二十六話「恥じらう勇者の過去語り」
「なんだか、歴史があるって感じだね」
恵は大人びた雰囲気のホールを見回しつつつぶやく。
僕は親孝行のためにと、すかさず自慢。
「僕の父は建築家でね、この他にもいろいろな家を造ってるんだ」
「建築家?」
「うん。僕もいつか建築家になろうと目指してる」
「親の稼業を継ぐってことか……いい心がけだよ」
恵の声に若干の乱れがある。恐らく、親関係で気持のよくないことでも? ああ、詮索はだめだ。
「まあ、特になりたい仕事ってわけでもないけどさ。僕はあんまり野望とかいだかない方だから」
恵は、今度は返事をしなかった。
今言うべきことは何だ。とりあえず、恵に何か隠しだてすることなんてない。率直の中身を告げなきゃ。
まず何を話すか決めなくてはいけない。僕は恵をどうするかでわりかし深く迷う。
まず、まず――
「まずうちさあ……屋上あんだけど、寄ってかない?」
思考の中の『まず』が、つい口にもれていた。
「お、そりゃいいね」
「天井に丸い窓が開いててさ、快晴の日はすごくいい景観なんだ」
頭を振り向いて、やや明るい表情。
「観たい観たい」
「でしょ?」 好きでもないのに、期待をあおる口調になっちゃう。
「そこって、私みたいな障害のある人でもくつろげる?」
そう尋ねらるとぎょっとする。何しろそこまで建築についての知識があるわけではないから。
「裏切りはしないさ」
今は父を信じるとしよう。まさか恵じゃのんびりできない家というわけじゃないはず。
廊下についているエレベーターに入り、二階へと揚がる。
数十秒だけ密室の空間、僕はやや物につかれた気分。
扉が開くと、方形、さほど広いわけでもないが、日差が上から床へとほどよく通り抜ける部屋につながる。
天井には円形の窓があき、青々とした空から光をいっぱいとりこんでいる。壁の一面には大画面のテレビがあり、違う一面には本棚難しげなぶ厚い書物がずらずら。
「ここが翔吾くんのリビング?」
僕の手を離れ、自由に床を車椅子で動き回る恵。
「僕、というかみんなが過ごす部屋だね。まあ今は一人暮らしだから、あんまり使うことはないんだけど……」
基本、入るのはたいてい掃除する時だけだ。そりゃ、マギアや吉田も連れこんで騒ぎあったら面白いだろうけどさ。
すると、急に恵はのどの奥から息をはなち、背伸する。すると上着の向こうにある乳が形をほのめかしだす。
「うーん、飲物が欲しくなってきたかな?」
「どうしよう。コーヒーしかないけど」
「コーヒー?」
僕はついつい恵のふくらみをちらちら見つつ、
「私は紅茶派なんだけどな」
向こう、冷蔵庫やオーブンをしつらえる小部屋に入る。
僕は粉をカップに入れ、ケトルを使ってお湯をそそいだ。
毎日がそうやってコーヒーを飲むのだが……はっきり言って、母さんみたいな味の奴は目指せそうにない。僕は、その日をいつも心待にしていたりする。
その手にカプチーノを渡す。
「ありがとう」
恵の手は細く優雅で、マギアとは別の質感ではあるがどこか似通っている。
こう言うのは微妙だが――恵の場合、それは弱弱しさからくる美しさなのかも。
「何だろう……このままじゃ、少し気恥ずかしいかな」
「遠慮しないで。こんな私でさえ招いてくれる気前のよさなんだからさ」
初めて会った時のあの言葉。この子が奥の奥にひめている、苦しい過去。
誰に話すことができるだろうか? けど、もう耳にしてしまった。
「……僕は君からとんでもないことを聴いたよ」
「え?」
それが恵の心を傷つけるものだとしても――言わずには。
恵はきょとんと口を開け……それから眉をひそめ、ごく低い声、
「別に。もうみんな過ぎたことだから」
なぜだろう? 僕にとって恵は数日前会ったばかりの人間なのに、これほど依存しようとするなんて?
「いや、お願いだ。僕の過去を知ってほしいんだ。恵が教えてくれたことの見返りとして」
「なぜ、そんなことをする必要があるの?」
恵は目を見開き、僕の顔を凝視する。
「私は、翔吾くんにそんな重い話を望んでるんじゃ――」
しかし、つい声を荒げてしまう。
「いや、僕のエゴだよ。僕も同じ気持ちにひたらなきゃいけないという使命感を」
◇
あれは、僕がまだ中学生の頃だ。
まだ僕は今みたいに暗い人間でもなかったし、あれを経験していなければもっと充実した人生を送っていたはずなのだ。
僕は『友人』という言葉にさそわれ、ただそれに従うしかなかった。
気づいたら『友人』は自分の苦痛をごまかすための言訳でしかなかった。はっきり『悪人』だったのだ、彼らは。
僕は彼らを許さない。確かに、最初から僕の弱さに原因があったのだと思う。僕がきっぱりと断っていたら、事態は今みたいにうやむやになってない。けど、僕は圧倒的にこの世界を知らなかった。
あの無垢な自分を、僕は自分で破壊してしまった。
◇
「……どうして、そんなことを言うの?」
最初、恵から脱然馬鹿にされると思った。僕のかかえる記憶は彼女に比べればはるかに軽い、あっさりしたものじゃないか。僕は不幸が自慢したいのか? 何物にも純粋に喜ぶことができなくなった僕自身を自慢したいのか?
何かかっこいいこと言おうとして――結局泥をぶちまけたもんじゃないのか。
「こんなことを言うのは僕にとってあまりに荷が重い」
恵は口を一文字に閉じて、何も言わない。
「僕は魔王を視た時、感じたんだ。あれは昔の僕なんだって。僕だってひょっとしたらあいつみたいになれたかもしれない……けど、意義を感じられなくなった」
虚心に僕の口をみつめ、ほとんど感情をもらさない。
「もう、馬鹿じゃないから」
すると、恵の顔は不思議なものだ。目は笑ってはいない。しかし、声はほがらかで、後ろめたいものは感じさせなかった。
「そっか! 私たちは似た者同士なんだね」
いや、本当は苦し紛れにそんな顔してるだけなのかも。それくらいならはっきり馬鹿にしてるって言ってくれ。
「ごめん」
僕はうつむく。けど、恵はそれでも笑う感じの声は出さない。
「でも……魔王と仲良くしてるように見えたけど?」
「え?」
「それは、普通に魔王みたいな風に振舞えるってことではないのかな?」
「まさか」
まるで僕を評価しているかのような口ぶりじゃないか。僕は急に偉くなってしまったような錯覚で。目がどうにも舌を向く。
「私には、翔吾くんがとても手に入れがたいものを手にしてるように思うよ」
重たい響きをもって、僕の鼓膜を圧するのだ。
「私は施設に行っても、さして誰とも話さないし、誰とも自分の胸の襟なんて言わないもの。こんんな風に相談あえる人なんて、初めてだからさ」
僕はそんな特別な人間じゃない。そんなこと言われるほど尊いものじゃない。見つからない返事。
ただ、黙るしか。
うかつな沈黙が、けど恵を現実にひきもどしてしまったのか。
「いや……ごめん。長居しすぎた」




