国にいるはずです……私達も向かわないと……」
……
薄暗い地下と思しき空間にひび割れが走り、満身創痍のウルグスと全身を漆黒の魔力に覆われたユーマが転がり出てくる、ヨロヨロと立ち上がったユーマだがその瞳からは光が消え、闇色をした虚ろな眼差しを所在なげに床に這わせている。
……と、廊下の奥から姿を現した人影がぎょっとした様子で駆け寄ってくる。
「うわっ! お父様どうしたの!? こいつは……器? あれっ? ビスクは? ビスクの姿が見えないけど……」
「クラウンか……治療薬と薬師を呼んでこい、ぐっ……まさかここまで手こずらされるとはな……」
「お父様……ビスクは? ビスクは何処に居るの?」
「ビスクはそいつの中だ、あいつは役目を果たした……これで……計画は完成へと向かう……さあ、行け……」
ウルグスに促されるままにユーマがゆらゆらと揺れながら魔剣を引き摺り廊下の奥へと歩いて行く……その様子を信じられないような瞳で見つめ、そして顔を伏したクラウンがウルグスに向き直る。
「ビスクは……どうなっちゃったの?」
「……あいつの中に宿した魂は姉上の亡骸から取り出した加護の残滓だ、元々意思の宿らぬ魂の欠片……それが剥離させた加護を取り込み器の意識を封じている、ビスクはこのまま器の中に宿り計画の礎となる、ようやく……悲願が……叶う……」
「ビスクは? ……今まで居たビスクはどうなるの?」
震える手を隠すようにぎゅっと握りしめクラウンが細い声を絞り出すようにウルグスに問う、ウルグスは理解が出来ないといった様子でクラウンを見つめる。
「それを知ってどうなる? 私の道具をどう使おうとお前に関係はあるまい? よもやただの自動人形が命だ何だと言うわけではあるまいな?」
「……お父様……僕らはお父様にとっての何なの……? お父様って呼ばせているのは……家族だからじゃないの?」
震える声を絞り出すように漏れたクラウンの言葉にウルグスが呆気にとられ、そして笑い出す。
「クッ……ククク……作られた体に間に合わせの魂、そのような物が家族だと? お前達の私を呼ぶ呼び名も制作者が設定したものに過ぎぬ、道具でしかないお前達が何を一人前の駒のようなことを……」
ふと、肩を揺らしていたウルグスの動きが止まる、その身に現れた変化、それはクラウンの髪の色と同じ銀色の魔力の糸……幾条にも束ねられた切れ味鋭い魔力の糸が、ウルグスの全身を獲物を掛けた蜘蛛の巣のように絡め取っていた。
「……何のつもりだ? クラウン……っ!?」
クラウンを睨み付け体に絡みつく銀糸を薙ぎ払おうとしたウルグスが何かに押し潰されたかのように床に這いつくばる、手足の傷口から血が噴き出すのも物ともせず抵抗するウルグスの目の前に、立ち並ぶ柱の影から幾人もの術師が杖を構え姿を現した。
「貴様ら……これは一体何の真似だ!」
「ほっほっほ……どう拘束しようかと策を練っていましたがこうもあなたが追い詰められていようとは……術師はもっと少なくてよかったかもしれませんね」
怒りに燃えるウルグスの視線の先に豪奢な法衣に身を包んだ教皇が姿を現す、地面に磔にされているウルグスを眺め満足そうに頷くと、クラウンの傍らに立ち愛おしそうにその頭を撫でた。
「フラメル……貴様……!」
「いやはや、貴方は用心深いですからね……機を窺っていましたが悲願が成るとなると流石に油断しましたか……何ともいいタイミングです、これも女神様の思し召しですかねぇ……」
ウルグスに向かいにっこり微笑みフラメルが右手を上げると、周囲を囲む術者達が握る杖に力を込め詠唱を重ねてゆく……詠唱を重ねる毎に強くなる圧力に抵抗を続けていたウルグスの腕が鈍い音を立てて有り得ぬ方向に曲がり、その歯の根がひび割れんばかりに激しい音を立てた。
「ぐっ……あぁっ……! く……クラウン……! 何をしている! そいつらを排除しろ! はや……」
「無駄ですよ、既に彼は私の術中です、ふふふ……悔しそうですね、駒と断じていた相手に見下ろされる気分は如何でしょうか?」
「ぐっ……に……人間如きが……我に対しこのような……!! 貴様らの如き下等種族がぁっ!」
「人間如き? 違いますねぇ……魔族如きが我々を陥れんとするとは勘違い甚だしい……魔族などこの地上に必要ない、女神に祝福された我等人族以外にこの世界には必要ないのですよ」
フラメルがクラウンの肩をポンと叩くと同時に勢い良く糸が引かれ、湿った音と共に複数の大きな塊が支えを失い床に叩き付けられる、フラメルが右手を翻すと術者達が詠唱をやめ、じわりと広がった紅い水面がゆっくりと床に吸い込まれていく……。
「貴方の悲願は私が代わりに叶えましょう、ですが……少々形は変わりますがね……。さて、それでは行きましょうか、クラウン……?」
フラメルがユーマの後を追おうとクラウンを促す……が、クラウンは床を見つめたままゼンマイの切れた人形のように動かない……その様子を見てフラメルは黙ったままゆっくりと歩を進め廊下の奥へと姿を消す……後に残されたクラウンの足下の紅い水面に、光を放つ雫が静かに何度も波紋を広げていた……。




