その日
風変わりな人、程度にしか思っていなかった。
マギア様は端麗で、間違いなくもてそうな美人だと確信していたのだが、この人には驚くほど世間の常識が欠如していた。
とにかく、帰る家がないとのことで自宅に案内することにした。
その時でさえ、驚きの連続で。
お金とか、学校とか、そういう世の中の色々なことを何一つ知らなかったのだ。第一、アパートの壁や自動車の道路を見ては驚いたし、私が端末を取りだすと、次の瞬間質問攻へと。
気分的にたじたじになっていたけれど、私はマギア様がとにかく、この世界の人間ではない、根底から全く違う常識を備えた人間なのだということを理解し始めていた。
けど家に入ろうとして、マギア様は拒んだ。
「……人の家に入るのは、気がひけるわ」
「で、でもとても疲れてるだろうし……」
「魔術を使えば寒さ暑さはしのげるし、人から姿を隠すこともできる」
何の不思議さもなく聴いて、怪訝な様子は数秒後。
この人は何を言ってるんだろう。
「ま、魔術?」
私の戸惑が本気と知り、マギア様は、本気でうろたえていた。
「あなたほどの年頃だと、まだ魔法の学習はしてないのね」
「魔法なんて、ゲームとかアニメの中のものじゃないですか?」
マギア様は、若干見下すような視線を向ける。
「ひょっとして、ここは魔法を知らない民の住まう辺境の国かしら?」
「魔法なんて、この地球上には存在しませんよ……」
すると、どんどん瞳が小さく。
「まさか……この世界には魔法が存在しないの?」
その瞬間だけは……多分この人は危ないな、と感じてしまった。
私は、何日か彼女と会って、話をした。どんなことをして食べていってるのだろう、と疑問には思ったけれど、「狩り」の言葉が出てきた時点が何かを察し、そのことにはそれ以上触れなかった。
けど私は何でも語った。お互いの世界の様子とか、自分の悩みとかを不包隠だ。私にはこの人以外に入れこんでしゃべれる人もいないので、すっかり肝胆相照らす仲となった。もっとも、いつも他の人には自分の存在を告げるなと厳命されてたけども。
静かに、彼女が告げた。
「私はね、この世界ではない所からやってきたの」
「冗談でしょ?」
「冗談じゃないわ。こんな世界にやって来たことがまだ信じられない」
マギア様の言葉は、最初どうしてもふざけた調子で聞こえた。
「私はね、元の世界では『魔王』と呼ばれていたの」
語りだした話は、さながら小説みたいで、私はマギア様の身の上を案じるよりむしろ面白半分で聴入っていた。
かつてはある王国に学者として仕えていた。しかし、世界と世界を融合する装置――この部分ほとんど理解できなかったが――を偶然にも発明してしまい、権力者たちにつけ狙われるように。
そして、国の北に広がる大きな森へ逃れて、そこで魔物たちを駆り、戦争と言っていい状態に。
「――魔王? ……それ、面白そうじゃない」
つぶやいた。何の悪意もなく、ただ幼稚な好奇心で。
マギア様は、怒らなかった。ただ、とても意外そうな表情。
「何を言ってるの。こんな流浪の身になって、薄汚い名前を負って異世界に迷いこんだ私に――」
マギア様の声が感情を帯び、怒りに変わる前に、私は目を輝かせて、
「いや、私、魔王になるよ。あなたの跡を継いで。そして、この世を牛耳る悪い勇者をやっつけてあげるの!」
堂々と自分の妄言を垂流して見せたものだ。
マギア様はほとほとあきれていた。
「何を言ってるの? あなたみたいな人間がなっていいものじゃない……」
思出せば、かなり恥ずかしい言葉だ。この人の苦しみも知らないで、勝手な願望をまくしたてたのだから。でも、そんな私の様子が本当はあの人には救いだったのかもしれないと意いたい。
だって、この世界に迷いこむまでの過程がやはり壮絶で、二度と経験したくないはずのものとは、理解できたから。
「で、勇者は、どこにいるの?」
マギア様の器の大きさには、やはり感服せずにはいない。
「あなたに話したところで分からないわよ。でもまあ、きっと異世界を出て追ってるとしてもおかしくない。私がいる場所からそう遠くない所かもね」
「えっ、そんな所に勇者が存在してるの? 分かった。やっつけてあげるから」
と、まるでジャブの物真似。マギア様はまたもや面食らった顔で私を見下ろす。
「……変わった子ね」
その日、マギア様と街の中心に至る大通を歩いていた。
マギア様は自分が初めて知ったこの世界に興味津々で、どんな些細な気づきでも質問漬にするものだからそのつど、私はあれこれパソコンで本を読んで調べなくちゃいけなかった。まあおかげで今まで興味もなかったことにも詳しくなったわけだが。
「……なぜ、そんな風に私たちの世界にあこがれるわけ? ろくな場所でもないのに」
「この地球に比べれば、とても空気がきれいな場所だと思ったから。きっと」
マギア様はただただ困惑していた。この人にとっては忌まわしい場所だと分かってはいたけれど、私は異世界が実在していて、その異世界に生まれた人と直に接してるんだという昂奮は、なかなか冷却らぬものではない。
「こっちの世界の方が、少しだけ暮らしやすい気がするわ……何しろ排泄物の匂いもしないし、人や獣の死体が転がってないものね」
あまりに直接的な言葉に、やや気が退けるが、ここで向こう側の現実について深掘しようとは思えなかった。
そして、ごく低い声を挙げながら、私の耳元に近づく。
「あなたは、二つの世界が存在してることを知ってる唯一の人間よ。でも私の世界の人たちにはすでに知ってるが沢山いるかもしれない」
「このこと……他の人に伝えちゃだめよ」
「もちろん。だってあなたは私の魔王様なんだから」
こんな軽々しい口を、あの日までは平気で叩いてた。
そばを通過ぎる自動車の数々を指さし、尋ねるよう、
「この魔物は何?」
光ったり、窓がついている点が生きてるように思えたのかも。
「車といって、この世界では一般的乗り物なんです」
「車? 馬とか杖は使わないの?」
数口だけで、この世界とは全く違った発展を遂げた場所に生まれ育ったんだな、と強く実感できるのだった。
「いや、そういうのはもう昔で……」
だが、この世界に疎い以上は仕方ないのかもしれない。いきなりマギア様は手すりに脚を乗り出して、道路に踏みだそうとした。
「待って! そこに入っちゃだめ!!」
この時点でもう、心臓がびくびくと揺れている。
「あれは魔術を使えば通抜できる……」
「じゃなくて、こっちに来る!!」
トラックが普通自動車を跳ね飛ばしながら、車線を越えていく。どう考えても尋常な光景じゃない。
私は逃げたくて、でもマギア様を捨てることもできず、構えたまま静止。
遅かった。幾重にもまきつくサイレン。黒い鋼の巨体が視界に大きく広がる。
マギア様のやせた姿がはね飛ばされていた。




