琴音の母、愛音の店
琴音はファミレスを出てすぐ、自分の家、つまり愛音の経営しているラーメン屋に向かっていた。その足は、早めに回転している。顔と首筋には幾分かの汗が伝っていた。冷や汗だろう。彼女はそれだけ、焦っていたのだ。
(母さん……大丈夫かな)
無論、母親愛音の心配である。琴音は自分の母親が、闇金の男達に巻き上げられているのを知っていたのだ。だからこそ、意識していた。おそらく恫喝が終わるであろう時間に、すぐ帰ってこれるようにファミレスを抜け出してきたのだ。
(多分、今頃……。あいつらは帰ってるはず。母さんが店を開くくらいだ。色々励まさないとだし、それに帰って手伝わないと……)
琴音はそんなことを思いながら、さっきまでは早歩きだったのを、何のきっかけもなく小走りにした。そうして、帰路を急ぐ。
琴音が小走りを始めてしばらく、彼女の眼前には愛音のラーメン屋がそびえ立つ。今はまだ二時ごろ、普段なら開店している頃だが、知っての通りのことで今は開いていない。
それを確認した琴音は、さっさと入口の戸を開け、ただいまと言いながら店に入って行く。
「ただいま母さん! 大丈夫だ…………った?」
と、琴音が問いを投げながら入ってきた時だった。
ラーメン屋の中では、妙な格好をしている金髪の女性が、その美しい顔を真っ赤にして踊っていた。落ち着いた冬らしい灰色の服装とは打って変わって、彼女は騒ぎまわっていたのだ。どうやら、酔っているらしい。
そして隣に座っている男はいないかのように、カウンター奥の愛音に絡んでいる。
「いやぁここのラーメンはうまいなぁ!! 妖館に持って帰りたいよぉ……何さんだっけアンタ」
「え……堀田愛音です」
「んじゃあ今からアンタ、孤児ね」
「はっ?」
「あ~大丈夫。戸籍はいじっとくからさ。ほら~どんどん連れて帰っちゃいましょうれぇ~……んくっ」
どうやら、金髪の女性は酒を飲むと絡みたくなってしまうタイプのようだ。そしてその矛先は先も言ったように、カウンター越しの愛音に向けられていた。愛音は相当に困っている様子だったが、女性の方はそれを気にする様子もなく、上体をカウンターの方へと伸ばして奇声を上げている。
そうして、それを見た琴音は……
「か、母さんに近寄るなこの変態っ!」
女性と愛音の間に、愛音をかばうようにして立った。その顔にはキッパリと、決め切った意志があった。母親を守ろうとする、娘の意志だ。
まあ少しだけはき違えてしまっているような気もしなくはないが……まあいい。そんな琴音のことを見て、女性はポワッとした表情をする。そうしてしばらく、彼女は黙ってしまう。黙ったまま、膝をついて琴音のことを見上げているのだ。
「……な、なんだよ」
あまりにもキョトンとした顔で見られ続けていたために、琴音は思わず女性に問いを投げてしまう。だが、女性はそれに答えない。まだ、黙ったままで琴音の顔を見上げているのだ。
二人、愛音、そして店内に沈黙が響き渡る。……そして、
「えいっ」
女性は急に、琴音に抱き着いた。それを受けた琴音は思わず、怪訝に顔を埋め尽くす。
「え…………えっ?」
「可愛くて……健気で、お前は一人、離れに咲いている花のようだな」
「…………?」
女性は何やら、赤い顔のままで神妙なことを言い出す。今の言葉は、琴音のことを指していたのだろうか。
「え、何を……」
そうして、琴音が今の女性の言葉に疑問を感じた時だった。
「そこまでにしておけタマ」
女性、タマの肩を何者かが後ろから掴んで、琴音から引きはがす。天翔だ。彼はタマのことを自分の方へと引き寄せると、その額にデコピンを放って仕置きとする。
「ぬぁっ……あ?」
天翔のデコピンがタマの額に突き刺さると、彼女は目を覚ましきってはないが、少なくとも人の話を聞くことが出来るくらいの状況にはなった。そんな彼女に、天翔は暗示をかけるようにして声をかける。
「気付いたか。ほら、お前は外に出ていろ」
「んあぁ……あ、ああ、うん」
タマは天翔の言葉に従い、ふらりふらりとしながらラーメン屋の中を歩いて外へ出て行く……
「…………って、アンタ誰だよ!?」
蚊帳の外だった琴音が、声を荒げて天翔に向かう。今の状況に何も声を上げなかったのは、琴音がついて行けていなかったからだ。
当然だ。帰ったら母親を襲うようにしている女性がいた。それを止めたら自分にかかってきた。何かと思ってみれば、その女は意味深なことを言う。そして疑問を口にしようと思えば、女性は見ず知らずの男の指示に従って素直にどこかへ。
そんな状況を飲み込めと言われれば、ショートして見送ってしまうのも当然だろう。だが、ようやく目が覚めた琴音は問いを口にしたのだ。それを受けて、天翔は……
「ただの通りすがりのラーメン好きだ。今日は、知り合いが店に迷惑をかけてしまって申し訳なかった」
手短に済ませようと、妙な自己紹介をしてから謝罪をした。だが当たり前のごとく、先のような言葉だけではさっきまでの状況を説明するには全然足りない。未だ、琴音は首を傾げる。
「え、は……? 何を分かんないことを……」
だが、可哀そうなことにまだ、彼女のことを戸惑わせる物事は発生する。
「いえ、そんなことはありませんよ! ありがとうございました、鳥山さん!」
「え……母さん?」
琴音の母、愛音が天翔に頭を下げたのだ。
まあ前の話を見ていれば分かることだが、事前に起きたことを琴音は把握していない。何が起こったのか、意味が分からないという様子で彼女は母親と天翔を見比べている。そんな彼女に、愛音が手短に説明した。
「この人は常連の鳥山さんって人なんだけど、さっき来てた“あの人達”から私を守ってくれたのよ。それに、アンタのこともよ琴音」
「え……この男が……?」
琴音は母親に説明されたことを、信じられないと言うように天翔のことを見る。それを受けてか、彼は肩をすくめて示す。
「別に。食後の運動だ。丁度いいサンドバッグが転がってたからぶん殴っただけさ。それに、タマが迷惑をかけた。あれで五分だよ堀田さん」
彼はどうやら、何が何でも礼を受け取る気はないらしい。それは二人のことを気遣ってのことだろう。手早く済ませて、また帰ろうと出口へと足を進める。
「じゃ、私は行くよ。それじゃあ……」
「ま、待ってくれ……」
「いいんだ、琴音ちゃん」
「……え? どうして……」
急に天翔は自分に声をかける琴音の言葉に被せ、声を上げながら振り返る。彼女の方は自分の名前を言い当てられて、目に見えて動揺する。
が、すぐに常連なのだから、母親から聞いていてもおかしくはないかという考えに至った。そうして、落ち着いた表情で天翔の方を向く。
「……あ、常連だからか。んで、な、なんだよ……」
「私は礼が嫌いなんだ。さらに言えば……言葉で言われる礼は最も嫌いだ」
「え……」
天翔の言葉を受けて、愛音が寂しそうな顔をする。だが、それをすぐにカバーするように、天翔はつづけた。
「感謝の意というのは、姿勢で示すべきなのだよ。だから、堀田さん、琴音ちゃん。次に私が来るとき、またうまいラーメンを食わせてくれれば問題ないんだ。それだけでいい」
天翔は礼はいらないと言いながら、そのまま二人に背を向けて歩き始める。サッとそうやって帰ろうとするその背中は、また、太三郎と同じような風格を背負っていた。後ろにいる琴音と愛音を、意識をせずとも黙らせてしまうような、そんな風な。
「……塩ラーメン」
「え?」
いきなり、愛音が口を開く。琴音が見てみれば、彼女は夢現という様子だった。そんな風で、彼女は言う。
「鳥山さんが食べて行くの、いつも。……改良しようかな」
「え……母さん?」
「ちょっと、手伝って。鳥山さんがまた来ても大丈夫なように……」
愛音の頬には、少しの赤があった。それを見て、琴音は頭を抱えて唸るのだった。
(この年に来て……マジかよ、母さん……)




