七十一話「二人の精霊」
数日間、僕は自宅で屍みたいに寝転がっていた。
勇者が姿を現し、マギアの正体が分かってしまったあの日の余韻は深すぎて、まるで何年も過ごした気がした。体の疲労が半端ない。それ以上、心の傷があまりにも深すぎて誰にも会いたくなかった。
あの日会った女の子はマギアだったのか……僕の名前を知っていたのは、僕があいつに名前を……。
本来なら、僕ら二人は異世界とか、世界の危機とか、そんなものに関わるはずがなかった。ただの高校生で、一日一日を無気力に過ごしているごく普通のガキだったのだ。
しかし、魔王マギア・ユスティシアがあの子と接触した。素性を明かしたのかどうか知らないが、マギアはあの子――本名を呼ぶ気にはなれない――に自分が持っていた反射炉を、身体的特徴ごと移植したのだ。
そして、偽マギアはそんな重大な事実を、露知らず僕らに対し魔王などと広言した。
反射炉の力がどんな性質かまだ何も知らないけれど、予想は十分できる。
咲を一気に抜かしてしまったのも、公部川の上流で蜘蛛を無力化したのも、きっとあの反射炉か……それとも偽マギアの体内に受け継がれた真マギアの魔力によるはず。
怖ろしい。こんな怖ろしい事実を正面から受け止めようともせず、日和見決込んでたのってのか。
だから僕は、もう学校に行きたくない。
「中村翔吾様は、こちらですか?」
初めて聞く声。気品に残るあどけなさ。直感で、また異世界人だと悟った。
ふざけるなよ、と思う。今日は誰にも会いたくない。もう十時だが、着替えてさえいないのだ。
「勇者の手先か?」
パジャマ姿、ソファに深く背をあずけぼやく。
「偽勇者の僕を始末しにきたのか? こんな才覚も、選ばれてもない僕を……」
「そうではありません!」
異世界人の声はより強気に。
「要件言うの面倒くさくね? つっこもーぜ」
もう一人、いるみたい。
「エリアーデ様の命令で参りました。勇者様は昨日からまた私たちの前にはお見えではありません……それ以上に、翔吾様には重大な使命があると仰せなのです」
重大な使命だと? 一層腹立たしい。
もうあの一件で僕は魔王とは何の関係もなくなったのだ。
顔も知らない異世界人を叱りつ――
「学校の方々が危険にさらされてもよいのですか? 翔吾様も、今なお命を狙われているのですよ!」
時間が一気に巻き戻った。
『翔吾様も』と言った。僕ばかりが、異世界の奴らの標的なんじゃない。
すでに咲がロデリックの毒牙にかかった。
それ以前に、岩井と小坂が化物になった蜘蛛に殺されかけていた。
ずっと前から、異常続きなのだ。逃道なんて用意されてない。
この事態に無関心でいる権利なんてないのだ。それに甘んじてたら、それこそ僕は――
「もういい! もういい! こんな脆い木製の扉なんて洪水でぶち破れ!!」
少女の連がまたもや。
僕はやっとのことで全身に力を入れ、玄関まで歩いた。
面倒くさいな。異世界人はどいつもこいつも品性が濃すぎるのだ。こちら側とは住んでる環境が丸切違うというのもあるけど。
「翔吾様」
二人の少女が玄関に立っていた。
一人は目も髪も、空のように青く、宝石みたいに明るく輝いている。色彩ときたら、まるでこの光景に似つかわしくない位鮮やかで、別の絵から切写したような存在感。
もう一人は赤い髪をなびかせ、犬歯が口から洩れていて、いかにも野心たっぷりって感じ。
「イグニスと申します。この子は私の相棒のアクエリア」
するとアクエリアが激昂して、
「相棒だと!? てめえに相棒呼ばわりされる筋合はねえぞ」
ほえた。僕ばかりが、まるでこの二人のいる世界から隔離されてるみたいだ。
「では何と呼べばいいのです。エリアーデ様が私たちを相棒と呼んだのではないですか?」
「あんな上司のために従うわけねーよ。つかイグニス、こいつに言うことがあるだろ?」
アクエリアにはまるで敬意がない。けれど今はこの豪放な性格が救いだった。より明るく、屈託がない。
イグニスは無理やり彼女から眼をそむけ、
「エリアーデ様の命令により、高校にいる翔吾様の同胞をお守りするという使命のため参りました。今、翔吾様のおられない久根野高校は危険な状態にあるのです」
「ああ、咲や三茅がやって来たけど謝絶したよ……」
「あんたしょんぼりしてるな。分かるよ……あんなひどいこと言われたんだから」
お前はマギアの何を知ってるんだと問いたくもなるが、気にかかるのはエリアーデたちのその後。
「二人はどうしてるんだ?」
「勇者コンスタンティン様は再び姿を隠されました。今力を尽くしてその居場所を追っている最中なのです」
「翔吾様の命を狙う者が、いずれまたロデリック卿のように顕われるのかもしれぬのです。それに、マギア・ユスティシア様が、捕縛されたのですよ!?」
マギアが捕まった? 一体誰の手に……?
いよいよ僕は体を硬直させてその鋭い言葉に傾聴る。
「彼女が持っている力が彼らの手に渡ったら、いつ『世界の危機』が現実に訪れるか分かりません! そしてその脅威をこれ以上を引き延ばすわけにはいかないのです。だから、翔吾様のお力が必要なのです」
肩すくめるアクエリア。これ以上長話に打明けるのが嫌みたいに、
「難説はいいから、学校とかいう場所の連中に姿を見せろってこった」
僕は一抹の虚しさを残続けていた。なぜ異世界人と嫌でもつき合わなくちゃならないのだ。なぜ自分が特別扱いされなくちゃいけないのだ。
こいつらの言う通り、高校の連中までもが異世界に関わってしまっている。ロデリックの襲撃はそれをはっきり
だが、僕以外の人間じゃだめなのか?
「誰に捕まったんだ?」
「それを突止めるためにてめえの力を借りんだよ。ちゃんと話聴いてたのか? 何も高校に行くのが嫌ってわけじゃないんだろ?」
「そりゃ、前は嫌でも毎日行ってたさ……」
アクエリアは笑顔、辛辣に命令。
「口答はいいから三十秒で仕度しろ!」
その口を平手で塞ぎ、
「アクエリア、いちいち横柄に接しないで! ……翔吾様、ですからぜひ私たちの力をお使いください」
と腕をふりしぼって願うイグニス。
「はあ?」
「私たちは契約によって魔術を人に与える精霊。この世界を拓く時、人間は私たちの力を使うのが常でした。そして私もその使命に殉じる者」
人間の僕として尽くそうとする心意気に、つい溜息が漏出る。アクエリアが後ろで
「翔吾様は今のままでは強い魔力を発揮できません。しかし私たちの力を使うためには、契約せねばならないのです」
僕は惰性に従ってこう訊いてしまう。
「それって、不品行しい行為に及んだりするものじゃないよな?」
アクエリアの顔が青ざめ、イグニスの顔が赤くなる。髪からは荒波のような炎が湧きたっている。
「私の決意を馬鹿にしているのですか!?」
「いや、ごめん! つい、小説とかアニメでそういう展開があったものだから……」
両手を合わせて謝る。
「とにかく、私どもの力量を見くびられては困ります。翔吾様にマギア・ユスティシア様を救いたいというお覚悟があればね……」




