表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/102

第三十八話「偽勇者、勇者になりかけるもよう」

 くもの表皮が黒くこげついた。

 いくつもの眼が真赤に染まり、牙は震えてけたたましくうなる。

 僕は杖を前方に構えたまま、硬直した。僕自身の思考も停止してしまっていたのだ。

 くもがどれほど深い傷を負ったか、それすら関心をかすめない。

「翔吾」

 マギアが、奥から何とかしてしぼりだす声。

「貴様……今、何をした?」

 くもがまた叫び、頭をもたげる。すでに、半分ほどの眼が光を失い、輪郭も大部削れていた。

 確かに、ある程度深手を与えたのだろう。この時はそれしか考えられなかった。

「おい! また来るぞ!!」

 魔王の声が終わる前にくもの口が目前に迫っていた。先ほど以上に、不気味さと敵意を噴上げ、食らいつこうと。

 だが、僕はちっともひるまなかった。この時どうやって対処すべきか、無意識的に分かっていたからだ。

 想起すエリアーデの言葉。氷属性だったな。僕はまさに、くもの頭に氷の塊が生える情景を想像しつつ、高い声で叫ぶ。 今度は冷たい風が木々の間を吹抜けた。

「やれ!」

 杖の尖端がいつの間にか青白く燃え、一つの光線がくもに頭上にほとばしっていく。

 くもがかわそうと身をよじらせた瞬間、いてつく光が頭から胴にかけて走り抜け、体中を氷のとげで覆い、動きを封じてしまった。ただ目のあたりだけが、興奮でひきつっている。

 鈍いうめきが、何秒も続く。

「……そんなの、僕が須訊ききたいよ」

 魔王は、

「貴様のやっていること……理解できぬ」

 岩井が対向むこうで叫んでいる。

「おい、まだ動くぞ!」


 くもは叫ぶ。表面から煙がわき出て、氷を一瞬でとかしてしまう。

 再び自由を奪還とりもどしたくもは、生物と想うすらはばかる凶悪まがまがしい声を唱え、口をがらっと開けた。

 僕はその中に呑みこまれようとしていた。今度こそ終焉おわりなんだな、と。あまり恐くはなかった。多分、命がかかってるという実感がなかったからかも。

 けど、復もや僕らの予想を違背うらぎる展開。


 魔王の立っている地面に円形の模様が描きだされた。灼煥而ひかりかがやいて、地面の土、枯葉が浮上る。

 そう言えるのは、僕が例の二人からのちほど聴いた事なのだが、けれど

 くもの動きが静止した。口を頭から引離し、それどころか脚をあげ、おびえるかのような姿勢とって後退しつつ。


「勇者に手を出してはなりません」


 誰かの叱責しかりつける声。魔王の声だ。だが、魔王にしてはあまりに風格が漂っている。

 僕はくもに襲われた恐怖、魔王の声に対する不安で回首ることさえかなわなかった。


「そのまま……退がりなさい!」


 ただ、二言だけ。

 その二言だけで、あれほど憎悪顕然むきだしだったくもがやけに光る蒸気吹き上げながら、次第に輪郭を狭めていき、衣服をはぎとる様子でどんどん豆粒へと収束していった。それからは本来もとどおりの静寂。数分前の激闘が虚言うそみたいに。

 僕はただ黙って、くもを収蔵おしこめていた空間を眺め――あお向けになり震える岩井と小坂をにらむ。

 二人は、ただ自分たちの出くわした事態に恐怖するあまり、それがもう終わったことさえ気づいてはいないらしい。

 おそるおそる、後ろの魔王に目を転じる。

 魔王はじっとしていた。何かが大きく変わったわけでもないのに、この時やけに魔王が歳をとったように見え、大人の色気を放っていた。

 この時の魔王は、明らかに僕の知っている魔王ではない。誰かが憑依のりうつったように別人で……

「……どうしたのじゃ、勇者? それより、岩井と小坂は!?」

 魔王が走りだし、僕のすぐ側に駆寄る。今にも泣きそうな顔で、消入りそうに小さな声をすりつけて尋ねる。


 見慣れた魔王の表情が。奇怪おかしなことは何もない。

「お前、さっきなんて何て言ったんだ?」

「何を?」 頭をかしげる魔王。

「何って、今、あのくもを叱りつけて……」

「お……おい! 翔吾!!」

 岩井がようやく重い口を開く……といっても随分生きた心地もない調子だったが。

「お前、……あいつを倒しちまったのか?」

 そうだ。この杖で――とすっかり冷たい先端をさする――僕はあのくもを撃退してしまったのだ。きっと根に持っているだろうが。だが、とにかく岩井はその情景を目撃してしまった。

 エリアーデは……頭のおかしい女じゃなかった。

 僕は今の状況にほとんど現実味を感じていない。ただ、一つの真理を会得したかのように、醒めた気分で岩井の顔をながめ、返事。

「魔王のおかげだよ。こいつが叱ってくれなきゃ僕らの命はなかった」

「わ、我輩がどうしたのか?」

 ぎょっとして、更におろおろする魔王。

「……憶えてないのか?」 つかみかかりたい欲望を抑えつつ、慎重に訊く。

「我輩があのくもを叱りつけて、退散させたと?」

 声も出さずうなずく僕。

「な、何を言っておる!? 貴様がその杖で焼払ったのであろう?」

「違う。この杖はあいつに決定的な打撃を与えられなかった。ただ頭をこがしただけだ。それで逆にあいつが――」

 小坂が鋭い声で僕をさえぎる。

「ちょっと、二人とも黙って。何で私たちが分かったの?」

「逆に僕が訊きたいよ」

 杖をすっかり地面に落とし、彼らへと歩く。ひっと息を飲む岩井。


「なぜ……お前らはこんな所に迷ったんだ?」

 突然、悪霊が忍びこむような怒りに囚われた。

 なぜ、合宿という特別な日にこんな馬鹿みたいな行為? みんなを無用に心配させて、何様なんだ!?

 誰が喜ぶというんだ……!

「そ、そんなの知らないよ! 私たちがやったことなんだもん!」 小坂が慌ててべらべらと。

「何のために!?」 さらに僕は詰めよっていく。

 小坂は僕を変な眼でにらみつけ、まともに相手にしない。

「そんなこと訊かれたって……!」

「朱音か? 朱音だよな? あいつに何吹聴ふきこまれた!?」

 僕は今すぐにでもあの女の元に一直線、駆けていきたかった。よくも僕らを危険な目に遭わせやがって! しかも化もん相手に命狙われて……! ふざけるな。

「俺は悪くない、俺は悪くない……」

 岩井が心底見苦しい弁解をたらたらと。

 無此上感情を刺激され、僕はついに手を挙げた。

「やめよ、勇者!」

 すぐ横で、魔王が僕の顔を厳しげに。

「今は二人を責めてもどうにもならぬ。それより、なぜ二人がここにやって来たか、じゃ」

 大人っぽさはもう失せていたが……怒りに決して我を忘れず、気品を保つ姿は、美しい。

 これほど弱く、強い魔王は初回はじめてだ。

「マギア……」

「何!? 私たちが悪いんでしょ!? そうでしょ……誤まるよ!!」

「だからお前らは――」


 またもや怒鳴り散らしそうになった時、マギアは強引に腕で僕の脇腹をついた。

 戸惑ってその姿を眼中にとどめることしかできない僕をよそに、


「許さないでくれ」

 魔王は二人の前に立つと、弱々しくうなだれる。

「我輩は……ついお主らが勝手に我らを離れてしまったものとばかり……だが、違ったのじゃな」

 闇の中に聞こえる、風、鳴声、葉の落ちる音にまぎれて、その言葉は溶けてしまいそうだ。

「すまなかった……我輩がお主らの気持を知ろうともしなかった余に……寄添ってもやれなんだ……」

 膝を折り、息が乱れ始める。

「我輩がごく一部の人間にしか気を配らなかったために……こんな危険なことを……」

 僕は、こんな風に謝罪するのは嫌だと思って、黙っていた。

「すまぬ」

 小坂の肩に腕をのせ、何とか起立がる。

「何でお前が謝るんだよ? 俺たち二人がしでかしたことなんだぞ」

「我輩も罪深いから……」

 けれど僕は、そんな会話に耳を傾ける心の余裕はなかった。魔王が芝居がかった言葉を吐いているからではない。


 僕はもう、こんな危険な場所で感傷にひたっている気分でいられなかったのだ。

「翔吾よ。貴様、何を黙っておる?」

「カヌー、どこにやった?」

 喫緊の課題。

「は?」

 岩井はまたもや意外な声。まさか僕がまた激怒したと不安だったか。

「しまった。うっかりこの森の探索に熱中しておったせいで……」

「ああ、私もすっかり忘れてた」

 もう小坂の声に生色はない。

「とにかく……すぐに川沿に向かうぞ」

 それからはもう誰もあらたに口を言わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ