七十八話「助けて! 集団ケルベロスに襲われてます!」
「おい、これは……」
「ケルベロスです……アルカディアでも珍しい!」
いや、この世界にはそもそも存在すらしないのだが。
伝説上の生物がいる驚きと、イグニスの説明さえ聴く余裕のなさ。
すでに犬は僕に向けて閃光を放つ。
僕は反射的に、側面へと転んだ。間一髪で熱の波が体をかする。
「一番対決いたくねえんだよな、この犬!」
アクエリアが悪態をつく間にも、他の二頭の犬が飛びかかって僕に食らいつこうとした。
壁を弾くようにして、逃回るしかない。
敵と距離をとりながら、体に憑依している精霊に訊く。
「こいつらに何か弱点は!?」
「炎が吐ける分、首筋に……」
アクエリアの言葉は途中で中断られた。犬の炎の熱で会話の余裕がない。
三つの頭は微妙に違う表情ながら、怒りを以て僕をにらみつけてくる。
しかし、それほど協調が取れているとも言えないらしい。最低限の思考の共有はなされているとしても、時たま意思が衝突して、脚がばたつく。その隙を僕はついた。
最高速度で一匹の犬、真中の鼻に着地。動きが、止まった。瞬時にアクエリアの力を借り、水の刃を形成して、右目を貫徹。
悲鳴みたいな雄叫を挙げる間にも後ろに回りこんで体にいくつも傷を刻む。しかし今一手ごたえがない。
もう一匹が怒り、長い鎌首を背中にせりだした。もはや慎重な気分になど、なれるわけ。
この二匹がもみあい、混乱をきたしているのにつけこみ、僕は先ほど斬り払った奴にとどめを。
真下からぶつかり、三つの首の付根、頸動脈に深く食いこんだ。水の刃とはいえ、分子を極めて緊密に結び、低温でかつ液体状を保った特殊な水だ。
心臓が苦しくもだえるのも、気にならない。僕はほとんど半狂乱でケルベロスの腹を拓き、中の臓物を必死で掻出した。
体液が頭にかかり、異様なにおいが鼻を押倒す。
僕はすぐ遠くへと跳躍し、他の奴らの攻撃を逃れる。
ぐったりした一匹が湯気みたいに蒸発するのを挟んで、
「か、体が溶けて……」
まだ二匹が僕らと対峙している。
「あれは生物じゃねえ、魔法で練成した人工物だから!」
アクエリアが――僕の腕から生えた長剣の形を取って――取り急ぎ説明。
「それより、首筋を狙え、首筋を!」
「さっきのは運が良かっただけだ、二度もやれるはずは――」
「うっせえな異世界人め! これは相殺つってんだよ!!」
判断を待つまでもなく、アクエリアを刃から盾の状態に変えて、残り二匹の火炎放射を防ぐ。
その攻勢がわずかに止んだ後で一匹にありったけの水、そして電撃を浴びせた。あの時咲に向けたのに比べても格段強いのを。
先ほど学習したのか、もう一匹は首のうち左右が下を向いて弱点を守り、中心の首が対処すると見える。
二頭の首を切り落とした。再生するのを恐れ、その断面が露出した所を炎で焼払う。
たった一つだけになった首は目をかっと見開き、ふたたび赤の波濤をほうり投げた。
こちらもアクエリアの力を酷使して、途方もなく細い水の槍を投擲し続ける。すでに力を限界まで蕩尽し、筋肉がぎちぎちうずくのを忍えながら。
ついにその肌の薄い首筋をうがつ。犬はその場で大人しくなり、何度か目をつむると、口から今度は泡を噴出して転落ちた。
僕はもはや全ての気力が喪失した。
「終わったな……」
無力化した二匹のケルベロスが、目の前で煙をもうもうと立ちあげながら無数の雫に還っている。
内臓の異臭はいつの間にか消えていた。あれほど生物の構造を真似たものを造れるアルカディアの技術に、感心すると同時に恐怖。あの邪悪な雰囲気は消えていた。
ただ、静かで薄暗い、うす気味悪くなるほど平穏な場所だった。
僕は四つん這で、真下に広がる地面を凝視。
紫色なのか黒いのか分からない、いやその材質すら確かめがたい……モルタルめいた物質で舗装されている。天井が真暗だったのは覚えていたが、きっと同じ要素で詰まってる。
これが何でできているのか、僕には分からないし訊きたくもなかった。
先ほどと同じ、小さな弱い灯りが星々みたいに不規則に粘着、ともっている。よく目をこらすとそれはLEDの光で、拍子抜した。
「この光、この世界で使われてるのと……同じ」
「ああん? それより魔王を回収するのが先だろ~」
アクエリアも疲れ切ったはりのない声だ。どう考えても、先ほどの激闘で精力搾取られたことを根に持ってる。
「時間が、ないのですね」
イグニスはまだ、力が残っているらしいが。
「時間がない」 驚いて見せたつもりだが、抑揚が欠けていた。
「短期間でこのアパートを改築せねばならなかったのでしょう。魔術で照明をつけるよりは、この世界の道具からかき集めるしかなかったのですね」
「照明の魔術は高くつくのか?」
「何日もつけるにはやはり消耗も激しい。魔力を切詰めるために取らざるを得なかったのでしょう」
今はもう、その言葉で十分。
だがやはり、つい数分前の修羅場が嘘みたいに、現実味が。
「……気配がない。多分、あれで魔物だとすると、あの時誰かが襲われた魔物ってのは……」
ケルベロスの獰猛な眼が立戻ってきて、不意に目を閉じる。やはり、こんな経験は好きでするものじゃない。
「行きましょう。私たちには真実を知るしか道がないのですから」
繭みたいなこの空間を掘り進める形で、階段が続いていた。一寸先は闇で、あまりに遠く長く続いているように見える。
「この先にマギアがいる……はずだ」 希望。いや憶測。
勇者やエリアーデたちはどうしているのだろう。きっと、今頃世界の融合を企んでいる人間を突止めているはずだ。僕が今から対決するのはその融合に協力しようとする小悪党に過ぎない。
棒になった脚に無理使して、しばらく歩き続けると、微弱な光が階段の向こうでともっていた。そして、人のにおい。
またもや、心臓の鼓動が高まり始めた。もう、緊張する気力すらないはずなのに。
マギアがいるとして、どんな顔をして待ってるってんだ? あいつはただでさえ狙われてる存在で、しかもあんな悲鳴をあげた。
僕はこれ以上、マギアが追いつめられるのを観るのが耐えきれなかった。
数か月前までは、ただクラスの変者に過ぎなかった。それが、もう世界の融合を可能にする重大人物。
もし僕だったら、正気を失ってるはずだ。誰が、好きであんな重荷背負う。
いや、すでに正気じゃないんだ。僕はもう一般男子高校生じゃないんだから……。
でも、大丈夫だ。今すぐあんたはクラスの人気者に戻るんだからな――
一組の男女。
一人は立って、何かをつぶやき、一人は死んだように座りこんでいる。




