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第四十四話「嘔吐の嵐、それは残念な結末」

 みんながあれほど楽しみにしていたはずの夕食は、決して楽しげな雰囲気で始まったのではなかった。

 二年二組はすでに広々とした野原にテーブルを並べ、椅子をすえ、準備を終えていた。どうやらこれは吉田と三茅の指示によるものらしい。なるほど魔王が腹心とたのむほどの実力はある。

「我輩は疲れたからの、お主が全権を執れ」

 華奢な手で吉田を指さす魔王。困惑を隠せない吉田。

「……は?」

「お主がいなければ、我輩は野垂死んでおったかもしれぬからの。その功績は死んでも報い切れぬわ」

「だからといって、俺がやるのは……何を言えばいい?」

 明らかに、吉田の不安感の背景には、魔王救出劇の一幕が尾を引いている。まさにそれが僕らの喫緊の課題だった。

 実際、岩井と小坂は恥ずかしそうに顔をそむけ、決して僕たちと顔を合わせようとしないのだ。あの二人は別段仲がよかったわけでもなく、ただ魔王への反目と共通していたにすぎない。

 彼らは、当分の間二年二組には受容れられないだろうな……それさえも、魔王は擁護しなければならないのだ。

「我輩が話してもきゃつらは聴くまい。我輩ではないからこそ言えることもあろう」

「けどよ……」

「朱音、どうにかしてくれよ」

 まるで朱音が慈悲深いお方であるかのように、懇願する目つき。

 朱音は本気で忌嫌う顔、視線をそむける。


 みんなは黙々とカレーづくりに精を出していた。十数人が三角巾を身につけ、エプロンをはおり、けれど、僕にはほとんど食欲が起こらない。無論、岸辺へもどるので食べるどころでなかったのもある。けど何より、朱音にまつわる気まずい会話を聴かされた後で、気分を再興とりなおそうとするつもりにはなれなかった。魔王でさえいつもより弁舌がすぐれず、目先も下がり気味に。

 後で知ったことだが、魔王のレシピに忠実に従っていたらしい。つまり、僕が魔王に味わわさせられたあの敗北が再現くりかえされるわけだが、そんなことに奴らはちっとも留意しない。


 朱音は横眼で魔王をにらむ。魔王は口を一文字にとざして応えるのだが、その意味は明白だった。

 お主が何を言おうと、我輩は魔王でなければならぬ。お主がそれをどれほど厭離いみきらおうとな。

「なあ、二人とも、どっちか演説をやってくんね?」

 吉田は、無理やり笑顔を作っていた。朱音はますます険しい顔つきになり、次第に吉田へと視線を遷しだし――

 けど、こんな茶番はすぐ終わる。


「魔王様、魔王様」

 音もなく駆寄る小口先生がひざまずき、まるで貴重な物みたいにマイクを献上さしだした。

 魔王はマイクを受取ると、両手で興味もなさそうにいじり回しつつ、つぶやく。

「我輩にはもはや長広舌を揮うほどの気力が残っておらぬ」

 まだ興奮が冷めやらぬ咲を、必死でなぐさめる三茅が視線の端に見えた。

 しょんぼりしていた。

「だから誰かが我輩に代って彼らに話をしてくれる者はおらぬか……」

「吉田、お主がやれ」

「何で俺が……?」

「それとも勇者、貴様がやるか?」

 僕ははっきり断る。

「さっきので大方の語彙力は蕩尽つかいつくした。もう一回やれって言われても無理だ。それにお前らはまだ和解しきっては……」

「ならいいよ」

 吉田が魔王からマイクを取上げ、僕の前へと歩きだした。

「朱音、そう嫌な顔してくれるな。今だって俺はお前が怖い。ひょっとしたらどんなしっぺ返しが来るか分からないんだからな」

「今に察てなさい……」 朱音は何かを毒づこうとするが、魔王や三茅の視線がある場ではあの時のように気炎を吐くことはかなわない。

 魔王のマイクを執った吉田は、いつもと異なって何かつけ上がっているように見えた。こんな魔王の不変性かわらなさに距離を置きながら接しているはず、この時ばかりは魔王かたたまわった機会を都合がいいとばかりに思っていそうだ。

 実際、まだ調理が終わってもいない時分に吉田はいきなり大音量で叫喚よばわったのだから。


「お前ら、魔王代理として一言わせてもらうぞ!」

 誰もが、カレーを混ぜ、ご飯をたく手をとめ、吉田に集中する。

 こんな時に味に影響しそうだが、本当に誰もが手を停めてしまうあたり、魔王という言葉の力は誠絶大。


「さっき魔王が色々難しそうなことを言ってたが、そんなもんは重要じゃない!」

「……何!?」 魔王が異議を唱えようとしたが、

「俺たちはみんな傷を負っている! 傷を隠して生きている。俺だってそうだ、誰かに知られたくないことで沢山だ。今回だって俺たちはまた誰かに傷を作っているかもしれないと不安でならない」

 岩井と小坂は、ただびくびくしながら吉田の語りに傾聴ききいっている。

「あの二人については何も言わんよ。俺はあいつらのことを責めるつもりもないしわびる気もない。そんなことをされても肩身が狭いだけだからな」

「吉田、お前……」

 岩井が、何事かを言いかける。

「」

「だからお前らもそのことについて表立って語るんじゃない。少なくとも二人の前では……」

「なあ、吉田」

「お涙頂戴な話はこれ以上聴きたくないだろ? だから魔王がさっき言ったことも、今俺が談したことも忘れちまえ。だろ、魔王?」

 と魔王にマイクを渡して。

「んいっ!?」

「ああ……そうじゃな……ははっ……」

「言質はとったぞ。では以上っ!」

 マイクの電源を切って、再び僕たちへと走り寄った。


「勇者!」

 どきりとした。まさか僕が呼ばれるとは夢にも思っていなかった。

「……僕が何かしたのか?」

「あの時のこと、感謝する」

「もしこいつがいなけりゃ本当に魔王は朽ち果てていたかもしれない」

 身の毛もよだつ。実際例のくもとの遭遇は命の危機だった。みんなには話すまい。

「いや、別に僕は――」

「その人のおかげで、私も助けられたって言いたいわけ」

 小坂は、上目遣に吉田を見やる。どうにもならない状況を、こいつに転嫁したいかのように。

 ぼやく朱音。

「……なんて雑な話なの」

 

「当然だ。せめて苦にもされない方がましだろ、岩井?」

「違う、俺は……」

 誰か何と言おうが、結局岩井に屈辱を与えるだけなのだ。

「どうせ、みんなに物語草にされちまうんなら、再想おもいださせない方がずっといい」

 僕らの顔を一つ一つのぞきながら、吉田は舌を振り回し語り続ける。

「何より、俺は変化ってのが何よりも怖いから」


 ◇


「おおおっ……」

 魔王が目を輝かせていた。

 目の前にはカレーライスがずらりと並ぶ。すでに香ばしいスパイスがぷんぷん鼻に刺さる。

 やおら立ち上がり、スプーンをふるって叫ぶ。

「では諸君、存分に味わおうぞっ!!」


 もう、忘れてしまおう。過去のしがらみからは今は自由でありたい。

 これを味わえば僕は『すばらしい新世界』のソーマみたいに桃源郷の境地に至れるのだ。だからみんなの動きに合わせて、僕もスプーンで米を書き取り、ルーに混ぜ、口にまで届けてかんだのだ。


 その時、嘔吐が発動した。

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