第五話「魔王、ある目的により再び闖入す」
僕の名前は中村翔吾。久根原高校の平凡な三年生だ。
今までずっと他愛ない生き方をしてきた、と信じていた。そしてこれからもずとっと続くはずだ、と。
けれど、数日前突如それを突破る奴が現れた。
「勇者よ、覚悟するがいい!」
勇者? 一体何の根拠があって?
現実は、物語とは違う。一体、理由も分からず突拍子もないことが起こるのだから。
マギア・ユスティシア十六世。いかにもとってつけたような名前。しかし、姿はまるで異世界から到来たかのように非現実的。
溶かせば高値で取引されそうな、銀色の髪。人形のようにきゃしゃで、かつ優雅な風情をおびる体。
そんな女の子がやけにおっさんくさいしゃべり方で僕をかどわかしている。こんな喜劇がどこにあるのだろう?
いつから僕は役者に?
ぶつくさ悩みつつ、僕はシンクの中、皿を洗う。
基本、家には一人でいる。両親は海外に出張しているので、誰ともしゃべることがない。
それが当然のようになっていたから、さして孤独も感じなかった。第一、人と話すことに慣れていないのだ。そりゃ友達が数人はいる。けれど、家に呼んで遊ぶ、なんてことはないな。
全部洗い畢ると、自室にこもる。宿題はすでに終わらせた。さて、今日は何をやろう。
最近人気の映画やアニメを借りて、観ようか。それとも散歩しようかな。
やりたいことなら、大量ある。けど、それにどう処理むか……。僕はこれにかんする判断が本当ににぶくて、色々思案するうちにどんどん時間をいたずらについやしてしまう。
にしても、今あいつは……。
不意に魔王のことが頭をよぎる。会ってまだ数日なのに、あいつの記憶はまるで数年に相当するほど厚く、重み。
こんな密度の高い記憶は初めてかもしれない。そりゃ、印象深い思い出と言えば……小学生時代に木登りに失敗して大けが負ったとか、犬にかまれかけたとか……枚挙にいとまがない。
だが、魔王みたいに癖のある人間は、未経験だ。
詮方ない僕は、毛布の上に横たわる。自然にもよおされる眠気。
ああ、だめだ。コーヒー飲もう……まだ粉あったっけ。とりとめもないつぶやきの数々をいだきつつ目をあけると、
「おっはー! 我輩だよっ」
女の子が僕のベッドの上にしゃがんで、顔を接近ける。
あの黒い、フリフリした服でだ。
「……な」
すでに、黒いニーソとジーパンが触れあっている。
「何やっているんだー!」
悪びれず、笑顔。
頭にはばらの飾りをつけ、
「ふふっ、驚いたか? 勇者よ」
僕は心底キレていた。
「驚いたじゃねえよ、犯罪だよ」
魔王はやけに悪いことしたな、とでも言いたそうな表情で、
「いや、玄関に鍵がかかってたものでな、ならば窓から」
見当違いの釈明。
「もっと不可よ。そもそも我が家はセールス御謝なんだよ」
魔王は感心したみたいに、
「殊勝な心がけであるな、勇者」
ますます細い、やわらかい腕で体をなぞろうとする。このままでは下半身がおかしくなりそうだった。
「ち、近づくな!」
声は出すが、しかし手は出せない。
魔王は上半身を起こして、やや駿とした顔つきになる。
「まあ、閑情け。確かにこれは早計じゃったわい」
僕はまだまだ怒りが収まらない。
「ちゃんとインターホン押しやがれよ」
しかし、魔王は自分の過失などとうの昔に忘れているかのようだった。
「措之じゃな、我輩はお主に伝えたいことがあってやってきたのじゃ!」
魔王の身勝手さで、それ以上はもう、ため息しか僕はつけなくなる。
さっさとこんな奴を家から放逐してしまいたい……。
「伝えたいって、何をだ」 完全にけんか腰で僕は問う。
「三茅のことじゃ、分かるじゃろ」
魔王はもう鋭い眼光で、僕をにらみ出す。
ようやく魔王の話を聴く気分になった僕は――しかし、やはり忸怩たる感情は――、台所、テーブルの椅子に座り魔王と相対う。
「ほう、意外とハイカラな雰囲気ではないか」
白と黒の散らばる天井から壁を海のような眼でなめ回しつつ、つぶやく魔王。
一人で住むには確かに広いし、こんなガキでしかない僕にはちょっと不適切かも。
「そりゃそうだよ。父さんは建築家だからね」
「ほう、この家は父君の手になるとな?」
「うん。かなりの予算をつぎこんだそうだからね……内装とか、倉庫とか」
実際、父は見かけの豪華などは気にせず、部屋の仕組みとか、棚の構造とか、細かい所に工夫をこらすそうな。
「外からはあまり高そうには不見がのう……」
あやしい発言に若干またもや腹が立ったが、こんな無駄話どころではないはずだ。
「で、お前、三茅のことで語りたかったんだろ?」
方向をさっと直し、正面から僕を直視える魔王。
「そうじゃ! これは勇者にしか言えぬことなのじゃ」
りりしい。
この美貌とあいまって、魔王は本当に高貴な出自ではないかと錯覚させる。
身長が矮いのが難点だけど。第一現代ではそんな会話法する人間はいない。
「お前、やけに暗い顔だったが」
僕の心臓が高鳴り始める。
ごく小さな声で、
「三茅はどうやら――」
魔王は、間を置いてから、
「魔物に憑依かれておるらしい!」
予想外の展開、脱然僕はずっこけた。椅子からころげ落ちそうになり、あわててテーブルの端をつかむ。
「またお前特有の冗談かっ!」 生きた心地がしない。
魔王はしかし顔を少しも曲げないで、
「今のは試したのじゃ。お主が本当に話を聴いてくれるかどうかを」
僕はかなり馬鹿にされたような気分になった。なぜ魔王からそんな妄想めいた冗談を聞かなきゃいけない?
緊張した状況からの突き放す発言にはこりごりだ。ここ数日の重荷をさらに増加えることでしかない。
「そうやって場の空気を乱すとか、随分お前も人が悪いぞ?」
頭をかきつつ、僕は魔王の困惑した顔を睥睨。
「いや、我輩も勢に過乗ぎてしまったの」
あごを指でかき、他人行儀みたいに返す魔王。
「では、本題に入るとしようぞ」
僕は、もうこいつの顔を見るのも嫌だった。
けど、魔王の瞳は本気だった。
「三茅は決して遊んでおるわけではない」
重みを持ち、滑舌のよい声、僕はすでに彼女の雰囲気に魅了まれていた。
腹立が消えたわけではないが、魔王がいざ気合を入れると、どうしてか黙りこまずにはいなくさせる圧力が。
「ある人間の手で束縛されておってな。奴の許可がなければ家にも帰れぬそうだ」
嫌な予感。
「奴って……誰だ?」
「三茅はそれ以上言ってはくれなんだ。朱音が目を光らせてるからじゃろうな」
結局、現実はどこまでも冷たい。
きっと僕も、その状況が続くよう補助しているのだろう。僕の無関心も、彼女の心をがっしりと閉めているのだろう。だが、それをどうやって?
「あいつが、皆の衆から誤解を受けて苦しんでおるのは、間違いない。だが、我輩は奴をクラスから孤立させたくないのじゃ」
立ち上がって、僕を見下ろす。しかし、対等の力をもつ友として。
「我輩はお主が信義を重んじる者であると知っている。我輩の苦悩も理解できるはずじゃ」
深々と頭を下げ、感情のこもった声で。
権威のある人間でありながら、あえて、協力を求める。まるで、本当の気位の高い姫君みたいに。
「頼む、勇者中村翔吾。三茅の誤解を解いてくれ」
「……やだよ」