第十九話「自称魔王を知る金髪乙女、その名エリアーデ!」
「よ、米倉清助……」
なぜ、この人はそんなことさえ知っているのだろう。トイレの中でする話じゃないはずだ。
「そう。君は魔王を奴の所に突き出して危険にさらした」
彼女は、太い腕をのばし、手を壁に押し付けて狭い部屋の一角に陣取る。
「違う、僕は三茅を助けたくて……」
「魔王の命がなければ、今さら私たちの計画が帰塵になってたところだからね」
「ねえ、何なんですか一体!?」
僕は恐怖と困惑、そして静かな怒りで叫ぶ。ほとんど漏らしそうになっていたが、この女に対するわずかな矜持でかろうじて抑止めていた。
「僕は魔王ともう数週間の交流があるんだよ。今さらぽっと出てきたあんたに何が分かる!」
女はますます、僕を哀れそうに目を細め、みくだしていく。
「君に教えてやるつもりはないよ。何しろ世界の命運がかかってることだからね」
「世界の命運……!?」
もう、僕にはこいつはただの異常者と以為す以外の手段がない。
金髪の女がトイレの中にいるんだぞ? ましてや米倉の事件を知っているときている。全く想定外の事態だ。
「でも、魔王が君みたいな普通の人間を勇者と呼んでるなんて驚いたな。暗愚をよそおってるというにはあまりにお粗末だ」
「あのね、あいつは自分が魔王っていう妄想にとらわれてるだけの――」
「お黙り。これは君が関わっていいもんじゃない」
やってられない。このままトイレの中で長談義なんてまっぴらごめんだ。
感情に任せて、僕は叫んだ。
「くそ、ここから出せ! 出してくれ!!」
「なら、魔王と一切関わらないで」
女は一気に顔を下げ、僕に近づける。
麦色の肌に。血色のいい唇。よく見るとそれはやけに艶っぽくて、ぎょっとした僕はすぐ顔をそむける。
「これだけは言えるよ。魔王は、いずれあなたたちから離れ去るってこと」
もう嫌だ。粉砕りたい。
僕は何も分からず、すっとこうつぶやいた。
「あんた、何様だよ」
急に女は低い声で、いましめるように。
「あんた、あんたって呼ぶんじゃない。私の名はエリアーデ。あんたじゃない、本当の勇者の片腕さ」
それからはもう僕に口答えする隙はなかった。
言葉が終わった直後、エリアーデの体がまたたく間に床から白い光に包まれ、虚空へ雪のように散った。エリアーデはもうどこにもいなかった。
その直後、じっとしていることさえ辛い空気が一気に消え、トイレの中はまた僕一人だけがいるあの静かな世界に。
嘘のように気がはっきりして、ズボンの内側が何かでたまっていることに気づく。
僕は世界の急激な変化にただただ茫然としていた。
「翔吾! 翔吾!!」
吉田のどなり声。
「鍵かけやがったなこの野郎! こっちはもうすぐ出そうなんだよ!」
ドアを荒々しくたたく。
「ご、ごめん!」
僕はズボンの中が少し濡れていることも気にせず立ち上がり、トイレから出て吉田の姿を見た。
一瞬、吉田は怒っていた。それくらい、もう耐えきれないのではないかと。僕は意味不明な女とのいさかいで時間をつぶしたことを悔やんでいた。
けど、僕がはっきりそれを口にする直前、吉田の顔が何かにおびえている。異次元の何かに対する、おびえ。
「いや、おい翔吾……」
「な、何……?」
吉田は静かにこちらへ歩きながら、通過ぎざまにつぶやく。
「お前、漏らしてるんだが……」
「え?」
意味が分かった時には、僕はもう、さっきの会話なんてさっぱり忘れていた。数秒後、僕は恥辱のあまり崩落ち、気絶した。
◇
僕はズボンを体操服用のものに着替える羽目になった。
「お主、やけに災難つづきではないかの?」
魔王は僕の災難を平然とネタにしている。
「お前にゃ言われたくない」 最低な気分。
「にしては、我輩の顔からやけに目を背けおるな。威厳に屈したか? くくっ」
しかし、僕がこんな暗い気分でいるのは別に魔王が馬鹿にするからじゃない。
僕はもう、マギア・ユスティシアを前みたいな目で見られなくなっていた。
あの女――その名エリアーデ――が言うことが本当だとしたら。
今、本当に世界が危機に没入っているとして。
マギアが、その危機に関係があるとして。
エリアーデはマギアを魔王だと本気で信じているかのようだった。米倉と同じだ。米倉も堂々とマギアを魔王と断言したのだから。
つまり。
魔王は、本当に何か隠しているのではないか?
「なあ、マギア」
「ん? どうした勇者よ」
僕ら二人がしゃべっている間は誰も僕らに口をさしはさまない。
魔王だけではなく、勇者という三茅助
「もし僕が、お前が何か隠してんじゃないか? って疑ったら……どうする?」
結局、そんな風に暗示することしかできない。
すると、魔王はきっとなった顔で起立がる。
「何を、我輩は貴様に何も隠匿することなどないぞ!」
いじらしく、指を折曲げ脚を広げる。
「なんなら、ユカの献立でもケースケの給与明細でも教えてやろう」
「そりゃ知りたくないね……」 率直な返事。
こいつの日ごろ食ってるものがどんな味か知れたもんじゃないし、給与明細なんて人に教えるもんじゃないだろう。
「なんじゃ。せっかくお主と同じ話題で盛り上がれると思ったら!」
大真面目に、口元を『への字』にゆがめているのだから。
まさか、こんな奴が世界の危機なんぞに関わってるはずはないよな。あいつの言っていることが本当なわけがない。あれは全部妄想の類なんだ!
「むしろ、あなたが私たちに何か隠しているように思うけどね」
心臓を激しく高ぶらせて声のほうを向くと、朱音が指を机に。
「こやつが盛大に床に漏らしてたことをか?」
魔王が真顔で。
「おい……お前だけに教えてやったことだぞ!?」
吉田が口を上下にはじいて。
「お前が教えたのかよ!?」
僕も同じ驚きを。というか、怒っても可い所だ。
「はあ……あんたたち、ほんと仲睦まじいわね」
朱音はため息をつきつつ、苦笑。今の僕には、そういう顔でさえ悪意が隠れているんじゃないかと気が気でない。
というより、実際余裕がないのだ。謎につぐ謎のせいで、すでに尽きてしまっている。
朱音も、知ったかぶりな声で
「数十分前はそんなやつれた顔じゃなかったわよ? 想像以上の長い時間が経ってるみたいな」
僕は、一瞬、声が出なかった。
みんな、案外僕の内面を熟知しているのかもしれない。事態の異常さに、気づきかかっている。
魔王も、やけに朱音の言葉を真面目になって聴いているらしかった。
「つ……疲れてるだけだよ!」 不意に、声を高く。
「本当に、人に言えない何かがあったとか?」
本当だなんて、言えるわけがない。僕の体験は人知を越えたものなんだから。
「とにかく、僕はトイレに行っても気分が晴れなかったんだって」
そんなばればれの妄言を続けることでしか、僕は自分を守ることができない。
「何もおかしいことなんてない……みんな過慮ぎなんだってさ」
ひょっとしたら、僕はそうやって哀れんでほしかったのかも。
誰にも理解されないのなら、思いきり理解されない方がいいのだ。何が言いたいのかさっぱり不明な奴なんだって。
けど、誰も僕を頭ごなしに否定しようとしない。僕に、おそらく何かが起こったのだろうと推測するような面立でいる。
「ま、あんたが何か言ったところで私に理解できることじゃないけど」
あきらめるかのように朱音。結局僕が頑として真実を教えないせいで、黙って矛をおさめざるをえなくなったわけだ。
「ああ……理解しなくてもいいよ」
マギアは腕を組みつつ、やはり興味ありげな顔のまま、僕をながめ続ける。
「お主の当惑、ちょっとだけ分かる気がするぞ」
マギアは何気ない口調で、自分を語る。
「何しろ、我輩も転校する前、変な奴に車の前でにらまれたことがあってな、なかなか凍結いたもんじゃったわい」
しかし、吉田がもうこらえきれない様に頭をかきつつ介入。
「それより、俺たちにはもっと重大な話があるだろ?」
吉田はどことなく立場が不明確な所がある。もちろんマギアに寄っている節があるとはいえ、朱音に対立するわけでもない。身勝手かもしれないが――そんな所に、違和感を禁じ得ないのだ。
「何だよ……」
「合宿さ。今日話し合うんだろ?」




