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八十四話「驚くべき日」

 僕はこの世の驚異を目にした。

 音楽部の面々が轟音を立てながら、魔物の群に突進していくのを。鬼神のような戦闘風たたかいぶりだった。竜造寺先輩と張先輩がこの世の物とも思えない奇声を挙げながらギターや太鼓を打鳴らし全方位に不協和音をまき散らす。すると、動揺ゆえか化物の動きが鈍った。

 その隙をついて、原先輩と北野先輩がオーガにまとわりついて殴ったり、目を蹴上げたりしてあまりに無謀な抵抗を試みる。

 誰もが、何かの地獄絵図と思っている様子で、口をあんぐり開けている。

「みんなががんばってる……」

 三茅のつぶやきに、衝撃。

「クソっ! 俺たちがやらずに誰がやるってんだ!」

 

 原先輩が頭突を食らわせ、張先輩がケルベロスの頭をねじ曲げた。その音に快感を覚えるかのように、

「これが俺たちの音楽だ!!」と原先輩が叫ぶ。

 北野先輩がケルベロスをおびき寄せ、炎を避ける。体を円形にめぐらせ、地面を転がる。

 ケルベロスの躱された炎が、仲間の皮膚に着火。

 張先輩がオーガの脚を思いきりばちで撃ちすえると、オーガが脚ですかさず蹴倒そうとした。だが張先輩はいつの間に距離を取り、今度は片方の脚に全身で体当をしかけた。

 直後、何をとち狂ったか三茅がどこから持ってきたか分からない鮫の服に身をつつみ両腕で自転車を投げつけた。

 だが、焼石に水ではないか。


「よっしゃ! これでも食らえ!!」

 そこに吉田と岩井が二人がかりで滑車乗の石油のタンクを持ってきた。惰性に任せて、火に惑っている犬の一匹へすかさずぶつける。

 ケルベロスの体が転倒し、どんどん成長する炎に沈んでいく。


 オーガの拳が緩んでマギアが振落とされた。反射的に原先輩がその体を抱え、僕に向けて走寄る。

「さあ……後はお前が何とかするんだ」

 ついに僕は我に返って、あともう一人生き残っていた奴をようやく炎の刃で唐竹割にした。

 


 蒸発しつつある遺骸を避けながら、張先輩や北野先輩が僕の方に近づいてきた。


「何があった?」

 アクエリアはただただあっけに取られた声で、僕に訊く。いや、僕に訊かれても困る所なのだが。

 普通の人間で、あんな風に化物に立向かえる奴がいるだろうか。

「あ~、くっそ疲れたよ……」 北野先輩は腕を舌で舐めまわす。

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫って……そりゃこっちが訊きたい所だよ!」

 やけに大きく、驚かせる声になるのも仕方はない。

「あんたマギアを助けに行ったんでしょ? それも例のアパートに幽閉とじこめられてたのをさ。心配するのが当然だよ」

 なぜ彼女がこんな冷静な口をきけるのか疑問でならなかったが、それよりマギアの状態だ。これまでの疲労困憊ぶりが甚だしいのに、化物につかまれたのだ。

「安心しなよ、魔王はここさ」

 原先輩はがっしりつかんでいた魔王を放して僕の前で建てた。

 魔王は逆にその巻棒の力でますます衰弱していないだろうか……。


 どうしても僕は、まだ自分の見聞したことに現実味が持てなかった。僕が闘っていることではなく、学校の面々が堂々と魔物たちと

 脇に腕を立て、北野先輩が軍人めいた声で朱音に尋ねた。

「それより……化物たちはこれで全部なのかい」

 朱音は答えた。

「多分、全部でしょう。もうSNSでも化物の報告はないみたいです。で、誰が遣わしたの、翔吾?」

 こんな時に、痛い質問。

「勝山恵です、翔吾様」

「ああ。知ってるよ……俺が言わなくちゃいけない」

「ああ、今言ってくれ」 吉田が詰寄った。他の奴も同じような視線でにらんできた。

 それを教えたのは、マギア。

「勝山恵だよ」

 心なしか、引抜けた魂が幾分か戻っているような血色だ。

「私たちはあの子に騙されていたの。ずっと友達みたいに装って。けど、そうじゃなかった」

 怒りはない。ただ、悲しみだ。

 咲は、一抹の虚しさに満ちた顔で。

「何だかいつもの魔王じゃないね」

「え?」 マギアは、ふとぽかんとした。その顔にしても、あまりに無邪気で、まるでこっちが恥ずかしくなるほど、心の飾りがすげ落ちた容貌なのだ。

「察しろ」 咲の肩に手を載せ、忠告する吉田。

 咲は、尋ねてはいけないことを訪ねてしまった表情で、とても罪深そうに目を細める。

 僕は、表面上仕方ないなと言う様子でいたが、実際に咲を叩いてやりたかった。

 魔王は、もうみんなの望む姿を保つことに飽きてしまったんだ。あれはそもそも魔王の好きな姿じゃなかったんだろう。僕が初めて会った時の魔王が実際薄暗い奴なんだから。


「世界の危機が迫ったってことでいいんだな?」

 吉田は魔王に関しては深追せず、喫緊の課題についてさらに問う。

「でも心配なのは、エリアーデさんたちだ。こんな時に及んでも来てくれないってことは……」

「エリアーデ?」

「あの時教室にやってきた金髪の女の人!」

「ああ……そいつがどうした?」

「今、エリアーデから借りてきた……二人の精霊の力を借りてるんだ。それでマギアを助けて、化物をやつけた」

 

「情報量が多すぎるが、今はお前の言葉を信じるしかなさそうだ」


 おお、と声があがる。

「この人間どもに私たちの存在を気軽きやすく説明されてたまるかってんだ」 アクエリアのしたり顔が脳裏に走る。

「もちろん、彼らに私たちの事情を理解してもらうわけにはいかないわよ」

 何とかしなければ。しかし、正直言ってもう何もしたくない。すでに立っていることが辛うじてできる程度だ。

「今日はもう休め」

「世界の危機って言われるほど前例とてつもないことなんだろ? ならすぐに世界が終わる、なんてことにもならない」

 雲の海を貫いて、虹のざわめきに繋がる光の柱を静かに見やりながら。

「お前ら、じゃなくて俺たち、多分人生の中で一番濃密な時間を送ってると思うんだ」

 吉田は決して穏やかではない。静かな焦りを含んでいる。事態が切迫していることは分かっているが、まだそれに対して冷静でいようとしたい気分らしかった。確かに、それは僕にも通じていることだ。

 けど、魔王の眼光は再び光を失い始めていた。ほとんどそれを理解しているかどうかも怪しい表情だった。

「きっとどんな苦労した人生を送っても……この日々には及ばない」

 みんな、何も言わずに顔を見合わせた。


「あんたみたいな変わった奴、人生で二度か一度だろうな……」

 張先輩は魔王を見下ろすと、静かに告げた。

「じゃあ今日はここまでで。また髪を舐めてあげるから」「あ~本当自省しないんだからお前ら……」

 音楽部の面々が立ち去ると、二年二組のみんなもこれに応じて、そこから去っていた。誰もが、それぞれの道に帰って行った。

 朱音は立去る前、不穏な面持を見せながらこう言った。

「こんなことが起きてるのを知ってる人たちって、私たちだけなんだろうね」

「……それが?」 こんな時に、どんな冷静な声だ。

「どうせいずれこの日々も、本に記されることはないでしょう……」

 きっとそういう風にしか物が言えない性格なのだ。誰に対しても飾った感じでしか物が言えない。僕もあまり赤らさまには文句言えないけれど。


 すでに放課後だったらしい。

 そして僕と魔王だけが取残された。

 数歩歩いてから、ふとふりかえった。

「私は……」

 魔王は立ちつくしていた。何をすればいいか分からず、考えようとする力さえ見失っているようだった。それは非難されるべきことじゃない。

 僕でさえ、完全に何をすればいいか分からず、絶句するばかりなのだから。

 僕は、魔王の肩に寄添ようにして言った。

「今日はもう、休もう」 自分の家に行くことしか考えてなかった。

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