神域に至るまで
深く暗い森の奥深く、月が帳に沈み闇が周囲を飲み込む……その闇を凝縮したかのような深き漆黒が少年の眼前を覆っていた……。闇から突き出した一対の角……少年を見つめる黄金色の双眸……それらが少年を呑み込まんと音も無く歩を進め、ゆっくりとその顎を開く……。
……
全ての世界は神々の祝福を受けている、神々はあまねく生き物達に試練と加護を与え、そして世界の行く末を見守り、その全てを記録している……。
この物語は神々の記録の中にある一つの世界、その世界で神域に至りし者と伝説に語られた一人の少年の物語である。
今はもう伝説として語られる勇者と魔王の闘い、相討ちで幕を閉じたその戦争から数百年、戦禍の傷跡の癒えたこの地は、先の戦争による国土の支配の分割により、新たな争いの気運が高まっていた……。
「――という訳で、先の戦争で人族の国は3国、魔族の国は5国に分かれ、今現在の国の形になっています、人界も魔界も統一の動きはありますが、他を攻めれば他に攻められる状態でにらみ合いが続いています……ここまでで質問は?」
こじんまりとした木造の教室、その教壇の上で若い女性が授業を進めている。金髪のショートカットに魔法使いの被るような鍔広のトンガリ帽子がトレ-ドマークの(自称)天才魔術士のマリア『24歳:独身』である。子供達は皆熱心に聞き入っていたが質問を促されると我先にと争うように手を挙げた。
「なんでとーいつできないの?」
「ゆーしゃさまは今はいないの?」
「まおーはたくさんいるってきいたよ?」
「じゃあゆーしゃさまもたくさんいないと!」
言い争いに発展しそうになった辺りでマリアが手を叩きつつ騒ぎを収める。
「なんで統一できないかは難しいお話しになっちゃうから皆が大人になってからね。勇者様は……そうねぇ……勇者様っていうのは、実は誰でもなれるの」
子供達がキョトンとした様子で首を傾げる。
「勇者っていうのは人が、国が、皆が認める称号みたいなもの。だから、皆も世のため人のため皆に認めて貰える凄い事を成し遂げたら、勇者って呼んでもらえるようになるかもね?」
子供達の目が期待に輝きそれぞれに自分の理想とする勇者像を頭の中に思い浮かべているのが見て取れる、マリアは満足そうに微笑みながら続けた。
「ですが、勇者って呼ばれるような人になるには沢山の努力と女神様からの強い加護を頂く必要があります、みんなも悪さばかりしたりお勉強ちゃんとしてないと女神様が加護をくれなくなっちゃうかもよ~?」
マリアが悪戯な感じに笑うと、子供達もはしゃぎながら悪戯っ子などをからかって笑っている。
「さて、加護と言えば来週は託宣の儀があります、10歳になった子は教会へ忘れずに行くのよ? 今年は……ユーマ君一人かな?」
託宣の儀とは女神から特殊な力の源である『加護』を授かるための儀式で、齢10を数える者は皆女神からの託宣を受けて加護を授かるのが習わしとなっている。
ユーマと呼ばれた少年が期待に満ちた眼差しで「はい!」と答えた、この辺りでは珍しい黒髪に黒い瞳、活発そうな言動とは裏腹に顔立ちは少女に間違えられるほど幼い、マリアは嬉しそうなユーマの様子を見て、ニヤつきそうになった頬をなんとか平常に戻した。
「ユーマにーちゃんはどんな加護が欲しいの?」
年少の生徒からの質問にユーマは少し考えて答える。
「僕はテイマーになりたいからそれに役に立つ加護がいいかなぁ……」
従魔術師とは魔物を使役し戦う所謂魔物使いである、この世界ではごく一般的な職業ではあるが、魔物を扱う性質上場所によっては忌避されることもある……。
「はぁ……あんた小っちゃいときから勇者になりたい! 魔王を倒すんだ! なんて言ってて……テイマーなんてなったら仲間の魔物の支配を奪われて返り討ち、瞬殺よ瞬殺!」
ため息交じりに一刀両断されてユーマは口を尖らせ精一杯の抵抗をする、利発そうな勝ち気な顔立ちに炎を思わせる赤目と赤髪、幼なじみのこの少女、レイアに口で敵わないのは物心ついた頃から身に染みている。
「で……でも要は支配権を奪われなきゃいいんでしょ?」
せめてもの抵抗の反論も容赦なく両断される。
「あんたねぇ、支配権の優先順位は魔力の高さに依存するのよ? ただでさえ魔力の高い魔族の王様よ? どうやってそれを超える気?」
「うぅ……が……がんばって?」
「努力でどうにかなるなら加護も魔法もいらないわよ!」
「そ……それなら魔王をテイムしちゃえば……」
「あんたは勇者になりたいんでしょ! 魔王を手下にしてるなんてそれはもう勇者じゃなくて大魔王じゃない!」
「別に魔王を手下にしてる勇者がいてもいいじゃないか!」
「ってかそもそもテイムも魔力が上の存在には効かないわよ!」
喧喧囂囂の言い争い、もとい、一方的な蹂躙が繰り返されるのも日常のいつもの光景である。
「はいはい! 喧嘩しない! テイマーが勇者、良い夢でしょ? 人の夢を笑うものじゃないわよ」
「現実を教えてあげるのも本人の為です~、全く……マリアはユーマに甘いんだから!」
「せんせーユーマにいちゃん好きだもんね~」
「ねーねー、せんせーとユーマにいちゃん結婚するの?」
「なっ!? そ……そういうつもりじゃなくて! たっ……ただ私は教師としてねぇ!!」
子供達にからかわれ、顔を真っ赤にして言い合いをする、教師の威厳もあったものでは無いがこういった部分もこの村の平和すぎる日常の一部なのである……。
……
暖かな日差しの中、山間の小さな村の教会の裏手から薪を割る音が高らかに響いている、切り株に座った少年が手斧を振る度にパカッ、パカッと小気味いい音が辺りに響き渡る……。
「お~感心感心、今日も手伝い頑張ってるわねぇ♪」
薪を割るユーマに通りがかったマリアが声をかけた。
「託宣は今日の午後だったかしら?」
「うん、だから午前の内に仕事を終わらせないと」
「今日位は休んでもいいんじゃない?」
「でも僕ができることならやりたいし……シスターに育てて貰った恩も返したいしね」
この村の教会は孤児院の役割も兼ねている、ユーマの両親は魔物の襲撃により命を落とし、マリアも疫病で両親を亡くしてからはこの教会で世話になっていた。
「子供が恩だのなんだの難しいこと考えないの! っと……そういえばレイアは今日はどこに……」
「子供が難しいこと考えないなら恩返しは大人の仕事よね♪」
マリアが振り返ると、悪戯な笑みを浮かべたレイアが箒と叩きをこちらに突き出し立っていた。
「孤児院の卒業生として見本を見せてもらわないと♪」
「相変わらず口が達者だわねぇ……まあ、今日は私も暇だし付き合いますか!」
「それじゃあマリア大先生に恩返しは任せて子供らしく遊んできま~……」
言い終わる前に襟首を掴まれ、レイアは猫よろしくマリアの右手に捕らえられていた。
「見本を見せて欲しいなら一緒にやりましょ~ね~♪どうせだから今日は教会の隅から隅まで徹底的にやるわよ~♪」
当てが外れて半べそで教会に連行されるレイアを見送りながらユーマは苦笑した。
「薪割りが終わったら手伝いにいくよー」
弁の立つ少女の機転も年の功には敵わないものである。
……
「でもさ、ユーマはなんでテイマーになりたいの?」
掃除を終わらせ、教会内の休憩室でシスターの差し入れのクッキーを齧りつつレイアが尋ねる。
「ユーマのお父さんとお母さんは魔物に殺されたんでしょ? 魔物が憎いとか怖いとか無いの?」
「ちょっと……! レイア!」
マリアがレイアを諌めようとするがそれをユーマが手で制し止める。
「怖くないって言ったら嘘になるけど、憎いかと言われたら分からないかなぁ……」
「分からない?」
「物心つく前には二人とも居なかったし、冒険者って仕事をしてた以上お父さんもお母さんもいつかはそうなるっていう覚悟はあったと思う、色んな場所を旅して回って、最期に村を守って死んだ二人を誇りに思ってる、できれば僕もそういう風になりたいって思うんだ……それに、復讐って柄じゃないし……ならいっそ味方にした方が頼もしいかなってね?」
自虐気味に笑うユーマを見てレイアが首をひねる。
「両親みたいに……って事は、ユーマは冒険者になるの?」
「一応託宣が終わったら町に出てギルドに登録するつもりかな? しばらくは村を拠点にして冒険してから、頃合いを見て旅にでようかと……」
「冒険者だなんてそんな危険な! まずは王立学校で魔法や剣術を学ぶとか! 紹介状なら書くし……わざわざ危険の中に飛び込まないでもいいじゃない!!」
ユーマが語る計画にマリアが慌てて食ってかかる。
「おやおやぁ~? 愛しいユーマが危険な目に遭わないかそんなに心配?」
「いとっ……!! そ……そんなんじゃないし! ただ可愛い弟分が!」
「町には露出の高い女戦士様とかもいるしねぇ……ユーマなんてあっという間に餌食に……」
「えじっ……! ……!?」
マリアの顔が赤く染まったかと思えば青くなる、ケラケラ笑いながら百面相を楽しむレイア、どうやら先ほどの復讐のようである。
「そーいや王立学校ってさ! 貴族の御子息様とかも沢山通ってるんでしょ?」
「あ~、王様も卒業生だったらしいし、どこかの王子様も通ってらしたらしいよねぇ?」
「マリア結構いい成績だったんでしょ? 貴族様とお近づきになれたりしたんじゃない? 社交界デビューとかぁ♪」
レイアの放った質問にそれまで身悶えしていたマリアの動きがピタリと止まる……。
「……キゾクサマ? アア……キゾクノゴシソクサマタチ……ミナサンスバラシイカタタチデシタワヨ? アンナコトヤコンナコト……ハテハアンナコトマデ……タクサンヤッテクレヤガリマシテ……アアソウダ……ホロボサナキャ……ホロボサナキャ……」
マリアの体からゆらゆらと闇色の魔力が立ち上っている、どうやら開けてはならない蓋を開いてしまったようだ。
「そっ……そういえば! マリア姉さんのお母さんは宮廷魔術師だったんだよね!?」
「ホロボ……え? あ……あぁ、うん、私が魔術師目指したのは母さんに憧れたからだったからねぇ、母さんの元同僚の人とか、学校でも沢山お世話になったわ」
「大小あれども親の背中って影響するのねぇ、捨て子の私にはわかんないけど」
レイアが何気なくは放った一言に二人の言葉が詰まる、ユーマやマリアと違いレイアは教会の門の前に捨てられていた捨て子である、本人はあっけらかんとしているが二人には分からない悩みがあるのかなど気にせずにはいられない。自ら地雷を踏み抜いてしまった事に気付いたレイアが二人の表情を見、慌てて手をバタつかせてフォローする。
「す……捨てていった親とかろくなもんじゃないしね! か、家族なら今シスターもマリアもユーマだって居るし? むしろ捨ててくれて感謝っていうの? だか……むぎゅっ!?」
しどろもどろになるレイアを顔をぐしゃぐしゃにしたマリアが抱きしめる。
「ぞーよねぇ! わだしだちかぞくだもんねぇ! グスッ、おねーぢゃんが守っであげるからねぇ!!」
「ぶはっ! ちょっ! ぐるしっ! 胸板が痛いのよ! 鼻水がつくでしょ! やーめーろー!!」
「むっ……! い……板ぁ!? 失礼な! ちょっとはあるわよ!」
「はーなーせっての! 板じゃなければ壁でしょ! 壁女め!」
揉み合うふたりの争いを遮るように鐘の音が響き、ユーマが慌てて立ち上がる。
「託宣の時間だ! 礼拝堂にいかなきゃ……」
二人はまだ不毛な争いを続けているが……喧嘩する程仲がいいということにして置く方が平穏であるとユーマは自分に言い聞かせる、マリアからまた闇色の魔力が立ち上っているのは見なかったことにしておこう……ユーマは背後を見ないよう駆け足で部屋を飛び出した。