神域に至るまで2
「シスター、礼拝堂の鍵を開けて頂けますか?」
目を通していた書類から顔を上げ、シスターと呼ばれた修道服を身に纏った女性が優しく微笑む。微笑んだ際に顔により深く刻まれる皺が彼女の柔和な人柄を語っているかのようである。
「もう開けてあるから入っていいわよ」
「あと……休憩室の方でマリア姉さんとレイアが……」
「はぁ……まったくあの二人は……!」
シスターは深いため息をつき眉間に皺を寄せた、ここ数年ですっかり深くなったその皺は、彼女のふだんの苦労を代弁しているようにも見える。
「なにも壊されなければいいんだけどねぇ……ユーマ、出来れば扉の前で待っていてあげたいんだけど……」
「大丈夫です、お祈りの手順はちゃんと覚えてますし、女神様をお待たせするのは……それに……」
「それに?」
「礼拝堂に篭もっている間に教会が燃えちゃったら洒落にならないので……」
「たっ、たしかにそうね! それじゃあユーマ! 頑張ってね!」
シスターはユーマの頭を撫でると、慌てた様子で休憩室に向かって行った。
ユーマが礼拝堂の中に入るとひんやりとした空気が身を包んだ気がした……木造の教会の中で唯一の石造りのこの部屋は、魔術による結界も施されており光を纏う魔石を散りばめた女神像と相まって簡素ながらも荘厳な雰囲気を醸し出している。
(女神様の像……綺麗だなあ……)
普段は教会を管理する神父や修道士しか立ち入ることができないこの部屋、そこに立ち入れた喜びを感じながらユーマは大きく深呼吸をし、清浄な空気を胸一杯に吸い込んだ。
託宣の際の祈りは普段の手を合わせ目を閉じるだけの略式の祈りと違い、定められた所作を行い女神への感謝と信仰を示す事で女神を下界へ降臨せしめて加護を授かる……という事になっている。
ユーマが定められた祈りの所作を行い目を閉じると周囲が暖かい空気に包まれた……いつからこうしているのだろう? ……一瞬のようでもあり、永遠のようでもある……時が止まったような感覚の中でユーマは誰かの声を聞いた……。
(――か? ……私の声が聞こえますか? ……目を開けて下さい……)
目を開けたユーマの前に美しい女性が浮かんでいた、透き通るような白い肌に艶やかなシルクを想わせる黄金色の髪、背には光輝く翼が広げられ、エメラルドの輝きを閉じ込めた瞳がユーマのことを優しく見つめている……。
(人の子よ、こちらへ……)
ユーマは促されるまま女神の前に歩を進める、舞い降りてきた女神に一瞬ビクリとしたユーマをその純白の翼が優しく包んだ……。
(人の子よ、そなたに加護を与えましょう……あなたに与える加護の名前は『――もの』です)
女神の言葉を遮るように、ズズン……と地響きのような音がして肝心の加護の名前を聞き逃してしまう、慌てて聞き返そうとしたユーマに女神が続ける。
(人の子よ、貴方のこれからに幸多からんことを……)
頬を染めて優しく微笑んだ女神に見とれた次の瞬間、女神はユーマの額に口づけして宙に溶けるように消えてしまった……。
「えっ? あ……ええ!? 嘘……ど、どうしよう……」
ユーマは礼拝堂に一人取り残され、ただただ呆然とするほかなかった……。
礼拝堂から出てきたユーマをシスターと濡れ鼠になったレイアとマリアが出迎えた。
「お疲れ様、ユーマ」
「ねーねーどんな加護だった? 役に立つやつ?」
「こーら! 加護は最も大事な個人情報って教えたでしょ! 家族でもおいそれと教えるものじゃないの!」
三者三様の出迎えにユーマはバツが悪そうに答えた。
「いや……それが……聞き逃しちゃって……」
「き……聞き逃したってなんで!?」
「バッカで~! どうせまたぼ~っとしてたんでしょ♪マジウケる!」
取り乱すマリアに笑いっぱなしのレイア、二人を制してシスターが尋ねる。
「どうして聞き逃したの? あんなに楽しみにしてたのに……神代の言語とか聞き取れない単語だったの?」
「いやぁ……名探偵レイアちゃんには分かる! ユーマは女神様のおっぱいにみとれ……「いや……丁度スキルの名前を教えて下さる時に地響きみたいな音が……」」
レイアの発言を遮る形で放たれた言葉にレイアとマリアは顔を見合わせ、流れるようなスムーズな動きで土下座の体勢に移行する。
「あなたたちが教会内で火球の撃ちあいなんかしているからこのような事が起こるのです!」
土下座状態の二人にシスターの雷が落ちた、二人が濡れ鼠になっているのはどうやら消火の際にシスターの水魔法に巻き込まれた(巻き込んだ?)かららしい。
「えっと……シスター、このような場合にはどうしたらいいんでしょうか?」
おずおずと質問するユーマにシスターが笑顔で答える。
「大丈夫よ、教会登録用の鑑定水晶があります、教会本部に情報の共有はされてしまいますが情報管理は徹底しているから大丈夫ですよ」
シスターの言葉に三人がほっと胸をなで下ろす。
「それでは鑑定水晶を用意するのでユーマは執務室にいらっしゃい、あと、二人は濡れた服を着替えてお風呂に入ってきなさい! 風邪をひくわよ!」
((誰のせいでびしょ濡れになったと……))
声にはでていなかったが表情に出ていたようだ、シスターがにっこり笑って付け足す。
「それと、水浸しになっている休憩室の掃除、きちんとやるのよ?」
顔は笑っているが目が笑っていない、二人は背筋に水とは別の冷たいものが流れるのを感じた……。
……
「えっと……たしかこの辺りに……」
シスターが薄く埃を被った水晶玉を取り出してきた。
「普段使う事が無いからしまいっぱなしなのよねぇ……ああ、大丈夫よ、壊れてはないから」
シスターの持つ水晶をユーマが興味深そうに覗き込む。
「初めて見ますけど普段は何につかう道具なんですか?」
「教会関係での就職時の身元確認や加護の種類による適性判断ね、他にもあるのだけど……」
言葉を詰まらせ、シスターが表情を曇らせる。
「あまりいいことじゃないんですね?」
「ここ百年、この法が出来てから適応された例はないはずよ、さて、準備ができたわ、いらっしゃいな」
シスターが笑顔で促すままにユーマは磨かれた水晶玉の前に立った。
「水晶に手をかざして魔力を込めてちょうだい」
ユーマが魔力を込めると水晶が淡い緑に輝き始める、輝きが増すにつれ水晶の中に文字が浮かび上がるのを確認し期待に満ちた目でユーマがシスターの顔を見上げるが……シスターは青ざめた顔で手を震わせていた。
「……シスター?」
「ひ……『率いるもの』……! おぉ……女神様……なぜこの子にこのような……!」
シスターの尋常ではない狼狽ぶりにユーマもただ事ではない事を察する。
「シ……シスター? 一体何が……どうしたんですか?」
普段から落ち着いていていつも微笑んでいるシスター、ユーマ達の身に危険が迫った時を除いてこんな風に取り乱す事は今まで無かった……そう、子供達の身に危険が迫らぬ限りは……。
一体女神様から授かった加護がどう危険だと言うのだろう? 今日はめでたい、祝うべき日ではないのか? どうどう巡りする思考にユーマが混乱する中、シスターは大きく深呼吸すると意を決したようにユーマの肩を掴んだ。
「ユーマ、あなたには夢があったわね、その夢は何がなんでも叶えたい、代わりになるものが無い夢?」
「は……はい!」
「ならばあなたはこの村を出なければならない、いや、この国を出なければならない! 旅の支度は整えます、明日の早朝……いや、今夜の内に村を出て東の関を越えて隣国に渡るの!」
「村を……?」
村を出る、冒険者としていずれはと考えていたが先の事と思っていた、だがなぜこんなに唐突に……? 考えは全くまとまらないが、シスターの異常な剣幕を見るに何か良くない状況であるのは明白である。
「それは……先ほど話した……水晶の別の役割に関係あるものですか?」
「……この水晶の役割は先述した他には、国に対して脅威となりうる加護の発見と報告という役割を持っています、あなたの『率いるもの』は脅威度最上位の加護に分類されている……これを知った国がどう出てくるかは分かりません、ですが……絶対王制主義のこの国で王の座を脅かす可能性のある者に対しての扱いは……」
ユーマは去年王の政策に異を唱えて処刑された大貴族の話を思い出していた、貴族の領土は没収、家族は処刑され、抵抗しなかった者も魔術的な洗脳を施された後に前線に送られたらしい。
(僕も……そんな風に……?)
想像したくない……だが、考えまいとすればするほど、意思をなくし奴隷のように前線に立つ自分や、処刑台の上に上げられた自分、良くない想像が頭を支配し膝を震えさせる……子供だからと容赦をするような王であるとは漏れ聞く噂の限り思えない。
「あなたの身分証は私に任せなさい、国境までの安全なルートも教えます、紹介状を書くから隣国の首都のトーヤという若い司祭に見せなさい、彼がなんとかしてくれるわ」
「……分かりました、旅の準備をします……」
「ユーマ……血は繋がっていなくともあなたは私の大切な息子です、どうか……どうか女神様……この子を守って下さい……」
ユーマを抱きしめながらシスターが静かに泣いている……ユーマはシスターに悟られぬよう声を殺して泣いていた……。




