五十二話「魔王の大胆なる人材登用」
二等辺三角形の角度について訊く問題が黒板に。
数学の授業は、唯一魔王が沈黙を守る時間だった。
「マギア……」
「今は授業中じゃ」
自分でもわからないままマギアに声。
「けどよ……」
その後が続かない。口ごもって、そのまま。
「そこ、声が大きいぞ」
間野先生の注意が聞こえる。小口先生とは違って魔王の覇気には眩惑されないたちなのだ。
僕は例の、通信ができる岩を片手でにぎりしめながら――そこから光が漏出るを防ぐため――、エリアーデたちとの今後をぼんやり考えていた。
今日遭ったのは……魔術師のロデリック卿。そして、かつては彼を尊敬していた戦士アレクサンデル。
三人の念頭にあるのは、『世界の危機』。わずかな人間しか知らないが、この無上重大なことらしい。
だが、本物の勇者とは何なのか。僕ではないのは明白だが、かといってどんな人物に当たるのか見当がつかない。
『世界の危機』? あまりに僕なんかとは無縁過ぎる事柄。それを引起こした奴が誰なのかも、とても想像できることじゃない。
なぜ、僕がその『世界の危機』に関わらせられるのか。
「翔吾」
すると、朱音に名前を呼ばれる。
「あなたの番よ、問題を解いてみなさい」
朱音の両目はやけに鋭く、ある事について執心の様子。
きっと先輩から魔王について聴かされたのだろう。僕も一足つるんでいると考えてるに違いない。
くそう、と毒づきつつ、自分の不安な推論に基づく式。
「合ってるかな……?」
「お主、我輩の出した答と合っておるぞ」
魔王が身を乗揚げ、上気した顔で。
「いや、少し違うな」
先生の反論で、机にそのままつっぷす。
「ううん……」
どうしよう。あの岩が急に光を放って通信を始めたら……なんて唐突な悩みにふける今日この時。
誰も佑助しようとする人は。三茅も咲も、
と、教室のずっと後ろでうつむいてた岩井が急に手を挙げ、
「この答えが分かります!」
「お、書いてみなさい」 先生の感心した声。
席と席の間を通る最中、目が合った時、岩井はかなりおびえている様子だった。きっとあの山奥での事件を想起し、苦い時間を再生している。
こんな俺が許されていいのか――と葛藤する表情。
ひそかに僕は、岩井に同情した。僕なんかが関わる問題じゃないのだ。
僕はこの物語の主役なんかじゃない。ただ主役にこき使われるモブに過ぎない。
授業が終わった後で、朱音は僕と魔王を廊下へと連出し難詰。
「龍造寺先輩から聴いたんだけど、あなた、正気なの?」
「本気じゃぞ!」
朱音はすっかり途方に暮れ、ためいき。
「あなたったら本当に、何と謂ったらいいか」
魔王はさして気にも留めていない様子だった。
「とにかく、あなたはどうかしてるのよ!」
朱音は魔王と交わした誓など、とうの昔に忘去っているようだ。
元から魔王のような奴と結ぶ約束など、守れる代物ではないのだが。
「ただでさえ学校中が文化祭のことで大変なのに、私たちに無理難題を押付ける!」
頭をかしげ、
「ふむなあ」
「ふむじゃない!!」
そこに、小坂が近づいてきた。
とても恥ずかしい顔でありながら、けど何か言わずにはいられないように、唇が音なく揺れる。
「ねえ、朱音」
合宿以後もあまり
小坂が朱音に言った。
「思うんだけど、少しは魔王のこと信じてあげたらどう?」
「私だけの問題じゃないの」
朱音の目も顔も、はっきり小坂を見下していた。
「そいつの肩を持つつもり?」
「私は魔王に助けてもらった命だから……魔王がそんな風に苦しむ所なんて、視てられない」
小坂は朱音から若干目をそむけていた。
今になって朱音に立ち向かうのが怖ろしいのだろう。魔王に尽くすふりをしても、意味はないって。
朱音の返事は想像より、はるかに身勝手で。
「今さらになって魔王の味方? あの時合宿を滅茶苦茶にしたあなたが?」
何一、この野郎は変わっちゃいない。
僕は朱音に平手打を見舞いたくなった。
すると、魔王が小坂の前に立ち、両腕を挙げる。
「朱音、こやつは我輩の盟友じゃ。馬鹿にするのは許さぬ」
以前の魔王なら、暴走して朱音の喉笛をしめ上げていたかもしれない。いや、多分そういう気持で当然いるはず。
しかし、魔王はこの久根野高校という世界である程度煽りへの耐性を高めていたようだ。
「たとえどんな我輩はどんな落度があった人間であるからといってそれを責めたくはない」
朱音はますます軽慢、
「……忘れたの? こいつがいなくなった原因というのは、あなたなのよ?」
「ち、違う!!」
小坂は必死に打ち消した。あの苦い思出を、掘りかえされるのが何よりも辛そうに。
「私は……、ただ教室の空気に適応することができなかっただけで……」
しかし首を横に振るマギア。
「いや、あれも我輩の失態じゃ。我輩がみんなのことをよく知らなかったから、あんな……」
二人とも、不完全な存在。決して誰かの師匠となれるような資格があるわけじゃない。
魔王も小坂も、支え合うかに見えて、実際にはぼろに満ちているのだ。
朱音は勝ったかのような笑顔で嫌らしく誇る。
「ま、どっちにしたってあなたが音楽部の協力が欲しいってお願をかなえるつもりは微塵もないから」
魔王は小坂を守ろうとする決然とした表情のまま、動じる気配はなくて。
「とりあえず、私はみんなと一緒に食事に行く。あなたたちなんかと食事を共にするなんて考えたくもない」
「そうじゃな、お主は多くの友人と恵まれておるからの」
さして、朱音は気にも留めていない。
朱音が去ると、僕はどうにも微妙な空気に置かれた。
窮地と言うべきだ。僕は魔王に共感する余地をちっとも持合わせていないのだから。
「朱音、あんなざまだが――どうするつもりだ?」
「そうじゃな、なら我輩の力だけでライブをするしかあるまい」
「おいおい――」
拳をにぎり、ますます無理筋な願望を唱える魔王。
そのまま小坂に向き直り、
「だから、我輩の声が歌うのに適したものか確かめてほしいのじゃ。もし鍛えさせてくれ」
「そ、そのためには私以外の誰かが必要じゃないのかなって」
「岩井じゃ、岩井を呼べ小坂!」
僕は眉間にしわを寄せ、いぶかるばかり。
「まさか岩井にも協力を求めるつもりじゃなかろうな」
「我が仇敵だからこそ言うておるのじゃ。」
仕方なく、小坂は魔王の言葉に順って教室の中に入ろうとして、そこから出ようとした岩井にはち合わせに。
「今、呼ばれた……?」
小坂はちょっと後ろめたい顔で魔王に問い、
「そうじゃ岩井! お主の力が必要じゃ!」
魔王は決然と岩井に言いはなつ。
「お主、我が声を鍛えるがよいっ!」
言われた岩井は指で自分を指さし、困惑するばかり。
「な、なんで俺がしなきゃ……!?」
「お主だからじゃ! 選択する自由はお主にある!」
事実上、岩井に拒否権など与えていないことなど魔王自身も気づいていない様子だった。




