第三十九話「決死! 樹海の脱出」
「請願。勇者、休ませてくれぬか……?」
魔王が無責任にも弱音。
「元はお前が歩いてきた道だろ! つべこべ言ってないで行進!」
多分岩井と小坂に対する心配のせいか、あの時はほとんど距離感が身にしみてこなかったのだ。二人が見つけられれば、どんな苦労も大したことじゃないと決めつけている節があった。けれど、意外と僕らの歩いてきた道のりは複雑だったらしい。
それ以上に、例の二人はかなり衰弱していた。顔はやつれ果て、ろれつの回らない声。
たとえ魔王に対する反感だとしても、何がここまで駆立てたのか、頓と見当がつかない。
「なあ。どうやってここまで深入したんだ……」
岩井は小坂と手をつなぎつつ、何とか僕らに追いついている。
「そんなこと言われても、今さらどうしょうもないだろ」
決して心を開こうとしない。
「奥に行くしかなかった。だって、カヌーがどこにあるかさえ分からなかったんだもん!」
小坂にしても、いまだ卑屈っぽくなっている所は変わらない。
間を開けてから、魔王は若干おびえる声で問う。
「それは貴様、どこにカヌーを置いてきたかわからぬということか」
「おいおい、冗談に成ないぞ」
僕は両腕で頭をかかえそうになるが、気力をそんな行動に注ぐ精力はもう残ってはいない。魔王は万一の状況を考え恐怖しているようでありながら、しかし混乱えない。
「あるいは救助隊が派遣されてるという可能性も……」
「ちょっと待てよ、俺たちの位置さえ伝わっちゃいないんだぜ?」
僕は慵げに、魔王の顔をにらむ。
あまりにも希望的観測ではないか。第一許可もなく川を遡行したのが絶望的な愚行だったと言える。
魔王の色香に惑わされたからだとは死んでも思いたくない。僕は魔王の無責任な予測にも真実があるのではないかと信じて、この選択に至ったってのに。
「まだわからぬではないか? いまだ岸辺をのぞいてはおらぬからのう」
魔王は低い声で、けれど確信をこめて言った。
この塩谷は実際自然公園として認定されているだけあって実に未着手の自然に満ちている。
猿の鳴き声や犬のほえる声が再びどこからともなく聞こえてくる。真上、枝と枝の間にもれる微塵な光と、懐中電灯だけが道標だ。
道中、岩井が荒々しく、重々しい息を絞出す。
「うわ……今鳥の糞が当たったぞ?」
「まじかよ」 僕は単独、今後が思いやられる顔を浮かべる。
魔王も憂鬱に愚痴。
「我輩もさっき犬におしっこ浴びせられたのじゃ……」
「ぐへっ……変なこと言うな!」
「とりあえず、お主ら、周囲を警戒しろよ。もっと恐ろしい獣が潜在んでるかもしれぬぞ」
つっぱねるマギア。いずれにせよ、反対側に向かうことしか手がかりがない。
と、僕はその時、あることを発案き、
「そ、そうだ! スマホで連絡するってのは?」
岩井は希望を否定する。
「だめだ。ここだと圏外になる。電波も通らない」
端末の画面をのぞきつつ、失望に満ちた言葉。
「地図アプリで検索できるかなって思ったが……とてもこんな所までデータを網羅しきれてるわけじゃないしな」
「ならなおさら我々には踏越えるしか道はあるまい。ククク、武勇を示す時じゃ……」
力なく笑う魔王。実際、魔王は恐がっている。ただ、自分が可憐こと以外の取柄がない女の子なのだ、という事実を認めたくないがために強がっている。
しかし僕らはほとんど何も言わずに自然の中を移動していった。無駄にしゃべればのども渇くし、獣たちも誘致せてしまう。
というより、無意識のうちに僕らはこの荒々しい世界がもたらす感性にとけこんでいた。野性が僕らにも残っていたかのようだ。服がすれ、頭に何か的中っても文句の一言さえ。
こんな所で死のうと、死ぬまいと、さして変わらない気がした。無論、後で考えれば十分危ない境地だったのだが。
多分一時間は経ったはず。
どこまでも青い夜、霧のように散る雲をまとって、満月黄色く大地を照らしている。
「ついに岸辺についた……!」
僕はついに期待感に胸をふくらませ、岩井に尋ねる。
「おい、朱音に連絡してくれ。俺たちが今どこにいるか……」
帰還にのどを鳴らし、僕はようやく人間としての自覚を回復しつつあった。
「……切れてる」
岩井はしかし、失望の結果。
「だめだ……、電源が切れてる。さっきも喚けたんだが出てくれなかった」
「厳格く叱られてるのかもしれんのう」
さして重大なこととも考えない魔王。
「おい、俺たちの命がかかってるんだぞ?」
僕が不満をもて余していると、小坂が割って入り提言する。
「カヌーを探そうよ」
公部川の流は、来た時よりも激しく素早い気がした。きりたった岩で隔たっているそれは、もうカヌーなどで逆上れるとは見えなかった。
「川沿いが長すぎる……とても見つけられるとは思えない」
誰にともなく、助けを求めるような声、下流へ目を遣る岩井。
僕は、嫌な予感しかしない。
「大体、ちゃんともやっておいたのかよ?」
岩井も小坂も、無言。
つまり、こいつらは自分たちがどうなっても可という心積でここまでやってきたわけだ。あの女の命令か。
僕は、怒を超越してもうげんなり。
「それは……かなわぬな……」
引きつった笑の魔王。さしもの魔王と雖も、この大自然が相手ではどうにもならぬ。
「……だめか」
「このままじゃ……今日はもう、野宿するしかないな」
第一、彼らがまだ探してくれてるかどうかも不明。ひょっとしたら眠っているかもしれん。
だとすれば絶望的だ。僕はもう誰にでもいいから泣就きたかった。
僕は無関心な目を横たえ魔王を視た。
魔王も意気消沈していたが、その割には危機感が不足しているようにしか見えない。少なくとも、底抜けて絶望している僕には。
実際、切実さの欠けた言言葉を。
「ならばいっそ野生人と化して日を明かすか」
元気づけてくれるかも、とばかり思っていた僕は深く失望する。
「どういう妄想だよ」
「我輩はのう、サバイバルものでこういう危機的状況を突破る番組をたくさん観てきたからの。奴らにできれば我輩にできぬはずがないと思っておったのじゃ」
こんな不毛なやりとりにしびれを切らし、岩井が気色ばみ始める。
「……それより、帰れる手段は教えてくんね?」
「だからそれを今考えてるんじゃないか」
「考えてるなら教えてくれよ!」
岩井の様子は危険だ。このままでは殴合に発展しかねない。
僕が次の対応に逡巡する間、エンジンの爆音が鳴響く。
それが何であるか考える前に、すかさず懐から杖を引抜いて炎を放っていた。
そばにあった樹に燃移り、隣にも火がどんどん広がっていく。
「な。何をした翔吾!?」
小坂も、瞳を粉みたいな大きさ、茫然。
「叫べ。叫ぶんだよ!」
愚者、とばかり僕はがなりたてる。
「おーい!! ここだーっ!」
すると、岩井も感情をこの大声に振向けていた。
「ここだーっ!」
魔王が
「こっちに来るがよーーーい!!」
「助けに来たよ!」
暗くて見えない後部座席、三茅が片ひれを振り上げていた。
手こぎではなく、電気で動くボートで彼らは躍りこんできたのだ。
ボートはやや離れた、川から細く伸びる埠頭に上がり、動きを止める。
しばらくして、ボートから誰かが降りてくる。
「迷惑かけやがって……」
操縦士――吉田だ。
僕はこの時、喜びでほとんど脳内が空虚になっていた。
その顔を間近に見ても、さして吉田その人だと認識できない位に。
「おい、乗れよ。みんなが待ってるからさ」




