第一話「我は、不俱戴天の魔王也!」
「――魔王? ……それ、面白そうじゃない」
「いや、私、魔王になるよ。あなたの跡を継いで。そして、この世を牛耳る悪い勇者をやっつけてあげるの!」
「えっ、そんな所に勇者が存在してるの? 分かった。やっつけてあげるから」
「ちょっと本気、かも」
「どうして私が……こんな目に……」
「ふふ。私ね、魔王様になったの! 誰が言っても、私は魔王様!」
「ククク……ここが勇者の棲まう洞窟か!」
◇
魔王が玄関に現れた!
さて、どうする?
「ついに会うことができたな、勇者よ」
勇者であるらしい僕に、
「この瞬間がくるまでどれほど艱難辛苦をなめたことか! いざ尋常に勝負!」
僕は、驚きのあまり沈黙を保つ。
自分のことを魔王だと思いこんでいる精神異常者だ、こいつ。
正直に言うと、僕は状況をつかみ損ねている。
今言った通り、この女の子は、自分を魔王と呼んでいる。
その妄想に何の疑問も抱いていない。
「勇者よ、ようやく居場所をつきとめたのだぞ……! 覚悟せい!」
威厳を出そうと腕を組んで体を震わしているが、こんなかわいらしい外見――実に日本人離れしている――では逆に不安定さをかもし出すばかり。いや、実に鑑賞に堪える繊細さだけれども。
銀色の髪、藍色の瞳、小柄でまるで人形のように透明った肌。
フリフリした飾りを数々寄せる、黒いロリータ服とスカート。本当に異世界のお姫様じゃないかと見とれてしまうほど。
いや、これは魔王というまがまがしさとは全く別個の……
「勇者って……僕はごく普通の高校生だ。ちっとも特別な人間じゃないけど」
かえって僕は他の奴らにまぎれこめば一瞬で消えてしまう、何の特徴もない高校生。
「前世を知る我輩には直感で分かるのじゃ! 貴様はまだ自分の正体を思い出せないだけなのじゃ!」
腕をすくめると、自称魔王はますますまなじりを決して、
「お主なら我輩の名前が言えるであろう、言うてみよ!」
無理な要求を強通す。
僕はため息、壁の柱にひじをついて、
「知るかよ。初対面なんだからさ」
「ええい、魔王マギア・ユスティシア十六世の名を知らぬ者は前世ではなかったものを。実に嘆かわしい!」
「くっそ仰々しい名前だなー。一体誰につけてもらった」
僕が適当にたずねると、ぎょっとした自称魔王はてのひらにあごを乗せ、困った表情、
「ええと、それは、昔名前を改めることがあって――」
やれやれ。こいつはどうやら魔王という言葉にかっこよさばかり見出しすぎて詳しい設定まで手がとどかなかったらしい。
「分かったぞ、アニメや漫画にふけり過ぎて自分を見失ったせいかな?」
『魔法と正義』の魔王マギア・ユスティシア――多分ペンネーム――はどうやら図星を指されたらしく、顔を赤らめて、
「わ、我輩は本物の魔王じゃ、信じるがよい! なみの決心で勇者の前に来れるか!」
と言いつつも、最初の意図がはがれつつあるのは露見。
「そもそも、なんで勇者のところに来たんだい?」
次第に不安な表情になりだしたのは魔王の方。
「当然、復讐のためじゃ! 前世ではお主に敗れたからのう。ゆえにこの世で貴様に勝ち、見返してやるのじゃ!」
「――どうやって?」
すると、またもや魔王は沈黙して、悩んだ顔つきに。
「そうじゃな――なら腕相撲とかで? って、なぜお主が我輩に質問を投げかける?」
両腕ふり乱して、
「ふざけるなっ! 我輩はお主に宣戦布告しにきたのじゃ!」
「宣戦布告?」
僕の想像を越える事態が、連続して起こっている。
自称・魔王は気炎を噴きあげ、とどまる所を知らない。
「我輩には野望がある。魔王国をこの地球に再建して貴様を倒す力をつけるのじゃ! 今はたとえ一人で無力な存在であるとしてもな」
誰も信じるはずのない野望。
国を建てる、か。かっこいいけど、現代じゃまず不可能なできごと。
ただただ苦笑。
「そう……女の子が言うには実にたくましい想像だな。でも、女の子ならもっと身近な夢を語ろうよ。アイドルデビューとか?」
何気ない言葉が、ますます刺激。
「お、女の子!?」
今まで以上に顔を赤くした魔王は、火のともすふくらんだ頬、にらみつける。
「女の子とは無礼な! 我輩は魔王じゃ! 性別など関係がない!」
さすがにここまで気持ちを傷つけてしまうと、僕は気の毒になった。けれど、そもそもの問題は彼女にあるじゃないか。
「我輩をよくも侮辱しおって! ぬおーっ!」
魔王は脚を一瞬後ろに曲げ、飛び込んできた。
割物を救うかのように、僕は抱きかかえてしまった。
柔らかくて、溶けてしまいそうな肌ざわり。
これは、荒々しく扱っていいものじゃない。簡単に砕けてしまうような、ガラスのような優しさ。だから僕はますますその体をぎゅっと――
不意に目を閉じ、顔に痛みが走る。
細い指を広げて、反対側に手を伸ばす魔王。
「やめろよ。女の子らしくない……」
僕はいささかの怒りも感じない。むしろ、安心してしまう。
「は、離せ!」
魔王はもがいて、僕の体を振り払う。
そして、床に尻もち。それがまた地味に痛いらしく、見上げた時にはすっかり涙があふれている。
恥ずかしくなるくらい、いじけた様子に
……かわいい。と思ってしまう。
「うわああん……勇者よ、憶えておるがよい……!」
泣顔を手でおさえつつ、魔王は玄関を蹴破り、闇夜の中へと消えていく。
数秒たった時、僕は今起きたことを夢ではないかと疑った。
何だったんだ……あの子は……?
だが、こめかみを叩いても、夢からさめはしない。
となると、これは夢ではないのだ。現に、頬を叩かれた痛みは残ったまま。
◇
世の中、何があるか予測できないもの。人生は、いつの間にか大きな転機を迎えるもの。
実際、僕はこの日のことを決して忘れることはできない。この日、魔王も僕も、何も知らないただのガキだったのだから。