第九話「失望せる三茅、まさに激高せんとする魔王」
「外に行こうぞ、勇者」
魔王は片手で僕の腕をつ把みつつ、片手には黒い弁当箱をつかんでいた。きっとそこにどんな料理が入ってるのか予想もつかない。
僕は一瞬、魔王の言葉が理解できなかった。
「へ?」
「貴様なら我輩の意図が分かるじゃろう?」
朱音の周りを囲んで、数人の女子がたわいもないことでしゃべっている。吉田はまた別の友達としゃべって、やけににやけた顔つき。
誰の声ともなく、聞こえてくるうわさ。
「マギア・ユスティシアは本当に特別な力をもった人間かもしれない」
魔王との一件には誰も、口を出さない。きっと、魔王がどんな反応をするか知らないからだ。あれほど自分が信じる人のことで怒れる人間を、僕も含めて、誰も見たことがなかったから。
びびるのは分かる。しかし、それをまるで無かったことのように済ませてしまうみんなの態度が、どこか僕には腑に落ちなかった。
葛城咲が僕たちのところにまでやってきて、魔王に声をかける。
「ねえ、マギア――」
しかし、魔王はそれを断ぎってしまう。
「勇者と話をつけてくるのでな」
「いや、一緒に話せたらいいと思ったんだけど」
咲は間近で魔王の瞬間移動を目撃した人間だっただけに、俄然起こした興味は強いものであるはずだ。
普段なら喜んで会話に応じる所。しかし、魔王にはやむにやまれぬ事情があるらしく、
「お主の誘いはうれしいが、こっちも色々事情が立てこんでおってな」
「……何かあるの?」
「それはだな、勇者が存じておることじゃ」
と言って、勇者こと僕のあごをくいっと挙げる。
「なんで僕が!?」
いや実際は分かってる。ただ僕のあごに勝手に触るな。
「勇者が……一体、何を隠してる……?」
咲は僕の瞳をまじまじと見つめながらつぶやく。
「もしかして魔王の野望を止めるとか?」
この状況で、うなずくことなんてできない。魔王の手を勝手に押しやるなんてできないし、かといって魔王の馬鹿げた妄想を事実だと認めるわけにもいかないのだから。
そして、数秒後。
「さあ行くぞ」
勇者の肩をつかみ、やけに腕を振りながら引きずる魔王。
僕は何もできず、ただムーン・ウォークの擬似しか。
◇
「三茅の情報が何か見つかったのか?」
学校の裏、むし暑い風を放つ装置が並ぶコンクリートの地面を歩きつつ、僕は質問を投げた。
「何も!」 肩をすくめる魔王。
僕は、ずっこける。
「我輩はただ変人扱いされただけじゃ。柄の悪い奴にぶつかったら、いきなり我輩の体が強い風とともに宙を舞ったのじゃ」
「そりゃお前の責任だよ」
僕は的確につっこむ。
「……つか、お前が街中迷走って三茅索したってのはうそじゃないのか」
「本当のことじゃ!」
難有迷惑だ、と言ってやりたくなる。しかし、この際魔王に何をつきだしても無駄だろう。
魔王が三茅を想う心に、いかなる作為もないのだから。僕としても、それを馬鹿にするわけにはいかなくなる。
「それで結局得たものは、何もなしか」
「残念ながら、そういう結果じゃな」
魔王は、自分の行動のくだらなさに全く気づいていない。
僕はどうしても、指摘せずにはいられなくなり、
「あのな、魔王。お前は三茅への愛情が暴走し過ぎてるんだって」
口調は、無意識にとげとげいい。
「お前の行動が無意味とは言わないけど、空回転してるんだよ。やり方が誤ってる。普通に通路走りながら大声でさけんでる奴に佑助する人がいるかよ」
「吉田も同じことを言いよった!」
りんごのように小さな手を握りしめ、わなわなと震える魔王。
「お前は理想に過生てるって! だが理想を実現するのが魔王の使命ではないのか!?」
敵同士でありながら、いや敵同士であるからこそ語れることがある、というわけか。なるほど、僕を本気で勇者だと信じてるわけだな。
「プラトンだってこの世界の裏側にあるイデアを考えた! この世界の裏側にある理想郷を! 少しでもその片鱗を示さずには、我輩はおかない!」
魔王が声を細くしつつ、こちらににじりよる。
「アリストテレスが否定しただろ……」 とにかくやけに仰々しい話に出るのが面倒くさい。
「我輩にはまだこの問題を正面切って話せる者がいない。不本意ではあるが同じことを切りだせるのは勇者しかいないのじゃ。吉田や葛城にはまだ早かろうしな」
もちろん、そんなものは言訳だ。うっかり僕を勇者だと以為してつきまとってしまったので、僕以外に話せる奴がいない。墓穴ほりやがって。
そりゃ、罵りたくもなる。
「だから貴様、に……」
魔王の声が、よわった。
違う。
魔王の瞳が小さく、点になろうかと。僕は、そのうつろな目が映す方向に――
「魔王様、だったね……?」
頬に傷を残して、女の子が立っている。制服ではなく、
僕はただ、沈黙していた。沈黙することしかできない、愚かな人間を見つけた。
マギアはもう、我慢ならない顔を走らせ、
「何があった! 申せ!」
血走った目、両肩をつかんではゆらす。
魔王は怒っていた。誰に対してでもなく、自分自身に。
魔王は、愧じていた。誰の自分自身を!
僕は、ただ立ちつくすだけ。
三茅は沈黙に身をゆだね、魔王の顔をながめていた。
「あんたに……何が分かるというの?」
「あの人が私にしたことを、観てもないくせに……!」
魔王は、はっと息をつく。
「な……!」
僕は、ただ立ちつくすだけ。
「もういいよ……私なんて、どうせ誰にも必要とされてない!」
三茅は魔王の体をふりはらって、その場に立つ。三茅は失望の顔を浮かべ、
「何だよ……魔王って名乗ってるだけの変人じゃない……!」
「ま、待って……!」
その場を駆けて、僕たちの前から銷えた。
魔王はあっけにとられ、ただ茫然としていた……気づくと、うつむきながら、涙を流していた。
「なぜ我輩は、奴の辛酸を知らなんだ?」
「なぜ我輩には、三茅の心が理解できなんだ……!」
僕は今までただの傍観者として、魔王のやることなすことを観てきた。これまでは魔王をただ好勝手に暴れまわってるだけとしか認識してこなかった。
けど、それで可のか? 僕は、ただそばで嘲笑するだけか? ……嫌だ。
僕は魔王がうらやましい。魔王みたいに人目を気にせず、自分がやりたいことをやれる奴になりたい。
これまでは之を我慢してきただけだった。体面のためにだ! 他の奴らに後指さされたくなかったからだ!
でも、あいつは誰が指摘しても、その横暴を止めなかったじゃないか。
「三茅!」
僕は走りだして三茅を追った。追って何かがしたかったわけじゃない。魔王が泣いている姿なんて目にしたくなかったから。……なのか?
学校から出ることも、時間が終わってしまうことも構わずに、街へ繰り出していた。
「おい、危ないだろ!」
誰かにこづかれても。
道路が赤信号であっても。
しかし、そんなのは関係なく、僕はとにかく走り続けたのだ。
三茅の姿は群衆の中に何度も沈みそうになる。だが三茅は道の外れ、ある箱型の家、扉の前に飛びかかり、中へ突入した。
僕は倒れそうな脚を何とか支えつつ、扉の前で歩をとめる。
「よく帰ってきたね、三茅……」
知らない奴の声がした。