第十八話「怪奇! トイレの中の禅問答」
咲がどうしても気になって仕方がない顔で僕につめよる。
「ねえ翔吾、一体何があったの?」
魔王は何か言いたげ、しかし何も言いたくなさそうに頭をゆり動かしている。
正直言って、僕は自分の推測をべらべらしゃべってよいかどうか悩んだ。僕にはあの女が魔王みたいに何かの妄想に囚われている人物だとは推測しかねたからである。
けど、余計にみんなの好奇心をかきたてたくなかった僕は、
「変な人が現れた。それだけのことさ」
という一言で済ませてしまう。
けどそうは問屋が卸さないのが世の中の道理で、
「いや、危険な感じがしました……!」
かなりあせりを含んだ表情で続ける三茅。あの女とさしで話したからこそ、かなり危機感をつのらせているみたい。
「あれはきっと魔王様を害しようとする者の手先に違いありません!」
僕は以前のことを思出し、不安げに問う。
「なあ三茅、もしかして家族のみんなにもそんな態度で接してるのか……!?」
「……もちろん変な顔はされるよ。あまり関係は平常になったとは思えないかな。でも、以前よりずっとうまく行ってる」
まあ、あんな疑惑が浮いてしまったほどだからな。
「私にとって魔王様は指針みたいなもんだから……」
奥底から、心酔しているかのようだ。でも、日々の生活を乗切るためにはそんな風に我を張るしかないのかも。
「それより、咲ちゃん、あの人なんでしょ? 魔王さまをずっと探してた人って……!」
次見つけた時はとっつかまえてやる――とでも宣言するかのような目つき。
「う、うん……! 確かにあの人だった。でも、まさか学校の中にまでやってくるなんて」
咲とても、このことはあまりに予想外で、反応が全くとれない。
「私、あの人のことはよく知らないけど、でもちょっと危ない気はしたね。だって魔王の名前を最初から知ってたわけだし」
あんながたいのいい人がマギアについて調べてたってのか? 僕にはとてもことが単純だとは思えない?
「きっと、前から小手調べしてたって可能性もある……」
低い声でつぶやく。あまり、みんなを心配させる言葉ははきたくなかった。
僕は隣、彼女の方に向直る。
「魔王、あいつは初めてか?」
マギアは実に威勢がよかった。
「はは……いや」
どう視ても虚勢としか思えない空元気。ただ単におびえているというだけじゃない……不都合な事実をごまかすような笑い。どうしても鼻につく。
僕はあえて深入しない。
「我輩もすっかり有名になっちゃったもんじゃ。まさかあの男一人討果たすだけでここまで名が知れ渡るとはな……我ながらびびってしまう」
マギアも多分、戸惑っている。単純な人間だ、何かを隠しているとはとても思えない。言えないことがあるわけじゃないはず。
「そ、それより、咲、我輩はお主にノートを貸してほしいのじゃが……」
「また? 前自分で解いてやるって言ったんじゃなかったの?」
「やはり机に一人で向かうと手も足も出ぬものでのう」
肩をすくめる。だがその様子も、すがりつくって感じではない。
冒頭の声は若干乱れていたけど、すぐ堂々と自分の至らなさを告白。
「もう、仕方ないな……」
咲はあきれているようだが、しかし自然に手を出してしまう。
きっと銀髪と碧眼という異様な姿でなければ、こんな無理が通ることもないだろう。
それより、吉田だ。
咲からノートを見せてもららうと、マギアが席を立った隙をついて、僕に小声で話しかける。
「なあ、翔吾、お前何か隠してないか?」
こいつは詮索が好きな性格だ。下手に真実をうちあけてはまずいことになりかねない。
そもそも、米倉がマギアの名を呼んだことも覚えてもなさそうだし。
「僕だって何が起きてるのかさっぱりわからないさ」
吉田は身勝手にも、額をかきつつあきれる。
「勇者が知らないとあってはな……」
僕はだんだんいらいらしてきた。どいつもこいつも、マギアと並んで僕を特別視しやがって……。
「あのな、僕を魔王と伍す存在とみなさないでくれよな? あれはマギアの勝手な付与なんだからよ」
「じゃあいつも通り翔吾って呼べばいいんだな、勇者さま」
腹いせに僕は無言でそっぽをむく。もう、何があってもこいつの言葉に耳を貸してやるものか……。
吉田は、ごまかすように話題を変える。
「ああ、ちょうど耳よりのニュースがあったから教えといてやるよ。俺たちが米倉んちの家に突撃して数日後のことなんだが」
「……」
「多分、そいつの家で起こった所なんだ。一人で暮らしてた奴がな、全然急に髪だけって異様な姿で発見されたらしい。血さえ残らずに、な」
異様な言葉に、ちょっと僕は心を動かされる。
「髪だけ……?」
「家財が持ちだされたって痕跡はなくてさ。殺人かもしれないってうわさもあるみたいだが……」
僕はしかし、ほとんど聴く準備ができなかった。何より、頭の中にどうしても虫が入っているような気がして、どうしても目の前の問題にありつけないのである。
「で、それが?」
僕は頭をかかずにはいられない。
吉田の方でも、とうとう懲り始めたらしく。
「変なこと続きでノイローゼになってんだな? 分かるよ、その感情」
何から何までがうっとうしい。
「それでさあ、例の指輪が」
◇
なんて心地いい空間。
トイレの中は、外と隔られているから一種の聖域と言ってもいい特徴がある。
僕は糞を出そうとして踏ん張ってみたが、なかなか糞が出る気配はない。
いや別に糞を出したかったわけじゃない。要するに、渾沌とした脳髄を鎮めるのが目的。
だが、どうしても戸惑が完全に収まる気配はない。トイレという空間でもっても、非日常はそんなものでどうにかできるものではない。
その時、僕の数歩先で光が生じた。すでに僕はほとんど駭かなかった。
駭く気力すら、ほとんど消耗している。
光の向こうから、霧を破るようにして、誰かが出てきて僕を見下ろす。
「君が『勇者』と呼ばれている子だね?」
「あ、はい……」
と、意識を失いそうになる。
隠点さえ顕じゃないか!
燃え上がる羞恥心で、僕は不意にパンツを揚げる。
「ちょ、まだ……!」
こんなことが他の奴らに知れたら、僕の名誉に関わる……!
そもそも、こいつ、さっきの女じゃないか!
「まだ、いたんすかぁ!」
「いや、ここを去ってたわけじゃないけど?」
女は両腕を拡げ、壁に手を触れる。
「安心して。結界で外界から隔絶してあるから」
「そんな問題じゃない!」
「どうやらこちら側の世界では男は『そこ』を隠すみたいだね? 律儀な習慣じゃないか」
女の言葉に、僕は全く耳を貸さない。
「で、出ていってください!」
気力を尽くし、死物狂で僕は之を逃散しようと。
まだ、僕に非日常が追いすがるのか。勘弁してくれ。
「無駄だよ。私がこの化粧室から結界を張っている限り」
「その結界を解いてくれ」
まるでじらされてるみたいで心底腹が立つ。
そんな様子を嘲笑うかのように見下ろし、亜麻色の髪をなびかせ、蒼い眼で不気味に笑う。
「やれやれ。知りたくないのか。あの魔王、マギア・ユスティシアの正体を?」
「誰が知りたがるかよ」
女の表情が一変した。目をつり上げ、明らかに怒っている。
「……あいつをよくも、米倉清助の前におびきだしたね?」




